音探し
二ヵ月後、修理に出したピアノが戻って来たので、三軒隣に住む娘と孫娘を呼んだ。
「我が家にこんなに優雅なものがあったなんて!」
娘のヘリヤにピアノを見せてみたら、たいそう驚かれた。
「ヘリヤ、これを調教してみないか?」
貴婦人の皮をかぶって、優雅に茶を飲んでいたヘリヤが吹いた。
「ピアノを調教してどーすんの!」
はて、どこか間違えたのだろうか?
「ヘリヤ、鳴らしてみないか」
「娘に『ゴリアテ』とつけようとするお父様に育てらて、ちゃんばらばっかりしていた私がピアノなんて弾けるわけないでしょう! ダンスと礼儀作法を覚えるだけでどれだけ苦労したことか」
「ゴリアテのどこがいけないんだ」
ゴリアテとつけようとしたら、亡き妻になぜか烈火のごとく怒られたのも今はいい思い出だ。
ゴリアテ……いや、ヘリヤもわしが戦で王都を空けている間に健やかに育って、殲滅の戦乙女と異名を持つほどたくましく成長した。が、これまたわしが戦で王都を空けている間に三軒隣の文官と結婚して、音が出るほどさくっと軍を辞めていた。
「じゃあ、カーラは“ケンバン”を叩きたいか?」
「えー、剣で爺様と遊んでいるほうがいいよぉ~」
「お父様が孫娘にまともな習いごとを薦めるなんて! 明日世界が滅びるんじゃないかしら」
娘は大げさに天井を仰いだ。
「ていうか、なんで私らにピアノを勧めるの? 今まで、そういう娘らしいことを習わせるどころか楽器の名前を覚えさせる発想さえなかったのに」
「うむ。一ヶ月前まで、名前さえ知らなかった」
娘は、「この剣術馬鹿」と呟き、またもや天井を見上げた。娘よ。しっかり聞こえているぞ。
「いや、ばあ様の曲を……な、もう一度聞きたいと思ってな」
「お父さんのばあ様ってことは、曾ばあ様?」
「ああ」
「題名は?」
「さあ? だが、音はしっかり覚えている。可愛らしくやさしい曲だった」
――一粒の美しい泡が、海の上に昇っていく話だよ――
「楽譜は保管されていないの?」
「ガクフ? 」
「聞いた私が馬鹿だった……」
ヘリヤは仕方なくピアノに移動し、蓋を開けた。
「一つ一つ音を拾っていくしかないか。ほんと……鍵盤押すだけだから、期待しないでよね。最初は……この音?」
娘は“ケンバン”の真ん中らへんを叩いた。きれいで可愛らしい音がポンと跳ねるが……
「違う。もう少し高かった」
「じゃあ、この音?」
娘が隣の“ケンバン”から順に押していく。
ヘリヤが音を探して、わしが「違う」「うむ」を繰り返す。
ケンバンの左から『白1』『黒1』と番号を振り、見つかった音の番号をそれを紙に書き留める。
「次の音は、もう少し高かった。もう少し跳ねるような感じで……」
「無理! もう頭の中がじんじん熱くなって……」
本当に、頭痛がするらしく、手で額を押さえる。
孫娘は、ピアノの「音探し」が始まった5分後に寝てしまった。
「軍で何を習ったんだ? たった30分で根をあげるなぞ、忍耐が足りんぞ」
「自分で弾け! そうよ。曲を知っているのは、お父様なんだから、お父様が習って弾くのが一番確実で早いわよ」
「いや、こんな小さな”ケンバン”に触ったら、壊れないか? 大体、わしにこんな可愛らしいもの似合わんだろう」
ピアノは大きな筐体に関わらず、響く音はとても華奢だ。
「まあ、伝説の鬼将軍がピアノを習い始めたって聞いたら、軍の人間ならひっくり返るわね。
でも……まあ、無茶な使い方しなきゃ壊れないでしょ」
――本当は二人で連奏するものなんだけれどね――
ヘリヤ……ヴァルキュリアから『壊滅させる』と言う意味だそうです。
カーラ……ヴァルキュリアから『荒れ狂うもの』『巻き毛』と言う意味だそうです。