「グリーシャントリック作戦」(Grecian Trick Operation)
◆ 1. ノルマンディ失敗の衝撃(1944年夏)
史実では1944年6月6日に成功したノルマンディが、
この世界では 天候悪化・ドイツの察知・上陸地点の強化 により失敗。
カーン・オマハ方面での死傷者が10万を超え、連合軍は英本土へ撤退した。
この失敗により、
• 「西側単独で欧州解放は不可能では?」
• 「ソ連が東部で膠着している今、ドイツが勝ってしまう」
• 「次の上陸作戦は絶対に失敗できない」
という危機感が連合国指導部を襲う。
さらにこの世界では、
• 日本がソ連と停戦し、連合国に接近
• 日本陸軍・海軍が大規模に欧州派兵可能
• レンドリースで日本の工業力が急成長
という史実とは全く異なる状況が生まれている。
連合国は 「日本の巨大戦力をどう使うか」 を検討し始める。
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◆ 2. 新作戦立案の開始(1945年1〜3月)
◆主導者:連合参謀長会議( CCS)
アメリカのマーシャル、イギリスのブルック、そして日本側の参謀(牛島・杉山ら)が
参加する特別合同会議がロンドンで招集される。
ここで最初に提示される案は三つ:
1. ノルマンディ再挑戦案
2. イタリア北部突破案
3. 南フランス(ドラグーン強化)案
しかしどれも決定打に欠ける。
●このとき日本代表が提案する
「二正面同時上陸による、北部フランス軍の全包囲」
これが後の グリーシャントリック作戦 の原型になる。
日本陸軍は大陸での機動包囲戦の経験が豊富であり、
参謀本部は「一つの上陸ではドイツの戦線は崩れない」と判断していた。
●アメリカ側も賛同
アメリカ統合参謀は日本の戦力評価を行い、
「日本陸軍が3個軍、日本海軍が空母打撃群を欧州に派遣できる」
と判定。
史実の連合軍が欠いた“兵力と上陸戦能力”を補完できる。
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◆ 3. “ギリシアの策略”という発想の誕生(1945年4〜5月)
日本案は当初「二正面作戦など危険すぎる」と批判されるが、
イギリスのチャーチルがこの案を非常に気に入り、
古代史の話を持ち出す。
「これはまさに トロイの木馬 ではないか」
「敵を主攻に引きつけ、別の地点で致命打を与える“ギリシャ的人策”だ」
この発言がきっかけとなり、
参謀たちはコードネームを “Grecian Trick(ギリシャの策略)” とする草案を提出。
同名の作戦名は
• 英国の宣伝省
• アメリカの広報部門
• 日本の大本営
の三者で非常に好評となる。
「古代の智謀を現代に再現する」というイメージ戦略が決定打となり、
グリーシャントリック作戦の立案が本格化する。
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◆ 4. 作戦の三部構成が確立(1945年6〜7月)
参謀会議で以下の三部作構成が決定する。
【1】総合作戦
■グリーシャントリック作戦
目的:
• ドイツの注意を南仏へ誘導
• オランダへの上陸を秘匿
• フランス全域のドイツ軍を包囲殲滅
• ラインライン以前に勝敗を決める
【2】主攻
■ハンニバル作戦(南フランス・プロヴァンス上陸)
• 日本軍2個軍+米英軍
• 地中海制海権を活かす
• マルセイユ・トゥーロンを確保して北上
【3】副攻(勝敗の決定打)
■スキピオ作戦(オランダ上陸)
• 日米英の混成軍
• ロッテルダム・ユトレヒトを確保
• ベルギー〜北仏のドイツ軍の退路を遮断
この二作戦でフランスのドイツ軍を巨大包囲網に閉じ込める。
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◆ 5. 作戦採用の正式決定(1945年8月、ロンドン・三国首脳会談)
参加者:
• トルーマン(米)
• チャーチル(英)
• 日本の新首班(親米派:吉田茂モデル or 幣原喜重郎モデル)
ここで日本は
「欧州解放軍の一員として参戦する」
ことを正式に決定し、
代わりに米国は日本の安全保障と経済支援を確約する。
この時点で 連合国による“対ソけん制・対独決戦・日本の国際復帰” がセットになる。
そこで三首脳は満場一致で
「グリーシャントリック作戦」を採用
と発表。
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◆ 6. 作戦準備(1945年秋〜1946年初頭)
ここからの準備は凄まじい規模となる。
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◆ A. 日本軍の欧州派遣準備
●日本陸軍
• 3個軍(総兵力45〜60万)を欧州派遣
• 全て米式装備に改編(M1小銃、BAR、ジープ、トラック)
• 戦車としてM4シャーマンを導入
• 無線・電算装備も米軍仕様へ統一
明治以来初の“完全西洋式陸軍”が誕生する。
●日本海軍
• 空母:翔鶴・瑞鶴・大鳳・雲龍級多数
• 戦艦:大和型・長門型
• 護衛艦隊:米英ソナー・レーダー搭載
• 総勢200隻以上を地中海へ派遣
史上初の“日英米三国海軍による大艦隊”が形成される。
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◆ B. 英米側準備
米軍
• 史実より多くの兵力を英国へ再配置
• 上陸用舟艇の再建
• 架空港(Mulberry)をさらに改良
• 北海でのUボート撃滅作戦
英軍
• ロンドンの軍政再編
• 航空基地の拡張
• オランダ上陸に備え特殊部隊投入
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◆ C. 情報戦(欺瞞作戦)
史実の「フォーティチュード作戦」を上回る規模で実施。
• 南仏を主攻に見せかける宣伝
• ノルマンディ再挑戦を示唆する偽情報
• イタリアからの攻勢を偽装
• スキピオ作戦の存在そのものを秘匿
ドイツは南仏に兵力を移し、
オランダ方面の防備が薄くなる。
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◆総合まとめ
グリーシャントリック作戦 は以下の流れで成立した:
1. ノルマンディ失敗 → 危機
2. 日本派兵の可能性 → 新戦略の余地
3. 日本案「二正面同時上陸」提示
4. チャーチルの“ギリシャの策略”発言で命名
5. ハンニバル・スキピオの二作戦体系成立
6. 三国首脳会談で採用決定
7. 1945年後半〜1946年に大規模準備
史実にはあり得ない、
しかしこの世界では最も合理的な
“人類史上最大の上陸作戦”の計画 となる。




