【第5話 壱の胎動】
その夜、千歳の夢はざらついていた。
ざら……ざら……
砂を噛むような音と共に、黒い手がどこまでも伸びてくる。
「ちとせ……」
夢の中で聞こえたそれは、或の声ではなかった。
もっと歪で、もっと飢えていた。
(これは……“壱”)
或が語っていた、失敗作の一体。
なぜか、千歳の夢へと干渉してきた。
目覚めたとき、枕元には黒い羽根が一枚だけ落ちていた。
翌日、学園では警報が鳴り響いた。
「地下結界、壱番——崩壊反応!」
教師たちが駆けつけるより早く、千歳は動いていた。
或もまた、その気配に気づいていた。
校庭の桜の木の下で、白い狐面を手に呟く。
「……目覚めたか、“壱”」
その眼差しは、深い哀れみに満ちていた。
地下封域、壱番。
そこには、或とよく似た姿をした存在が立っていた。
だがその顔には、笑みすら宿らない。
ただただ、空虚に飢えた殺意だけがあった。
「ちと……せ……ち……と、せ……」
名前を呼ぶ声が、呪のように千歳を絡め取る。
だが彼女は立ち止まらない。
「やめて……彼は、あなたじゃない」
壱は顔を歪め、呻く。
千歳に触れようとしたその瞬間——
白い閃光が降った。
或が現れ、壱の動きを封じた。
「お前は、私の“影”だ」
或は己の指先を裂き、血で式を描く。
壱が咆哮した瞬間、式が炸裂する。
だが——止まらない。
壱は、封じられたはずの“呪骸”を喰って進化していた。
「やはり、君の“名”がなければ……」
或が言いかけたとき、千歳が叫んだ。
「私が命じる! 或、私の名を盾に、彼を鎮めて!」
その一言は式となり、或に届く。
彼の呪は千歳の命令を受けて、真の形を取り戻す。
「命じられた、故に私は——」
或の白狐の姿が、壱に襲いかかる。
地鳴りのような一撃が封域を包み込んだ。