第7話 妖精たちの声
だが、俯いてしまいながら勢いよく口にしようとしたその言葉は、本棚の向こう側からの大声によって遮られた。
『妖精王様! 持ってまいりました! これをどうすればよろしいでしょうか!』
「っ……!?」
あまりの大声に驚いて、アルフレッドは思わず言葉を切ってしまう。レティシアはそんな彼の様子をあらあらと眺めてから、本棚の向こうのジュナスへと声をかけた。
「二つの植物を、世界樹の根元の穴に入れてくださいませ。くれぐれも乱暴に扱わないよう慎重に」
『は、はい!』
ジュナスは緊張した声色で答えると、二種類の植物を穴の中に入れようと近づいてきたようだった。その足音を聞きながら、アルフレッドはぶつぶつと不満を口にする。
「良いところだったのに邪魔しやがって、助けてやらなくてもいいんだぞ、くそっ……」
「殿下、話の続きはまたあとでお聞きしますから。ね?」
「む……」
幼い子どもを相手にするように宥められ、アルフレッドは見るからに拗ねていますという顔になる。レティシアはそれを見て、またくすくすと笑った。
その直後、本棚の隙間から小さな植物が二つ出現し、レティシアはそれを慎重に受け取る。
「ジュナス様、少しお待ちになって。今、調合いたしますわ」
『は、はい!』
レティシアは床に座ると、植物採集のために腰につけていたボディバッグから調合用の簡易な器具を取り出した。
そしてヨウセイノコシカケとミカゲ草、それからバッグに常備していたいくつかの材料を使って、ものの数分で目的の品を完成させた。
「完成しましたわ。森から無事に帰ったら、あなたを陥れた大臣たちにこれを壊させるのです。そうすれば妖精たちは大臣を敵だと認識します。それを利用して、大臣たちを懲らしめてくださいませ」
「……こっちは『導き石』だ。帰りたい場所を念じれば、帰り道を教えてくれる。貴重なものだから大切に使えよ!」
レティシアとアルフレッドは、本棚の向こう側へと二つのアイテムを送る。ややあって、それを受け取ることができたのか、ジュナスは喜びと感謝に満ちた声を返してきた。
『ありがとうございます、妖精王様! このご恩は忘れません! 未来永劫、あなた方を語り継ぐことをお約束します!』
それだけを言うと、ジュナスの足音は遠ざかっていった。それが全く聞こえなくなった頃、隙間が空いていた本棚にゆっくりと「フロリアース国」の歴史書が出現した。
「はぁ……これで歴史が変わらずに済んだってことだろうな」
「ええ、なんとかなって良かったですわ。……あら?」
重圧から解放された気分でレティシアがふと振り返ると、そこには白く光る靄がふわふわと浮かんでいた。靄の向こう側に見えるのは、元々自分たちがいたはずの世界樹の根元と森の風景だ。
「もしかして出口、ということかしら?」
「用が済んだら出ていけとは傲慢なことだな。褒美の一つもないとは」
アルフレッドは皮肉っぽく言うと、偉そうに鼻を鳴らす。そして、レティシアへと片手を差し出した。
「ん」
「え?」
きょとんと彼の手を見つめるレティシアに、アルフレッドは顔を真っ赤にしながらわめくように主張した。
「だから、手を繋ぐぞ! もしはぐれて離ればなれになったら困るだろうが!」
「まあ……。ふふ、そうですね。殿下がいれば心強いです」
レティシアは穏やかな笑みを浮かべたまま、彼の手に自分の手を重ねて軽く握る。アルフレッドはその手を強く握り返し、二人は一緒に白い靄の中へと飛び込んだ。
ぐるぐると目が回るような感覚がして、次の瞬間、二人は元いた場所へと放り出される。今度は着地を失敗することもなかった二人は、手を繋いだまま並んで辺りを見回した。
そびえ立つ世界樹も、周囲に立つ木の様子も、あの異空間に飛ばされる直前にいた神秘の森の風景と一致している。そして何より彼らの足下には、転移するときにレティシアが落としていった持ち物がいくつか散らばっていた。
「……戻ってこられたみたいだな」
「不思議な体験でしたわね。まさか妖精王として扱われるだなんて。ふふ、ちょっと楽しかった気もするわ」
「何をのんきなことを……。俺は二度とごめんだな。ほら、さっさと森から出て帰るぞ。そのためにお前を迎えに来たんだからな!」
流れで手を繋いだまま、アルフレッドはレティシアを先導して歩き出そうとする。しかしそんな二人の前に、人差し指ほどの大きさをした神秘的な生き物が一斉に殺到してきた。
『王様』
『ぼくたちの王様』
『帰っちゃだめ』
人型に近いもの、ふわふわの体毛に包まれたもの、トカゲのような姿のもの。それらはレティシアとアルフレッドの前に立ち塞がり、口々に主張を繰り返す。
「もしかして、妖精……?」
「いや、妖精が人の目に見えるはずが……」
思わず立ち止まり、レティシアとアルフレッドは小声で会話する。そんな二人に妖精らしきものたちはさらに詰め寄って、重々しく言い放った。
『もし帰ったら』
『世界が滅んじゃうよ』
『おしまいだ!』
『きゃーっ!』
妖精たちは衝撃的な言葉を口にすると、そのこと自体に怯えたような悲鳴を上げて、つむじ風のようにくるくると回転しながらどこかへと消えていった。
二人は、口をぽかんと開けてそれを見送る。そして数十秒かけてようやく妖精たちに言われた内容を理解したレティシアは、呆然としたまま、ぽつりと呟いた。
「世界が滅ぶ……?」
彼女の発したその言葉は、吹き抜ける風に乗って森の静寂へと消えていく。
時間と共に藍色へと移り変わり、夜の色へと近づいていく空を見上げながら、レティシアとアルフレッドは途方に暮れるしかなかった。