閑話 一方、時間は少し遡る(後)
促されるままユリウスは、カーチスともう一人が座るソファの向かい側のソファへと腰掛ける。警戒心もあらわに静かににらみつけてくるユリウスに、カーチスは余裕の笑みを向けた。
「何の用か、だなんて貴方にはもう分かっているんじゃないか?」
「一体何のことでしょう。皆目見当もつきませんな」
無駄かもしれないとは思いつつ、ユリウスはしらばっくれる。恐らく、隠密を目撃したという事実はあれど、確たる証拠はないのだ。ならば、ここで素直に罪を認めて主導権を渡してやる必要はない。
二人はそのままの姿勢で沈黙し、しばらくの間にらみ合っていたが、不意にカーチスはぱんっと手を叩いてその緊張を一瞬で捨て去った。
「イルソイール伯。腹の探り合いはこれぐらいにしようか。私としてもまどろっこしい駆け引きをしている場合ではないのでね」
カーチスはにやりと笑むと、背もたれに体を預けながら余裕たっぷりに話を切り出した。
「単刀直入に聞く。神秘の森に、レティシア嬢を隠したというのは本当か?」
ユリウスはぴくりと目の端を引きつらせた後、怨念を吐き出すかのような重い声で憎々しげに答える。
「貴方の弟君からレティシアを守るためです。事情は貴方もお聞きになったでしょう?」
「ああ、アルフレッドが癇癪を起こしてレティシアと婚約破棄をした件だろう? それについては我が弟が申し訳ないことをした。だが、アルフレッドはそれから男気を見せる行動に出てね」
「……男気を見せる?」
何を指して言われているのか検討もつかず、ユリウスは眉を寄せる。カーチスは悪戯っ子のような悪い笑みを浮かべた。
「実はね。アルフレッドはレティシア嬢が行方知れずになった直後、彼女を追いかけて出奔したんだ。恐らく今頃は、神秘の森で二人暮らしをしているんじゃないかな?」
「……………は?」
彼が言った内容を理解できず、ユリウスは間抜けな顔をしたまま動きを止める。その後、数秒経ち、数十秒経ち、ようやくその言葉の意味するところを理解した彼は、慌てて立ち上がって部屋から出ていこうとした。
「レティシアっ……!」
愛しい娘の名前を呼びながら、衝動的に飛び出そうとするユリウスの前に、カーチスの隣に座っていた彼の従者、ユーリが割って入って道を塞ぐ。行く手を阻まれた形になったユリウスは文句を言おうと口を開いたが、それより先にぱんぱんと手を叩いてカーチスは彼に語りかけた。
「まあ、待ちなさい。肝心な話はここからだ」
悠然とソファに腰掛けたまま話し始めるカーチスに、ユリウスは顔を歪めて悔しそうな表情になる。カーチスは心底愉快そうに目を細めながら、白々しい声を作った。
「神秘の森の怪物が活性化しているというのは、数刻前に貴方も知ったところだと思うが……」
暗に、隠密を送り込んだのがこの家だと指摘するその台詞に、ユリウスは肯定も否定もできずに黙り込む。カーチスは膝の上で指を組んで、わざとらしく憂いの息を吐いた。
「王家として何も対処をしないわけにはいかなくてね。王家直属の討伐隊を向かわせようと思うんだ」
「なっ……!」
思いもしなかった方向から最悪の事態が近づいていると察し、ユリウスは絶句する。
神秘の森の怪物の正体は、森の変化によって活性化した妖精だ。それを討伐しようものなら、下手をすればこの国そのものが神秘の森の妖精全てと敵対する形になりかねない。
どうする。怪物の正体を今ここで開示するか? いや、今代の国王は、国力増強のためなら古いしきたりを廃止するような強硬派だ。
今、怪物の正体が妖精であり、妖精が人に害を為してきたのだと第一王子であるカーチスに伝えてしまえば、いずれは間違いなく国王の耳に入ることになるだろう。そうなったら最後、国王が妖精そのものを敵と認識してしまう可能性も――
焦りと動揺で俯くユリウスに、事情を知らないカーチスは朗らかに提案する。
「イルソイール家はその怪物について詳しいという噂だろう? そこで、貴方にも討伐隊に同行してもらいたいんだよ」
「……は?」
「専門家の貴方がいれば心強い。それに上手くいけば、アルフレッドとレティシア嬢を引き離すこともできるかもしれないしな。どうだ? 貴方にとっても悪くない話だろう?」
爽やかに提案するカーチスに、ユリウスは顔を上げて表情を強ばらせる。
カーチスの思惑は分からない。だが、どちらにせよ怪物を討伐などされては困る。この提案は渡りに船というものだろう。
ユリウスは人知れず覚悟を決めると、余裕に満ちたカーチスへと真っ直ぐ向き合った。
「……分かりました。すぐに出立の準備を整えます」
*
数十分後、イルソイール家の邸宅を後にしたカーチスとユーリは、向かい合って馬車に揺られていた。
ユーリは自分にかけられていた変身魔法を解きながら、カーチスへと話しかける。
「見事な手はずですね。警戒心の塊と名高い植物伯爵を言いくるめるとは」
「ははは、これでも生まれてこの方、権謀術数の荒波に揉まれ続けているのでね。……それはそれとして、植物伯爵ニは他にも気がかりなことがあるようだが」
ユリウスの変化にめざとく気がついていたカーチスは一瞬思案する顔になったが、すぐにころりと上機嫌な表情へと戻った。
アルフレッドの結婚に一番反対しているのはユリウスだ。そんな彼に、自分はレティシアをしっかり守れる格好良い男なのだとアピールできれば、結婚の未来はきっと近づくだろう。カーチスが今回整えたのは、そのための舞台だ。
「さてと、私にできる手助けはこれぐらいか。あとはアルフレッド次第だな」
鼻歌でも歌うように軽やかに言うカーチスに、ユーリは呆れたような苦笑を向けていた。
明日から第一部最終章です!
どうぞよろしくお願いします!
 




