第一話「日雇い」2
西暦201X年、東京都はとある変貌を見せた。原因不明の死者が続出したのだ。体内の血液が全て失われた死体に、突然もがき苦しみ出し、そのまま生を終える人。体中を食い破られたような死体。有り得ないような、不可思議な怪事件が立て続けに起きたのだ。
人間達は怯えた。何が起きているのか。警察は犯人探しに躍起になっていたが、当然人間離れした所業に頭を抱え、右往左往。目ぼしい人物が浮かび上がらないどころの話ではない。そもそも、犯行方法すらわからないのだ。どうやって、体中の血液を抜いたのか。どうしたら毒物を使わずに殺せるのか。どんな獣を使ったら体中を食い破れるのか。どれもこれも、到底人間が簡単に出来ることではない。
それもそのはず、殺したのは全て人間ではないのだから。
東京の街に溢れたのは吸血鬼に悪魔、人狼だったのだ。フィクションの中しか存在しないような者達。それらが、その怪事件を起こしたのだ。かといえ、犯行に及んだ種族がわかっただけ。それらは人間とは違う生き物だということがわかっただけ。数十といる中から一件一件の当事者を見付け出すことは困難を極めた。彼らは証拠を出せという。勿論、当事者を絞る証拠など何もない。
そしてそれらは何故か、東京都にしか存在しない生き物だった。他の道府県では一体も確認されていないのだ。何処から来たのか問えば、自分達はとうの昔から存在していたというばかり。中には人間としての戸籍を持つ者までいた。──東京都には、人間ではない存在が蔓延していたのだ。
それは勿論国家レベルの問題へと発展した。彼らは取り敢えず「魔族」と種類付けられた。当然、人間としての扱いではない。人間に害を及ぼす存在として丁重に扱われた。国家かまずしたことは、箝口令。国外は勿論のこと、東京都以外にも彼ら「魔族」が存在することは伏せられた。とはいえ、狭い国内に、東京都を恐れ他県に移り住む者も多発した。他県に移り住むことを規制はされなかったが、その際「魔族」のことは決して口にしないとの誓約書を交わさせられるのだが、それを破った際、どうなるのかは国家に従する人間しか知らないことだ。
国家はまず、箝口令を敷いた後、彼ら「魔族」を捕らえようとした。だが、「魔族」の全員が全員犯罪者というわけではない。寧ろ、犯罪に手を染めるのは極一部だと言う者もいるし、人間を襲うのは犯罪などではないと言う者もいる始末だった。確かに彼らの言う通り、「魔族」の全員が人間を襲うわけではないし、吸血種族に至っては吸血行動を取らなければ死に至るのだ。とはいえ、無闇矢鱈に人間を襲ってもいいとは言えないのも事実だ。
そこで国家が取った方法は彼ら「魔族」が住む、そして彼らが主となる区域を作ることと、人間にとっての「法律」を作ることだった。
法律を作るという時点で勿論反対をする「魔族」は多数現れた。それでは結局、人間の監視下で暮らす羽目になる、という言い分だ。とはいえ、人間達はそれを目論んでの法律なので敢えなくそれを却下した。「共存」という名目で。確かに、彼ら「魔族」に好き勝手にされてしまっては何時しか人間は滅びるだろう。「魔族」の数がまだそんなに多くないうちに隔離してしまおうという考えの下の考案なのだ。
反乱に似たものは当然の如く起きた。数多の人間が殺され、数多の人間が傷を付けられた。それでも国家は考案を下げることはなく、罪を犯した「魔族」を虐殺していった。そんな争いは数年に渡り続き、ついには東京都以外の者も「魔族」の存在を知ることとなった。
日本は事実上鎖国状態となり、国外の行き来は厳重な監視下で行われることとなった。このまま内乱が続けば日本という国はなくなる。そんな世界へと変貌を遂げたある日、一人の「魔族」が総理大臣の前へと姿を現した。
『此方側が全面的に人間に従う。しかし、ある程度のことは考慮、協力を願いたい』
一人の男は深く頭を垂れて告げた。悪魔という種族である彼はこれ以上同胞が殺されるのも、これ以上日本を培う人間が殺されるのも見たくはないというものだった。しかし、悪魔。国家はその言葉を信じていいものなのか暫しその提案に答えあぐねた。とはいえ、その言葉を受け入れる外に、この事態を収拾する術などないのもまた事実。
その後、国家とその悪魔は共に幾つかの法律を作り、東京都の一角に「魔族区域」なるものを設立した。
幾つかの法律とは、
──魔族は理由なく人間を襲わない。
──吸血種族には定期的に血液の配給を行う。
──魔族区域では魔族が有利な立場である。
──悪魔は人間の心に介入しない。
──人間と魔族の婚姻、交わりを基本的に禁止する。しかし、魔族区域ではそれは例外とする。
──魔族は基本的に魔族区域を出ることを禁じる。外出の際は国家の人間と共に行動すること。
他にも多数あるが、基本的な決まりはそれだった。互いに譲歩したというよりは、圧倒的に魔族が肩身の狭い思いをする法律。その為、禁止事項を犯す者もいた。だが年月が経つにつれ、その数は減っていき、今では表面上は人間と魔族が共存する区域として成り立ってはいた。
せとなは幼い頃、その区域となった場所で暮らしていた為、そのまま此処に身を置いているのだ。その理由は、その区域で育った者は魔族の可能性があるから。ただ、それだけのことだった。
人間と魔族を判断する基準は明確にはない。能力を隠していればそれまでのことだ、と言われる始末。なので、実質上、せとなはこの区域から自由に外に出ることは叶わないのだ。
──魔族が主となる地域。そこでの人間の暮らしはとてもいいものとは言えなかった。施設や仕事は魔族が優先であるし、ともすれば道を歩くことも、だ。魔族は何の力も持たない人間を下等と見なし、そして優れた自分らが隔離されていることに不満を抱いている。共存とは形だけ。彼らは所詮この区域から自由に外に出ることは叶わないし、そしてその中にいる人間は魔族から非道な仕打ちを受ける場合もある。
とはいえ、国家としてはこれ以上の打開策はないし、表面上穏やかであるならば、とこの区域を事実上放置しているのだ。
──人間は魔族が恐ろしいのか。
そう問われると返す言葉は一つしかないのだと思う。
──疎ましい。
これが実際のところだろう。彼ら魔族がいなければこんな区域が設立されることはなかったし、数多の人間が死ぬこともなかった。結局、窮屈な思いをしているのは魔族より人間なのではないか。そう考えている者が多数だ。
とはいえ、せとながそう考えているというわけではない。確かに、魔族のせいで孤児になったし、魔族のせいで十分な金を得ることもままならず、魔族のせいで自由も奪われている。しかし、それはお互い様なようにも思えた。
魔族の方が後から誕生したと見なされてはいるが、そんなのは確かではない。いつ、何処で彼らが急に発生し、繁殖し、増殖したかなんて、未だはっきりとしていないのだ。別に彼らは異世界などというところから引っ越してきたわけでもなさそうなのだから。
だとしたら、お互い様だ。
領地を奪い合うなんて、日本と他国でも昔から行ってきたことだし、その為の戦争だってあった。それが国内で起きただけのこと。そう思うのは人間としてはあるまじきことなのだろうか。それとも、せとなの中に流れる血がそう思わせるのか。
「ま、いいや。頑張って仕事してね」
高めの声でいうと、それはその場から去っていった。せとなはその細い後ろ姿を見ながら、重たいケースを持ち直した。
向かう先では吸血種族が今か今かと、この血液を欲しているのだろう。そうしないと、飢えて死ぬから。人間が飢えない為に他の動物を殺すことと何の差があるというのだろう。人間だって、豚や牛を殺し、自分の糧とする。他の動物だってそうだ。鳥は魚や虫を食べるし、ライオンだって兎などを食べる。それと何が違うのか。
とはいえ、いざ魔族に襲われたら理不尽だなんだと、騒ぎ立てる。それなら、他の動物だってそう思っているのかもしれない。
せとなは様々なことを一気に考え過ぎたせいで頭痛を感じたが、どうにかそれを堪えて血液を配っていった。吸血種族は大人しい者が多く、きちんと整列をして血液の入った瓶を受け取っていく。中には飢えが限界に達し、涎を垂らしている者もいたが、それでもせとなを襲ってくるような真似はしなかった。
彼らだって、こうして決められた中で生活をしているのだ。なら、人間だってそれに従うしかないのではないだろうか。
せとなは瓶を受け取る白い手を眺めながらそんなことを思った。
──こんなことで破格の金が手に入るのはラッキーだ。
余計なことを考えていても金が手に入るという仕事は滅多にない。せとなは今日の幸運に感謝しながら瓶を配った。




