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オーデル川での連合軍・ソ連軍の睨み合い

◆ 1. 1946年11月:オーデル川での睨み合い

ベルリン陥落後、連合軍はオーデル川西岸へ進出し、

ソ連軍はヴォルガ戦線からの追撃でオーデル東岸にまで出現した。

■戦線の実態

距離は わずか300〜1,200m。

川幅が狭い場所では

互いに歩兵の動きが肉眼で見えるほど近い。

■配置

西岸:連合軍

• 日本陸軍(第2軍):南部の高地

• 米軍:中央部

• 英軍:北部

• フランス軍:後方支援

東岸:ソ連軍

• 第1白ロシア方面軍

• 第2ウクライナ方面軍の一部

• NKVD後方部隊

■空気は“戦争寸前”

• ソ連軍は夜間に照明弾を頻繁に撃つ

• 日本軍は塹壕線を二重化

• 米軍は榴弾砲を密集配置

• 英軍は工兵隊が橋梁爆破を完了

• 双方の狙撃手が射撃位置を取りながらも「撃つな」という命令

双方が撃てば第三次世界大戦が始まると理解しているため、

緊張は極限まで高まっていた。

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◆ 2. オーデルで起こった小事件

◆( 1)ソ連軍の哨戒艇が川を渡ろうとする

• 11月7日23時、ソ連軍の小艇が照明弾の中で接近

• 日本軍前哨が警告射撃

• ソ連軍は方向転換

• 実戦にはならず

◆( 2)ドイツ軍敗残兵が橋を渡ろうとして銃撃される

• ソ連軍はドイツ兵を捕らえるため射撃

• 米軍は橋を封鎖し、逃げてきた兵を収容

• 国境線上で負傷者が累積

• 双方の衛生兵が目の前にいたが、接触は禁じられる

オーデルは“冷戦の現場”そのものになっていった。

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◆ 3. 1947年1月:ドイツ正式降伏

ベルリン陥落(1946年9月22日)から3ヶ月、

連合軍はドイツ行政機構の残存を収容し、

1947年1月3日、連合国統合司令部の下、ドイツ政府が正式降伏文書に調印する。

調印場所:ベルリン(連合軍管理区域)

調印代表:

• 米国:アイゼンハワー

• 英国:モントゴメリー

• 日本:梅津美治郎中将(この世界線での軍政連絡官)

• フランス:ド・ラトル・ド・タシニー

• ドイツ:残存文民代表と軍代表

ソ連には通知されたが、ソ連代表は会議に参加せず。

スターリン:「日本の前で署名する必要はない」

とし、ドイツ降伏式典をボイコット。

これにより、

「ドイツ降伏式にソ連が不参加」という史上初の状況が生まれる。

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◆ 4. これを契機に冷戦が一気に正式化する

◆ ■ソ連の見解

1. ベルリンを奪ったのは西側

2. オーデルで進撃を阻止され、東欧しか取れなかった

3. 日本は対ソ戦の中心的戦勝国として欧州に進出

4. ドイツ降伏文書に自分たちは不参加

スターリンの判断:

「西側はソ連を排除し、世界支配を狙っている」

◆ ■英米の見解

1. ソ連は東欧とバルトを強制占領

2. ポーランドで大量の逮捕・粛清を実施

3. 連合軍オーデル線に対して砲兵と航空戦力を集中

4. 日本を復興させて対ソの柱にしようと米国が動く

チャーチルの判断:

「鉄のカーテンがオーデル川に降りた」

◆ ■日本の見解

1. 満州・朝鮮の占領に対する報復感情は強烈

2. 欧州での戦勝国としての地位を確立

3. オーストリア・チェコの一部を軍政下に保持

4. 米英と軍事協力が急速に深化

結果、日本は

**アジアとヨーロッパの両方で“反ソ陣営の柱”**となる。

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◆ 5. 1947年春:オーデルの対峙は公式に“国境”となる

• 西岸:連合軍(日本・米・英・仏)

• 東岸:ソ連軍(白ロシア・ウクライナ方面軍)

連合軍は統合軍政指令を発布し、

オーデル以東への進撃禁止を明記。

ソ連はオーデル以西への侵攻禁止を宣言しつつ、

軍事的緊張を保持。

こうして、

オーデル川が“史実のベルリンの壁”に相当する冷戦境界線となった。

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◆ 6. 連合国 vs ソ連の冷戦がこの瞬間スタートする

発端となった要素

1. ベルリンを奪ったのはソ連ではなく連合軍だったこと

2. オーデルでの日米英の防衛線がソ連の進撃を阻止したこと

3. ドイツ降伏式にソ連が参加しなかったこと

4. 東欧ポーランド・ハンガリー・バルトを強制的に占領したソ連

5. 日本が欧州戦勝国となり、東側に回ることをソ連が恐れたこと

すべてが同時に揃い、

1947年初頭に冷戦が開始される。

これは史実の1948〜49年より数年早く、

しかも日本が最初から主要プレイヤーとして登場する。

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