■ 1940〜1941年:釜山橋頭堡攻防戦
(ノモンハン全面戦争→満州崩壊→朝鮮半島南端での日本最後の防衛線)
◆ 背景:満州の崩壊と朝鮮への雪崩的撤退(1939末〜1940前半)
満州軍と関東軍主力がノモンハンから続く大敗で瓦解し、
赤軍は満州を縦断してわずか数ヶ月で鴨緑江へ到達する。
朝鮮半島北部の日本軍は連続敗戦による兵力消耗と装備喪失により、
遅滞戦闘(時間稼ぎ)を行いながら南へ撤退するしかなかった。
• 鉄道輸送は避難民と軍で飽和
• 制空権は完全にソ連
• まとまった反撃戦力もなし
• 朝鮮北部の司令部は次々と孤立し降伏
結果、日本軍は釜山周辺のみを保持できる状態に追い込まれる。
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■ 第一段階:釜山橋頭堡の形成(1940夏)
● 日本軍の判断
朝鮮全域を守ることは不可能と判断され、
最初から「釜山に籠もる」前提で全軍を集結させる。
釜山の利点:
• 背後に海があり海軍の補給支援が可能
• 山地で囲まれ、狭い戦線で防衛しやすい
• 港湾が大きく、増援と装備補給が現実的
約20万に膨らんだ日本軍残存部隊がこの狭い地域に集中する。
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■ 第二段階:ソ連軍の初期総攻撃(1940秋)
赤軍沿海軍管区+シベリア軍管区の主力が釜山方面へ進撃。
• ソ連:戦車・火砲は満州の戦闘からの継続で豊富
• 日本:補給は海軍が確保できたが、重火器が不足
● ソ連軍の試み
ソ連は勢いに乗って釜山に「短期決戦」を挑む。
• 野砲による徹底した砲撃
• 開豁地帯への大規模戦車突撃
• 歩兵による夜間浸透戦術
しかし、戦線は崩れない。
● 防衛が成功した理由
1. 地形
釜山北方は山地が多く、戦車の大量投入が困難。
ソ連の得意な機械化突破ができない。
2. 日本軍の集中
関東軍敗残兵+朝鮮軍+海軍陸戦隊まで総動員され、
第一次世界大戦型の塹壕・要塞化が進められた。
3. 日本海軍の砲撃支援
艦砲射撃がソ連の補給線と集結地を絶えず破壊。
ソ連軍は重砲輸送に苦しみ、補給が難航。
4. 制海権は完全に日本
ソ連は海上から釜山を包囲することができず、
後方連絡線を攻撃する能力もほぼない。
結果、釜山正面での突破は不可能となり、
ソ連の電撃的南下はここで完全停止した。
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■ 第三段階:膠着戦と「沿海州サンドバッグ化」(1940冬〜1941春)
釜山で戦線が固定化すると、日本海軍は逆に攻勢に出る。
● 日本海軍の行動
• ウラジオストク港湾への断続的空爆
• シベリア鉄道沿いの補給集積地への艦砲射撃
• 露領沿岸への通商破壊的な作戦行動
• 陸軍への補給船団・重砲輸送を継続的に支援
これらはソ連にとって非常に厄介で、
「日本軍は釜山を守るだけではなく、シベリア・沿海州を絶えず攻撃し続けている」
という状況が生まれる。
● ソ連の反応
• 報復的空襲を試みるが、距離と性能不足で効果薄
• 沿海州の補給線維持に限界が見えてくる
• シベリア側へ新規の戦力投入が難しくなる
結果、1941年に入る頃にはソ連軍は
攻め手を完全に失った状態になる。
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■ 第四段階:ドイツのバルバロッサ作戦開始(1941年6月22日)
ここで状況が劇的に変わる。
● ソ連の視点
• 釜山でなかなか日本を落とせない
• 日本海軍による沿海州攻撃は続く
• そして西側からドイツが数百万の軍勢で侵攻
ヨーロッパロシア方面が壊滅的打撃を受ける。
• 赤軍の主力は西部戦線に偏っておらず、
かえって「極東に多くの兵力がある」ため対応が間に合わない
• 特にモスクワ戦では人的・物的損失が深刻
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■ 第五段階:ソ連、極東戦線の維持不能 → 停戦交渉へ(1941末)
モスクワが陥落すると、ソ連は国家存亡の危機となり、
極東で日本と戦っている余力が完全に消える。
スターリンの判断:
1. 日本を完全に追い出すより、
2. ドイツとの決戦に全力を集中すべき
そのため、
ソ連から日本へ停戦を申し入れる
という流れが生まれる。
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■ 釜山橋頭堡戦の総括
● 結果として釜山は「落ちない」
理由:
• 日本軍はむしろ“全軍突っ込んだ最後の防衛線”としての意地
• 日本海軍が制海権を確保
• ソ連は補給線が伸び切り、重砲・弾薬が不足
• ドイツの攻撃でソ連全体が瓦解状態に陥る
そのため1940〜1941年の釜山攻防戦は
「日本陸軍にとって唯一守り抜いた戦線」
となり、後の政治的影響も大きい。




