3章の7
次第に建物の迫間から開けていく。景色へとひた走りながら、鈴音は握りしめたペンデュラムへ問いを掛けた。
「天使の骨はどこですか?」
しかし十字架はウンとも言わず、疾走のリズムでちゃらちゃらと揺れるだけだった。
「っ、どこにあるんですか!」
叱りつけるように怒鳴る。すると罵声に驚いて跳ね起きたように、十字架が一方向を指し示した。今走っている方角とほぼ同じだった。
「わかりました。ありがとうございます」
鈴音はペンデュラムをねぎらうと同時に、かっとなって怒鳴った自分を深く責めた。
お前には探す資格も無いと言われたような気分だった。
無理やり主から奪い取った挙句、当然のように問いを投げつける。そんな輩に、真実の答えなど教えるつもりは無い。十字架の態度はそう言っているように思えて仕方無かった。
「……」
鈴音は走りながら顔をしかめた。
どんどん悪い方向に向かっている気がする。繰り出す足が踏もうとしているのは、何よりも虚しい結末なのかもしれない。
嫌われたかな。嫌われたよね。
それらしい言葉で繕っても、やっぱり裏切りは裏切りだよね。
そうですよね、アリスト様――
「……っ」
涙がこぼれそうになる。
わけのわからない理由をつけ、突然別れを押し付けた私。あの人が一番大切にしているペンデュラムまで奪って、勝手に隣を離れた私。
『何でここまで拒むんだよ』
耳に甦る彼の言葉が、ついに涙の堰を砕いた。
「っ……だって……」
涙に歪んでいく景色。
「だって、だって私ついに……」
緩く緩く速度を落とし、足を止めた。
ここで町は終わっていた。通用口のような小さい街門をくぐると、すぐに丘陵の起伏が大地を動かしている。
鈴音は肩で息をしながら、この広い緑の景色を見た。
いや、緑の一部は黒く汚れていた。
そよそよと揺れる牧草の中にうずもれた何かが、数多の染みを作っている。
ずきん、と、心臓が痛いくらいに収縮した。
鈴音は白装束の胸元を掴みながら、緩い前進を再開した。
草履が牧草を踏む。足袋越しに草のやわらかな質感が伝わってくる。
黒い何かの点在する景色が一歩ごとに近づいて来た。
マルベルの死体。
少女はとうに、それを知っていた。
「……全部私がやったんです」
握りしめたペンデュラムに、細い声で吐露した。
昨日の晩、私は狂った。銀色の月明かりの中に、無数の血液の雨を降らせた。
憎いモノを潰すあの快感。胸の中に押し込めていた、たまらなく醜い快感が一気に甦って体中を駆け巡った。
満ち足りた。
有魔を殺すと言う行為に、笑って肯定を返した。
ひたすら殺した――月が紅く濡れるほどに、風が黒く染まるほどに。
頭の中が壊れかけるほどに。
「もう……私の願いは叶わないですよね」
涙の伝う頬が歪む。
「あなたみたいなワーカーになりたいなんて、願う資格も無いですよね」
死を願われる命なんか一つも無い。あなたはそう気づかせてくれた。そしてセルトの皆がそう思える世の中を作るために、あなたは必死に努力している。
願いを叶えてほしい。あなたが願いを叶えて、セルトの全てを救ってほしい。
そしてその尊い願いを、私はトーアまで持って帰るつもりだった。
海の向こうの故郷まで、セルトそしてあなたの思いを広げるつもりだった。
ずっとずっと、そう願っていたのに――
「……っ」
鈴音は再び駆け出した。
早く終わらせる。そうでないと、綺麗な思い出までもが汚く塗りつぶされてしまう。
彼に掛けた神術は本当に他愛も無い物だった。神具である札が取れれば術も解けるし、少し時間が経てば自然と失われもする。
あなたはすぐに自由になる。自由になるけれど。
お願い。追ってこないで。
この景色を見ないで。
あなたの綺麗な瞳に、この汚れきった景色を映さないで。
はっ、とペンデュラムの水晶球を思い出す。
彼の右目から作り出された千里眼。この目が、彼の代わりに見ているような気がした。
慌てて覆い隠しかけたが、先程の失態を思い出して止める。
「もう……抗っても意味が無い所まで来ちゃったんですね」
諦観をのせて呟く。ふと空を見上げると、高く澄んだ空に千切れ雲が流れていた。
この場所も空だけは美しかった。
この、トーアには無い空に微笑むのも、きっと残り少ないに違いない。
かつては天使が舞った空。純白の羽が躍った青い空。
「エルと一緒に飛ぶ前に、終わりになっちゃいましたね……」
その時、鈴音は微弱なイーゼルを感知した。




