連合軍のオーデル川西岸進出
◆ 1. 連合軍のオーデル川西岸進出
◆ 1946年9月末〜10月初頭
ベルリン陥落後、英米日仏の連合軍は一気に東へ前進し、
ドイツ旧国境線である オーデル川(Oder) の西岸に進出する。
●進出目的
1. ドイツ軍東部戦線からの“逃げ込み”を受け入れるため
2. ソ連軍の西進を政治的に牽制
3. ポーランドには入り込まないという政治バランスの確保
●連合軍の配置
• 北部(シュテッティン前面):英軍
• 中央:米軍
• 南部(オーデル高地〜シレジア側):日本軍第2軍
日本軍は特に戦車連隊が強力で、
オーデル沿いの高地部を押さえたことで、
“ソ連軍が迂闊に撃ち込めない要塞化地帯”が形成される。
連合軍はオーデル川の橋梁を一部破壊し、
「ここから東へは進まないが、西側は確保する」
という意思を示す。
この状況だけでも、
ソ連軍は連合軍と直接衝突するリスクを感じていた。
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◆ 2. ドイツ軍、ヴォルガ戦線から「総撤退」を決断
◆ 10月1日
ベルリンの陥落を受け、
ドイツ国防軍東部軍集団司令部は
恐るべき決断を下す。
「全軍、ヴォルガから西へ撤退し、連合軍に投降せよ」
●撤退理由
• ヒトラー政権は崩壊、ドイツ自体が崩壊済み
• ソ連への投降は死刑同然
• 西側連合軍なら戦後の扱いがまだ良い
• 民間人を保護するには西へ逃げるしかない
●撤退規模
• 正規兵:約120万
• 補助部隊:約20万
• 民間避難民:約200万以上
• 装甲車両:残存分約1,500両
• 馬車/徒歩の避難民:数十万人単位
“史上最大の軍隊と民間人の大移動” が始まる。
撤退速度は1日30〜40km。
ヴォルガ沿いの防衛陣地は次々と放棄される。
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◆ 3. ソ連軍、激怒して大追撃戦を開始
◆スターリンの逆上
スターリンは以下の2点により激怒する:
1. ベルリンを連合軍に奪われた事実
2. ドイツ東部軍が連合軍に逃げ込もうとしている
「一人たりとも逃がすな。
西へ向かうドイツの全軍を粉砕せよ。」
10月10日、ソ連軍は
ヴォルガ〜ドニエプル〜ヴィスワへ向けて
全面的な追撃作戦を開始する。
●ソ連軍の動員
• 歩兵:250万
• 戦車:6,000〜7,000
• 自走砲・榴弾砲:12,000門
• 航空機:約4,500機
まさに“1944年のバグラチオン作戦級”の攻勢が
逃げる軍を追い立てるかたちで行われた。
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◆ 4. 東欧一帯で「逃げるドイツ・追うソ連・受け入れる連合軍」の混沌が発生
この世界線ならではの独特な地獄絵図が東欧で展開される。
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■(1) ヴィスワ川前面:ドイツ軍の壊滅的被害
撤退するドイツ軍後衛は、
ソ連軍戦車群に食い破られる。
• 歩兵師団の後衛部隊:ほぼ壊滅
• 将校・技術兵の大量戦死
• ポーランド避難民が戦車戦の中に巻き込まれる
後衛を犠牲にして中央・前方部隊が逃げ続ける状態。
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■(2) ポズナン〜ブレスラウ:連合軍の“保護ライン”
オーデル川西岸の日本・米・英軍は
撤退してくるドイツ軍部隊を組織的に受け入れる。
●ドイツ軍兵士の行動
• 部隊単位で整然と投降
• 武装をその場で破棄
• 民間人も連合軍側へ殺到
日本軍は統率力が高く、
効率的に武装解除と収容を行なったため、
米軍は「東欧で最も秩序だった降伏処理」と評価。
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■(3) オーデル川では連合軍とソ連軍が“視認距離”に接近
1946年11〜12月、
ヴィスワ西岸〜オーデル東岸にソ連軍が迫り、
オーデルを挟んで連合軍と睨み合う形になる。
日本軍の陣地とソ連軍先遣隊が
約1kmの距離まで接近する“危険な場面”も記録される。
●射撃は?
両軍とも
「撃つな」という政治命令が出ているため衝突は回避。
だが緊張は極限に達する。
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◆ 5. ドイツ軍撤退の悲劇的結末
●連合軍に逃げ込めた:約35〜40万
●ソ連軍に捕虜として捕らえられた:50〜60万
●追撃で戦死・行方不明:30〜40万
(※民間人含めるとさらに増える)
ソ連軍の追撃は無慈悲で、
捕虜はソ連国内の収容所に送られ、
帰還できた者はほとんどいなかった。
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◆ 6. 政治的帰結:ソ連と連合軍の対立が決定的に
この東欧の混乱によって、
西側はソ連を「信頼不能な勢力」と見なし、
ソ連は連合軍(特に日本)に激しい敵意を抱く。
●英米:
• 「日本をNATOの主要構成国とする」
• 「ポーランドには深入りしない」
• 「ドイツ占領区をしっかり確保」
●ソ連:
• ポーランド・バルト・東欧の掌握
• 西側の影響排除
• 朝鮮・満州の共産政権支援加速
→ 朝鮮民主主義人民共和国・中華人民共和国の誕生へ
●日本:
• “欧州戦勝国”としての地位確立
• 米英との軍事協力深化
• ソ連への怨恨が固定化 → 早期冷戦体制の柱になる
この一連の流れは、
史実の1945~47年をまるごと書き換える規模の影響を持ちます。




