7日?目
ひどい頭痛がした。
吐き気もした。
起き上がった途端、胃から液体が逆流してきた。
吐いた。
ここが部屋のだ中とか、後片づけが大変だとか、考えもせずに思いっきり。
胃の中の物をすべて吐き出した。喉の痛さで涙目だ。
そんな目は、僕にいつもと変わらない部屋を見せている。
ここは僕の部屋だ。いや――――
良く見れば、家具が違う。カーテンもこんな可愛いものを使っていない。
テレビも薄型を買ったはずだ。
こんなブラウン管テレビではない。
ここは違う人の部屋。おそらく彼女のモノ。
いつの間にかテレビが付いていた。画面に映っていたのは砂嵐。
ザー……という音のみが部屋に響いている。
テレビの前には誰かが座っていた。
女性だ。
髪は長く、白いブラウスを着ている。
「春野 瑛子さん?」
「ええ」
僕は心底ほっとした。彼女は喋れるし、どこも欠けているようには見えないから。
「隣、いいかな?」
「いいわよ」
彼女の許可を得て、僕は隣に胡坐をかいた。
チラリと横を見たが、彼女の正面も人間と何の変わりも無いと思えた。
「ここって、キミの部屋?」
「ええ」
「ここで何をしているの?」
「テレビ――」
「あっ、そっか」
僕には砂嵐にしか見えないが、彼女は何かを見ているらしい。
彼女に従い、僕も画面を見つめる。
しばらくして僕の目には何かが見えたような気がした。
映っているテレビの中に何かが――――
食いつくように僕は画面を見た。
ザー……ザー……
「本当にいいのかい? こんな所で?」
画面の中には女性がいた。心配そうな目で俺を見ている。
いや、見ているのは画面の中の人物。おそらく瑛子さんをだ。
「うん。大丈夫だって」
「でもなぁ、女の子はもっといい所に――――」
「でも、高いし、せっかく大学に通わせてもらっているんだから、少しは節約しないと」
彼女は中年の男性にそう言った。おそらく父親だろう。
「じゃあね」
「うん。お父さんもお母さんも元気でね」
明るい声で彼女は言った。
これは記憶だ。彼女の。時期はおそらく引っ越しの初日だ。
部屋の中には段ボールが積まれ、如何にも新生活を始めるというところだろう。
ザー……
ノイズが入り場面が変わった。
「えっと、スーパーはここで、ここが、電気屋かぁ」
画面は左右にぶれる。キョロキョロしているのだろう。
この様子だと、彼女は随分と田舎から娘のようだ。
「そうそう。この頃は、すべてのモノが目新しく、ワクワクしてたっけ」
画面の外の彼女は呟いた。
彼女の気持ちは分かる。僕だって新生活が始まると思い、ワクワクした。
こんな事件が無ければ、自由を満喫していた。
ザー……
また場面が変わる。
どうやら夜のようだ。
「君、可愛らしいね。ウチの事務所でモデルしない?」
「えっ、モデルですか――?」
「うん。絶対いけるよ。今から時間はある?」
「ええ――――」
ザー……
「お酒飲みなよ。ボクの奢りだからさ」
「はい……頂きます」
ザー……
「酔っちゃった? それじゃあ、家まで送るよ」
「ううん……」
ザー……
「もしもし、俺だ。若い田舎者を手に入れたけど、お前も来るか? ああ――じゃあ、××で」
ザー……
「きゃあ! あなたたち、何をっ! 離して!」
「大人しくしやがれっ!」
「離してっ!」
「この糞女っ!」
「ご、ごぼぉ――」
「くそがぁ…………」
「や、止めろよ、死んじまう――――」
ザー……
「どうする? おい……」
「死んじまったのは仕方がないだろ…………」
「俺は捕まりたくねぇぞ!」
「だ、大丈夫だ。ここに埋めれば――」
「そんなこと出来る訳が――――」
「俺はこの物件のオーナーでもあるんだぜ。そしてお前は警官。できるな」
「あ、ああ…………」
ザー……
「まさか、自分の部屋の壁に埋まっているなんて思わないだろ。あとは適当にアリバイを作っておくだけだ」
「完璧だな」
「じゃあな、お譲さん。気持ち良かったぜ」
ザー、ザー、ザー…………
そこで完全に映像は終わった。それは彼女の記憶の終わりを意味するのだろう。
ザー……
部屋の中には再びテレビの音だけになる。
静かだ――――とても。
「泣いて……いるの?」
彼女に言われ、僕は自分の頬を伝う雫に気が付いた。
泣いていた。
「どうして、泣いているの?」
「どうして? だって、キミがあんなに――あんまりだ。こんなのはあんまりだっ!」
今まで出した事の無い声で僕は叫んだ。
喉が痛い。目の奥が熱い。
だが、どんなに叫んでも、喚いても、この気持ちを晴らすことはできないだろう。
「あなた……優しい」
「そう?」
「ええ。とても」
彼女は立ちあがった。身長は僕よりも二周り小さい。
しかし、顔つきはとても美人で――――こんな子が殺されたと思うと、僕の胸は更に痛んだ。
「あなたは、叶えてくれるの? 願いを?」
「願い――――」
「私を――」
「君を――」
僕は彼女の腕を掴んだ。
僕は叶えてやる。彼女の願いを――――
「名前を聞いていい?」
「藤森 晃」
「覚えておくわ」
彼女は僕の手を握った。やんわりとでは無く、痛いぐらいに。
女性とは思えないほど力強く。
ザー…………
テレビの音が大きくなった。耳を塞ぎたい。
だが、手は彼女が握っている。
ザー…………
「忘れないで。私の願いを――――」
「ああっ!」
僕の目の前にいる彼女は崩れていく。
ブラウスは赤く染まる。これは彼女の血だ――
皮膚は破け、目は飛び出し、肉はドロドロに溶けていく――
美しかった美貌も、声も、残らない。
残ったのは白い骨。
だが手だけは離さない。力強く、僕を握っている。
この強さは願いの強さ――
「忘れない! ぜったいに叶えてあげるからっ!」
ザー…………