第54話 迫り来る追っ手
ラクシャ村の狩人、ユギルは全身に冷や汗をかきながら目の前の惨状を見つめていた。
「魔王を許すな!」
「自分で身を守ってやる!」
「殺される前に殺せーっ!」
過激な言葉を口々に叫んでいるのは、ラクシャ村の老人たちだけではない。半分以上が近隣に存在する村々から自主的に集まった村人たちだ。
彼らはラクシャ村よりも森に近い位置に住んでいるので、数十年に一度森から現れる怪物の被害も、直接的に受けている。
それゆえに彼らの中に巣くった怪物への恐怖が、ラクシャ村からの呼びかけで爆発したのだろう。
徐々に暮れゆく世界は淡く優しい薄暗さに包まれていく。だが村人たちが手に持った松明がそれを無遠慮に照らしていた。
とんでもないことになった。ここまで大事にするつもりじゃなかったのに、どうしてこんなことに。あいつらまさか、神秘の森に火を放って焼き尽くすつもりじゃないだろうな!?
「ユギル! 言い出しっぺのお前から皆に一言激励してやってくれ!」
「えっ」
急に話を振られて、ユギルはハッと正気を取り戻す。いつの間にか討伐参加者たちは、ユギルのほうをじっと見つめていた。
そこから感じるプレッシャーでがくがくと震えてしまいながら、ユギルは右手に持った農具を天に掲げた。
「ぜっ、絶対に魔王を討ち倒すぞ!」
「うおおおお!!」
彼らは一斉に雄叫びを上げ、焦りに満ちたユギルの内心とは裏腹に、正義に燃えた眼差しで森への進軍を開始した。
高らかに歌を歌って己を鼓舞しながら、本来は禁域である森の中を村の男達は分け入っていく。
普段の彼らであれば一歩足を踏み入れただけで、この森は立ち入ってはならない異質な場所であると本能的に察することができただろう。
だが、高揚感に酔いしれている今の彼らはそれに気づくことなく、淡い魔力の立ち込めた森を無遠慮に踏み荒らしていく。
そんな集団の最後尾で、ユギルだけは恐怖からキョロキョロとせわしなく視線を動かしていた。
くそっ、こうなったら一刻も早くあのガキどもを見つけて口封じしてやる。妖精はこっちから刺激しなければ、怒りを買うことはないんだから――
しかしその時、ちょうどユギルの隣を歩いていた男たちが何気なく話し始めた。
「しっかし薄暗くて不気味なだけで普通の森だな! 妖精なんてホントにいるのかぁ?」
「ははは! 言えてるな! 妖精なんて結局、臆病者が見間違えただけのただのデタラメなんじゃないか?」
「やーい妖精ども! 本当にいるなら姿を見せてみろよー!」
「だはは! いるわけねぇって!」
二人の男の下衆な笑い声は、静まりきった森の奥へと何度も反響しながら吸い込まれていった。
数秒の後。村の男達の頭上を取り囲むように、何かが出現した。
夜の虫のように翅を震わせる音と、頭上の木々の合間から光る無数の瞳。
それらは男たちを明確に敵として認識しており、威嚇の音を立てながら襲いかかるべき瞬間を今か今かと待ち構えている。
呑気な会話をしていた男たちもその異変に気づいたようで、立ち止まって頭上からの敵意の視線を見回した。
「な、なんだ!? まさか妖精か!?」
「やんのかこらぁ!」
松明を振り回して、喧嘩を売ろうとする男をユギルは慌てて諌める。
「待て、手を出すんじゃない!」
ユギルはもう何年も神秘の森で小妖精を狩ってきたが、それは先人の知恵を把握した上で行動してきたからできたことだ。
小妖精は一匹だけはぐれた個体を狩らなければならない。
そして、集団でいる時は絶対に喧嘩を売ってはならない。
小妖精は単体かつ不意打ちならば、か弱い生き物だ。だが一撃で仕留め損ねると仲間を呼ばれて、まるで蜂の巣を壊そうとした不埒者に対する蜂のように、あっという間に取り囲まれて嬲り殺されてしまう。
だがユギルが不運だったのは、彼以外その場の誰も、その教訓を知らなかったことだ。
「よ、妖精様が俺たちを攻撃するはずない! これはただの魔物だ! 退治してやるっ!」
「撃てーっ!」
弓に矢をつがえて、村人たちは敵がいるであろう頭上に闇雲に矢を射かける。当然その矢が小妖精たちに当たることはなかったが、それは小妖精たちに対する宣戦布告としては十分すぎた。
彼らは目には見えない姿のまま、村の男達に襲いかかると、その体に噛みつき、爪を立てる。
「う、うわぁあ!」
「ひぃぃぃ!」
まるで毒虫に囲まれたかのような状況に、彼らは一気にパニック状態に陥った。
「いだいいだいっ!」
「うぎゃああ!」
「ごめんなさいごめんなさいっ!」
悲鳴と謝罪が鳴り響く中、咄嗟に地面に伏せていたユギルがふと顔を上げると、とある男が手に持った松明を振り回しているのが視界に入った。
「来るなっ! このっ! これでもくらえっ!」
やけくそになった彼は松明を小妖精たちに投げつける。その一撃は小妖精たちに当たることはなかったが、代わりに最悪の事態を招く結果になった。
「――!」
「――、――――!?」
「――――!」
炎に怯んだのか聞き取れない言語で叫びながら、小妖精たちはつむじ風のように逃げ去っていく。
その風に煽られて地面に落ちた松明の炎は森の草木へと燃え移り、全ての小妖精たちが撤退した頃には、取り返しのつかないほど火の手は広がってしまっていた。
「た、助かったのか……?」
「妖精を怒らせたんじゃ」
「それより帰り道が炎で塞がれてる!」
「ユギル、どうする!?」
「えっ」
急に重要な決断を任されたユギルは、信頼の目でこちらを見てくる村人たちを見回す。
もう後戻りはできない。とにかく俺以外の誰かが魔王を倒せばいいんだ。そいつに責任を全部押し付ければ、きっと今の俺の行動の罪も有耶無耶になるはずだ。
引き攣りそうになる喉を必死で震わせて、ユギルは声を張り上げた。
「ぜ、前進だ! 後ろは火の海だぞ! これもきっと魔王の仕業に決まっている! 魔王を殺せーっ!」




