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第56話 ハッピーエンドを夢見る者

「――レティシアっ!」


 光の中に吸い込まれたアルフレッドは、今自分を突き飛ばしたレティシアがいたはずの方向に手を伸ばしながら、まるで何かに引きずり込まれるかのように、一直線にどこかへと落ちていく。


 数秒にも数分にも感じる情報の奔流に溺れるような時間の後、アルフレッドが放り出されたのは図書館の片隅だった。


 勢いよくはじき出されたアルフレッドは仰向けで落下し、咄嗟に庇う形で抱え込んでいたソイルが、彼の上にのしかかって倒れ込む。


「うぐっ」


「うぅ、王様……?」


 その衝撃で目を覚ましたのか、うわごとのように言葉を発したソイルに、アルフレッドは慌てて体を起こして彼女と視線を合わせる。


「ソイル、怪我はないか? 痛いところは?」


「ん、大丈夫……でもまだ眠くて、からだ重い……」


 半分寝ぼけているような顔で体をふらつかせる彼女を抱き上げながら、アルフレッドは焦燥に駆られた顔で立ち上がる。


 レティシアは俺たちを突き飛ばして、一人だけあの場に残った。きっと、俺たちだけを逃がして、全てを自分で解決しようとするために。そして、レティシアの言葉から察するにその解決法は恐らく、彼女を犠牲とするもので――


「とにかく、元いた場所に戻らないと……!」


 焦りでぐちゃぐちゃになりそうな思考をなんとか奮い立たせ、アルフレッドはレティシアに託された魔法石に魔力を込めようとする。


 これで戻れる確証はないが、試してみるしかない。


 しかしその時、背後から彼のことを呼ぶ人物がいた。


「――アルフレッド殿下」


「え……?」


 聞き覚えのある柔らかな女性の声に、アルフレッドは目を丸くしながら振り返る。そこにいたのは、つい先ほどまで一緒に行動していた令嬢――レティシアが柔らかく微笑んでいる姿だった。


 だが奇妙なことに、アルフレッドには彼女の顔がはっきりと視認できずにいた。まるで水彩でぼかしたかのように彼女の顔はぼやけており、だというのに『柔らかく微笑んでいる』という情報だけはなぜか頭で理解できている。


 そんな違和感をまとった令嬢を前にして、アルフレッドはソイルをしっかり抱きしめながら、身構えて彼女を警戒する。


「お前、レティシアじゃないな。何者だ」


「ふふ。嫌ですわ、殿下。わたくしも、れっきとした『レティシア』ですわよ?」


 明らかに怪しまれているというのに、彼女の纏っている余裕は崩れなかった。その反応を見てさらに警戒を強めるアルフレッドに、彼女は軽く両手でスカートをつまんで一礼する。


「わたくしは、殿下を失った世界のレティシア。貴方を失わない世界を探して、世界樹の中を彷徨う者」


 優雅な所作で言う彼女に、アルフレッドはその言葉の意味を必死で咀嚼しようとしながら、彼女をにらみつける。彼女は顔を上げるとアルフレッドにゆっくりと歩み寄りながら、歌うように告げた。


「そして貴方は、ここで死なない未来を勝ち取ったアルフレッド殿下。わたくしは、貴方のことをずっと探して旅をしてきたのです。やっとお会いできて、本当に嬉しい……!」


 触れるほどまでに接近され、アルフレッドは硬直したまま彼女の顔を見る。相変わらずその表情を見ることはできなかったが、感激で涙ぐんでいるという情報だけははっきりと伝わってきた。


 彼女の言葉をそのまま受け取るなら、彼女はアルフレッドの死を認められずに、世界樹を利用して何度も未来を書き換えようとしているということになる。


 そしてそのたびに失敗して、アルフレッドを失ってきたのだろうことは、声色からひしひしと伝わってきた。


 彼女はこちらの手をそっと取ると、うっとりと夢を見るかのように提案した。


「殿下。どうかわたくしと一緒にやりなおしましょう? わたくしと一緒に、貴方のいた世界に戻って、騒ぎを解決するのです。そうすれば、わたくしたちは幸せな未来にようやく辿り着いて――」


 熱を込めて語り続ける彼女に呆気にとられていたアルフレッドは、ふとあることに気付いて、ぞわりと肌を粟立たせる。混乱する思考が氷に触れたように冷えて冴え渡り、彼女の言葉の裏にある本当の意味を理解する。


 彼女はそんなアルフレッドの変化に気付かず、蕩けるような声で彼に問いかけようとした。


「ねぇ、殿下。わたくしと一緒に幸せに――」


「……もしお前の言葉に従ったら、俺の世界のレティシアはどうなる」


 端的なアルフレッドの問いかけに、彼女は黙り込んだ。これまでまくしたててきた様子が嘘のようなその沈黙に、アルフレッドは彼女の手を振り払って後ずさる。 


「まさか、このまま見殺しにして、あいつに成り代わるつもりか?」


 警戒もあらわに問い詰めるアルフレッドに、彼女はすぐに答えなかった。


 その代わりに彼女は、威嚇をする小動物のような面持ちでにらみつけてくるアルフレッドをじっと眺めた後、一歩踏み出しながら口を開く。


「殿下。わたくしもレティシアです。貴方が不器用な愛を抱いて、拒絶し、神秘の森まで必死に追いかけてきたレティシア・イルソイールです。どうしてわたくしではダメなのですか? わたくしも貴方のレティシアなのに」


「っ……」


 懇願するような声色で訴えてくる彼女に、アルフレッドは言葉に詰まった後――、さらに距離を詰めてこようとする彼女を正面から拒絶した。


「お前は、俺の知るレティシアじゃない。俺の愛したレティシアは、俺とこの子のことを体を張って逃がしてくれた、優しくて強い彼女一人だけだ」


 真摯な眼差しではっきりと宣言したアルフレッドに、彼女は歩みを止めて、怒りと絶望がないまぜになった表情を浮かべたようだった。


 だがその激しく恐ろしい感情が吐き出されるよりも前に、アルフレッドは申し訳なさそうに目をそらしながら付け加える。


「……でも、いつかお前の望みがかなうことは祈っている。俺はお前に幸せを与えられないが、その気持ちだけは本当だよ、レティシアによく似たレティシア」


 本気で悲しんでいるが、本気で拒絶している。そんな一見すると相反するように思える態度を取られ、彼女は何か言いたそうになるのを何度も飲み込んだ後、諦めたように肩を落とした。


「貴方は本当に、ずるい方です。子どもっぽくて、素直じゃなくて、大切なものを守るために別の何かを切り捨てることができて――それなのに、切り捨てた相手のことを気遣ってしまう、優しくてずるい方」


 ぽつぽつと小声で恨み言を並べられ、アルフレッドは気まずい思いで俯く。しかし、そこから続いた彼女の言葉はどこか爽やかな色をはらんだものだった。


「――だけど、そんな貴方だからこそ、わたくしは貴方のことが好きになったのです」


 それまで纏っていたドロドロとした重い感情が霧散し、彼女は寂しそうに笑っているように見えた。その姿が自分のよく知るレティシアに重なってしまい、思わずアルフレッドは彼女のことを呼ぼうと口を開きかける。


「レティ――」


「……名は呼ばないで。あなたの声は歴史を紡ぐもの。逸れかけた歴史を収束させるもの。わたくしをレティシアと認識してはいけません」


 彼女はそっとアルフレッドの唇を指で閉じさせ、彼が黙ったのを確認してから、彼が首にかけている魔法石へと手をかざした。


「わたくしのものにならない貴方にはもう用はありません。どうぞ速やかにお帰りくださいませ」


 興味を失ったという声色で突き放すように言いながら、彼女は魔法石に魔力を注ぎ込む。するとアルフレッドの周りがぼんやりと光を放ち始めた。


 外に続く門を開こうとしているのだ。そう察したアルフレッドは腕の中のソイルを放さないようにしっかりと抱き直し、彼女に何か声をかけようと顔を上げる。


 だがその前にアルフレッドの視界は光に包まれ、彼の体はどこかに向かって狭間の中を押し流され始めた。


「……最後に少しだけヒントを差し上げましょう。わたくしの愛した『貴方のあり方』を示していただいたお礼です」


 遙か遠くで小さく彼女の声が聞こえ、その直後に狭間の世界に吹き荒れる記録の中から、とある光景が浮かび上がる。




 昔々、とある妖精がいました。


 その妖精は、ユニコーンと人の愛がもたらしたすれ違いの悲劇を見て、自分も人と愛を育みたいと思いました。


 劇的な大恋愛の末、妖精は人との間に娘をもうけましたが、『恋愛』ができて満足した妖精は、その人間と娘を捨ててしまいました。


 その後、娘は、妖精と人間の子であることを隠して生きていき――




 誰かによって物語を読み聞かせられているかのような感覚と同時に、その話の登場人物である娘の顔をアルフレッドは視認した。


「あれは、まさか――」


 だが、それを確信するより前に、吹き荒れる記録の波に呑まれて、アルフレッドと彼に抱えられたソイルは、濁流のごとき空間を押し流されていく。


 そして、その最中にアルフレッドの意識は、ふっと途切れてしまい、次に彼の目を覚まさせたのは、必死に呼びかけてくる二人の声だった。

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