2章の19
そこには華奢な少女が立っていた。
ひらひらとした薄い服に、頭の高い位置で結んだツインテール。ぱっちりと開いた大きな目は、月明かりのせいか金属のように鋭く光っている。
おかしそうに歪んだ唇から、あの耳障りな笑い声がこぼれていた。
「何ですか」
鈴音は不快感を込めて問うた。
少女は臆した風も無く、鈴音をまっすぐ見たまま口を開いた。
「変なの。何でやっちゃわないの?」
「やっちゃう?」
眉をひそめたが、すぐに意味を理解する。
鈴音は平らな声で答えた。
「殺さないって決めたんです。あなたがどう疑問に思っても、私の意思は変わりませんよ」
「ふーん。やっぱ人間ってバカよね」
「勝手に言ってください。それより、何なんですか? これは」
鈴音は今しがた上がってきた斜面を指す。
「この辺のマルベルはいつの間に、人を襲うのが趣味になったんですか? 以前までは平和だったって聞きましたよ」
すると少女は馬鹿にしたように笑い声を上げた。
きゃらきゃらきゃらきゃら
「あー、おかしい。ホントにバカすぎるわよね、人間って。喉が痛くなっちゃう」
「その辺にしておかないと、二度と笑えない喉にしちゃいますよ」
「しょうがないでしょー? おかしーんだもん。アンタの意思もバカみたいだし、それに何てったって、人間が〝あの〟天使と一緒にいるんだから」
「っ」
鈴音は眼光を強めた。
「知ってるんですか。……まぁ、当然ですよね。マルベル同士ならイーゼルで相手の種も分かるって聞きますから」
「そうよ。この町に天使とナイトメアが来たことくらい、みーんな知ってるわ」
ナイトメア?
眉をひそめる。確か夢を見せるマルベルだと記憶しているが、詳しくは覚えていない。
それは後回しだ。
「それなら、何でエル……天使によってたかって殺意を向けるんですか。これはマルベル同士の諍いを超えてます。あなたたちはどうして天使を殺そうとするんですか?」
強い語勢で問うた。が、
きゃらきゃらきゃら
「っ! 答えてください!」
とっさに袖の中に手が伸びていた。
右手は迷い無く、ずしりと重い神具を選んで取り出した。それを思い切り鳴らしかけ、鈴音ははっと我に返った。
「……っ」
掲げた土鈴を見、唇を噛んだ。
かっとなって我を忘れるなんて。土鈴をゆっくりと下げ、視線をわずかに俯けた。
「さあ、知らなーい」
頭の中に、馬鹿にしたような声が飛び込んでくる。
側から彼女のイーゼルが遠ざかっていくのを感じた。
「何で天使が憎まれるのか。理由は魔法使いにでも聞いたらー?」
「えっ!?」
がばっと顔を上げる、しかし既に、少女の姿はどこにも無かった。
「ちょっと! 魔法使いってどういう意味ですか!」
「原因作ったのはあいつらだからー。訊いてみればいいじゃん」
「魔法使いがこの辺りにいるんですか!?」
「タリアの遺跡にいるわよー」
「タリア!?」
きゃらきゃらきゃらきゃら
「……っ」
鈴音は一人立ち尽くした。
タリアの遺跡に、魔法使いがいる?
「エルが知ったら……っ」
ばっと身を返し、丘を走り出す。
しかし直後、全身に戦慄が駆け抜けた。
「――好きに帰してはくれないんですね」
再び、元の方向へ振り向いた。丘の反対側から、ぞくぞくとイーゼルが迫りつつあった。
「いいですよ。夜が明けるまで好きなだけ相手をしてあげます」
呟きつつ、夜空を仰いだ。
狼狽と衝動を収めるつもりで、鈴音は美しい銀色の満月に目を細めた。
きゃらきゃらきゃらきゃら
頭の中を揺さぶる笑い声が、耳の奥で鳴り続けていた。
きゃらきゃらきゃらきゃら
きゃらきゃらきゃらきゃら
うるさい
疎ましい
きゃらきゃらきゃら
きゃら
――忌々しい化け物が。
極東の国の満月が、瞳に美しく輝く気がした。




