米軍の突出
◆ 1. 米軍の突出 ― “パットンの暴走”
1946年6月7〜12日
中央矢(Arrow Central)の突破に成功した連合軍は、
ライン川突破点からわずか18日で、
ドイツ中部深く150kmまで食い込むことに成功していた。
米第3軍のパットン将軍はこの成功に乗じ、
ドイツ軍の崩壊を確信して、
予定を無視して機甲部隊を前進させた。
• 補給線は50〜80kmも細長く伸びた
• 両翼の英軍・日本軍との横連携が消滅
• 先頭部隊は2日間で200km近く進撃(史実のロレーヌ突破を超える速度)
結果――
突出部が形成され、後に“第二次バルジ”(Re-Bulge)と呼ばれる突起が生まれた。
米軍はドイツ中部のカッセル手前まで進んだが、
これは“餌食”になり得る危険な突出であった。
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◆ 2. ドイツ軍の反撃準備
1946年6月13日
ヒトラーはライン突破後の情勢を絶望視していたが、
米第3軍が突出して孤立しつつあると知ると、
**「奇跡の逆転はまだ可能」**と誤認する。
彼は最後の装甲予備、
• 第2SS装甲軍団
• 第9装甲師団の再編残余
• 第15機甲擲弾兵師団
• 国民擲弾兵を大量投入
計約18万の兵力をかき集め、
**“挟撃による突出米軍の殲滅”**を命じた。
目的:
「突出米軍を丸ごと包囲し、一撃で連合軍の士気を折る」
史実のアルデンヌ攻勢とは違い、
今回は守勢下の反撃であるため規模は小さいが、
それでも西部戦線最後の全力であった。
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◆ 3. 第二次バルジの形成
6月15〜18日
ドイツ軍は連合軍の空軍優勢を避けるため、
夜間と森林を利用して移動し、
米軍突出部の付け根へ襲いかかった。
米第3軍先端の2個機甲師団が孤立し、
一時は包囲網が閉じかける。
• 米軍損害:戦車250両以上
• 歩兵損失:2万を超える
• パットンの指揮所は一時壊滅寸前
突出した米軍は食料・弾薬が枯渇し、
空軍支援も天候不良で遅れたため、
6月17日には半包囲状態に追い込まれた。
連合軍司令部は、
「米第3軍を見捨てて後退するか」
という議論にまで追い詰められる。
しかし――
“日本軍が動く”
と聞いた瞬間、司令部の空気が変わった。
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◆ 4. 日本軍の救援決定 ― “逆アントワープ救援”
中央突破を担っていた**日本第2軍(司令官:板垣征四郎)**は、
補給線が安全で部隊の損耗も比較的軽かった。
板垣は以下の作戦を申し出る:
◆「南西側から包囲網の外側を攻撃し、
米軍の退路を開くための突破口を作る」
つまり、
1944年史実の“バストーニュ救援”の“逆バージョン”
を日本軍が実施する形。
連合軍司令部は初めて
“日本軍を欧州戦線の決定的戦力として扱う”態度を見せた。
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◆ 5. 日本軍の救出作戦
1946年6月19日 04:00
日本第2軍3個師団+機甲旅団が南西側から進撃開始。
作戦名:
「アマテラス作戦(Operation Amaterasu)」
西側指揮官が命名したもの。
◆日本軍の強み
• 浸透戦(森や市街地でドイツ軍を分断)
• 夜襲
• 火砲の集中運用(米軍供与の155mmも使用)
• 米軍式補給で継戦能力が高い
• 対戦車戦闘では米製バズーカとM10駆逐戦車で対応
◆日本軍の攻撃
6月19日〜22日にかけて、
日本軍は雪崩のようにドイツ側面を突き崩す。
• 1日目:14km進撃
• 2日目:さらに18km
• 3日目:ドイツ側面防御陣地が瓦解
深夜の白兵戦で日本軍が塹壕線を突破した瞬間、
ドイツ軍の包囲網に“致命的な穴”が空いた。
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◆ 6. 米軍が脱出 ― “奇跡の再接触”
1946年6月22日 16:40
米第3軍の先頭部隊と日本軍先鋒が接触。
互いに歓声を上げ、
多くの米兵が泣きながら日本兵に抱きついたと言われる。
米側記録:
「日本軍が来なければ我々は終わっていた」
この救援は欧米の報道で大きく扱われ、
「アマテラス救援」として象徴化される。
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◆ 7. 結果
◆米軍側
• 撤退に成功
• 士気が回復
• パットンは叱責されるが更迭は免れる
◆ドイツ軍側
• 反撃失敗
• 最後の装甲予備を失う
• 国防軍の崩壊が決定的に
◆日本軍の評価
• 欧米での信頼と名声が一気に高まる
• 「日本軍がいなければ第二次欧州上陸軍は壊滅していた」
• 日本の連合国での地位が事実上“主要国”に格上げされる
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◆ 8. この戦いの歴史的意味
★1 連合軍内部の“日本の地位”が激変する
日本は単なる支援国ではなく、
欧州戦線の勝敗を左右する黄金の戦力と認識される。
★2 戦後秩序で日本が主導権を握る根拠が生まれる
米英は日本を戦後の欧州再建に深く参加させることを余儀なくされる。
★3 ドイツは本格的崩壊フェーズへ
この反撃失敗がドイツ国防軍の“最後の抵抗”だった。
翌月には連合軍はベルリンに迫る。




