第3話 ワガママ殿下は来襲する
「えーっと、とりあえずアサ豆とトリキャベツでいいかしら。念のためにスズリンゴの苗木も出してっと……」
トランクの中は魔法で拡張されており、しばらくの間困らないだけの食料と服と寝具が入っている。だが、いつ何があってもいいようにと、レティシアはいくつかの作物の苗を持ち込んでいた。
取り出した三種類の苗を工房の近くへと植えると、レティシアは順番に苗たちに手を触れながら優しく囁いた。
「こんにちは、幼い貴方たち。わたくしに食べ物をわけてくださるかしら」
レティシアの呼びかけに応え、まだ芽吹いたばかりだった苗たちはみるみるうちに生長して、人が食べるのに十分な大きさの作物をつけた。
「ありがとう。またよろしくね」
収穫をしてから彼女が微笑むと、植物たちは恥じらうように枝葉を揺らす。レティシアはそんな作物たちを優しく撫でた後、トランクケースから鍋と木製の皿をいくつか取り出した。
レティシアには料理の才能はない。できるのは材料をお湯に入れて煮詰めることぐらいだ。毒の有無だけは分かるので致命的な失敗になる可能性は低いが、美味しいものができるかどうかは運次第だ。
「料理は実験と同じだって亡くなったお母様は言っていたらしいけれど、わたくしには分からないのよね……」
ぼやきながらも火にかけた鍋をかき混ぜ、完成した豆とキャベツのスープを木の皿へと盛り付ける。そして自分の分は確保した上で、数枚余分な皿にもスープを取り分けると、トランクケースを台の代わりにして離れた場所に置いた。
レティシアがわざとそちらが見えない方向を向いて座ると、背後で人の耳にはほとんど聞き取れない声がいくつも重なり合うのが聞こえた。どうやら親切な妖精は、仲間の妖精も呼んでパーティをすることにしたらしい。
視認こそできないが楽しげな雰囲気を背中で感じ取り、レティシアは頬を緩めながら自分もスープを口に運ぶ。
「……うん、成功かな?」
屋敷の使用人が作るものよりもかなり薄味だが、別に気にならない程度だ。レティシアはそれを喉に流し込みながら、すっかり暗くなった空を見上げた。
浅い闇色の空にはあちらこちらに星が見え始めている。知識のある者ならそれぞれに関連した物語でも語ることができるだろうが、生憎とレティシアは植物以外への知識欲を持ち合わせていないので分からない。
それでも、どうせなら星々の物語に興味を持っていればよかったかもしれない、と植物バカの彼女が思うほどに、頭上に広がる星空は美しかった。
「帰ったら使用人の方に聞いてみようかしら。お父様はどうせ植物以外のことには疎いでしょうし」
星々を見上げながら、レティシアはぽつりと決意を口にする。
そうしているうちに夜は更けていき、彼女の森生活の一日目は終わりを迎えるのだった。
翌日から、レティシアは計画通りに工房周辺の森を散策し始めた。
「これは、絶滅したはずの魔法草!? こっちは城が買えるほど高価な花!? 幻覚作用があるから取引が規制されている毒草まで!?」
目を輝かせて、様々な植物を採取しては持ち帰り、研究する。
そのまま数日間、研究者にとっては夢のような時間を彼女は過ごし――偶然、とある場所へとたどり着いた。
そこにあったのは、天高くそびえる巨大な樹木だった。高さはどれだけ見上げても天辺が見えないほど高く、幅は大人が二十人手を繋いで囲んだとしても足りないほどに広い。
そして、その根元は二股に分かれており、人一人が余裕でくぐれそうなほど大きな穴が開いていた。
「まさか……伝説にある世界樹?」
レティシアはしばらく呆然とその巨樹を見上げていたが、ハッと正気に戻ると、研究者としての血をたぎらせながら樹木へと近づいていった。
世界樹は、世界各国に伝説が残る神聖な樹木だ。各地の伝説で共通しているのは、歴史の転換点で世界樹に知恵を乞うと、超常的な存在による託宣によってその人物が救われるというものだ。
ユルアーシュ王国では妖精王の仕業だと言われているし、神秘の森を挟んだ隣国では森に住む女神の加護だと言われている。
植物以外に興味がないレティシアは最近までその詳細を知らなかったが、世界樹があるかもしれない場所に行くと決まってから、慌てて概要だけは頭の中に詰め込んだという経緯がある。
「超常存在による託宣……幻覚作用のある物質が出ているとか、はたまた妖精の悪戯か……研究のしがいがあるわっ」
信心深い者が見たら卒倒しそうなことを言いながら、レティシアは世界樹に近づいて、その表面に触れる。その瞬間、目を開けていられないほどのまばゆい光がレティシアを包んだ。
「っ、これ、は……!」
レティシアの中の魔力が無理矢理喚起され、猛烈な勢いで世界樹へと吸い込まれていく。すぐに手を離して世界樹から離れようとしたが、彼女の手は世界樹に掴まれているかのように微動だにせず、逃げることすらできない。
暴力的なほどの魔力の吸収に、普段の彼女であれば数秒と保たずすぐに力尽きていたはずだ。だが、幸か不幸か今のレティシアの内側からは、どれだけ魔力が奪い取られても、無尽蔵に魔力が湧き出てきていた。
……まずい。まさかこれは、お父様が言っていたわたくしたちの一族の――
己の中で炎が燃え上がるかのような感覚とともに彼女が意識を飛ばしかけたその時、聞き覚えのある青年の声が鋭く辺りに響き渡った。
「――レティシア!」
なりふり構わず必死で近づいてきたその青年は、レティシアの体を無理矢理世界樹から引き剥がした。同時にレティシアの体が放っていた光が収まり、彼女はまだ目をチカチカとさせながら、自分を助けてくれた青年――バカ王子ことアルフレッドを見上げる。
アルフレッドは慣れない全力疾走でもしたのか、レティシアを抱えながらぜえぜえと苦しそうに息をしている。レティシアはしばらくの間、そんな彼のことをきょとんと見つめ、混乱のままに彼に尋ねた。
「ええと、アルフレッド殿下、どうしてこちらに?」
「どうしてって……お前が追放されたって聞いたから……!」
王族の証であるトパーズ色の瞳から大粒の涙を溢れさせながら、アルフレッドは答える。
はて。わたくしが追放された、というのはそうやって話が伝わったと言われても納得がいくとして、どうしてそれで殿下がわたくしを追いかけてきたのでしょう?
内心ではてなマークを飛ばし続けるレティシアに、アルフレッドはさらに文句を言おうとしたのか口を開く。しかしその時――彼らのすぐ近くに位置する世界樹の根本の穴から光が放たれ、二人は突風に吹かれたかのようにその中へと吸い込まれていった。
「きゃあっ!?」
「うわぁあっ!?」