第42話 アーシェの覚悟
「グオォォォァァアァ!」
地響きかと思うほど恐ろしいその音に、三人の肌はびりびりと痺れて鳥肌が立つ。アルフレッドはそちらを振り向き、焦りの表情を浮かべた。
「今のは……!」
響き渡ったその叫びは、凶暴な竜でも出現したのかと思うほど恐ろしいものだった。だがレティシアとアルフレッドには、それがあのアルラウネが苦しみのあまり上げた声であると直感的に理解できていた。
「アルラウネさんの声です!」
「ああ、早くしないと……!」
遙か離れた場所で取り返しのつかない事態が進行しているという焦燥で、レティシアたちの思考は冷静さを失ってしまう。
対するアーシェは、落ち着き払った様子でアルラウネの声が聞こえた方向に目を向けていた。
「ふむ、まずいですね。あちらは森の外に向かう方角です。急がなければ森の外に出てしまいます。人を傷つけようものなら、魔物と勘違いされて討伐対象になるやも――」
まるで他人事のように言うアーシェに、アルフレッドは一瞬頭の中が真っ白になり、衝動的に叫ぶ。
「そんなのダメだっ!」
悲痛な色が籠もったその声に、アーシェは少し驚いた目をアルフレッドに向ける。アルフレッドはあふれ出る感情のままに泣き出しそうになるのを堪えながら、声を張り上げた。
「あの子には何の非もない! なのに、俺の軽率な言葉のせいで存在をねじまげられて、最後には魔物扱いで討伐されるなんて……そんな終わり方、俺は認めない……! 絶対に……!」
それは、子どもが駄々をこねるかのような幼く真っ直ぐすぎる拒絶だった。だがそれゆえに、それが彼の心からの言葉だということが伝わり、レティシアは力強くアルフレッドに頷く。
「ええ。わたくしも同意見ですわ。絶対に彼女を止めてみせます。急ぎましょう、殿下!」
「っ、ああ!」
迫り来る最悪の事態に急かされるように、レティシアたちはアルラウネがいると思われる方角へと走り出そうとする。しかしその直前に、ほんの数歩で彼らに追いついたアーシェは、二人の前に立ち塞がった。
「お二方、お待ちを。あの状態のアルラウネに徒歩で追いつけるとお思いですか」
冷静に告げられたその指摘に、アルフレッドは激高し、レティシアも強い焦りの籠もった声を上げる。
「だったらどうしろっていうんだ!」
「退いてください、アーシェさん。わたくしたちはそれでも行かなければならないのです!」
アーシェはそんな二人を正面からじっと見つめた後、軽く嘆息した。
「はぁ……出会ったばかりの妖精にそこまで心を砕くだなんて、あなた方は本当に変わり者ですね。妖精と人間の理は違うのですから、たとえ助けたとしても報われることはないかもしれないのに」
誰に言うでもなく、ぼそりとアーシェはこぼす。
それは、普段の彼であれば嫌味の意味を込めて言うような台詞だった。だが、不思議と今発せられたその言葉には呆れこそ含まれているが、悪意らしきものはどこにも感じられず、レティシアたちは驚きで目を丸くする。
そんな二人の反応を一切気にせず、アーシェは深く息を吸って吐いた後、改めて彼らに向き合った。
「ですが、それでこそ歴史を守り、妖精たちに王と慕われる器といったところでしょうか。……仕方ありません、私も腹をくくりましょう」
「えっ」
「アーシェさん、それって……」
その問いかけに答えることなく、アーシェは姿勢を低くしてかがみ込み、二人を促した。
「どうぞお乗りください。私があなた方をアルラウネのもとまで送り届けます」
思わぬ申し出に困惑し、アルフレッドはアーシェに問いかける。
「でも、歴史に関わるのは……」
「私はもう十分幸せに生きましたから。妖精王との約束を破って、罰が下ることになったとしても後悔はありませんよ。さぁ、お乗りなさい!」
前向きな感情を強く込めたその言葉に、アルフレッドは困り果ててレティシアに視線を送る。彼女は少し考えた後、力強く言った。
「殿下。今はお言葉に甘えましょう。懸念を後回しにすることになったとしても、それでアルラウネさんを助けられるのなら、わたくしはその方がいいと思いますわ」
「……そうだな。難しいことは後でも考えられる」
レティシアの言葉に従う形でアルフレッドは内心の憂いをひとまず忘れることに決める。そして二人は、乗りやすいように屈んでいるアーシェの背中によじ登ってしがみついた。
「本当は清らかな乙女しか乗せたくないので特別ですよ? 間違っても私の麗しい毛並みをむしったりしないように! ヒヒン!」
アーシェは高らかに嘶くと、猛然とした勢いで目的地に向かって走り始めた。




