第103話 窮極の魔術師
城は完全に崩れ落ちて、瓦礫が地面に墜落した影響で砂煙りが舞い上がる。
どうやら、城は森の中にあったようで多くの木々が瓦礫の下敷きになってしまっていた。
魔術を使って、落下の衝撃を限界まで抑えて何とか着地に成功する。
「はぁ……はぁ、はぁ……」
相当な魔力を失ってしまった。
ダメージもかなりある。
手足が痺れている。
呼吸が整わない。
早く……早く態勢を整えろ。
魔王はすぐに攻撃してくる。
そんなことは分かっている。
だが、気持ちとは裏腹に体は一向に回復しない。
すると、瓦礫が勢いよく爆発した。
土煙の中に漆黒の魔力が渦巻くのが見えた。
すぐに魔王の姿が現れた。
渾身の力で撃ち抜いた頭部からは大量に出血している。
「お前……なんて野蛮な杖の使い方をするんだ!」
攻撃されたことよりも杖の使い方に怒りを感じているようだ。
「俺だって、こんな使い方したくなかった。だが、背に腹はかえられない。おかげでお前に一撃叩き込めた」
「なっていない! それでも魔術師か!」
「お前と同じ元宮廷魔術師から学んだ使い方だ。曰く、杖は鈍器らしい」
「何だソイツは!?」
生きて帰ったらモカに伝えよう。
その杖の使い方はやっぱりおかしいよ。だって魔王も驚いていたから、と。
「ま、まぁ、いい。それよりも随分と消耗したようだな? 私はまだまだ余裕があるぞ?」
「人から吸収してよく言う」
「これも戦略だ」
魔王が杖で円を描く。
軌道に沿って、漆黒の弾丸が出現して一気に放たれる。
俺は未だに痺れる手足を強引に動かして回避に専念する。
しかし、避け切ることが出来ない。
掠っただけでも肉が抉れて、鮮血が吹き出す。
「さっきの威勢はどうした? ほら、どんどん行くぞ」
今度は先ほどの弾丸よりは幾分か小さいつぶてが飛んでくる。
その数は軽く百を超えている。
こんなのどう対処したって当たってしまう。
「クソッ!」
魔力を絞り出して、防御壁を展開する。
直後に激しい頭痛。
マズい……相当な負担がかかっている。
一つ一つの攻撃が弱いのか、何とか防御壁で防ぐことができている。
だが、魔王が指を鳴らした瞬間。
つぶてが弾け飛ぶ。
たった一つの変化が連鎖して、大規模な爆散が起こる。
「ぐあ゛ああああああああああああ──────っ!!!」
極小の魔力の刃が全身を穿つ。
もう、どこが痛いのか分からないくらい痛い。
あまりの激痛に耐えられずに膝から崩れ落ちる。
「安心しろ。死んだら、脳だけは蘇生してやる」
漆黒の衝撃が真正面から襲いかかった。
防ぐことも出来ずにモロに喰らった。
体が一気に吹き飛ぶ。
どこまでも、どこまでも飛ばされて、樹木に叩きつけられてようやく止まった。
立ち上がろうとしても、全く体が動かない。
動け、動け、動け────。
魔王が来る。
動いて、次の攻撃に対処しないと。
あれ……?
何でこんなことしているんだ?
ああ、なんだろう……心地が良い。
さっきまで感じていた痛みが嘘のようになくなった。
何だか眠くなってきたな。
ああ……ああ……。
あ──────。
×××
気がつくと俺は真っ暗な空間にいた。
右を見ても。
左を見ても。
上を見ても。
下を見ても。
一面真っ暗だ。
凄く不思議な感覚だ。
真っ暗過ぎるから自分が立っているのか、座っているのか、寝ているのかも分からない。
ここはどこだ?
ひょっとしてあの世だったりするのか?
まぁ、あんなに強力な攻撃を喰らったから仕方ないか……。
──………………!
何か聞こえる。
──お………さ………!
それは声だ。
何もない空間で声が聞こえる。
──お……い……さ……!
聞いたことがある声だ。
この声は……。
──お兄様!
声ははっきりと像を結んだ。
その声の主を認識した瞬間に、真っ白だったはずの空間が一瞬にして変化する。
そこはあまりにも美しい森だった。
草木は煌めき、水辺は眩しいほどに輝いている。
優しい陽の光が森を温かく照らしている。
精霊の森に近い。
でも、そこよりは現実的で不思議な安心感があった。
この森……どこかで……。
「お兄様!」
小さな衝撃が体に加わる。
涙が出そうになる。
飛びついてきた少女を抱きしめた。
視線を下に向けると、そこに居たのはティナ……じゃない?
いや、見た目は物凄くティナに似ているのだが雰囲気が違う気がする。
それに背中に美しい羽が生えている。
「えっと……君は?」
「何を言っているんですか? ティナですよ」
「ティナ? でも、その羽は?」
俺が困惑していると別の声が滑り込んできた。
「随分と呆けた面をしているの」
「まー、いきなりこんな状況になったらガチ困惑っしょ」
振り返ると、ヴァリスとプネブマが居た。
二人の見た目は一切変わっていない。
強いて言うならプネブマの発光具合が若干弱くなっている。
「何で二人が……? これは一体?」
俺から離れたティナはヴァリス、プネブマの間に立つ。
「ここはお兄様の内側の世界です」
「よく分からないんだが」
「超簡単に言ったら、ちゃんルーの深層意識って感じ」
「なるほど。じゃあ、何でみんながいるんだ? それにティナの姿は?」
ヴァリスが大きな溜め息を漏らして首を横に振る。
「質問の多い奴じゃな。ここにいるワシらは貴様に付与されている加護じゃ」
「あぁ……だから、ティナは妖精っぽいのか」
こうして羽が生えたティナも可愛いな。
ああ、やっぱり俺の妹は最高だ。
出来ることなら小一時間ほど眺めていたい。
「もう、お兄様ったら。でも、お兄様が求めるならティナは何時間でも見られても構いません!」
おお、深層意識だから思考がダダ漏れだ。
「ところでどうして俺はここに来たんだ?」
「死の淵まで来ていた貴様をワシらがここに引き摺り込んだんじゃ」
「そうか。やっぱり俺は死ぬのか」
落胆の色が隠せない。
死ぬのは最悪構わないが、あの魔王を倒せなかったのは心底悔しい。
アイツは俺の家族や仲間の安寧を脅かす敵だ。
道連れでもなんでもいいから排除したかったのに……。
「ちゃんルー、まだ手はあるよ」
「えっ!?」
俺は思わず顔をあげた。
三人は手を同じ方向へと伸ばす。
すると、何もないところから巨大な扉が出現した。
「これは人間の可能性の到達点──『窮極』です」
「窮極」
「本来なら決して至れぬ領域ですが、お兄様は龍、大精霊、妖精王──複数の超常存在の加護を持つが故に踏み入れることを許可されたのです」
説明してくれるティナの表情は浮かない。
何かあるのは容易に想像できた。
「窮極に至れば、魔王すら滅ぼせるだろう。しかし、代償として貴様は死ぬ。いくらワシらの加護があっても死からは逃れられん」
「今なら生き残れる可能性はギリあるって感じ。でも、窮極に至ったら未来確定なんだわ」
「お兄様の選択をティナは尊重します。ですが……ティナは……」
涙を浮かべるティナの頭を優しく撫でる。
俺の答えは既に決まっている。
迷いなんて微塵もない。
すると、扉がゆっくりと開く。
向こう側には眩い未知が存在していた。
俺はヴァリス、プネブマ、そしてティナの顔を一人づつ見てから言う。
「今まで俺を守ってくれてありがとう」
ゆっくりと扉へと進んでいく。
その途中で心残りがあることを思い出して、再びみんなの方に体を向けた。
「なぁ、俺の言葉って本人たちに伝わるのか?」
「ティナはちょっと分かりませんけど、お二人にはしっかり届きますよ」
「そうか……」
少し言い淀んでしまう。
でも、ここで言わないと永遠に伝わらないんだ。
きっと辛い想いをさせてしまうだろう。
それでも、この気持ちは伝えておきたいんだ。
「セラフィに伝えて欲しい」
言葉を切って、大きく深呼吸してから想いを告げる。
「俺は君のことが好きだ。できることなら添い遂げたかった。でも、それは叶わない。だから、どうか幸せになって欲しい」
溢れ出た涙を拭って、俺は扉の向こう側へと足を踏み入れた。
大切な人たちの未来を守るために──。
×××
意識が覚醒した。
記憶は確かに残っている。
全身に耐えがたい痛みが継続的に続いている。
「無様な姿だ。弟の死に様を彷彿とさせる」
魔王の声がすぐ近くで聞こえた。
俺はゆっくりと立ち上がって、魔王を睨みつける。
「まだ立つ力が残っているとはな。だが、そんな体で何ができる!」
魔王の杖が振るわれ、空間が歪んで漆黒の一撃が放たれる。
俺は片手で受け止めて握り潰す。
漆黒は瞬く間に霧散する。
「…………は?」
魔王の口から素っ頓狂な声が漏れる。
さぞかし驚いただろう。
そうでなければ演出をした意味がなくなってしまう。
瞬間、全身から魔力が溢れ出る。
信じられないくらいの力が奥底から無限に湧き出てくるのを感じる。
何でもできそうな万能感が駆け巡っている。
手のひらを魔王に向ける。
瞬時に術式が展開されて、ほぼ同時に魔術が発動する。
魔王の全身が一瞬にして切り裂かれた。
「ぐうぅぅぅ!! この私が反応できなかった? そんな馬鹿な!」
不可解だと言わんばかりの叫び声をあげる魔王。
俺は両手に術式を展開しながら歩み寄る。
「お前はここで俺と共に死んでもらうぞ」
「死に損ないが! 死ぬのはお前一人だ!」
魔王が魔術を使うより早く左手の魔術行使する。
地面が勢いよく盛り上がり、魔王が宙に放り出された。
俺は跳躍して、奴の腹部に蹴りを叩き込む。
「がはっ……」
魔王が勢いよく吹っ飛び、瓦礫の山に激突する。
俺は空中を蹴って、魔王との距離を一瞬で詰めた。
右手の魔術行使。
世界が刹那の輝きを見せた直後に、鼓膜を激震させる轟音と衝撃が空間を射殺す。
魔王の何重にも展開された防御壁が最も簡単に砕かれ、雷撃をその身に喰らい絶叫をあげる。
鮮血を撒き散らしながら、魔王は杖に魔力を集中させ始めた。
「調子に乗るな、小童がぁぁぁぁぁぁ────!!!」
漆黒の魔力が一点に収束し、莫大な質量を生み出す。
それは一度放たれれば、ここら一帯を更地にできるくらいの威力だろう。
「終わりにしよう、魔王」
俺は術式を展開する。
無尽蔵に湧き出る魔力の全てをこの魔術に注ぐ。
魔力だけじゃない。
俺の想いを。
俺の願いを。
俺の祈りを。
俺の全てを込める。
「── アノ・エクリクシス」
魔王が放った漆黒の一撃。
俺が放った最大火力の一撃。
それが衝突した瞬間、世界から音が消えた。
×××
気がつくと俺は真っ白な空間にいた。
目の前には魔王がいる。
他には何もない。
「ここまでか」
諦念のこもった呟きをする魔王。
最初に対峙した時の禍々しさは消えている。
疲れ果てた老人がそこにいるだけだ。
実年齢はそこまでいっていないはずなのに。
禁術を使った代償なのだろうか。
「本当は誰かに肯定して欲しかっただけなんじゃないか?」
「何を言っている?」
「国のために魂を穢してまで戦った自分を認めて欲しかった。だが、誰も認めようとはせずに咎めた。それが辛かったから魔王軍なんて作って国と敵対した」
「馬鹿も休み休み言え。そんな下らない理由で……」
魔王は肩を落として自嘲気味に呟く。
「いや、最初はそうだったのかもしれないな」
「………………」
「やはり、お前らの系譜が心底嫌いだ」
「お前もそうだろう」
「本当に弟にそっくりだ。不愉快極まりない」
口では憎そうにいうが、表情に憎しみの色はなかった。
それどころか少し笑っているようにもみえた。
それから、魔王はゆっくりと俺に背を向けて歩き出した。
その姿は徐々に透けていって、やがて消えていった──。




