2章の11
「ホントに大変ですねー」
鈴音は黒いマントが外に消えるのを見ながら、くすりと笑った。
何かしたわけでも無いのに、否応なしに敬意と畏怖を浴びてしまう境遇。どの国でも貴族とはそういうものだ。
それに……定められた運命の中を生きるのは辛いですよね。
目を伏せため息をつく。すると、
「あいつ、悪いことしたの?」
エルが無表情のまま問うてきた。
「ううん。そうじゃないです。アリスト様はそんな定めの生にあるっていうだけで……」
「よくわかんない」
「いいんですよ。不思議な常識を作ってしまったのは私たちなんですから」
苦笑し、首を振った。
七世紀を経て目を覚ました少女にとって、この世の中は不可解に満ちているだろう。
全てが変わってしまった世界に落とされて、エルはこれからどうなるのだろうか。
マルベルの素性を完全に隠し、人に染まって生きるか。
あるいは自らの〝質〟を自覚し別の道を辿るか――
――あの人は本当に、どうするつもりなんだろう。
鈴音はアリストに尋ねたい気持ちをずっと押さえていた。
エルを連れて帰る理由は、イーゼルが不安定なエルを保護するためだ。現に今も、エルのイーゼルは安定していない。時折消えてしまいそうなくらいか細くなる時だってある。
それに、あの人は〝全て〟を守るつもりだ。
エルは魔法使いを憎んでいる。もしこの世に魔法使いが生きていると知ったら、彼らにも強烈な風の牙を剥くに違いない。
天使は強大なイーゼルを持つ、マルベルの中でも列強種と讃えられた種。もしエルが憎悪のままにイーゼルを爆発させたなら、周りに及ぶ被害は想像もできない。
そしてエル自身も――命を無くす違いない。
だからあの人は偽った。
あの時躊躇なく虚言を吐いた理由に思い当たるまで時間が掛かってしまったけれど、あの人の考えている事は理解できた。
……でも、ホントにどうするつもりなんだろう。
国中の人間に口止めするなど、誰がどうしようと無理だ。あとは本当に魔法使いを全滅させてしまうくらいしか無い。
その可能性も無いだろう。鈴音は即座に結論付ける。
クラット家次期当主候補の少年は、何かに死を与える事を強く拒んでいた。
『有魔でも無魔でも、死を願われるべき命なんか無いはずだ』
黒眼鏡の奥の瞳が、最初に怒りと落胆を滲ませた時の言葉だった。
屋敷の近くの湖に出かけた時の事だ。籐のバスケットを下げて歩く彼の向こうに、不穏な影を捉えた。
自分は彼を突き飛ばし、マルベルの前へ躍りかかった。
背中に怒鳴り声が聞こえたような気がしたが、既に事は終焉を迎えていた。
守れた。誰かが傷つく前に守れた!
振り返って微笑んだ先で、彼は一つも笑っていなかった。
外れた黒眼鏡をかけ直しながら、静かにあの言葉を紡いだのだ。
『だからお前も気づいてくれ』
気づくつもりでこの国に来た。相容れる術を求めて再び彼の背を追った。
でも、体に染みこんだ摂理は消えていなかった――
有魔と無魔は相容れない。太古から互いに死を願い合って生きてきた。きっと私も、そう感じながら生きる運命を歩いている。
だから、せめてあなたに願われるまでは殺しません。
勝手にそう決めた。気づかせてくれたあの日に。
そしてもし彼が願うなら、いくらでも殺してみせる。この手で彼の願いのままに、いくらでも、何度でも。
「そんな時は絶対来ないでしょうけどね」
ぽつりと独り言が漏れた。
テーブルにすっとティーカップが置かれ、鈴音は顔を上げた。




