第35話 深き森の語らい
軽やかに道なき道を進むアーシェの後ろを、アルフレッドは陰鬱な表情でついていく。
彼の言う愛の巣とやらは工房がある位置よりもさらに神秘に満ちた森の奥深くにあるようで、歩みを進めれば進めるほど魔力を帯びた霧がじわじわと濃さを増していった。
――このままでは先導しているアーシェを見失ってしまう。
焦りを抱いたアルフレッドは、小走りでアーシェに追いつくと、隣に並んで歩き始めた。
「ヒヒン。そろそろ話していただいてもよろしいのでは? ここならば他に聞く者もいませんので」
「ん……」
にやにやと笑んでいることがはっきりと分かる口調で促され、アルフレッドは言いづらそうに小さく答える。その反応が面白かったのか、アーシェは笑いも隠さずにアルフレッドを揶揄った。
「遠慮しなくてもいいではないですか! 私と殿下の仲でしょう?」
「どんな仲だ! お前と交遊を深めた覚えはない!」
「またまた。人里離れた場所で唯一頼れる同性の生き物ですよ? 異性や妖精たちには言いづらいこともおありでしょう! ですが、同性であればそんな遠慮は必要ありません! これを深い仲と呼ばずして何と呼ぶのでしょう!」
芝居がかって声を張り上げるアーシェに、アルフレッドは耳を塞いで呆れた目を向ける。だが、多少は彼の言うことにも一理あると思ったのか、アルフレッドは意を決して話を切り出した。
「俺は、何のためにここに留まっているのか、分からなくなったんだ」
「何のため、ですか?」
アーシェは歩くスピードを変えないまま、目だけをアルフレッドに向ける。アルフレッドはその視線から逃れるように地面を見た。
「さっき、工房でレティシアが魔力を暴走させかけた時、俺は何もできなかった。偶然現れたアルラウネという妖精が助けてくれたから大事には至らなかったが……本当は、俺がレティシアを助けたかった」
自分の吐露したいことだけを口にしたせいで、アーシェからしてみれば、アルフレッドの言葉は唐突で分かりにくいものだった。だがアーシェはそれを指摘することなく、柔らかく問いかけてくる。
「ふむふむ、いまいち状況が把握しきれていないのですが、まずは一点だけ質問してもよろしいですか?」
「質問? 構わないが、何だ?」
顔を上げて胡乱な視線を向けてくるアルフレッドに、アーシェは顔を寄せて囁いた。
「では失礼して。……ずっと気になっていたのですが、殿下とレティシア様は恋仲なのですか?」
「こっ……!?」
アルフレッドの顔は一気に真っ赤になり、思わず数歩アーシェから距離を取る。アーシェは青少年の甘酸っぱい恋模様の予感にニマニマと目を細めていたが、アルフレッドはすぐに落ち着くと、沈みきった声で答えた。
「恋仲なんかじゃない。少なくとも俺に、その資格がないのは分かってる」
「ほう。というと?」
どうやら事情があるらしいと察したアーシェは、重い足取りのアルフレッドに合わせて、ほんの少し歩く速さを緩める。
アルフレッドはそれにつられてさらに歩みを遅くしながら、後悔を強く滲ませた声で語り始める。
「あの日、俺とレティシアは婚約者になるはずだった。それを俺が子どもじみた癇癪で一方的に破棄したせいで、レティシアは追放されてどこかへと姿をくらましたんだ。俺はただ、それを追いかけてきただけで……」
ぽつりぽつりと語られる内容にアーシェは聞き入った後、妖精特有の無神経さで、彼の立場を一言で言い表した。
「ははあ、未練がましい負け犬ということですね」
「うぐっ」
あまりにもはっきりとした言い方に、反論することもできずにアルフレッドはうつむき続ける。アーシェは仕方なさそうにフォローの言葉をかけた。
「ですがそれでも、こんな森まで追いかけてくるほどに、あなたはレティシア様を愛しているのでしょう?」
「……どうなんだろうな。正直、分からない」
アルフレッドはぼそぼそと答えた後、深く息を吐いて呟いた。
「そもそも妖精王だなんてお前たちは呼ぶが、きっと俺は、おまけの存在なんだろうな」
「ほう。といいますと?」
「俺たちが世界樹に吸い込まれて妖精王になったきっかけは、レティシアの母君と受け継いだペンダントだった。レティシアに妖精王の資格があるのは分かるが、俺はただそこに居合わせただけのおまけの部外者なんだ。そもそも妖精王として振るえる知恵も力も持ち合わせていないし……」
話せば話すほど自分の情けない現状を実感し、アルフレッドはじわりと目に涙が浮かびかけるのをぐっと堪えて言葉を続ける。
「学があるわけでもなく、力が強いわけでもなく、人より秀でていると自信があるのは物語を語ることぐらいだ。時代遅れの吟遊詩人でもあるまいし、こんなことが得意でも、何の役にも……」
自己嫌悪と劣等感で胸の中が一杯になり、アルフレッドはついに立ち止まってしまう。泣いてはダメだと頭では分かっていても、情けなさで涙がこみ上げてくる。
アーシェはそんなアルフレッドを黙って見下ろしていたが、ふうと息を吐いた後、幼子を諭すように語りかけてきた。
「まず前提ですがね、殿下。妖精にとって、物語とは何にも換え得がたい大切なものなのです」
「え?」




