1章の1
上質な靴底が石段に高い音を響かせる。
急な角度の石階段を、少年は一段ずつ確かめるように下る。両側の石壁に滲む歴史は深く、この建物が七世紀も前に廃墟と化した事実を物語っていた。
眼下に伸びる階段の先は、不動の闇に塗りつぶされている。揺れる灯りが許す視界は狭く、暗黒に呑まれた階下に何があるのか分からなかったが、しかし少年は確信と共にこの道を進んでいた。
こっちだ。あと少し――
右手に握るペンデュラムが強く揺れ、更なる邁進を促す。少年は興奮と緊張で強張った顔を更に引きつらせた。
ただ、彼の歪んだ双眸は、丸眼鏡に嵌め込まれた黒ガラスに隠れて見えなかった。
黒眼鏡の顔もさることながら、少年の出で立ちは全体を見ても怪しかった。全身を真っ黒なロングマントで塗りつぶし、手にはダウジング用のペンデュラムと蝋燭を灯したカンテラ。邪な魔術に手を染めた魔法使いと言っても頷ける。
ただ、現在のセルト公国に〝魔法使い〟と言う有魔種は幾ばくも存在しなかった。七百年前に大流行した疫病のせいで、セルトの魔法使いは絶滅に瀕する状況にまで追いやられてしまったのだ。
ただの人間である彼はしかし、魔である力――イーゼルに導かれて足を進めていた。
十字架のペンデュラムは、一度もぶれる事なく歩むべき道を示している。中心に嵌め込まれた透明な水晶は、歩みを進める度に目的へと導く引力を強くした。
この先に求める物が存在する。その事に、疑う余地は無かった。
少年はぎゅっと唇を引き締めた。
ついに手に入る。
七世紀前、〝彼女〟と共に奇跡を起こした、あの――
カツン
靴底が階段の底に着いた。
左手のカンテラを掲げると、闇に落ちていた部屋が円状に浮かび上がった。
狭い地下室だった。朽ちた慰霊堂にしては清潔感があり、埃にまみれた空気も無い。
少年はカンテラをぐるりとめぐらせて、地下室の全容を照らし出した。
壁の一面を照らした瞬間、心臓が跳ね上がった。
怪しく輝く金色の光が二つ、並んでこちらを見つめていた。
「!?」
にゃー
金色の光が鳴き声を発した。
「なっ、何だ猫か」
耳の中まで響く動悸を押さえながら息を吐く。
カンテラを向けると、そこには一匹の猫がいた。滑らかな黒の短毛で覆われた体はすらりと美しく、飼い猫のようにも見えた。首元には小さな金属のプレートが掛かっている。
猫は大きな金色の目を開き、こちらをじっと見つめていた。
品定めでもされているような視線に戸惑いながら、少年は猫の足元へと目をやった。
「棺が――」
ペンデュラムをジャケットの内側にしまい、棺へと駆け寄った。すると場所を譲るように、黒猫は棺の蓋からぴょこんと飛び降りた。
横目で猫を追うが、黒い体は既に闇に埋もれ、見えなくなっていた。
「猫なんてどうでもいいか」
改めて棺の前に立ち、まじまじと見下ろした。
蝋燭の光に照らされた棺は、ごくごく普通の木棺だった。親族の葬儀の時に見た絢爛豪華な棺と好対照極まりない。
――本当にこの中に埋葬されたのか?
何となく肩透かしを食らったような気持ちになり、眉をひそめた。
それでも、ペンデュラムが示した場所は確かにここだ。
少年はカンテラを足元に置いた。カツン、と金属の枠が石の床を叩く。
明かりが下方から拡散し、少年と棺を不気味に照らした。揺れる光の中で両手を擡げる黒眼鏡は、今まさに悪魔でも召喚しかねない不気味さだ。
がしっ、と棺の蓋に手を掛ける。小さく息を吐いた後、両手に渾身の力を込めた。
ズズズズ、と重たい音を立てながら木製の蓋がずれる。摩擦で細かく削れた木屑が煙のように舞った。
「さあ、天使の骨のお目見えだ!」
ガガン!
蓋が向こう側へ落ち、騒音が地下室に響き渡った。衝撃で木屑と埃が舞い上がる。
少年は露わになった棺の内部へ期待の視線を移した。
その瞬間、まばたきが硬直した。
「――は?」
少年は棺の中を凝視した。固まる瞼を起こして何度もまばたきし、よくよく見る。
しかしどれほど見つめようと、それは姿を変えなかった。