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2章の17

「エル、それはダメだ」

 びくっ、と部屋の端の空気が揺れた。

 アリストはゆっくり身を起こすと、右目を隠したまま目を開いた。左目だけの視線が、月明かりの部屋に現れた侵入者をぴたりと射止めた。

 夜の乏しい色彩を纏い、立っていたのは幼い少女だった。

 ……あの日の俺たちと同じくらいだな。

「エル、返してくれ。それは誰にも貸せないんだ」

「……なんで」

 エルは握った右手をぎゅっと胸につけながら、わずかに後ずさった。

 やっぱり、何かあったのか。

 鈴音と一緒にパブに戻ってきた時から、どうにも様子がおかしかったのを覚えている。町に一軒だけのB&Bに移って二部屋に分かれた時も、ちらりとこちらを向いた目が妙だった。

 尋ねても首を振られるだけだったが、これではっきりした。

 外から入ってきたのだろう。いつの間にか窓が広く開いている。

 こっそりと侵入して、彼女が持ち出そうとしているもの――

 アリストはふっと笑った。

「そのペンデュラムは、俺の右目なんだよ」

 エルは両目を見開いた。

「俺の右目を使って作った魔具なんだ。だから、悪いけれどエルにも貸せない。もちろん鈴音にもな」

 エルの視線が、隠した右目に吸い寄せられるのを感じた。

 アリストはすっと腕を下ろした。

「ぁ……」

 無言でベッドを出ると、立ち尽くしているエルの元へと歩む。

 手を差し出すと、エルはゆっくりと右手を重ねてくれた。

 少女の手は意外なほど冷たかった。

 エルが手を引くと、アリストの手の平の上には十字架のペンデュラムが残った。

「この中心の水晶。この透明な球は、俺の右目の中から採ったんだ」

 緩い月明かりの中でも、ペンデュラムの水晶は濡れたような光を帯びていた。

「ほ……ホントに……?」

「ああ。そのおかげで、俺の右目は視力がほとんど無い。何を見ても輪郭が滲んで、ぼんやりした色の塊にしか見えないんだ」

 笑って細まったアリストの右目は、左目の黒い瞳と相対するように、ほとんど色味を無くしていた。白目の続きのような、透き通った〝黒目〟の中央に、小さく瞳孔の黒が浮かんでいる。

 異様な目。それ以外の何物でもない。だから人前に出る時はいつも黒眼鏡を掛け、暗い色の奥に瞳を隠していた。

 魔具と引き換えに右目の視力を失う。このくらいの犠牲は何でもなかった。

「……なんで……自分の目を道具にするの」

「魔具は〝マルベルの体を材料に作る〟って教えただろう? この方法の他に、もう一つやり方があるんだ」

 ペンデュラムを横の机に戻すと、

「材料は無魔種の体。これを元に、有魔種に魔具を作ってもらうんだ」

 マルベルであるエルにこれを教えるのも、どこか奇妙な感じがした。

「要はどこかに〝魔〟と言う要素が入っていればいいんだ。材料がマルベルの体なら、作り手は無魔である人間の魔具師でいい。反対に、マルベルの魔具師が手掛けるのなら、材料に使うのは平凡な人間の一部でいいんだ」

 このペンデュラムは、後者を手段に作られたものだった。

「自分の体を元にして作った魔具は適合性が高い――それを知って、こんな魔具作りを依頼したんだ。普通の魔具は全然使いこなせなかったから、藁にもすがる思いでな」

 小さく自嘲がこぼれたが、しかしエルは表情を変えなかった。

「……」

「特殊な方法で右目の一部を抜き出して、ペンデュラムの千里眼にしてもらった。こいつは武器にはならないけれど、欲しい物を見つけるための切り札になってくれる」

 知り合いの魔具師に言われた言葉が耳に甦る。

『お前の体から作る魔具なんざ、武器にしても大したモンにはならねぇぜ。半端な武器にしちまうより、本当に欲しいモンを見つける手段にしろや』

 イーゼルが希薄な自分の体では、どう作ろうが強い魔具にはならない。

 体を削ってまで作るのならば、その魔具は弱い武器に終わらせず、強い武器を見つける手段にしろ。魔具師は種を違えるにも関わらず、そう助言してくれた

「俺は強いワーカーになりたい。強い魔具を手に入れたい。それを見つける道しるべとして、ダウズとこのペンデュラムは不可欠なんだ。こいつじゃないと、俺はまともにダウズも出来ないんだから」

 ――そしてこのペンデュラムが、ワーカーとして歩む上での唯一の心の支えなんだ。

「……ねえ」

 エルが目を伏した。

「何だ?」

「……強くてもうそはつくの?」

 どき、と心臓が鳴る。

「前、弱いやつは、自分をまもるためにうそをつくって言われた。強いなら、ちゃんと自分をまもれる。だからうそはつかないの?」

 唐突な問いだった。

 エルが真意に何を込めて問うているのか、アリストは掴めなかった。

「……つかないだろうな。何かを解決させたい時、事実を偽る以上の手段を持っているのなら、嘘なんて必要ない」

 アリストは俯くエルから、窓の方へと視線を移した。

 半開きのガラスの向こうで、真円に満ちた月が銀色の光を放っていた。

 夜の景色は、全てがその色に染まっているように見えた。

「ただ……ついてもいいんじゃないかな」

 静かに続けた。エルが顔を上げても、アリストは丘の上に浮かぶ満月を眺め続けた。

「それで皆が幸せになれるのなら、嘘でも真実を名乗る資格はあると思う」

 流れ込む夜風が、語尾に淡く波音をかぶせた。

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