第61話 最後の別れ
今にも泣き出してしまいそうなその声を聞き、アルフレッドは弾かれたように彼女たちのほうを振り返る。そこには、ぐったりと脱力して倒れるレティシアと、それにすがりついて目を潤ませるソイルの姿があった。
「レティシア……!」
ユリウスは馬上から飛び降り、転がるような勢いでレティシアへと駆け寄る。遅れてハッと正気に戻ったアルフレッドも、彼に続いてレティシアのそばへと急いだ。
「レティシア! もう大丈夫だ、パパが来たぞ! 目を開けてくれ!」
服が汚れるのもいとわずに膝を突いたユリウスは、レティシアの肩を強く揺さぶって何度も彼女に呼びかける。しかしレティシアの瞼は固く閉ざされたまま、呼びかけで震えることすらしなかった。
逆側に膝を突いたアルフレッドは、必死な声色で彼女に呼びかける。
「レティシア、どうか起きてくれっ……」
彼女の手を握り込み祈るように懇願するも、やはりレティシアは身じろぎ一つしない。唯一救いなのは、彼女がまだ生きていることを証明するように、胸が呼吸で薄く上下していることだけだ。
そんな悲壮な光景を前にして、騎士たちに拘束された狩人ユギルは、突然狂ったように笑い出した。
「ひひ、はははは! 無駄無駄ぁ! そいつに使ったのは妖精を一撃で昏倒させる、お手製の毒薬なんだ! 解毒方法は俺自身も知らないがなぁ! ヒハハハハ!」
絶望的な事実を口にしながら、ユギルは騎士たちに引きずられて連行されていく。
ユリウスは呆然とそれを見送っていたが、ぐっと覚悟を決めた顔になると、レティシアの体を抱え上げようとした。
「お父君!?」
「自分は、薬草の専門家だ。レティシアを屋敷に連れ帰って、下手人に毒の精製法を聞き出して治療する!」
決意に満ちたその言葉に、アルフレッドは咄嗟に彼を制しかけていた腕をゆっくりと下ろす。レティシアを託さざるをえないのは悔しいが、自分のワガママで引き留めていてはレティシアの命が本当に消えてしまうかもしれない。
身勝手な内心を押し殺し、アルフレッドはユリウスに声をかけようとする。
しかし、そんな彼らの間に割り込む形で、小妖精たちがふわふわと近づいてきて囃しててきた。
「えーいいの?」
「人の手には余る毒だよー?」
「お前には治せない!」
「残念だったね!」
「忌々しい毒!」
悪意の滲んだ言葉を並べ、小妖精たちはくるくると飛び回る。だがその言葉をかけられた張本人であるユリウスは、一切怯まずにユリウスは静かに答えた。
「それでも、希望を捨てないことこそが人の美徳です。妖精の皆様」
その途端、小妖精たちは黙り込み、不満そうにユリウスをにらみつけ始める。ユリウスはそんな敵意を意にも介さず、レティシアの体をそっと抱え上げた。
アルフレッドは己のワガママを飲み込んでそれを見つめていたが、とうとう我慢できなくなって衝動的に言葉を発した。
「レティシアのお父君! 俺も一緒に行っていいか? 何を手伝えるかは分からないが、妖精王の力が何かに役立てられるなら……!」
だが、彼のその言葉に返事をしたのは、ユリウスではなく小妖精たちだった。
「ダメだよ」
「前の妖精王様はそうやって逃げたんだ」
「帰ってくるって言ったのに」
「帰ってこなかった」
「だからどちらかの王様は」
「森に残ってもらうよ」
「永遠に!」
純粋がゆえの邪悪さを纏って、小妖精たちは口々に宣告してくる。アルフレッドは絶望で顔を歪めながら、それを見上げることしかできない。
ユリウスはレティシアを腕の中に抱えたまま、そんな彼に歩み寄ると、真摯な眼差しで彼に告げた。
「妖精王陛下。事が終わりましたら、レティシアとの婚約の件でお話があります」
「うっ」
突然、忘れていた現実を突きつけられ、アルフレッドはぴしりと硬直する。だがユリウスはなぜかふっと纏う空気を緩めると、冗談めかした表情で言った。
「もちろんその際には当人であるレティシアも立ち合わせますよ。元気になった姿でね」
「……!」
その言葉の意味を察し、アルフレッドは目を見開いて驚いてから、重々しく頷いた。
「……ありがとう、お父君。最後に、レティシアにお別れだけ言わせてくれ」
アルフレッドは、ユリウスの腕の中にいるレティシアの手をそっと取ると、何か話しかけようと口を開きかけた。
「レティシア、俺は――、っ……」
だが、彼の口からなかなか言葉が出ることはなく、ただ音にもならない感情が引きつった吐息として漏れるばかりだ。
分かっている。小妖精たちは、弱々しい見た目に似合わず博識で老獪な存在だ。そんな彼らがはっきりと無理だと言っていることを、人の力でねじまげるのは難しいことぐらい。
ここでレティシアをこの場から連れ帰らせたら、自分にとって彼女との最後の別れになるかもしれないことぐらい。
頭では分かっていても、突如降りかかったその不条理を飲み込むことができず、アルフレッドはレティシアの手を握りしめたまま俯く。
ぽたりと、彼女の手に、アルフレッドの目からこぼれ落ちた涙がぶつかった。
その時――アルフレッドは後ろから首元に、ふわっと抱きつかれたかのような感覚に襲われた。
『あら、こんなところで諦めてしまわれるの?』
「……え?」
次の瞬間、アルフレッドの首に掛かった魔法石が光り輝き、彼の目の前に顔の見えない少女が姿を現した。
「お前は――」




