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■ ソ連の朝鮮半島侵攻(1940年春〜夏) 〜満州国崩壊から数週間で始まった“極東最大の進撃作戦”〜

【1】満州国滅亡からわずか数週間:ソ連軍は休まず前進

満州作戦に勝利したソ連極東方面軍(ジューコフ指揮)は、

スターリンの厳命により 休まず朝鮮半島への追撃に移行する。

理由は明快:

● 日本陸軍をまとめて殲滅できる絶好の機会

● 日米交渉が進む前に極東で優位を固める

● 満州・朝鮮に親ソ政権を樹立する戦略的好機

ソ連軍は本来、冬季に行動が制限されるはずだが、

満州を支配したことで 満鉄沿線・市街地を補給拠点に利用でき、

進撃速度を維持できた。

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【2】朝鮮北部の日本軍:戦えない状態

朝鮮北部にいた日本軍(第17師団など)は、事実上次のような状態だった:

• 満州撤退部隊の流入で収容能力を超える

• 弾薬・物資ほとんどなし

• 道路は難民で埋まり移動不能

• 司令部は情報共有不能

• 士気は崩壊寸前

最初の大規模戦闘すら成立しない。

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【3】ソ連軍の三方向侵攻(1940年5月)

ジューコフは「朝鮮北部を一気に突破する」ことを狙い、

以下の三方向から攻勢を実施。

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■ ① 東部戦線:羅先・清津を目指す

• 満州東部から南下

• 対馬海峡を見据えた重要ルート

• 日本側は山岳地帯を生かして抵抗試みるも、制空権喪失により崩壊

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■ ② 中央戦線:咸興・平安道へ直進(主軸)

• 朝鮮半島の中央を縦断する“最短ルート”

• ジューコフが主力戦車・機械化部隊を集中

• 日本軍は平壌北方で一度戦線構築を試みるが、

BT戦車の縦深突破で半日で崩壊

---

■ ③ 西部戦線:義州→平壌→ソウル

• 黄海道を通る穀倉地帯ルート

• 通行性がよく補給がしやすい

• 日本軍はここに重点を置くが、

ソ連空軍の無差別攻撃により司令部機能麻痺

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結果、朝鮮北部は 1ヶ月弱で崩壊する。

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【4】「難民戦線」と化す:民間人200万が南下

朝鮮で最も悲惨な現象が発生する。

● 満州から流入した日本人開拓民・満州国人

● 朝鮮北部の日本人・朝鮮人住民

● 敗走する日本軍と混在した難民列

が、鉄道・道路・山道を埋め尽くす。

軍は戦闘どころではなく、

難民輸送のために車両・軍馬を消費し、

戦闘力がさらに低下する。

ソ連軍の追撃を受けると部隊単位で瓦解する。

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【5】平壌戦:ほぼ戦闘にならず陥落(1940年6月)

日本軍は一応「平壌防衛」の構想を立てるが、実態は:

• 弾薬不足

• 工兵器材なし(塹壕も作れない)

• 難民と兵士が混在し市内が大混乱

• ソ連空軍が主要道路・橋梁を破壊

そのため、平壌は わずか3〜5日で陥落。

戦闘というより“崩壊”に近い。

ソ連軍は多くの日本軍将兵・憲兵を捕虜にしつつ、

休む間もなくソウルへ追撃する。

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【6】京城ソウルの陥落:朝鮮支配の象徴が崩れる(1940年7月)

京城は朝鮮総督府が置かれた日本統治の中心。

ここで日本軍は「象徴的死守」を試みるが、

• 司令部は釜山へ向かって後退済

• 兵力は混乱した敗残兵・警察・憲兵のみ

• 民衆は避難不能で市がパニック状態

ソ連軍は京義線沿いに南下し、

ほぼ無抵抗でソウルを占領する。

この時点で朝鮮半島の7割がソ連軍の支配下に入る。

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【7】洛東江ライン:日本軍最後の“防衛可能地域”(1940年8月)

釜山の北西を流れる 洛東江ナクトンガン は、

自然の防衛線として日本軍が最終的に選択する地形。

• 河川幅が大きく戦車突破が困難

• 南部の山岳地帯がソ連軍の機動力を低下させる

• 海軍が南岸から砲撃支援できる

ここで日本軍は初めて 実質的戦線を構築できる。

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【8】釜山防衛ライン構築:海軍主導の異例体制

陸軍の権威は満州で崩壊し、

釜山では海軍が指揮権を握る異例の状況が発生。

理由:

• 陸軍司令部が壊滅し指揮不能

• 釜山の補給は100%海軍輸送

• 航空支援も海軍航空隊

釜山近郊には短期間で以下が集中する:

• 海軍の沿岸砲

• 残存戦車約50両

• 歩兵3〜4万(まともに戦えるのは半数)

• 難民70万以上

• 日本本土からの援軍(ごく少量)

日本としては ここを突破されたら九州まで戦火が及ぶため、

これが「絶対防衛線」となる。

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【9】ソ連軍の攻勢が鈍化する理由(現実的な軍事要因)

ソ連軍は釜山手前で攻勢速度が落ちる。

理由は複合的:

● 地形:洛東江が天然の要塞

● 補給:満州からの延伸で補給線が細くなる

● 日本海軍:沿岸からの砲撃でソ連前線を妨害

● ソ連空軍:対日本海軍作戦に不慣れ

● スターリンの命令:「死傷者を抑えつつ南下」

特に海軍の存在が大きく、

ソ連軍は海岸沿いへの迂回突破が不可能になる。

結果として、釜山防衛線で 一種の膠着状態が発生する。

これが後の「ソ連からの停戦提案」を呼ぶ布石となる。

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■ 総括:なぜ釜山だけが残ったか?

1. 日本海軍だけは損耗せず生き残った

2. ソ連軍の補給線が朝鮮半島で細長く伸びきった

3. 地形的に釜山周辺は“防衛に適しすぎる”

4. 日本の総力を釜山一点に集中した

5. ソ連も南下しすぎて“これ以上は割に合わない”状況

結果、日本は 朝鮮半島の1/10だけ保持するという異常な状態になる。

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