生まれる命に祝福を
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昔、アリの巣に水を流した記憶がある
トカゲの尻尾を切った記憶がある
純粋に楽しいと思った自分がいた
残酷なんて、気付かないで
生まれる命に祝福を
蜘蛛の巣に、紋白蝶がかかっている。白い羽を羽ばたかせ、絡まる糸から逃れようとする蝶、巣の主は何処に行ったのか留守だった。
今私が蝶を助ければ、この蝶は生き長らえる。わかっているけど、私はしゃがみこんで見つめるだけ。
「……可哀想なんて思えない」
暴れる蝶にむかい、小さく呟いた。蝶は私の言葉に反応せず、相変わらず羽を忙しく動かしている。所詮は独り言。返事なんていらない。
サアッと風が吹いて、透明に近い糸を揺らした。それに比例して、逃れようとしている蝶も揺れる。
西に沈む夕日が、私を後ろから照らす。目の前にある蜘蛛の巣は、明るい橙色に染まっていた。それがひどく幻想的で、私は目をすっと細める。
「あ、鈴華。こんな所にいたのか、おばさん探してたぞ」
神秘的な気分に浸っていた私を邪魔する、やや低い声がふってきた。内心不機嫌になりながらも、表情には出さず見上げる。
「なんだ、蓮か」
「年上を呼び捨てするな」
ムッと口を尖らせ、立ちながら私を見据える彼は、私の幼馴染み。オレンジに照らされた顔は、影がかかり表情が見えにくい。
「帰ろう、もうすぐ暗くなる」
私の隣にしゃがみこみ、瞳を覗きこんでくる蓮。いきなりのアップに、早くなる鼓動をなんとか抑え、顔が赤くなる前に目をそらした。
視界の端にちらついた紋白蝶。未だに糸から逃れられていない。私は両手を頬にあてて、再びじっと見つめる。蓮も気付いたのか、あっ、と声をこぼした。
「助けてあげないわけ?」
「……私が蝶を味方する理由なんてないじゃない。人間っていっつも弱い者に同情するよね。蜘蛛と蝶、カラスと鳩、ライオンと鹿、白くまとアザラシ…。弱肉強食の世界に勝手に口だして、自分たちだって牛や豚食べてるくせに」
蓮を見ずに淡々と言うと、彼はため息をついて頬をぽりぽりと掻く。
「すごい理論だな、小学生の考えることじゃない」
と、言いながら。呆れを含んだその言葉に、私はキッと彼を睨んで
「青春真っ盛りの高校生の蓮には、わからないでしょうね」
皮肉っぽく言い捨てた。
高校生の蓮と小学生の私。一緒にいると、よく兄妹に間違えられる。
昔は『蓮兄ちゃん』って呼んでいたし、なにより蓮は私のこと妹扱いするから、そう見られても仕方ないかもしれない。
いつからか、彼をお兄ちゃんと呼ばなくなった私。だけど蓮は今でも私を妹みたいに見てる。
――なんて不公平
太陽は三分の二が沈み、空は暗褐色に変わっていく。時々流れる風も、冷たさが増してきた。そして、ふと気が付いた、蜘蛛の存在。抗う蝶に、現れた主はゆっくりと近づく。
なんの感情も映さない瞳で見つめる私と、弱ってきた蝶を、蓮は交互に見てた。
「……こういうのは、教育に悪い」
小さな声で呟き、彼は蝶を糸からそっと剥がした。解放された蝶は、ふらふらと揺らめきながらも、風にのって空へと消えていく。
置き去りの蜘蛛が、哀しそうに見えた私は歪んでいるだろうか。
「教育って…、子供扱いしないで」
「だって鈴華は子供だろう?」
私の心も露知らず、ケロリと言ってみせた蓮。無意識に眉間に皺が寄る。同等に見てほしいなんて無茶かもしれないけど、子供扱いは嫌。私は充分自立してるんだから。
「…なぁ、帰ろうよ鈴華。なにすねてんだ?」
私の頭を軽く撫でながら、あやすように話しかける。私はその手を振り払って言った。
「すねてなんかない」
嘘。本当はすねてるくせに。我ながら意地っ張り。
「おばさん心配してたぞ」
彼は極めて優しい声色を出す。ずるい、こういうときだけそんな声するなんて。私が蓮の優しさに、弱いの知らないの?
「──お母さんは、私の事なんか気にかけてないよ。お腹の子に夢中だもの」
うつむいた私に、蓮はそんなことない、と諭す。だけど私はやっぱりうつ向いたままで。しゃがんだ自分のつま先を、ただ見つめてた。
「だってお母さん、私の話聞いてくれない。自分の大きいお腹をさすりながら、その子の話ばかりするの」
そうこぼしつつ、恥ずかしくなった。私、まだ生まれてもない子に嫉妬してる。
大人びてるとか言われるけど、余裕ぶったりしてるけど、私は全然子供だ。こんなヤキモチ、物凄く幼い。
蜘蛛に自分を重ねて、蝶をあのこに見立てた。蝶を助けなかったのは、私以外蜘蛛の味方がいない気がして、…誰かに味方してほしくて。
薄暗い空に、星が輝きはじめる。こんな弱音吐いたりして、恥ずかしい。昔から私は、結局蓮に甘えてる気がする。
お互い何も喋らず、静まった空気が痛い。だんだんと不安になり、緩む涙腺をなんとかしめ、私はそっと彼を一瞥した。
「………え?」
つい間抜けな声を漏らしてしまった私。何故なら、彼は声を抑えて震えながら笑っていたのだ。
「な、なんで笑ってるの…?」
彼の笑う理由が理解できず、嫌悪を表情に表す。蓮は口を手で抑えながら、だって、とか、ごめん、とか言って、くすくす笑う。私は余計に不機嫌になり、いつまでも笑いを無理にこらえている蓮の頭をはたいた。
「いてっ!」
「あんたが悪い」
叩かれた頭をさすりながら、だけどやっぱりその顔には笑みが張り付いていて。私は訳が分からない、と蓮を睨んだ。
「ごめん、ごめん。いや、ヤキモチ焼くなんて可愛いと思ってさ」
「…ッ!子供扱いは────」
私が言いかけたとき、急にぬくもりが私を覆った。
抱きしめられている
そう理解した途端、身体中に熱が集まった。心臓が音をたてて煩い。うまく呼吸できない。鼓動の速すぎで、死んでしまいそう。
「ちょっと、蓮…!」
「甘えていいよ。鈴華は確かに大人びてるけど、まだ小学生なんだから。我慢する必要なんてない、思いきり甘えて」
ひどく落ち着いた穏やかな声で蓮は言った。その言葉に、どうしようもないくらいこみあげてくる。
――やだ、変な顔してるかも
見られたくなくて、私は彼の胸に顔をうずめた。より一層強くなる、私を抱きしめる力。彼のゆっくりとした心音が、とても心地好い。温かさにうっとりして、私は頬を何度も蓮の胸にすりつけた。
「私、あのこが生まれたら、優しくしてあげたいな」
「……うん」
厳しい自然界と違って、私達は人間だから。弱肉強食なんて言わないで。向けられる慈愛が自分にじゃなくても、それさえも受け入れるくらい大人になりたい。だけど私は心があるから、時々の我儘許して。
彼にギュッと抱きつき、ゆっくり瞳を伏せた。
私が彼から離れたのは、もう月が昇っていた頃だった。薄暗い夜道を、二人並んで歩く。隣にいる蓮を、私は横目でチラチラ見た。
――あ、目があった
ドキッとして、なにか言おうとしたら蓮が先に口を開いた。
「鈴華、おばさんのことだけど……」
私を気遣うように、遠慮がちに言う。私は彼が何を言おうとしてるのか分かった。
「大丈夫。お母さんが私のこと放ってるなんて、本気で思ってないよ。ただ……」
「寂しかった?」
「そ、そんなんじゃない!」
思考を読みとられて、私は思わず大きな声を出した。……やだ、恥ずかしい。
その会話を最後に、しばらくお互い黙りこむ。私は夜空に浮かぶ半月を見ながら、こんな時間まで外にいて心配かけたな、と思った。
「ねぇ、蓮──」
私の呼び掛けに、蓮は私を見ずに、ん?と返す。ドキドキする胸を落ち着かせて、私は決意してこう言った。
「男の子と女の子、どっちが生まれるか賭けない?それでもし私が勝ったら、将来蓮の子供を私に生ませて?」
蓮は目をまるくして驚いたけど、直ぐに笑って
「そんな賭けしなくても、あと数年して鈴華がいい女になったら、考えておくよ」
その笑顔が、やけに幼くみえて、少しだけ彼と近付けた気がした。
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ジャンルは結構迷いました。前半は文学よりだったので……だけど、恋愛要素のほうが多い気がしたので恋愛にしました。評価・感想・アドバイスお願いします!