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第43話 掴みかけた光明

 獣道すら無視して不安定な地面を突っ切り、アーシェはアルラウネが今いるであろう場所に向けて、風のような速さで駆けていく。


 当然、その背中にしがみついている二人にはその振動が直接伝わる。アルフレッドは、自分の前に座るレティシアが落ちないように全身で押さえつけながら、悲鳴じみた声でアーシェに問いかけた。


「アーシェ! さっきお前『あの子のためだけの物語』がどうとか言っていたが、その説明をしてもらうぞ!」


「……こちらは全速力なのですがっ、仕方ありませんねぇ!」


 息を切らしながらもアーシェは向かい風で掻き消えないほどの声量で叫ぶ。


「ただアルラウネの物語を作るだけでは、あの子のあり方を変えるのは難しいということですよ! アルラウネという種族そのものは、私のようにあり方が固定されていますので!」


 アーシェは一切走る速度を緩めずに説明する。レティシアもまた叫ぶようにして彼に尋ねた。


「ア、アルラウネという種族全体ではなく、『あの子』という個体の物語でなければならないということですの? きゃっ!」


「危ないっ!」


 急にスピードを落とされ、レティシアは馬体から振り落とされそうになる。咄嗟にアルフレッドが腕で彼女を庇い、レティシアは落下の危機から免れた。


「ありがとうございます、殿下……。アーシェさん、急に止まってどうなさったんですの?」


「先ほどアルラウネの咆哮が聞こえてきたのはこの辺りのはずですが……。どうやらすでに移動してしまったようですね」


 蹄を鳴らしながらアーシェは歩き回ったが、彼の言葉通りアルラウネの姿は周囲には見当たらない。アルフレッドたちもそれを確認し、難しい顔で考え込む。


「もうこの辺りにはいないのか……?」


「どこを目指しているかが分かれば、先回りもできるのですけれど……」


 ゆっくりと吹き抜ける風が木々を揺らし、ざあっと不吉な音を立てる。アーシェは耳をぴくぴくと動かして手がかりを探っていたが、結局何も見つからないまま足を動かし始めた。


「……仕方ありません。森の外に向かっていると仮定して、痕跡を探りながら進みましょう」


「ああ」


「そうするしかなさそうですわね」


 二人もアーシェに同意して、周囲に手がかりがないか気を配りながら、作戦の続きを話し始める。


「アーシェ、先程の質問のことだが……」


「物語の件ですね。レティシア様が仰っていた通りです。あの子を助けるには『あの子』という個体の物語が必要となる。もっとも、その物語をどうやってあの子に定着させるのかという第二の問題もありますが」


 やや複雑な内容になってきた話題に、レティシアは前のめりに食いつく。


「わたくしもそこが気になっていたんですの。先ほどアーシェさんは、軽口程度なら問題ないと仰っていましたわよね。つまり、軽口ではない方法であり方を変える策があるんですの?」


 問いかけられたアーシェは少し黙った後、心なしか自信なさげに答える。


「妖精王が記録して、語り聞かせる。存在のあり方を書き換えたとされる大昔の妖精王が使った手段です」


 ぼんやりとした答えに、アルフレッドはさらに突っ込もうと思考を巡らせてから言葉を発する。


「記録というと……、物語を紙に文字で書き記すということか?」


「ええ。大昔の妖精王は、世界樹の中に収められた歴史書に書き込んだ――という話は妖精たちから聞いたことがあります。歴史に関わることは避けてきたので、残念ながら詳しくは分かりませんが。ヒヒン」


 アーシェの蹄が段差に乗り上げ、アルフレッドたちの体が揺れる。ややあって、アルフレッドはとある事実に気付いた。


「待て。それじゃあ俺たちは世界樹に行くべきだったんじゃないか? ……いや、向こう側に行ったとしても、すぐに戻ってこられるとは限らないのか……」


 今まで自分たちが世界樹に潜った時、戻ってくることができたのは少なくとも数刻は後のことだ。そんな場所に行っても、今まさにアルラウネに迫っている悲劇を止められるとは思えない。


 アルフレッドがその結論に至ったことを察し、アーシェはちらりと背中の上のアルフレッドを見た。


「そういうことです。私たちには時間がない。だから、物語を記録して語るための代替案を考える必要があるんです」


 彼の告げた現実に、アルフレッドは自然と、懐の中に収めた自分の本に服の上から触れていた。この本に物語を記してそれで解決するのであればよかったが、これは、物語を書くために貰っただけのただの本だ。


 製本も手作りでほとんど紙を束ねただけのようなこの本に、そんな力があるわけもない。


 思考に行き詰まってアルフレッドは黙りこくる。その時、アルフレッドたちの会話を聞きながら考え込んでいたレティシアは、不意に声を上げた。


「お二人とも。わたくし、ずっと不思議に思っていたことがあるのですが――世界樹の図書館に収蔵された本は、何でできているのでしょう」


 素朴な疑問のような口調で発せられたその問いかけに、アルフレッドは戸惑いながらも答える。


「何って、世界樹の魔法で生成されたものじゃないのか?」


「そうかもしれません。ただわたくしは……あの本も世界樹の一部なのではと思うのです」


「世界樹の一部……」


 自分たちには無かった視点で語り始めるレティシアに、アルフレッドたちは真剣な面持ちで聞き入る。レティシアはまるで生徒に教える教師のような顔で口を動かし続けた。


「人と血液の関係のようなものです。血液を作り出すのは人の体ですが、血液は人の一部でしょう? だから、世界樹の本を再現するのであれば、世界樹を材料に使うのが良いと思うのです」


 世界樹を本の材料にする。


 意味を全く察することができない不思議な言葉に、アルフレッドとアーシェは揃って困り果てる。レティシアはそんな二人に明るく問いかけた。


「お二人は、紙が何でできているかご存じですか?」


「何って動物の皮だろう? 羊皮紙というぐらいなんだから」


「ええ、遠い昔から紙といえば羊皮紙を指しますね」


 当たり前のことを問われた二人は、素直に返答する。だが、レティシアは前向きな光を目に宿したまま説明を始めた。


「貴族が触れるような長期間の保存を前提とした上製本に使われているのはそうです。ですが、わたくしの曾祖父が樹木を元にした紙を作り出す製紙魔法を発明したのをきっかけに最近は事情が変わっているのです」


「事情が変わった?」


「ええ。今、市井で使われている紙とは、木を原料とした安価な紙を指すのです。経年劣化には弱いですが、大量生産には向いていますからね。見たところ、殿下がいつも懐に入れていらっしゃるあの本の材料も木だと思いますわ」


 急に自分の持ち物を話題に出され、アルフレッドは自然と胸に手を当てる。服の内側に、大切なあの本が収まっている感触が手のひらに伝わってきた。


「それを発明した功績もあって、我が一族は今の地位を築き上げたわけですが――もし、世界樹を使った紙で本を作ることができたなら、物語を記すのに相応しいものになるのではないか、と思うのです!」


 自慢げに語り終わったレティシアは、我ながら名案を思いついたという顔で胸を張る。しかしそんな彼女の感情がぬか喜びであることを、アーシェは言いづらそうに伝えた。


「ですが、レティシア様。今から世界樹まで戻っていては間に合わないかもしれません。ヒヒン」


「あっ」


 完璧な理屈で答えを導き出したと思っていたレティシアは、しょんぼりと肩を落とす。アルフレッドはそれを見ながら、フォローと相づちを打とうとして、とあることに気がついた。


「ああ、論理的な話だが現実で打てる策では……いや、そうか。何とかなるかもしれないぞ、レティシア!」


 ぱあっと目を輝かせて、アルフレッドは自分の前に座るレティシアの手を取る。


「アルラウネは世界樹の若木なんだ。彼女の体自身に製紙魔法を使えば――いや、それだとアルラウネに怪我を負わせることになるか……?」


 すぐに懸念に思い至ってしまい、アルフレッドの表情はまるで萎れた花のように悲しげなものになっていく。レティシアはそんな彼の手を握り返し、力強く言った。


「でしたら、わたくしが固有魔法を使いますわ。あの子は植物の妖精です。わたくしの固有魔法で活性化することは可能のはず。あの子の体を生長させながら、その一部に製紙魔法をかけることができれば――!」


「……レティシア様。そう簡単に仰いますが、アルラウネを活性化させたら彼女の暴走がさらに強くなるかもしれないのですよ?」


 盛り上がる二人に水を差すように、アーシェは話に割って入る。しかしアルフレッドはそれに折れることなく、逆にアーシェに頼み込んだ。


「だったら、レティシアが紙を作り終わるまで、俺がアルラウネを抑える。……アーシェ、協力してくれないか」


「はぁやれやれ……。若者ってなんて無謀な生き物なんでしょう。ヒヒン」


 あきれ果てたという声を上げながらも、アーシェの言葉はどこか楽しげだった。


 何度目かの大きな段差を軽々と飛び越え、彼は歌うように言う。


「ですが、その話乗らせていただきますよ。こんなところで怖じ気づいて降りたら、この先数百年は小妖精たちに揶揄われ続けますからね?」


「……ああ! お前意外と――」


 アルフレッドがアーシェを評そうとしたその時、聞き覚えのある咆哮が向かう先から轟いた。


「グォォォォォォォン――」


「……近いですね、飛ばしますよ!」


 背中の上の二人の返事も聞かず、アーシェは飛ぶような勢いで声の主がいる場所へと急ぐ。馬上の二人は振り落とされないようしがみつきながら、藁にも縋る思いで小声で祈っていた。


「どうか無事でいてくれ……!」


「お願い、間に合って……!」


 しかし、彼らが目的地に到着した時、すでに最悪の事態は進行していた。

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