3章の13
「そ、その目……」
少女はアリストの右目を凝視していた。色を無くした瞳。端から見れば、不気味で異様な物体以外の何物でもない。
アリストは慌てて黒眼鏡を探したが、ふと気づいて手を止めた。
見られたものは、仕方が無いか。
諦観と共に少女へ淡く微笑んだ。
「ごめんな、これが今の俺の目なんだ」
異様な物を見せてしまって悪かった。そういう思いで詫びの言葉を入れた。
「この目の中身は今、取り出されてペンデュラムの千里眼になってるんだ」
ダウズで強い武器を見つけるために、自らの目を魔具に変えた。アリストは小さく笑いながら、この目の真相を教えた。
少女は唖然と、アリストの瞳を見つめ続けていた。
「……生贄」
ぽつりと呟かれた単語は、アリストにとって全く覚えが無かった。
「生贄?」
「申し訳ありませんっ!」
少女は突然跪いて頭を下げた。
「なっ!?」
「私たち勘違いしていました! 申し訳ありません、クラット様!」
地面に額を擦りつける。しかしアリストは何の事だかさっぱり分からなかった。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。とりあえず顔を上げてくれないか」
「……っ」
少女はゆっくりと顔を上げた。悔恨のような、はたまた羞恥のような色の浮かぶ瞳は未だに下を向いている。
「勘違いって言われても、俺にはよく分からない。……勘違いさせるような事をしてた俺も悪いけれど」
少女は首を横に振った。
自分の知らない所で妙な噂でも流れていたのだろうか。アリストは首をひねった。
ただ、ここで真相を究明している猶予は無い。
「とにかく、札を取ってくれてありがとう。お礼をするべきだろうけれど、今はちょっと急いでるんだ。また改めて――」
がくん、と体が落ちた。体重をかけた右足が再び崩れていた。
「いっつ……」
「だっ、大丈夫ですか!?」
妙な方向を向いている右足を見、アリストは嫌な汗が噴き出るのを感じた。
「足を捻ったみたいだ。まぁ、これくらいなら何とか」
と言いながら、鎌をもたげ始めた激痛に顔をしかめた。
少女は心配そうな顔でアリストを見ていた。
そして突然、何かを思い出したように立ち上がった。
「少しお待ちになってください。あれを取ってきますから」
踵を返してどこかへ走って行ってしまった。
「……あれ?」
薬か何かだろうか。一刻も早く丘へ走りたかったが、立つこともままならない今は大人しく待つしかなかった。
幾ばくもしないうちに少女が戻ってくる、行った時よりも駆け足が静かなのは、両手に小桶を抱えているからだ。
ちゃぷん、と中身が音を立てる。飛んだ透明なしぶきから、どうやら中身は水のようだ。
少女は小桶を抱えたままアリストの前にかがみ込んだ。
「この水を飲んでください。きっとすぐに良くなります」
すっとコップを取り出した。
「……これは?」
「町の井戸の水です。天使の水と呼ばれていて、どんな怪我や病気にも効くんです」
コップを受け取りながら、アリストは目を丸くした。
「天使の水?」
「ネイバンに伝わる伝説なんです。七世紀前の疫病の時、この近くにあるタリアの丘から天使の羽が飛んできて湧水の中に落ちました。天使の羽は何にも効く万能薬だから、その水を飲んで、この辺りの人々は助かったと言われています」
コップに注がれる水をまじまじと見る。
「今でも、この水は病を癒す効果を持っています。すぐそこの鉱山で採れる鉱石には毒があるけれど、町の皆はいつもこの水を飲んでいるから、毒に冒されずに済んでいるんです」
アリストはコップの中の水をじっと見つめた。波紋がいつまでも途絶えないのは、自分の手が震えているからか。
「この水のおかげで、町の皆は病気知らずです。だからきっと、クラット様のお怪我も治ります」
促されるまま、アリストは水を飲んだ。ほのかに甘い味が、体全体に優しい安堵を与えていくようだった。
やわらかく暖かな羽で包み込まれているような、そんな感覚。
これが天使の羽の癒し――
不意に涙がこぼれそうになった。
「っ」
慌てて首を振る。すると先程まで全身を覆っていた、痺れるような痛みが消えている事に気付いた。手の甲に血を滲ませていた傷も、信じられない事にすっかりふさがっている。
「傷が……」
アリストは右足首に手を伸ばした。触れても、あの絶望的な腫れの感触は無い。突き抜けるような痛みも消えている。
恐る恐る腰を上げると、両足はしっかりと地面に立った。




