第17話 祈りとの対話
レティシアとアルフレッドは顔を見合わせると、声が聞こえてきた本棚へと歩み寄った。前回同様に本棚のその部分には抜けがあり、その箇所に収まるべき歴史書が欠けてしまっているのだと一目で分かる。
二人はちらりと目配せをすると、本棚の向こう側へと問いかけた。
「こんにちは、お嬢さん。貴女はどなたかしら?」
「何か困っているのなら話を聞こうじゃないか」
柔らかな口調のレティシアに対し、アルフレッドの話し方はやけに偉そうなものだった。恐らくは妖精王としての威厳を演出しようとしてのことだと悟り、レティシアは場違いにも笑ってしまいそうになる。
そんな彼女の変化に気づくはずもなく、本棚の向こう側で祈る少女はかすかな希望を見つけたという声で懇願してきた。
『妖精王様、あなたが魔術王と契約していることは承知の上です! でもどうか、どうか私の愛しい方にも慈悲をお与えください!』
「落ち着いてお嬢さん。まずは事情を知らないことには助けることもできないわ。ほら、ゆっくり息を吸ってー、吐いてー……」
レティシアに促され、本棚の向こうの少女は大きく深呼吸をしたようだった。何度かそれを繰り返した後、ようやく少しだけ冷静になった少女は、レティシアたちに語りかけてくる。
『申し訳ありません……。私の愛するアーシェが死にそうになっているのを見て錯乱してしまって……』
「いいのよ、気にしないで。貴女はその……アーシェさんに無理矢理連れ去られた少女で合っているかしら?」
『っ、無理矢理に連れ去られてなんていません! 妖精王様も、あいつらと同じことを言うんですか!?』
怒りと悲しみに満ちた声色で反論する少女に、レティシアは無言のままアルフレッドに視線を向ける。彼は頷くと、レティシアから話を引き継いだ。
「すまないな。一応確認しただけだ。お前は自らすすんでアーシェのもとに行き、彼と愛し合う関係になったんだな? 一体何があったのか、最初から教えてくれ」
『はい……。私はクエリアといいます。ある時、この森に迷い込んで、アーシェに一目惚れしたんです。最初はアーシェも拒んでいたんですが、私の押しの強さに負けて想いを受け入れてくれて、私たちは平和に暮らしていました。でも、意地悪な両親が私を追いかけてきて、あの忌まわしい魔術王の助けを借りて、アーシェを馬の姿に変えてしまったんです。私、彼が殺されそうになるのを見ていることしかできなくてっ……』
溢れる涙によって途切れ途切れになりながらも、クエリアは必死で話し続ける。アルフレッドはそれをしっかりと聞き終わった後、小さく手招いてレティシアを本棚から遠ざけた。
「殿下? どうしたんですの?」
「しーっ。大体状況は把握できたが、どんな形で解決するべきか話し合っておきたい。予想通り、クエリアとアーシェは両思いで、彼女はアーシェを助けて欲しいと妖精王に頼み込んだ。問題は、本来妖精王は彼女の祈りに応えたのかということだ」
指を一本立てて説明するアルフレッドに、レティシアはきょとんと首をかしげる。彼は無意識のうちに自分の胸元に入っている本を撫でながら続けた。
「物語では、アーシェは今でも神秘の森でユニコーンとして生き続けており、クエリアは返ってくることはなかったとされている。この未来の結果にたどり着くようにするのが、恐らく俺たちの役目だ。ここまではいいな?」
「ええ、そうですわね。……ああ、なるほど! 『妖精王が祈りに応えた結果、その未来になった』のか、『応えなかった結果、その未来になったのか』が分からないということですね?」
「そういうことだ。逆に言えば、その未来にたどり着くように誘導すれば、彼らの悲劇を覆すこともできるんじゃないかと、思うんだが……」
徐々に小さくなっていく声で言いながら、自信なさげにアルフレッドはレティシアの様子をうかがう。レティシアは、宝物を見つけたかのような明るい顔でアルフレッドの手を取った。
「素晴らしいですわ、殿下! ぜひそうしましょう!」
「しーっ! クエリアに聞こえるだろう! それから手を握るな!」
アルフレッドは咄嗟にレティシアから後ずさると、真面目な顔で言葉を続ける。
「よく考えろ。妖精王の本来の行動や、クエリアがこれからどうするのかが分からなければ、望んだ未来への誘導ができるわけない」
「それもそうですわね……。どこかに、本当にあった事実だけを書いた本でもあればいいのですけど」
「ああ、そうだな。そんな都合の良いものがあれば苦労はしないんだが……うん?」
思い悩んでいたアルフレッドの視線が、一点で止まる。そこには一冊分が欠けている本棚がそびえ立っていた。
「あるじゃないか! 目の前に!」
喜び勇んで、彼は欠けた部分の隣に立てられた歴史書に手を伸ばす。欠けている一冊に本棚の向こう側の世界の部分が書かれているとすれば、その隣にあるのはそこから続く未来が書かれた歴史書のはずだ。
深く考えずに歴史書を開こうとするアルフレッドに、レティシアはさっと顔を青くする。こんな不可思議な図書館にある歴史書がただの本であるはずがない。おそらくは魔法書の類だ。それも、取り扱いを誤ったらとんでもない事態が起きかねないほど強力な。
「殿下、魔法書を迂闊に開いては――きゃっ!?」
「うわぁっ!?」
レティシアの制止もむなしく開かれた本から光と風が吹き出て、二人の視界を奪う。そして次の瞬間、レティシアとアルフレッドは別の場所に立っていた。




