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3章の4

「――それより、早くこの町を出ましょう」

 いきなりの要求に、アリストは「は?」と目を丸くした。

 鈴音は数歩分開いていた距離を詰めた。

「マルベルがこの町に集まってきています。元々人の少ない土地だからだと思いますけど、すごい数です」

「マルベルが? 何でこんな所に」

「多分、エルを狙ってるんだと思います」

 どこか座った目で鈴音は言った。

「だから早く、町を出ましょう。そうでないと私――いえ」

 小さく息を呑み、言い直す。

「ここにいるとエルが危ないです。早く人の多い町まで戻りましょう、アリスト様」

 いつになくひそめた声は、まるで内なる衝動を押し殺しているようにも感じられた。

 昨日、何度か続いたマルベルの襲撃。確かに普通でないとアリスト自身も自覚していた。

 ただ、狙われているのが〝エル〟だと言い切った鈴音も不思議だった。

 アリストは手を伸ばした。

「お前、やっぱり何かあったんじゃ」

「何でもないです!」

 ぱしん! と廊下に破裂音が響いた。

 はっと我に返り、目を丸くする鈴音。

 アリストの手をはたいた自分の手の平を見る。そして癇癪を起した自分をひどく責めるように、眉間に深い皺を寄せた。

 ――鈴音?

 初めて見る表情だった。いつも明るく笑っている彼女とは別人とすら思えた。

 いや、過去に一度だけ見たことがある気がする。

 確か鈴音がセルトに着てすぐ。屋敷のそばの湖を案内していた時――

「……ごめんなさい」

 呟く声が回顧を打ち切らせた。

「あ、いやいいんだ」

 首を横に振ると、はたかれて宙に停止していた右手をジャケットの内側に入れた。

「それなら早く戻るに越したことは無い。ただ、その前に」

 しゃらっ、とチェーンが鳴る。

「ネイバンまで来た目的だけは、果たさせてくれないか」

 アリストはペンデュラムを掲げて言った。

「……天使の骨を、見つける、ですか」

「そうだ。はるばるネイバンまで来たんだから、これだけは最後までやらせてくれ」

 天使の骨を手に入れる。そして力ある魔具を作る。

 自分の何よりの願いを、この少女は分かってくれるはずだ。

 それに、天使の骨はきっとこの近くにある。――夢が事実ならば。

 アリストは首をめぐらせた。

 二人が立っている所はB&Bのエントランスで、大きなガラス窓から外の景色が窺えた。ここからでは向かいの建物しか見えないが、アリストの頭の中にはその先の景色が大きく映し出されていた。

 あまりに似すぎている二つの景色。連なる丘陵と、その向こうに広がる果てしない空。

「多分、あの丘の辺りだと思う――」

「っ!」

 視界の端で鈴音が動いた。瞬間、右目に激痛が走った。

「うあっ!!」

 眼球を握り潰されるような激痛。とっさに眼鏡の隙間から目を押さえる。

「あっ……」

 我に返ったような絶句が聞こえ、ふっと激痛が途切れる。

 鈴音の手から放れた十字架が空に揺れる。アリストは痛みの余波に歯を食いしばりながら、彼女の呆然とした顔を見た。

「っ……言っただろ……ペンデュラムの千里眼と俺の右目は繋がってるって……」

「ごっ、ごめんなさい!」

 縋り寄りかける鈴音。だが彼女は、出かけた手を途中で止めた。

「……」

 瞳を下に向けると、一瞬唇を噛んだ。

 直後、ばっと顔を上げ、

「私が取ってきます! 天使の骨、アリスト様の代わりに私が見つけて持って来ますよ!」

 アリストは痛みの引いた目を丸くした。

「は? 何でお前が一人で」

「さっきのお詫びです! すごく痛かったですよね。謝っても謝り切れないです。だからお詫びに、私一人で行ってきます。アリスト様はゆっくり静養しててください!」

 あたかも今取り繕ったような理由だ。さすがにアリストは首を横に振った。

「長引くような痛みじゃないって言っただろ。俺は何ともないから、そんなに気にするな」

 すると鈴音は切り札を掲げた。

「丘の方はマルベルがいっぱいいます。アリスト様たちをみすみす危険な目に会わせるわけには行きません。私一人が行けば済むことです。だから私に行かせてください」

 ぽんっ、と鈴音の手が肩をたたいた。

「ねっ」

「ね、って……お前」

 アリストが言葉を切らせたその隙に、鈴音はばっと身を返した。

「おいっ! 鈴音!?」

 緋色の袴がエントランスの扉へ駆けていく。体当たりするようにガラス戸を押し開け、勢いを削がないまま外に飛び出した。

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