第20話 書き換わった結末
『条件、ですか……?』
不安そうに問いかけてくるクエリアに、アルフレッドはまるで厳格な王のように宣告する。
「お前は命を捨ててまで愛する者を救おうとしてはならない。そして、お前は一生この森から出てはならない」
『え……?』
「……お前は本来、もうすぐ死ぬはずの人間だ。だが、もしこれから一生この森から出ることなく、歴史と関わることのない生を送るのであれば、生き残って平和に暮らしても歴史に齟齬は出ない――はずだ」
そう言いながら、アルフレッドは自信なさげにレティシアの顔をうかがう。レティシアは、彼を勇気づけるように強くうなずいて本棚に向き合った。
「クエリアさん、どうか約束して。何があっても、自分の命を引き換えにすることだけはしないと。わたくしたちは、あなたたちの幸せを願っているだけなのよ」
逆に懇願するような口調で諭され、クエリアは困り果てた声色で恐る恐る尋ねてくる。
『どうしてそこまでしてくださるのですか……? 私はただ、妖精王様に願っただけのどこにでもいる人間なのに』
「大した理由はありませんわ。ただ、わたくしたちは……目の前で助けを求める方を、不幸の淵に突き落とすようなことはしたくないだけですの」
レティシアはちらりとアルフレッドの方に目を向ける。視線を受けたアルフレッドは、小さくうなずいて彼女の言葉を肯定した。
本棚の向こう側のクエリアは戸惑いと迷いで長い間沈黙した後、強い意志を込めた声で返事をした。
『……分かりました。私は絶対に、むやみに命を捨てるようなことだけはしないと誓います』
その瞬間、ぶわりと世界樹の中の空気が変わったような感覚がレティシアたちを襲う。だが不思議と、その変化が不吉なものではないという確信が、二人にはあった。
「その誓い、確かに受け取った」
「少し待っていてくださいませ。貴女に渡すための『浄化結晶』を作りますわ」
穏やかに本棚に向かって言うと、二人はそこから少し離れた位置へと移動した。
レティシアはカバンに入っていたセイレンカと泉の水、それから複数の素材を合成するために持ち歩いているマナノキの葉を数枚取り出す。
そして手慣れた様子でセイレンカの花弁を細かくちぎると、マナノキの葉の上に広げて、透き通った水を数滴垂らした。
「アルフレッド様、こちらに浄化魔法を」
「あ、ああ」
緊張した面持ちで、アルフレッドは材料へと手をかざす。
「水よ、木よ、風よ――清らなる地へと至り給え――」
たどたどしい口調で言いながら、彼は己の手に魔力を込める。魔力はまるで春の日差しのように柔らかに材料へと降り注ぎ、マナノキの葉はセイレンカと水を包み込むような形で縮んでいった。
葉によって完全に密封され、飴玉ほどの大きさの球体になったそれにさらに浄化魔法を照射し続ける。
すると、今度はマナノキの葉が魔力に耐えられずにぼろぼろと崩れ始め、その内側から現れたのは――不格好にゴツゴツと角張った結晶だった。
だが、その内に秘められた輝きは清浄なものであり、これが単なる宝石の原石などではないと暗に示している。
「……成功、したのか?」
「ええ、おそらくこれなら問題なく目的を果たせますわ」
仄かに光を放つそれを、レティシアは念のために革袋に入れると、そっと本棚の隙間へと差し入れた。
次の瞬間、革袋は視界から消え、代わりに本棚の向こうから驚きの声が聞こえてくる。
『きゃっ! こ、これは……?』
「『浄化結晶』ですわ。妖精は清らかな水に体を浸し続けると、長い時間をかけて傷を癒やすことができるのです。この『浄化結晶』を入れた泉にあなたの愛する方の体を浸しなさい。そうすればきっと、あなたの愛する方は元気を取り戻します」
「ただし、途中で諦めたり疑ったりしてはダメだからな! アーシェが目覚めるまで元気に生き続けること! それが条件だ!」
レティシアは穏やかに諭すように、アルフレッドは強く警告するように、クエリアへと告げる。クエリアは強い決意を込めた声で返事をした。
『分かりました。私、頑張ります。ありがとうございます!』
その言葉を最後に、本棚の向こう側からの音は途絶え、空いていた隙間に一冊の本が出現する。欠けていた部分が補完されたのだと二人が理解した次の瞬間、用は終わったとばかりに彼らの体はぐにゃぐにゃとうねり続ける空間に吸い込まれた。
次に目を開けると、レティシアたちは世界樹の前に立ち尽くしていた。
「帰ってきた、みたいですわね」
「だな。……はぁー、疲れたぁ!」
アルフレッドは大きく息を吐きながらその場に座り込む。浄化魔法を全力でかけたことによる疲労が、今になって彼に襲いかかってきていた。
レティシアもまた疲れがじわじわと押し寄せてくるのを感じ、アルフレッドの横に腰を下ろす。
「ふふ、わたくしもなんだか疲れてしまって、もう一歩も動けません」
「同感だな。これで万事うまくいっていればいいんだが」
そのまま疲れ果てた二人が肩を並べて休んでいると、かぽかぽと軽やかな蹄の音が前方から近づいてきた。
「おや、お二方。どうやらお役目が終わったようですね。ヒヒン」
やってきたのはユニコーンのアーシェだ。二人は、咄嗟に悲劇的な過去が変わったのかどうかを問い詰めようと口を開きかけたが、その直前にアーシェの耳に見覚えのないものがついていることに気がついた。
それは木をくりぬいて作られた小さなピアスだった。ピアスの中心には不格好だが清廉な輝きを放つ石――アルフレッドが作り出した『浄化結晶』が嵌め込んである。
「そのピアスって……」
呆然とアルフレッドが尋ねると、アーシェは目に見えて上機嫌になった。
「いいでしょう? 我が愛しき乙女からの贈り物ですよ。彼女が私を愛してくれた証なのです! ヒヒン!」
そのまま流れるように愛するクエリアへの惚気を話し始めたアーシェに、レティシアたちは過去の結末が変わったことを確信する。
どんな出来事があって、どんな風に何が変わったのか、はっきりとは分からない。だけど少なくとも、アーシェがこうやって過去を愛しそうに話せるぐらいには、この一件はハッピーエンドを迎えたのだろう。
レティシアとアルフレッドは、互いに目配せをして、ふふっと笑った。
「良かったですわね、殿下」
「ああ、本当にな」
今回で第二章は終わりです。
次回、閑話を挟んで第三章が始まります。




