第44話 製紙魔法
「ウぅぅぅアグァアアアアルル!」
そこにいたのは、完全に理性を失った木の怪物だった。小柄な少女の姿をしていたはずのその体は、成人男性二人分以上の体躯に膨れ上がり、両腕も大木の幹ほどの太さになっている。
追いついた三人に、それがアルラウネのなれの果ての姿だと分かったのは、残り僅かな理性に縋って、目の前の獲物に襲いかかろうとするのを耐えている姿がゆえだった。
「ひぃぃぃぃ! お助けぇ!」
アルラウネの目の前には、一人の男が腰を抜かしていた。弓矢を背負っていることから察するに、狩人なのだろう。
遠目でそれを確認したアルフレッドは、怪訝な顔をする。
「妙だな。この地は立入禁止の禁猟区でもあるはずだが」
ぼそりと呟かれた彼の言葉に、走る速度を一切緩めないままアーシェは声を張り上げる。
「いぶかしんでいる暇はありません! 突っ込みますよ!」
「あ、ああ!」
その直後、地面を強く蹴ったアーシェの馬体は大きく跳躍し、一飛びでアルラウネと狩人の間に到達した。
怪物からの視線を遮るように急に目の前に出現した巨大な白馬に、狩人は驚愕と恐怖で混乱しながら、慌てて逃げ去っていく。
「ひ、ひぇぇぇ! 化け物だぁ!」
そのまま周囲の草むらに倒れ込んで身を隠した狩人を一瞥し、アーシェは忌々しそうに吐き捨てる。
「……失礼な方ですね。折角助けて差し上げたというのに。まあ、彼のために助けに入ったわけではありませんが」
背後の狩人を警戒しながら口の中で独りごちるアーシェをよそに、レティシアたちは声を張り上げてアルラウネに呼びかけた。
「アルラウネさん!」
「俺たちだ! 正気に戻ってくれ!」
「う、あ……おう、さ、ま……?」
アルラウネは顔を上げ、その瞳に理性の光がほのかに灯りかける。しかしすぐにその光は消え失せると、彼女は大樹のごとき腕で頭を抑えながら苦しみ始めた。
「うぅ、あ、まりょくっ……おうさま、やだっ……」
己の中の衝動に抵抗するアルラウネを確認し、アーシェは二人を乗せたまま、一旦彼女から距離を取った。そして、レティシアだけを地面に下ろすと、アルラウネへと向き直る。
「手はず通り、わたくしはここで固有魔法と製紙魔法をかけますわ!」
「俺たちは陽動しながら、お前を攻撃から守る! 行くぞ、アーシェ!」
「命令はやめてほしいですねぇ、ヒヒン!」
アルフレッドの呼びかけに軽口で返し、アーシェは蹄を鳴らしながらアルラウネの近くへと駆けていく。同時に、レティシアの固有魔法が発動し、アルラウネの体が波打つように動いた。
「ア、ァ、まりょく、からだ、あつい……ああっ!」
突然流し込まれた生長の力に怯えるように、アルラウネは身もだえをした後、その原因であるレティシアを視界に入れて、そちらに腕を突き出した。
「あつい、あついっ! おまえ、かっ……!」
伸ばされた腕はまるで鞭のようにしなってレティシアへと迫る。アルフレッドはアーシェに乗ったまま、それを防御魔法で受け止めた。
勢いよく防御魔法に激突した木の腕は、パラパラと木片となって辺りに飛び散る。それを確認し、アーシェはアルラウネをにらみつけて声を張り上げる。
「こっちだ、アルラウネ! 狙うなら俺たちを狙え!」
「多分、私たちのほうが食いでがありますよ、ヒヒン!」
軽口を叩きながらもアーシェは再び高らかに蹄を鳴らしながら走り始める。絶えずアルラウネの視界に入り続けるように動き回っているのが功を奏して、彼女の狙いは完全にアーシェとアルフレッドに向いていた。
「まりょく、魔力、まりょくっ、よこせぇぇっ……!」
伸縮する木の腕によって何度も攻撃が繰り出され、そのたびにアーシェは軽やかにそれを避ける。時折避けきれなかった攻撃はアルフレッドの防御魔法が受け止める。
だが、いくら戦ってもあちらの力が尽きる気配は見えず、アルフレッドたちの体力が先に尽きようとしていた。
「っぐ……! レティシア、まだか!?」
「もう少しですわ! 時間を稼いでくださいっ……!」
レティシアは攻撃によってはじけた木片を集め、それに製紙魔法をかけていた。
製紙魔法は魔法と名はついているが、その実態はレティシアの曾祖父が発明した製紙技術を、魔法で効率化し早送りできるようにしたものでしかない。
それゆえに魔法が使えない民でも時間をかけて手順を正しく踏めば再現可能な発明であったが、単純であるがゆえにこの魔法の行使には多大な集中力を要する。
木片から繊維を抽出し、その繊維を縦横に組み上げて紙の形に固定する。言葉にすればそれだけのものだが、熟練した技術がなければまともな紙は生成できない。
屋外で、平らな台もなく、魔力が荒れ狂っている場所。
そんな最悪の条件でレティシアは製紙魔法を行使し続け――ようやくアルラウネの一部を使った紙は完成した。
魔法によって光り輝いていたレティシアの手元から光が消えたことを確認し、アルフレッドはアーシェを駆ってレティシアのもとへと近づく。
「レティシア、できたのか!?」
「はい。ですが――」
レティシアの手元にあるのは、たった一枚の紙だった。彼女は悔しそうに顔を伏せて、紙を持つ手に力を込める。
「あれだけの木片では、一枚しか生成することができず――」
「そんな……」
攻防によってアルラウネの木片はあちらこちらに飛び散っている。だが、物語を綴るほどの量の木片を拾い集めて製紙していては、こちらの体力のほうが先に尽きてしまうだろう。
アルフレッドはアーシェから降りると、レティシアから紙を受け取った。
「こうなったら、この一枚で物語を記すしか――」
悲壮な決意を固め、アルフレッドは獰猛な眼差しをこちらに向けるアルラウネへと視線を向ける。
しかし、その時――彼の胸元がぼんやりとした光を放ち始めた。




