**◆ 対ソ戦敗北後の日本国内情勢 ── 陸軍の威信崩壊と責任追及の嵐(1942〜1944)**
1. “敗戦”という事実の衝撃
釜山橋頭堡の死守には成功したものの、「満州全域喪失」「朝鮮の大半喪失」という結
果は日本国民にとって事実上の敗戦としか映らなかった。
• 帝国陸軍が30年以上「生命線」と宣言した満州を喪失
• 朝鮮半島の大半がソ連軍政下
• 数十万規模の死傷者と捕虜
• 国防の主導権を海軍に頼る異例の状況
これらは陸軍の威信を根底から崩壊させた。
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2. 陸軍内での責任論の爆発
◆ 統制派・皇道派の責任転嫁合戦
陸軍は戦前から派閥争いが絶えなかったが、敗北によってそれが一気に噴出する。
• 統制派は「ノモンハン紛争拡大の判断は現場の過ち」と主張
• 皇道派は「国策を誤らせたのは統制派の独善的作戦運用」と反論
• 参謀本部と関東軍の間でも激しい責任の押し付け合い
最終的には 関東軍幹部、参謀本部の一部、朝鮮軍司令部 が査問の対象となる。
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3. 自決者の続出と“陸軍の精神的崩壊”
日本的な「武士道的責任観」、そして内部圧力が重なり、
関東軍・参謀本部の中堅〜高級将校で自決者が相次ぐ。
• 関東軍司令官クラス
• 参謀本部の作戦課関係者
• 事件拡大に関わったノモンハン指揮官
• 朝鮮戦線後期の責任者
戦後史家の表現では、この現象はしばしば
「昭和陸軍の精神的大壊滅」
と呼ばれるものに近い。
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4. 海軍の発言力の上昇
敗戦後、陸軍の政治力は急速に低下し、その空白を海軍が埋めるようになる。
海軍は以下の点で“成果”を示していたため支持を得た:
• 釜山橋頭堡の補給を維持
• 沿海州・シベリアへの反撃作戦を成功させ、国内宣伝で大きく評価
• イギリス・アメリカとの接触窓口も海軍が担当
これにより、日本の外交・軍事戦略は海軍中心に転換していく。
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5. 政治の再編と国策転換(1943〜1944)
● 陸軍の政治勢力の解体
陸軍省の強い政治介入は抑制され、政府・宮中も海軍・文官側へ寄る。
● 英米との関係修復を海軍が主導
「対ソ合作」という立場から、
英米との関係改善 → 三国同盟参加見送り
という方向が強まっていく。
● 国内では“東亜新秩序”ではなく“再建”がスローガンに
勢いを失った陸軍のイデオロギーより、国家再建と経済復興が優先される。
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6. 国民の認識の変化
国民の間でも陸軍への批判は強まる。
• 「満州の利権を追って国を危険にさらした」
• 「ソ連を侮った作戦指導の失敗」
• 「勝算なき戦争だった」
新聞こそ統制されていたが、口コミや帰還兵の証言で、
「陸軍の無能」が一般認識となっていく。
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7. 最終的な評価:陸軍主導国家からの転換点
この世界線では、対ソ戦敗北は
“日本の軍事バランスを陸軍から海軍へ移した決定的転換点”
であり、結果として
• 三国同盟には消極的
• 欧米との講和や協調へ傾斜
• アジアでの軍事的膨張の抑制
• 中国からの段階的撤退
など、史実とはまったく逆方向の流れが形成される。




