第8話 妖精の物語
すっかり日も暮れたイルソイール家の魔法工房。こじんまりとしたその建物の前で、レティシアとアルフレッドはたき火を囲んでいた。
レティシア特製の薄味スープを口に運び、アルフレッドは表情を曇らせる。レティシアは可憐な笑顔で彼に問いかけた。
「殿下、お味はいかがですか? お口に合えばいいのですけど」
「……うん、その、何だ。お前は俺のことが嫌いなのか?」
思わず吐き出すことこそしなかったが、目に見えてげんなりとした顔でアルフレッドはスプーンを持つ手を止める。レティシアはきょとんと小首をかしげた。
「いいえ? 嫌いではありませんよ? むしろ殿下のほうがわたくしのことを嫌いなのでは?」
「えっ!?」
「だって、殿下にとってわたくしは『雑草令嬢』なのでしょう? それにどうやら、わたくしの料理を食べたくないご様子ですし……」
「うぐっ」
レティシアがわざと悲しそうな顔を作って嘆きの息を吐くと、アルフレッドはあっさりと騙されて顔を引きつらせた。そして、彼女の顔と薄味スープを交互に見比べた後、もうどうにでもなれという表情で叫んだ。
「わ、分かったよ食べる! 食べるからその誤解はやめてくれ!」
そう言うとアルフレッドは、勢いに任せてスープを機械的に口に運び始めた。幸いにも嘔吐くほどの不味さではなかったため、食事を楽しみたいという気持ちさえ押し殺せば、作業的に食べ続けることはできる。
数分後、彼はすっかり空っぽになったスープの皿を、テーブル代わりになっている丸太の上に置いた。
「……うっぷ、ごちそうさま」
「ふふ、お粗末様でした。殿下は本当にお可愛らしいですね」
「はあ?」
不機嫌そうに問い返してくる彼に、レティシアは口元に手を当てながらくすくすと笑う。今のやりとりは、ほんの少しだけ彼の言動を根に持っている彼女からのささやかな意趣返しであったが、アルフレッドは全くそれに気づいていなかった。
そのことを微笑ましく思いながら、レティシアはすっと真面目な顔になった。
「何でもありませんわ。それより……そろそろ現実に向き合ってみませんこと?」
真剣な声色になったレティシアに、アルフレッドは木のコップから水を一口飲んでから答える。
「あの妖精たちの言葉か。世界が滅ぶとかなんとか。突拍子もなさ過ぎて信じがたい話だがな」
「ですが、妖精とは人智を超えた存在ですわ。その忠告を軽んじるべきではありません」
「それはそうなんだが……」
アルフレッドは容易には信じられないという様子で顔をしかめる。
「あいつら、俺たちを見て『ぼくたちの王様』とか抜かしていたな。まさか本当に俺たちを妖精王だと思っているのか?」
「わたくしたちは王でもなければ、そもそも妖精ですらありませんのにね。彼らが誤解しているのかそれとも……わたくしたちが彼らによって王様に選ばれたとか?」
「はっ、ぞっとしない話だな。妖精に関わった人間は破滅するのがよくある物語の流れだぞ」
現実離れした話をしているという状況を笑い飛ばすように、アルフレッドは鼻を鳴らす。いまいち共感できなかったレティシアは、頬に手を当てて首をかしげた。
「あら、そうなんですの? わたくし、本当に物語には疎くて……」
「ふん! なんだお前、そんなことも知らないのか? 常識中の常識だろう!」
自分の得意分野で上に立てるという事実が嬉しくなってしまったのだろう。ニヤニヤと意地悪な顔で笑いながら、アルフレッドは勝ち誇る。レティシアはムッと顔をしかめた後、白々しい声で彼に告げた。
「うーん、ヨウセイノコシカケのことを存じ上げなかった殿下に言われたくありませんわね」
「うぐっ」
「ヨウセイノコシカケを踏んだらああなることぐらい、小さな子どもでも知っていますのに」
「ううっ……」
痛いところを突かれたアルフレッドは、悔しそうに顔をくしゃくしゃにした後、肩を落としてボソボソと言った。
「……悪かったよ、馬鹿にして」
「ふふ、分かってくださればそれでいいんです」
謝罪を素直に受け取ったレティシアは、ほんの少し意地悪な色を含んだ笑みを浮かべる。アルフレッドはやりにくそうにしながらも、彼女への説明を始めた。
「例えばこの神秘の森にも、古くから伝わる妖精の物語はある。ユニコーンという存在は物語になじみのないお前でも知っているだろう?」
「ええ、白馬に似た一角獣ですわよね。動物というより妖精に近い存在だとか」
レティシアの脳裏に浮かんだのは、神々しいオーラを纏ったしなやかな体躯の白馬だった。とても気難しい性格をしているというところまでは、レティシアも知っているが、具体的なエピソードまでは記憶にない。
アルフレッドは足下に用意してある小枝をたき火の中に放り込みながら、滔々と語り始めた。
「ああそうだ。妖精馬ユニコーンの物語は、妖精の気まぐれさと扱いづらさを象徴するような内容でな――」




