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3章の5

 アリストは慌てて床を蹴った。

 開け放たれたガラス戸を抜けると、強い風が体を横から殴った。

「っく……鈴音!」

 本通りの上に、少女の姿はどこにも無かった。

「路地に入ったのか」

 アリストはペンデュラムを掲げた。

 鈴音はどこだ。そう訊くと、十字架は即座に一方向を示した。

 十字架の引力に従って全速で走る。

 本通りを中心に路地が交錯するネイバンの町。十字架の示す方向だけを見ても建物の壁があるだけだ。

 それでも、この向こうには絶対に彼女の姿がある。信じて走れば答えは必ず目の前に現れる。確信に答えるが如く、ペンデュラムは力強くアリストを導いていた。

 路地の陰に緋色が躍った。

「鈴音!」

 鮮やかな色彩の衣がはっと動きを止める。

 追って吹いた風に、白く広い袖がはためいた。

「……アリスト様」

「一人で何でもやろうとしないでくれ」

 アリストは背を向けたままの彼女へ言った。

「お前が強いのは分かってる。俺はきっと、誰よりもそれを知ってる。けれど、それにいつまでも甘えるのは嫌なんだ」

「……」

 むこうを向いたままの鈴音の表情は分からなかった。

「鈴音、俺は確かに弱いよ。どうあがいてもお前の足元にさえ及ばない。それはそれでいいんだ。ただ……お前を危険な目に会わせて、自分だけ高い所で待つのは間違いだと思う」

 アリストは真っ直ぐに鈴音の背を見つめた。

「俺が隣に居ても、何の役にも立たないよな。それでもお前はいつも隣に居てくれる。きっと、居ようと思ってくれている。だからこそ俺は目的を遂げたいと思え続けたんだ」

 そこで与えられるだけの身になってしまったら、願い続ける意味さえ折れ曲がってしまうような気がした。

「何もかもから守られながら欲しい物を手に入れても、きっと何の意味も無いんだ。夢心地で呟いただけの願いをお前に叶えてもらったのと大差ない。それじゃダメなんだ」

 いつの間にか拳を強く握っていた。

「身勝手な事ばかり言って申し訳ないと思ってる。今でも、お前に甘えている事は確かだ。ただ、これだけは譲れない。いくらお前から言ってくれた事でも、お前に全部を放り投げて待つだけになるのは嫌なんだ」

 風がペンデュラムの鎖をしゃらりと鳴らした。

 例えここで彼女が振り返らなくても、俺はペンデュラムを使ってどこまでも追いかけてみせる。

 そして追いついてみせる。

 それができなければ、やらなければ、武器を得るなど許されるわけが無かった。

「鈴音……」

 アリストは目を細めた。

 ――笑ってくれないか。

『私も一緒にアリスト様の願いを叶えますよ』

 この旅路が導き出された、数日前の夕方。フォルドの屋敷の屋上で振れたペンデュラム。

 十字架の示した方向を指差し、笑った時の顔は心底嬉しそうだった。

 一緒に。そう言ってくれたあの時を覚えてくれているのなら――

「弱くなんか、ないですよ」

 声が、アリストの耳に響いた。

「アリスト様は強いです。生まれながらの才能に恵まれなくても、意思の力でそれを埋めています。〝ヒト〟の部分が強くないと、こんなことできないですよ……」

 鈴音はこちらを向かないまま続けた。

「考えている事も、見ている場所も、全てが私と違います。そんなアリスト様と出会って、私も同じことに気付けたと思ってました……。っ……そう思ってた私こそ傲りが過ぎます」

 彼女が何を思って呟くのか、全くわからなかった。

「傲りって、お前何が」

「でも思い出が綺麗ならまだいい」

 強く言い放つ。

「っ」

「思い出にしてください――私のこと。天使の骨は私からの置き土産だと思ってください」

 くるりと、袴の裾が翻った。

 こちらを向いた鈴音は、アリストの願い通り笑っていた。

 ただひたすら悲しい顔で笑っていた。

「私は結局、私でしかありませんでした」

 記憶のどこにも無い笑顔が、アリストの胸をズキリと締めた。

 何かが終わったと言うつもりなんだ、お前は。

 そう問うて駆け出そうとした足が、突然動きを固めた。

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