第40話 後悔はもう遅い
悲鳴にも似た雄叫びを上げた後、アルラウネは血走った目でレティシアを見る。そして、戸惑いで動けないでいる彼女に向かってアルラウネは獣じみた動きで飛びかかった。
「――レティシア!」
アルフレッドは咄嗟に体に魔力を巡らせると、レティシアの前に防壁を展開して、襲撃から彼女を守る。防壁に正面から激突したアルラウネは野生じみた声を上げて弾き飛ばされた。
「ギャンッ! グゥ、う……」
地面に転がったアルラウネはレティシアをにらみつけながら、ふらふらと立ち上がる。アルフレッドはレティシアを守ろうと、彼女とアルラウネの間に割って入った。
「ウぅ……ま、りょくを、すって……ころす……」
うわごとのように彼女の口から発せられる言葉にアルフレッドは、彼女に今何が起きているのかを察して顔を歪める。
「アルラウネ、どうか止まってくれ……! あの時言ったことなら謝るから!」
アルフレッドが投げかけた強い後悔の籠もった悲痛な言葉に、アルラウネは己を動かそうとする衝動と戦うかのように苦しみ悶え始めた。
「うぅ、うぁあ、ぅぐ……」
遅れて、事情が分からないながらも状況を察したレティシアは、アルフレッドに背中に庇われたまま声を張り上げる。
「アルラウネさん! 正気に戻ってください!」
「うぅぅ……わたし、は、グぅ……」
頭を抱えて悶え苦しむアルラウネを見て――アルフレッドの頭にふと、卑劣極まりない発想が浮かぶ。
今、アルラウネは無防備に動きを止めている。この隙をつけば、危険な存在に変貌しつつあるアルラウネを自分の魔法で倒すことができるかもしれない。
だが、その発想を振り払うように、アルフレッドは苦々しく吐き捨てた。
「っ……、ダメだ、そんなのっ」
一瞬だけ浮かんでしまった考えに、アルフレッドは自分のことが嫌になる。
最低だ。元はといえば自分が招いた事態だというのに、そんな解決をしていいわけがない。それに、あんなに俺のことを慕ってくれた子を倒すだなんて――
その時、身もだえしていたアルラウネが不意にこちらに目を向けると、雄叫びを上げながら猛然とした勢いで飛びかかってきた。
「グルルァアアア!」
「――お二人とも、頭を下げて!」
こちらの返事も確認せず、走り込んできたアーシェは馬の巨体でアルラウネの進行方向を遮ると、彼女の体を額の角で軽々と掬い上げた。そのまま宙へと放り投げられ、数秒かけてアルラウネの体は落下する。
「ギャウッ! ウルルル……!」
「あ、あぶなっ……」
額の角による攻撃が、顔をかすめそうな位置を通り過ぎたことに遅れて気づき、アルフレッドの全身にドッと冷や汗が吹き出る。アーシェは彼を振り向くこともしないまま、アルラウネを睨み付けていた。
「助けて差し上げたのだから文句は無しですよ。それよりも今はアルラウネのことです」
「っ……、そうだな」
すぐに気を取り直し、アルフレッドは起き上がってこちらを威嚇してくるアルラウネへと目を向け、口を開く。
「アルラウネ……」
だが、アルフレッドには彼女にかける言葉が思いつかなかった。
どうすれば彼女を正気に戻せるのか、自分の軽率な言動のせいだというのに俺の言葉が届くのか。
そんな焦りと迷いから、何を言えばいいのか分からずにアルフレッドは口ごもる。
その時、アルラウネはじっとアルフレッドとレティシアを見ると、その目からぼろぼろと涙をこぼし始めた。
「い、やだ……おうさま、殺したくないっ……やだっ……」
泣きながら顔を歪めて己の中の変化にアルラウネは抵抗する。そして爆発しそうになった衝動を別の対象へと向けようとしたのか、彼女は唐突に体の方向を変えると、森の中へと走り去っていった。
「ウァゥゥゥ……!」
「待っ――」
咄嗟にその後を追いかけようとしたアルフレッドの襟の後ろを、アーシェは噛んで引き留める。
「ぐっ……何するんだ!」
抗議の目で見上げてくる彼の服を離し、アーシェは真剣な声色で諭す。
「ダメですよ殿下、今引き留めてどうなるのです」
「それは、そうだがっ……!」
悔しさで顔中をくしゃくしゃにして、アルフレッドは反論の言葉を探す。そんな彼を心配そうに見た後、レティシアは自分を落ち着かせるために深く息を吐き、凜とした表情になった。
「殿下、まずはわたくしにも事情を教えてくださいませ。そうでなければ、何をすべきなのかも分かりませんわ」
「レティシア……」
あまりに堂々としたその立ち姿に、アルフレッドは荒れ狂っていた感情が徐々に落ち着いていくのを感じた。そして、まだ動揺と絶望が満ちている胸を押さえながら、彼はなんとか語り始める。
「俺の、せいなんだ。妖精王の俺がアルラウネを悪く言ったから、あいつは悪い妖精ということになってしまったんだ」
頭の中がぐちゃぐちゃになっているせいで、アルフレッドの説明は端的すぎて伝わらないものだった。
レティシアは困り果てた表情をアーシェへと向ける。彼は仕方なさそうにアルフレッドの言葉を補った。
「レティシア様、詳しくは後々にでもご説明しますが……簡単に言うと、妖精王の言葉には妖精の存在のあり方を左右する力があるのです。殿下はその力を無意識のうちに使ってしまった。……ということでよろしいですね、殿下?」
「……ああ。俺が、『魔力を吸い取って殺そうとしている存在だ』と言ってしまったせいで、あいつは、ああなってしまったんだ。でもこれからどうすればいいのかなんて、俺には見当もつかなくて……」
罪の告白とともに途方に暮れた声をアルフレッドは吐き出す。
あんなことになっても、アルラウネは俺たちを殺すのを嫌がっていた。もし彼女を元通りにする方法が思いつかないのなら、いっそ殺してやったほうが彼女のためなんじゃないか――
考えれば考えるほど、アルフレッドの思考はマイナスな方へと向かい、ただ無力感だけが残される。
そんな思い詰めたアルフレッドの思考を吹き飛ばしたのは、空気を切り裂くように感じるほど鋭いレティシアの声だった。




