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中国戦線(華北・華中・華南)を急速に縮小せざるを得なくなる過程

■ 対ソ戦敗北の影が見えた瞬間、日本陸軍は“中華戦線の崩壊”を自覚する

1940年前後、日本は陸軍の主力を中国に貼りつけたまま、

満州・朝鮮でソ連軍の圧倒的攻勢に巻き込まれた。

この時点での兵力バランスは明白:

• 中国大陸:80〜100万の日本軍が展開

• 朝鮮半島:戦える兵力は10〜12万程度

• ソ連極東軍:満州・朝鮮方面に70〜90万規模を動員

つまり、日本軍の8割は中国におり、肝心の対ソ戦正面が“空白”状態。

この矛盾が、朝鮮半島の崩壊とともに一気に噴出する。

---

■ 【1】参謀本部は“全戦力の朝鮮回し”を決める

〜中国大陸の保持よりも、釜山の維持が国家存亡に直結〜

参謀本部がまず恐れたのは:

● 釜山陥落 → 九州上陸の恐れ → 日本本土決戦

中国を保持していても、本土が危機では意味がない。

そのため、陸軍中央は 中国戦線の急縮小を決断する。

しかし、これは現場にとって“死刑宣告”だった。

---

■ 【2】撤退判断の前に立ちふさがる“面子と統治体制”

中国戦線はもともと「聖戦」「国策」の象徴であり、

支那派遣軍・北支方面軍・中支方面軍の司令部は

とにかく撤退を認めようとしない。

理由:

• 「撤退=大陸政策の失敗」

• 「撤退=中国民衆蜂起の誘発」

• 「撤退=軍事的威信の崩壊」

特に 北支派遣軍(河北・山西) は治安維持任務と資源採掘に深く関わり、

撤退は“面子”の問題になった。

しかし、朝鮮半島が完全崩壊した段階で、

中央は最終命令として 「優先順位:朝鮮>中国」 を宣言する。

---

■ 【3】撤退計画:大陸の広さゆえに急減速しやすい

中国大陸は広大で、鉄道も破壊されがちであるため、

日本軍は以下の3フェーズで撤退するしかなかった。

---

■ フェーズA:防御可能な都市に兵力を集約(1940年夏)

● 華北:北京・天津・張家口を放棄 → 山海関~錦州ラインへ後退

● 華中:武漢三鎮を最小限防衛 → 南京・上海・杭州へ集約

● 華南:広東・海南島の駐屯軍大幅縮小

これにより、

全戦線の前線距離が約30〜40%縮小する。

最大のメリットは:

• 不要な治安部隊の撤収

• 兵站線を短縮

• 鉄道の護衛が半減して部隊を回せる

しかし、現場では反乱・匪賊化が激増し「治安崩壊」を招く。

---

■ フェーズB:主力師団の“投げ打ち的撤退”(1940年秋)

朝鮮半島での日本軍の敗走が決定的になると、

参謀本部は各方面軍に「釜山行きの兵力を即時抽出せよ」と命令する。

● 華北:第26・第36・第110師団などが朝鮮転用

● 華中:第3師団・第13師団が撤収命令

● 華南:第22師団・台湾師団が転用候補

これにより、中国の日本軍兵力は

100万 → 60〜70万へ激減する。

しかし問題はこうだ:

• 退いた拠点に中国軍が即進出

• 日本軍撤退時に橋梁・鉄道の破壊が間に合わない

• 沿道で八路軍によるゲリラ攻撃が激増

• 武漢・南京付近で戦闘を避けられない

つまり「秩序ある撤退」は不可能だった。

実質は 敗走・後退・遅滞戦闘の連続 となる。

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■ フェーズC:海港への集結と“ダンケルク式”撤収

● 華北軍:天津・青島・秦皇島へ

● 華中軍:上海・杭州湾へ

● 華南軍:広東・海南島へ

ここで日本は海軍の大半を中国沿岸に投入し、

「朝鮮への兵力移送」を最優先する。

しかし、中国軍と共産ゲリラの攻撃が激化し、

海港周辺の防衛戦は苛烈を極めた。

特に上海では、

• 難民が殺到し埠頭が麻痺

• 中国軍の砲撃で港湾施設が炎上

• 日本軍が弾薬庫を破壊して撤退

• 海軍艦艇が急増して渋滞

という“ミニ大撤退戦”が発生した。

最終的に、釜山へ転用された師団は

ざっと20〜25万規模に達するが、

• 装備の半分を中国に放棄

• 兵站部隊が壊滅

• 負傷兵の移送困難

• 多くの部隊が連隊規模に縮小

という“戦力の質の低下”が避けられなかった。

---

■ 中国側の反応:蒋介石は“攻勢の最大機会”と判断

中国国民政府は、日本軍の急縮小を見て

以下の統一判断に動く。

● 「これは天与の攻勢機会である」

● 「日本軍が撤退する地域は即座に占領せよ」

● 「大都市撤退を許すな」

結果、

• 山東半島→国民党軍が即進出

• 江蘇・浙江→再占領

• 広東→電撃的に掌握

戦線は “1940年以前の日本の戦果をほぼ逆戻りさせる” 劇的な変化を見せる。

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■ それでも撤退せざるを得なかった理由

日本が中国の利権や資源を捨ててまで

朝鮮正面を優先した理由は単純である。

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■ ① 朝鮮を失えば、九州が戦場になる

ソ連軍が釜山を抜けば、

輸送距離はウラジオストク~対馬~九州。

補給線は極めて短くなり、

日本本土への侵攻が現実となる。

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■ ② 中国の資源より、本土防衛が優先

工業資源や農産物は本土でもある程度代替可能。

しかし、本土が戦場になると国家そのものが破綻する。

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■ ③ 陸軍の威信より生存が優先

陸軍中央は面子を捨てざるを得なかった。

特に**平壌・ソウルが陥落した時点で「中国どころではない」**と判断された。

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■ 結果:中国戦線は“半分以下”になる

最終的に中国戦線は:

• 華北:山海関以南の狭い範囲

• 華中:上海周辺の外郭線

• 華南:広東市街周辺

• 四川・雲南への進出は完全に停止

これだけに縮小され、

日本が誇った「大陸支配」の大部分は失われる。

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