第100話 世界一幸運な女の子
ティナを救う方法。
結論から言おう。
蒼炎の九尾の希少個体ラピスラズリだ。
正確に言えば、ラピスラズリのみが持つ『不浄滅却』なる特性こそがティナを救う光明だ。
その特性を簡単に説明すると、ラピスラズリは不浄と判断したモノのみを燃やすのだ。
不浄と便宜上定義しているが、実際のところラピスラズリが何をもってして燃やすモノと燃やさないモノを判断しているのかは不明だ。
まぁ、私の愛娘が不浄認定されるなど絶対にありえないから問題ない。
ラピスラズリは転生能力を有しているためか、魂を知覚することができるらしい。
つまり、魂への攻撃も可能ということだ。
ティナの魂に取り憑いた兄の魂だけを燃やす。
そんなことも出来るかもしれない。
あくまでも可能性の話だ。
いや、もはや妄想に等しい。
そもそも、ラピスラズリを使役するという時点で不可能に近い。
蒼炎の九尾ですら、人前やダンジョンボスとして出現することは滅多にない。
希少個体となれば確率はもっと下がる。
召喚術で呼ぶとしても、触媒にラピスラズリが転生する時に落とす心臓の結晶が必要だ。
心臓の結晶化が起こるのも極稀らしく、そんな現象が起こるのかどうかも怪しいという文献もあった。
ラピスラズリは他の幻獣とは明らかに異なる存在だ。
何がと言われても説明は出来ない。
もしかしたら、全く別の場所から来訪した生命なのかもしれない。
譲渡した『幻獣使役』も意味を成さない可能性も十分にある。
長々と書いてしまったが、やはり絵空事、妄想でしかない。
一番の安全なのは兄妹が離れないことだ。
……対症療法しかできないのは悔しい限りだが。
×××
ルーファスのお父さんの手記を読んだ後のみんなの顔は鮮明に覚えている。
私だって当然驚いた。
でも、それよりも嬉しかった。
ティナちゃんを救える希望があったのだから。
ルーファスと一緒にやって来た魔王の本拠地。
とても広い。
まるでお城のよう。
でも、子どものころに想像していたお城とは全然違って、暗くてどんよりして背筋が寒くなるくらい静か。
長い廊下を駆け抜ける。
目の前にはルーファスの背中がある。
焦りや不安がひしひしと伝わってくる。
こんなにも動揺している姿を見たことは多分ない。
私は恐怖で折れそうになる心を使命感で奮い立たせる。
今までずっと助けられてきたんだ。
だから、今度は私が二人を助けるんだ。
しばらく走ると開けた空間に辿り着いた。
とても広くて気が遠くなりそう。
そこには人影が。
ルーファスは杖を構え、私も全身に力を入れる。
ラピスも九本の尾をゆらゆら揺らしながら瑠璃色の火の粉を散らす。
けど、人影の正体に気付いて驚いてしまう。
「メイナード!」
「メイナードさん!」
行方が分からなくなっていたメイナードさんが何でここにいるの?
疑問が頭に浮かぶのを感じながら倒れているメイナードさんに急いで近付く。
あちこちに傷を負っていて、かなり出血もしている。
あまりにも痛々しい姿に目を背けてしまう。
「ルーファス……セラフィ……? なぜ、ここに?」
「それはこっちのセリフだ。どうしてここにいる?」
メイナードさんは抱きかかえているルーファスの服を掴みながら今にも泣き出しそうな顔をする。
「済まない……儂のせいで済まない、ルーファス……。あの、手記を読んで、儂はとんでもないことをしたことを理解した。儂が、お前さんを勇者パーティーに推薦したばかりに……ティナが、ティナが……」
「それで責任を感じて、単独でここまで来たってことか。なんて無茶をする」
「奴を倒して、禁術を解除させようとした……。だが、遅かった……」
その時だった。
足音が聞こえてきた。
その主は最初からこの場に居たようで、暗闇の中からゆっくりと現れた。
ティナちゃん……の体を乗っ取った魔王だ。
その顔はティナちゃんが絶対にしない邪悪な笑みを浮かべていた。
「お前たち兄妹は四六時中くっついてたから、一向に主導権を奪うことができなかった。停滞の時を動かしてくれたのは他ならぬ師匠だ。なんて弟子想いなんだろうな」
うめき声を漏らすメイナードさん。
ルーファスの感情が怒りに支配されていく。
「ティナから離れろ! この変態野郎!」
「おいおい、伯父に変態野郎とは随分な物言いだな、ルーファス」
「黙れ! 俺の大切な妹を弄んだ罪、万死に値するぞ!」
ルーファスから魔力が勢いよく溢れ出す。
凄まじい威圧感。
正直、怖いと思ってしまった。
魔王は高らかに笑いながら、ルーファスに取り出したナイフを向ける。
「やれるものならやってみろ。お前はこの肉体を傷つけることができるのか?」
「────っ」
魔王の姿が消える。
次の瞬間にはルーファスの背後に出現し、蹴りを放った。
ルーファスは咄嗟にガードして、伸びきった足を掴もうとする。
けど、伸ばした手は悲しくも空を掴む。
直後、ルーファスの体が大きく仰反る。
背後に移動した魔王の一撃を受けてしまったのだ。
「この肉体の脆弱性には些か落胆したが、この『空間跳躍』は素晴らしい! ほらほら、捕らえてみろ!」
空間跳躍で縦横無尽に動き回り、死角からルーファスを攻撃し続ける魔王。
それは打撃であったり、斬撃であったり。
ルーファスは動きを捉えられずに防戦一方。
ううん、それだけじゃない。
相手がティナちゃんの体を使っているから攻撃できないんだ。
どんな理由があってもルーファスはティナちゃんを傷付けない。
だから、私が何とかしなきゃいけないんだ。
ラピスと視線を交わす。
それから、ルーファスと魔王の方へ顔を向けて──。
「ラピス、お願い!」
「キュゥ!」
かけ声に応じてくれたラピスが九本の尾の毛先を一点に合わせて、瑠璃色の炎を収束させていく。
暗黒騎士を倒した時とは違い、圧縮はせずに広範囲に攻撃が行き渡るようにする。
「何だ?」
魔王が異変に気付いた時にはもう遅い。
一気に放射された炎はルーファス諸共容赦なく飲み込む。
大丈夫だって分かっているけど、やっぱり心配にはなる。
だって、炎をその身に浴びているんだもの。
ティナちゃんにもダメージはない。
ちゃんと魔王の魂のみを攻撃してくれているはず。
だけど、
「味方すら巻き込んでの火炎とは驚いたな」
声がしたのは真後ろ。
体を捻って確認すると魔王がニヤニヤしながら立っていた。
「しかし、ルーファスにはダメージなし。なるほど、 蒼炎の九尾……蒼炎の九尾!? また随分と珍しい幻獣と契約しているな」
ラピスが尻尾で薙ぎ払う。
しかし、簡単に避けられてしまった。
「無駄だ。どんな攻撃をしようとも当たらない」
魔王は空間全体を使って空間跳躍を始める。
その攻撃はさっきより苛烈になった。
ルーファスは防御魔術で私とラピスを守ってくれている。
こうしている間にもルーファスはどんどん傷ついていく。
もう、これ以上見たくない。
ルーファスが傷つくもの、ティナちゃんが傷つけるもの。
だから、なんとかしなきゃと思えば思うほど焦りが出てくる。
どうしよう?
どうすれば攻撃を当てられる?
攻撃は何回も当てないとダメなの?
分かんない。
分かんない。
分かんないよ……。
涙が滲んでくる。
足が震えてくる。
焦りがより大きな焦りを生み出して、頭が真っ白になっていく。
「セラフィ!」
声が響いた。
それはルーファスの声だ。
ルーファスは魔王の攻撃に耐えながら、私の方を見て呟く。
「焦らなくていい。隙は必ずできる」
「────っ」
あぁ……私はまた助けられた。
何をやってるんだ。
今度は私の番だって、散々思っていたのに。
思いっきり頬を叩いた。
不安や焦りは完全に消えてはいない。
それでも一歩前に踏み出した。
×××
私は普通だ。
ルーファスみたいに凄い魔術が使える訳でもない。
ティナちゃんみたいに身体能力が高い訳でもない。
ヴァリスみたいにみんなを守れる訳でもない。
フェリシアみたいに色んなことが出来る訳でもない。
プネブマみたいに大勢の人を癒すことが出来る訳じゃない。
大した取り柄なんてない。
モンスターだってまともに倒したことない。
ラピスが力を貸してくれているから、何とかなってるだけ。
一人じゃ絶対に倒せない。
普通、どこまでも普通。
でも、自慢できることは一つだけある。
私は運が良い。
優しい両親がいる。
頼りになる仲間がいる。
心強い相棒がいる。
心の底から好きって思える人がいる。
とても恵まれている。
こんなにも幸運なことはない。
私の運の良さは神がかり的だ。
どんな不運だって、跳ね除けて幸運を引き寄せることができる。
ルーファスのお父さんが不可能だって言ってたティナちゃんを救う方法も実現できている。
幸運で条件は満たしている。
じゃあ、あと足りないのは?
私の頑張りだ。
私はやる。
大好きな人のために。
大好きな人の大切な人のために。
「ルーファス! どいて!」
私は走る。
そして、ルーファスを押しのけて、その位置で立ち止まる。
「セラフィ!?」
困惑するルーファス。
私はゆっくりと両手を広げる。
不思議と恐怖はなかった。
次の瞬間、真っ正面に魔王が現れた。
きっと来ると思った。
確証なんてこれっぽちもない。
ただの勘。
私の勘はよく当たるの。
ナイフが振り下ろされる。
ああ、ゆっくり見える。
ティナちゃんの攻撃って早すぎて一度も見えたことなかったのに。
今はちゃんと見える。
私はあえて前に踏み出して攻撃を受けた。
胸にナイフが突き刺さる。
痛い。
信じられないくらい痛い。
あまりの痛さで意識が混濁する。
でも、視線は魔王から離さない。
そのまま、ティナちゃんの体を抱きしめる。
「──捕まえたよ、ティナちゃん」
「なっ!?」
狙い撃ちなんて考えが間違いだった。
縦横無尽に動くティナちゃんを捕まえるにはただ待って受け止める。
これが正しい方法のはず……はず。
驚愕する魔王の声を無視して、ラピスに声をかけた。
「お願い! 私ごと燃やして!」
「キュゥ!」
すぐ下の床が瑠璃色に光出す。
「捕まえたからなんだというのだ? 空間跳躍を使えば脱出など……なっ、できない!? なぜ、空間跳躍ができない!?」
そして、巨大な火柱が私たちを包み込む。
間違いなく炎の中にいるのに全然熱くない。
それどころか温かい。
「ぐあああぁぁぁぁぁぁ────っ!!」
ティナちゃんに取り憑いている魔王には大ダメージを与えているみたい。
体には何も変化がないところを見るに、魂だけを確実に攻撃できてる。
そんな気がする。
「そんな……馬鹿な……。苦節十数年……ようやく、ようやく手に入れたというのに……小娘があ゛ぁぁぁぁぁぁ!!!」
炎が収まる。
ゆっくりと視線を下ろすと憑き物が取れたような表情を浮かべながら眠るティナちゃんが見えた。
やった……やった……っ。
体が一気に重くなって、立っていられなくなった。
このまま倒れたらティナちゃんを下敷きにしてしまうので必死に我慢する。
「ルーファス、私、やったよ……」
ルーファスは涙を滲ませて、私の手を握ってくれた。
あぁ、とても安心する。
「ありがとう……本当にありがとう、セラフィ」
嬉しい。
私、役に立てたんだ。
ルーファスが嬉しそうにしてくれて、私も嬉しい。
「セラフィ! 大丈夫か!? しっかりしてくれセラフィ!」
あぁ、緊張の糸が切れちゃったみたい。
何も考えられない。
なんだか、凄く眠くて……。
眠い…………。