2章の6
「……アリスと天使なんて、うそ」
虚を突かれ、アリストと鈴音はまじまじとエルを窺った。
「最後の天使はあたし。あたし以外、誰もいない。みんな骨になって消えたの」
淡々とした声音。そのあまりの平たさにアリストはドキリとした。
「あたしはアリスなんて知らない。奇跡なんて起こしてない。だからその話はうそ」
「……」
エルに伝説を全て否定されれば、アリストは口をつぐむしかなかった。
じゃあ、アリスと共に在った天使はいったい――
「天使の骨、見つけてどうするの?」
エルが唐突に尋ねる。アリストは少し気後れしながら答えた。
「……魔具に加工するんだ。魔具は基本的にマルベルの体を材料に作られる。遺骸から取るのが大半だ」
だから骨になっていると分かっていて、天使の体を探した。
「死んでた方がよかったの?」
まるで心中を見透かしたようにエルが問うた。
「馬鹿を言うなよ、エル。出会う前からそんな風に願われるべき存在なんて、一つも無い」
「でも骨が欲しいって言った。死んでなくてがっかりした?」
アリストは苦笑した。
「確かに俺はダウズで〝天使の体はどこだ〟って尋ねたけれど、天使がいなくなったのは七百年も前だ。ペンデュラムが連れて行く先にあるのは骨か、ミイラだと思ってた。〝死んでいてくれ〟って願いは思いつきもしなかったよ」
エルはまだ首を傾げていたが、アリストは「エルはそのままでいいんだ」と微笑んだ。
その笑みを、鈴音は複雑な表情で見守っていた。憧憬と、わずかな嫉妬が混じった顔だ。
「鈴音、どうしたんだ」
はっと鈴音は我に返る。
「いっ、いえ。何でも無いですよ」
首を振って俯いた。するとエルの膝の上の黒猫と目が合った。
輝く金色の瞳に、鈴音は妙な感じを覚える。まるで心の奥の惑いを見透かすような目だ。
「……ところで、この先にある天使の骨って、一体誰の骨なんですかね」
猫の目から逃れるように問いを発した。
「アリスト様のダウズが示したのなら、この先に天使の骨があるのは確かでしょうけど……エル、わかりますか?」
エルは鈴音をちらりと見上げると、ふるふると首を振った。
「その魔法、ホントに合ってるの?」
「――っ」
アリストは苦虫をかみつぶした。
「あ、その言葉は言っちゃだめですよ。アリスト様がいっちばん落ち込む言葉ですから」
鈴音のフォローがますます痛い。
「でも、あたしは知らない」
「それでも突っ込んじゃだめです。ダウズをけなされたアリスト様を慰めるのは大変なんですよ」
一応ひそひそ声だが、この距離だから会話は筒抜けだ。
「とにかく、あるものはあるんだ!」
アリストは元気よく言った。
「え、あ、そうですよね! 現にダウズでエルを見つけましたし!」
鈴音も続いてくれた。
「エルも、無くなっちゃったもう片方の翼をダウズで見つけてもらいますか?」
鈴音が微笑むと、エルは少し考えた後、首を振った。
「べつにいい。翼は一本でも飛べるから」
もしかして、この先にあるのはエルの片翼かもしれない。ふとアリストは思った。
それなら何で片翼だけ離れた所にあるんだ? 体はきちんと棺に埋葬されていたのに、片翼だけ別の場所に眠っているなんて。
誰かが持ち出して、そのまま捨てた? 一体誰が。そして、いつの時代に。
――まさか、ワンダーワーカーか?
思わず馬車を止めそうになる。
彼女が使った魔具は未だ明らかになっていない。もしエルの片翼を武器として使ったのなら、これは立派な魔具そして魔法だ。初めて魔法を使った人間、という後世の認識とも一致する。
それならエルを埋葬したのはアリスで、羽や翼をもぎ取ったのもアリス――
「……そんな、嘘だろ」
「そうですよね。アフタヌーンティーもナイトキャップティーも、抜かしていいわけがないですよね!」
「って何の話だ」
後ろはいつの間にか別の話題に移っていたようだ。
「エルが一日に五回もお茶を飲むのは変だって言うんですよ」
「寝る前にお茶なんてのまない」
「……ティータイムの習慣は七百年前には無かっただろうな」
人が作り上げた文化だ。エルが知らないのも当然だろう。しかし後ろはいつの間に、そんなに平和な会話になっていたのか。
後ろを窺うと、鈴音がエルに、ティータイムの心得を事細かに説明し始めていた。
聞いて面白い話なのか、と思ったが、意外にもエルは「ふーん」と相槌を打ちながら聞いていた。
こうして見ると、幼い少女が天使だとは全く思えない。それに隣にいる鈴音も、素性を知らなければただの異国の少女だ。
本来、二人は相対する存在なのかもしれない。マルベルとワーカー。有魔と無魔。
トーア人の鈴音に言わせれば、悪しきモノと狩人。
不意に黒猫と目が合った。
にゃー
「お前はさしずめ、マルベルと人を見守る傍観者か?」
アリストは姿勢を元に戻すと、馬車の操縦に戻った。
それなら俺は、探し物機能の付いた馭者か。
言いえて妙だな、と自分で思いながら、樅林の一本道を進んだ。