第39話 口は禍の元
「王様、王様! あっちの王様、遅いねー?」
ややこしい言い方で尋ねてくるアルラウネに、アルフレッドは苦笑する。
「はは、俺とレティシアの両方を王様と呼ぶのは紛らわしいな。いっそ何か他の呼び方を決めたほうがいいか」
「呼び方? 私もほしーい! 特別なやつ!」
アルラウネは無邪気に返事をし、アルフレッドは穏やかな気分で考え込む。
「そうだな。お前にも名前が必要かもしれないな……。どんな名前がいいという希望はあるか?」
「んー?」
よく分かっていないような仕草で、アルラウネは首をかしげる。無条件にこちらを慕ってくるその無垢な生き物を前にして、アルフレッドは庇護欲と呼ぶべき感情が己の内側から湧き出てくるのを感じた。
だが、他者にそんな気持ちを抱いているということがなんだか気恥ずかしくて、アルフレッドは誤魔化そうと口を開きかける。
「勘違いするなよ! 俺は別に――」
その時、ようやく着替えを終えたレティシアが工房のドアを開けて戻ってきた。最初に気付いたアーシェが、そちらに目を向けて彼女に声をかける。
「おや、レティシア様、おかえりなさい」
「ただいま戻りましたわ。先ほどは醜態をさらしてしまい申し訳ありません……」
しょんぼりと肩を落とすレティシアの腕には、なぜか女物の衣服が抱えられていた。恐らく、レティシアが持ち込んだ彼女の着替えだろう。
下着も混じっているその荷物から目をそらし、アルフレッドは赤面しながら答える。
「い、いや! すぐに指摘できなかった俺も悪いし……それよりその服はどうしたんだ?」
「アルラウネさんに着てもらおうと思って持ってきたんですの。ほら、彼女の見た目は、わたくしたちの価値観で言えば全裸のようなものですし」
「っ……!」
指摘されて今更ながらアルフレッドは自分のしていた行動を自覚する。
人間ではない存在だとはいえ、一糸纏わぬ幼い少女の姿をした妖精をされるがままに可愛がっている。それが一般的にまずい状況だということはアルフレッドにも分かる。もし王宮の人間に見られようものなら、一発でなけなしの人望も消え去ってしまうほどの醜態だ。
「ち、違うんだこれはっ……!」
「王様? 待って待ってー!」
アルフレッドは慌ててアルラウネから距離を取るも、無邪気に追いかけてきた彼女に再び抱きつかれてしまう。そんな様子を、アーシェはにやにやと眺めていた。
「おやおやおや、本当に懐かれたものですねぇ」
「う、うるさいっ! 違うんだレティシア! やりたくてやってるわけじゃなく! 下心は本当になくて!」
必死に弁明するアルフレッドに、レティシアは微笑ましい視線を向ける。
「まあ、うふふ。分かっていますよ。殿下はアルラウネさんと仲良くなったのですね。何かあったんですの?」
「そ、そうなんだ! ちょうど、この子に名前をつけてやろうと話していたところでな!」
話を逸らすチャンスだと悟ったアルフレッドは、声を張り上げて説明する。レティシアは納得したという顔をしながらも、嬉しそうにニコニコと笑っていた。
「なるほど、確かにアルラウネというのは種族の名前ですし、この子だけの名前をつけてあげるのもいいかもしれませんね。でも、ふふっ」
「な、何だ? そんなに俺がこいつと仲良くしているのがおかしいのか? 本当に下心とかはないんだぞ! だから失望しないでほしいんだが……!」
本当に無実だというのに、言い訳を重ねるごとに余計に怪しくなっていくアルフレッドに、レティシアは嬉しそうに目を細めて答えた。
「いえ、ほんの数分席を外しただけなのに、なんだか殿下が前向きな表情になっているように見えて、わたくし嬉しくて」
「え?」
「この森に来てから――いいえ、最初にお会いした時からずっと、殿下はどこか焦っているような何かに追い詰められているような、その上、何もかも諦めているような難しい顔をしていましたから」
「うっ」
レティシアのその言葉を受けて、アルフレッドは心の奥底にある暗がりを一気に照らされたような思いになった。
生まれ育った環境から来るコンプレックスを、彼は自覚していないわけではない。自分がどうしてこんなに捻くれているのか理解した上で、何も出来ずに漫然と生きてきたのは分かっている。
だがそれをここまで正面から指摘されたのは初めてで、アルフレッドは間抜けなうめき声を上げたっきり何も言えなくなってしまう。
二人の間に流れた気まずい沈黙を破ったのは、空気を読まずに話に割り込んできたアーシェの言葉だった。
「言われてますよ、殿下。要はずっと拗ねて、やる気が無い顔をしていたってことですよね? 言い訳しなくていいんですか?」
「う、うるさいっ。俺だって、自分がここにいる理由があると分かったなら、それに前向きに取り組もうという覚悟ぐらいできるというだけの話だ! 観念して妖精王をやってやってもいいと思うぐらいにはな!」
高らかに言葉として発したことによって、アルフレッドは己の変化を自覚する。自分はきっと、何にも求められなかった己がこうして選ばれたという事実が嬉しいのだ。
そんな前向きな変化を堂々と宣言したアルフレッドを見て、レティシアは目を丸くし、それから幼子を見守るような優しい表情になった。
「何があったのかは分かりませんが……殿下は一つ、大人になったのですね。わたくし、自分のことのように嬉しいですわ」
「……ふん、大げさな奴だな。何もしてこなかった奴が、当たり前程度の責任感を持っただけだろう」
「それでも、そうやって前に進んだ殿下をわたくしは尊敬しますわ。あとは、わたくしたちの関係に対しても、前向きに向き合うだけですわね?」
「うぐっ」
見て見ぬ振りをしてきた痛いところを突かれ、アルフレッドは再びうめき声を上げて口を閉ざす。
しっかりしろ。これは、俺が本当の気持ちを言いやすいようにレティシアがくれたチャンスだ。そう頭では分かっていてもアルフレッドの口はなかなか開かず、視線はうろうろと中を泳ぐばかりだ。
そして永遠にも感じられる数十秒の後、アルフレッドが話を切り出そうとしたその時――彼の腕の中にいたアルラウネが不意に弱々しい声を上げた。
「王様……なんか怖い……」
「え?」
慌てて見下ろすと、そこには何かに怯えた様子でアルフレッドの服にしがみつくアルラウネの姿があった。縋るように握られた指は細かく震えており、尋常ではない事態が起きていることをその場の全員が察する。
「どうしたんだ? 何が怖いんだ?」
「馬である私のことではなさそうですが……」
「アルラウネさん、どうかわたくしたちに教えて――えっ?」
彼女のもとに駆け寄ろうとしたレティシアの胸元で、魔法石のペンダントが強く、禍々しい光を発し始める。それに呼応するようにアルラウネは身をよじって苦しみ始めた。
「う、うぅ……私、は……まりょくをすいつくし、て、殺そう、と……」
抵抗するように顔をしかめながらアルラウネが発した言葉に、アルフレッドは己がほんの数刻前に発してしまった最悪の言葉を思い出す。
『どうせ都合のいいことを標的に吹き込んでおいて、実際は油断させて魔力を吸い尽くして殺そうとしてるに決まってる!』
「まさか、そんな、違うんだアルラウネ……!」
アルフレッドは顔面蒼白になってよろめき、否定の言葉を紡ごうとする。だが、それが届くよりも早く、決定的な変化がアルラウネに起きてしまった。
「うぅ、ああ、あぁぁ……!」




