日本の連合国入り正式発表(1945年5月)
◆【 1945年5月15日】日本の連合国入り正式発表
(史実でドイツが崩壊していた時期に相当するが、この世界線では
独ソ戦はヴォルガ膠着のため継続している)
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■1. 発表に至る背景:英米の“最後の賭け”
ノルマンディ上陸作戦の失敗(1944年10〜11月)により、
英米は欧州で決定的に戦略的主導を喪失した。
1945年春:
• イタリア戦線は完全膠着
• 東部戦線はヴォルガ川で一進一退
• 英国内ではチャーチル内閣が崩壊寸前
• 米国でもルーズベルト政権の支持率が急落
• 英米軍の人的損害が回復不能のレベル
そこで英米は、
“アジア唯一の大規模正規軍国家である日本”を仲間に引き入れ、
新たな兵力と太平洋海軍力を戦争に投入する
という選択肢に踏み切った。
1945年4月、ワシントンで
日米英三国秘密会談(東京からは吉田外相と米内海相)
が行われ、日本参戦の条件がほぼ合意に達する。
この会談の最大の要点は:
「戦後の領土問題・中国問題の扱い」を
英米が日本側の立場に部分的に合わせる
という、史実からみると極めて異例の妥協である。
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■2. 日本国内の政治的緊張
1945年5月10日、御前会議で
正式に“対独参戦準備に入り、連合国側に参加する”ことを決定。
緊張が走る日本陸軍内部では、
もはや大規模クーデターを起こせる力は残っておらず、
極一部の青年将校が逮捕される程度で済む。
海軍・外務省は全面賛成、
内務省・宮中も「国土防衛と国際復帰のため」と支持。
陛下は最後に、
「帝国は列強と協同して世界の平和に尽くすべし」
と発言し、参戦が国策として確定した。
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■3. 世界同時発表:日本政府の声明
1945年5月15日 午後3時(東京時間)
外務省より声明が全世界へ向けて発表される。
◆【日本政府声明】
「日本帝国は、自由諸国と協力し、
欧州における暴政の打破と国際平和の確立に寄与すべく、
英米両国政府との協調関係を結ぶことを決意した。」
「本日をもって、帝国は連合国側に立ち、
協同作戦計画の協議に入る。」
直接的な「参戦」という語は避けているが、
これは実質的な連合国加入宣言である。
NHK(中央放送)も特別番組として臨時報道を行い、
国民は衝撃とともに安堵にも似た空気に包まれる。
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■4. 国民世論の反応:熱狂と困惑が混じる
1945年5月の日本社会には、以下のような特徴的反応が起きる。
● 歓迎が多数派
• 対ソ戦の敗北と満州喪失で将来への不安が強かった
• 海軍・外務省への信頼が回復
• 英米との協調=経済再建のチャンス
• 「ドイツ・ソ連という二大陸帝国から日本を守る」という期待
新聞社説では:
「日本、ついに大国外交へ復帰す」
「国土防衛のための歴史的決断」
と肯定論が圧勝。
● 不満・反対は一部の陸軍残存派のみ
しかし国民の支持は大きく、反対運動は広がらない。
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■5. 英米の公式反応
● 英国(チャーチル首相)
緊急演説で:
「日本の決断は自由世界の勝利を早める」
英国議会は満場一致で日本参戦歓迎決議を採択。
チャーチル政権はこれで延命に成功する。
● 米国(ルーズベルト大統領)
ホワイトハウス声明:
「アジアの安定勢力としての日本の役割を歓迎する」
ただし国内には
「日本を信用できるのか?」
と懐疑論も残るため、慎重な言い回し。
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■6. ソ連の反応:最大級の外交危機
モロトフ外相は激烈な声明を発表。
「日本は帝国主義的策動を再開した」
「極東における脅威に対し断固たる措置を取る」
だが軍事的には対独戦に手一杯で、
実際には何の行動も取れない。
スターリンは、日本が連合国入りした瞬間、
“ソ連はアジアで孤立する”
と悟り、極東政策の全面的見直しを始める。
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■7. 欧州諸国(亡命政府含む)は熱狂的歓迎
フランス(ド・ゴール)
「日本は自由諸国の大義に参加した」
ポーランド
「ソ連牽制のために日本は不可欠」
オランダ・ベルギー
ヨーロッパ防衛の観点からほぼ全面支持。
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■8. 日本の連合国入りの実務的内容
日本が正式発表したことで、次の具体的プロセスが動き出す。
●(1)日米英三国参戦協議委員会の設置
東京・ワシントン・ロンドンに設置され、
日本軍派遣、海軍行動、産業協力を協議。
●(2)日本海軍の北大西洋参加の計画開始
日本海軍の空母・巡洋艦が
英海軍の地中海・大西洋作戦に組み込まれる案が浮上。
●(3)陸軍の欧州派兵計画
兵力は当初「3〜4個師団」を想定。
満州喪失で余剰となった兵力を転用。
●(4)ソ連牽制としての極東防衛再構築
釜山橋頭堡を守るため、
英米は日本に軍需物資を供給開始。
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■9. 日本が連合国入りしたことで世界がどう変わるか
発表直後の国際政治バランスは以下の通り。
• 英米は復活の兆しを得る
• ソ連は外交的に孤立度を深める
• ドイツは東西から圧力を感じ始める
• 日本は戦後秩序の“席”を確保し始める
特に日本にとって
“英米と同じ側につく”という事実は、
敗戦国ではなく 「戦勝国化」 を意味する。
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◆【総合結論】
1945年5月15日の日本の連合国入り発表は、
世界史の転回点となった。
• 日本は満州喪失の敗北から一転し、
戦勝国陣営へ復帰する道を選ぶ。
• 英米は欧州戦線再建の希望を得る。
• ソ連は外交的孤立の深刻化に直面する。
• ドイツは東西挟撃の圧迫を感じる。
この瞬間から、
戦後世界は史実とは全く異なる姿へと変質していく。




