第23話 パンを作ろう!
「まあ、皆様。パンが食べたいのかしら?」
『食べたーい!』
『わくわく!』
『楽しみ!』
すでにパンがもらえることが決定事項であるかのようにはしゃぐ妖精たちに、あらあらと仕方なさそうな視線を向けた後、レティシアはハッととあることを思いついた。
「殿下、ちょっとこちらに」
「ん、何だ……?」
アルフレッドを促して妖精たちから距離を取ると、彼女は声を潜めて話し始めた。
「殿下、これは好機ですわ。彼らから妖精王についての情報を聞き出しましょう」
「なるほど、妖精は長命だと聞くからな。神秘の森に彼らが昔から住んでいるのなら、何か手がかりが得られるかもしれない。だがどうやって聞き出すんだ?」
「ふふ、それはですね――彼らにパンをプレゼントすればいいのですわ!」
自信満々に胸を張りながら、レティシアは宣言する。
「そうすれば妖精さんたちはパンを食べられて幸せ、私たちは上機嫌になった妖精さんたちに妖精王について教えてもらえて幸せ、という計画です!」
しかし、対するアルフレッドの反応は冷めたものだった。
「……簡単に言うがな。お前、パンが何で作られているのか知らないのか?」
「え? 小麦と水があればできるのではないのですか?」
きょとんと目を丸くするレティシアに、アルフレッドは大きく嘆息した。
「はぁ……。ガチガチに固いパンでもいいのならそれで十分だが、柔らかく膨らんだパンを作るには酵母というやつが必要なんだ。酵母を一から作るとなると一週間近くかかる。その間に妖精たちの気が変わってしまう可能性は高いだろう」
「そうなんですね……。酵母というのは初めて聞きましたわ。どうやって作るんですの?」
「果物を水に漬けて、培養するという話は読んだことがあるが、詳しい手順までは分からないな。どちらにせよ石窯がない限りは、ろくなパンは焼けないだろうがな!」
この話は終わりと言わんばかりにアルフレッドが妖精たちの方を振り向くと、彼らはいつの間にか触れるほどの位置に近づいてきていた。
『酵母が欲しいの?』
『あるよ!』
『あの子が作ってた!』
『こっちこっち!』
「は?」
「え、え?」
困惑するレティシアとアルフレッドの服を引っ張り、妖精たちは工房の中へと二人を誘導する。そして、鍵がかけられた棚をあっさりと魔法で開くと、その中にあった一つのガラス瓶を二人の前へと持ってきた。
『これ!』
『酵母だよ!』
『パン楽しみ-!』
ケラケラと明るく笑いながら妖精たちは飛び回る。ガラス瓶を受け取ったレティシアは、その瓶に張られたラベルを確認した。
「確かに、ラベルに酵母とは書いてありますわ」
「だが大丈夫なのか? この工房は長い間無人だったんだろう? 仮にこれが酵母だったとしても、腐って毒性が出てるんじゃ……」
当然の懸念を口にするアルフレッドの周りで、妖精たちは口々に主張する。
『毒じゃないよ』
『大丈夫だよ』
『食べるのは僕たちだもん!』
『作り方はこっち!』
『早く早く!』
今度は重そうな本を、数人がかりで妖精たちは運んでくる。ふらふらと危なっかしいその様子を見て、アルフレッドは慌ててそれを受け取った。
ページを開いて確認すると、確かにそこにはパンの焼き方が図解までされてきっちりとまとめられている。
「これはもう、パンを作るしかなさそうですわね」
「そうだな……。はぁ、パンが欲しいだなんて迂闊に言わなければよかった」
うんざりと肩を落とすアルフレッドとは対照的に、レティシアは上機嫌そうにくすくすと笑っていた。
「ふふ、わたくしはちょっと楽しくなってきましたわ」
「能天気だなお前は。ここまでお膳立てされておいて何だが、そもそも小麦粉は用意できるのか?」
「ええ! 実はここに長期滞在することを考えて小麦粉は持ち込んでいますの! 酵母のことは知らなかったので、小麦粉だけなのですが……」
「……時々俺は、お前のことが心配になるよ」
軽口をたたき合いながら、二人はパン作りの準備に取りかかる。
材料をはかるための秤をレティシアが探している間に、アルフレッドは一から十まで頭に入れてから作業を始めようとレシピ本を熟読する。
幸いにも塩などの調味料はレティシアが持ち込んでいたが、当然のようにキッチンスケールは所持品の中にはない。
アルフレッドに、さじで3杯だとか塩をひとつまみだとかといった曖昧な表記を感覚でこなす才能があったことだけは幸運だが、それでも失敗するのを恐れて、彼は把握している内容に見落としがないか隅から隅まで作り方を確認する。
「ふー……、まあこれなら何とかなるか」
大きく息を吐き出して独り言を言いながら、アルフレッドは両手を挙げて伸びをする。
その時、彼の目は、ここにあるはずがないものの存在を捉えた。
本棚に並ぶ研究所の中に、稚拙な製本が施された薄い冊子が何冊も混ざっている。彼は吸い寄せられるように本棚へと歩み寄ると、見覚えのあるその本を手に取って開いた。
「これは……」
本に視線を落としたまま、呆然とアルフレッドは呟く。そして、そのままの姿勢で硬直していた彼は、工房の奥から現れたレティシアの明るい声に、ハッと正気を取り戻した。
「殿下、秤がありましたわ! ……あら殿下? どうなさいましたの?」
「い、いや! 何でもない! 何でもないんだ……」
彼女に背を向けたまま誤魔化し、アルフレッドはその本を自分の懐にしまい込む。レティシアはきょとんとそんな彼の様子を眺めていたが、少しだけ何か声をかけるべきか悩んだ後、結局何も言及しないことにした。
本当に大切なことなら、きっと殿下は後で教えてくださるはず。
そんな根拠のない信頼を心に抱いて、レティシアは持ち込んだカバンから小麦粉の入った袋を取り出した。
「殿下、早速パン作りを始めましょう! 妖精さんたちが待ちわびていますよ!」




