第13話 魔法石の輝き
翌朝、レティシアが目を覚ますと、すっかり日は昇ってしまっていた。窓辺に差し込む光は爽やかな朝を告げ、小鳥の歌声が森の木々から聞こえてくる。
「……寝坊しましたわっ!」
がばっと勢いよく体を起こし、レティシアは今自分がいる場所がイルソイール家の屋敷ではないことを思い出す。
屋敷にいたころは手ずから育てていた植物たちの中に、日が昇る前に水やりをしなければならないものがあったので、早朝に起きるのがレティシアの日常だった。
この工房に来てからもその時間感覚で行動していたが、今の自分にはそこまでの早起きは必要ではないとレティシアはようやく気付く。
「でも、だからといって惰眠をむさぼるのは性に合いませんわ。殿下もそう思うでしょう? ……あら?」
レティシアは同じ部屋で寝ているはずのアルフレッドに声をかけたが、彼が昨日眠ったはずのベッドはもぬけの殻になっていた。シーツもしっかりと整えられ、まるで最初からそこには誰もいなかったかのようだ。
「……全部夢だったのかしら?」
アルフレッドが駆けつけてきたことも、世界樹や妖精王のことも、冷静に考えれば現実味のない状況だ。そんな不可思議である意味都合のいい夢を見てしまったことに気恥ずかしさを覚えながら、レティシアはベッドから降りて出口のドアへと向かう。
「はぁ……わたくし、疲れているのかしら」
そんな風にぼやきながらドアを開けると、そこには即席の竈の上に置いた鍋をかき混ぜるアルフレッドの姿があった。
「アルフレッド殿下……?」
「ん? ああ、おはよう。どうかしたか?」
鍋をかき混ぜる手を止め、アルフレッドは不思議そうに聞き返してくる。レティシアは数秒固まった後、答えた。
「いえ、昨日のことが全部夢だったのではと思ったので」
「そうだったらよかったんだがな。残念ながらこれは現実だ。もうすぐ朝食ができるから、顔を洗ってこい」
しっしっと追い払われ、レティシアは工房裏にある泉に顔を洗いに行く。滾々と湧き出る泉は澄んでおり、レティシアの顔をはっきりと映した。
不安そうにしている自分の顔を眺め、レティシアは両手で自分の頬をぱしんと叩く。
「ダメだわ。しっかりしないと!」
どこからどうやって状況を打開すればいいのかもわからないほど、自分たちには問題が山積みだ。弱気になんてなっていられない。
そうやってレティシアが気合を入れていると、ふと足元に小さな花が群生していることに気が付いた。
「あら、これは……もしかしてセイレンカ!?」
レティシアは一気に植物研究者の顔になると、地面に顔を寄せてセイレンカを観察し始めた。
真っ白で小さい可憐な花を咲かせるセイレンカは、別名『浄化花』と呼ばれており、汚染された土地に植えると数十年かけてゆっくりと土壌を元通りにしてくれるとされている花だ。
されている、というのは、セイレンカの育成は難しく、十分にその効能を研究することができていないためだ。
浄化魔法を増幅する効能があるという説もあるが、そもそも浄化魔法を使えるのは一握りの人間だ。王族であれば儀式のために身につけることが通例となっているが、才能がない人間にはそれも叶わない。
だが、アルフレッドがもし浄化魔法を使えるのなら、その説を検証することができるかもしれない。レティシアは腰につけているバッグから採取用の袋を取り出した。
「一本だけ拝借しましょう。すべて取って、二度と採取できないのでは意味がありませんものね」
壊れ物を触るように丁寧に、根元の土ごとレティシアはセイレンカを掘り出す。そして、魔物の皮で作った採取用の革袋に入れると、バッグの片隅にそっと入れた。この革袋には内側を保存するための魔法がかかっているので、このまま持ち歩いてもしばらくは問題ない。
ついでに水筒用の革袋にも水を補給すると、レティシアは改めて自分の顔を泉の水で洗い、アルフレッドのもとへと戻っていった。
「遅かったな。何かあったのか?」
「ふふふ。ええ、そうなんです殿下! 実は希少な植物が泉に咲いているのを見つけまして、このセイレンカというのは研究者の間ではもう何十年も――」
堰を切ったかのように長々と語りだしたレティシアに、アルフレッドは気おされてうっと後ずさる。
「それで花だけではなく根にも――この発見は素晴らしくてそれから――!」
レティシアは熱に浮かされた様子で語り続け、ドン引きしていたアルフレッドは徐々に拗ねた顔になっていった。やがてハッと正気を取り戻したレティシアは、彼の異変に気付いて問いかける。
「あら、殿下どうしたんですの? そんなしかめっ面をしていては男前が台無しでしてよ?」
「お前がっ、よくわからないことを話し続けているからだろうがっ! そんなに俺の作った料理が食べたくないのか!?」
「え?」
癇癪を起したように叫ぶアルフレッドに、レティシアはきょとんと目を丸くした後、彼の後ろですっかり準備が終わっている朝食の用意に気が付いた。
自分のために用意したものを無視した上に、よくわからない話をまくしたてられて、アルフレッドは我慢の限界に達したのだろう。レティシアは自分の非を自覚すると、彼に頭を下げた。
「ごめんなさい。殿下のお料理、ぜひいただきたいですわ」
「……ふん、不味いって感想は受け付けないからな」
アルフレッドはほんの少し機嫌を取り戻すと、レティシアを先導して朝食の用意のもとに向かった。
テーブル代わりにした箱の上に置いた皿を取り、彼はレティシアにそれを手渡す。皿の中に入っているのは具沢山のスープだ。
そのまま二人は椅子の代わりにしている石へと腰掛け、食事を始めようとした。
「では、いただきますわね」
レティシアはそう言うと、スープを掬って口の中へと入れる。アルフレッドはドキドキと緊張した面持ちで彼女の様子をうかがった。
スープを口に含んだ途端、レティシアは、ぱあっと表情を明るくした。そしてもぐもぐとそれを咀嚼し、しっかり飲み込んだ後、前のめりにアルフレッドに告げる。
「美味しい! こんなに美味しいスープは初めて食べましたわ!」
アルフレッドは面食らった顔をした後、照れくさそうに赤面しながら素直ではない口調で答える。
「大げさだな。この程度のもの、貴族の屋敷の料理人なら片手間で作れるだろう」
「本当のことですよ! 殿下も食べてみてください!」
力強く主張するレティシアに半信半疑の視線を向けながらも、アルフレッドは自分のスープを口に運ぶ。その途端、口の中に広がった不可思議な風合いに、彼は目を見開いた。
「……確かに美味いな」
「でしょう?」
「妙だな、味見の時は普通だったのになぜ……?」
不審なものを見る目をスープに向けて、アルフレッドは首をかしげる。レティシアは少し考えた後、ふと気づいて工房の隣に作った小さな畑に目を向けた。
「殿下、まさかそちらの畑にあるアマツイモを収穫されて使われたのですか?」
「な、なんだ。使ったらダメだったのか?」
「いいえ、問題ありませんわ。ただ、アマツイモには少し変わった特性があることを思い出しただけです」
「変わった特性?」
皆目見当もつかない様子のアルフレッドに、レティシアは専門用語を使わないように気を使いながら説明をした。
「アマツイモは、強い魔力を持つ人間が触れてからしばらく時間が経つと、風味が豊かになると言われていますの。殿下はわたくしよりも魔力を多く持っていらっしゃるから、その効果が出たのだと思います。……ふふ、料理と魔力は深いつながりがあるらしいし、偶然で起きたことではあるけれど、もしかしたら殿下には料理の才能があるのかもしれませんね」
冗談めかして言うと、アルフレッドはますます照れくさくなったのか、頬を赤くしながら目をそらしてぶっきらぼうに言った。
「……別に、大したことないだろ。工房にあったレシピ本をそのまま参考にしただけなんだから」
「ふふ、レシピ通りに作れるというのはそれだけで素晴らしい才能ですわ。わたくしはどうしても上手く作れませんもの」
「……それはお前が好奇心のままにアレンジをしているとかじゃないのか?」
「あら、よく分かりましたわね殿下。心を読む魔法をお使いになられたの?」
「そんなわけがないだろう。本当に滅茶苦茶な奴だな」
初対面のやり取りが嘘のように、レティシアとアルフレッドは軽口をたたき合う。そのまま和やかに食事を終え、二人は空を飛んでいく小鳥をぼんやりと見上げる。
「殿下。これからわたくしたち、どうすればいいのかしら」
「ああ、そのことだが……森を出ればいいんじゃないかと思っている」
「え?」
彼の意図が分からず、レティシアは視線をアルフレッドへと向ける。アルフレッドは苦々しい面持ちでぶつぶつと呟いた。
「本当はあのユニコーンに一言謝っておきたかったところだが……」
「殿下……」
強い後悔をにじませるアルフレッドに、レティシアは慰めの言葉が思いつかなかった。彼女は少し逡巡すると、その代わりに彼の発言の意味を問おうと口を開く。
「ですが殿下、世界樹の異変を放置したりしたら――きゃっ!?」
いまいち掴めないアルフレッドの真意を尋ねようとしたその時――急にレティシアの胸元にかかっていた魔法石が強い光を放ち始める。視界を奪うほどの激しい光に、アルフレッドは咄嗟に立ち上がって彼女に手を伸ばした。
「レティシア!」
そして彼の指先が彼女に触れた瞬間――彼らの耳の奥に、悲痛な祈りが響き渡った。
『妖精王様、どうかどうかお願いします! 私の大切な方をお助けください……!』




