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第1話 雑草令嬢は追放される

 ユルアーシュ王国で植物伯爵として名を馳せるイルソイール家当主、ユリウス・イルソイールは沈痛な面持ちをしていた。


「レティシア、お前を我が家の籍から抜くことを考えている」


「え?」


 イルソイール家が誇る、屋敷の敷地内にあるガラス張りの巨大な温室。


 国中のどんな植物園よりも広大かつ多種多様な植物が生い茂るそこで、ユリウスの愛娘であるレティシアは、土にまみれた顔できょとんと彼を見上げてきた。


「どういうことですの、お父様? わたくし、何か粗相でもしてしまったのでしょうか」


「いや、お前は悪くない! 全く悪くないとも、私の可愛いレティシア。悪いのはあのバカ王子だ!」


 憤慨するユリウスの言葉に首をかしげながら、レティシアは立ち上がってパンパンと土がついた手をスカートで払う。当然、スカートは土埃にまみれたが、彼女のこういった行動は常であるので、誰も文句を言ったりはしない。


「バカ王子といいますと、もしかして、政治的な理由でわたくしとの婚約を無理矢理成立させたというのに、先日、一方的に婚約破棄を宣告してきたアルフレッド殿下のことですか?」


「ああその通りだ、何度思い返しても腹が立つ……!」


 第三王子、アルフレッド。王位継承権の序列も低く、特筆した長所があるわけでもない。才能もなければ向上心もない、勉強嫌いのダメ王子。だが彼を擁立したいと目論んだ周囲は、この王国の経済の一角を担っているイルソイール家に目をつけた。


 イルソイールは、代々植物に関する研究に秀でた一家だ。何でも、神話の時代に高位の妖精だか神だかに気に入られて、植物に関する固有魔法を代々発現するようになったらしい。


 ちなみにレティシアの固有魔法は、その場にある植物を無差別に活性化させることなのだが、これがアルフレッドとの顔合わせの際に、彼にトラウマと劣等感を植え付ける原因となったのだ。




 その日、王宮の一角でレティシアとアルフレッドは初めて顔を合わせた。


 18歳のレティシアから見てアルフレッドは2歳年下だが、両者とも小さな子どもというわけではない。周囲は若い二人だけで仲を深めて欲しいという期待を込めて、彼らの歓談を遠くで見守っていた。


 しかし周囲の人間の誤算だったのは、アルフレッドの幼稚すぎる精神性だった。


「レティシアとか言ったか? お前のような土臭い令嬢にはこれがお似合いだな。ほら、婚約者から花のプレゼントだぞ、受け取れよ!」


 アルフレッドは庭園の隅に咲いていた雑草を勢いよくちぎると、レティシアに突き出した。確かに小さな花がついた雑草だが、彼の顔にはニヤニヤとした笑みがあったので、それに悪意が含まれていたことは間違いない。


 だが草の匂いに育まれ、土とともに暮らしてきたレティシアには、そもそも『雑草』という概念が存在しなかった。


「まあ、可愛いヨウセイノコシカケですね! ありがとうございます!」


「は?」


 嫌がらせのつもりで雑草を渡したというのに、嬉しそうに受け取ったあげくその雑草の名前らしきものを挙げたレティシアに、アルフレッドはしばし絶句した後、次第に顔を真っ赤にして怒りだした。


「なんだ、お前もそうやって俺が無知な無能だって言いたいのか!? バカにしやがってこの雑草女! よこせ! そんな雑草こうしてやる!」


「きゃっ」


 一方的に劣等感を刺激されたアルフレッドはレティシアの手からヨウセイノコシカケを奪い取り、地面に投げ捨てて踏みにじった。


 彼が不幸だったのは、レティシアの固有魔法のことをよく知らなかったことと、ヨウセイノコシカケがどんな特性を持っているか失念していたことだ。


 ヨウセイノコシカケはその名の通り、常人の目には見えない妖精が休憩すると言われている植物だ。国中の至る所に咲いているので一般的には雑草扱いを受けているが、イルソイール家のような植物の専門家たちには重宝される魔法草でもある。


 そんなヨウセイノコシカケの特性の一つにあるのが、自分に危機が訪れた時に周囲の妖精たちに助けを呼ぶ音を出すことだ。そして、不幸にもレティシアは固有魔法を無意識のうちにうっかり使ってしまい、その特性を最大限に活性化してしまった。


 その結果起こったのは――


「うわぁぁぁ! 痛い痛いっ痒いっなんだこれはっ! ぎゃーっ!」


 目には見えないだけで周囲でくつろいでいた妖精たちが、ヨウセイノコシカケを害した張本人であるアルフレッドに襲いかかったのだ。


 アルフレッドの悲鳴を聞いて、遠くで見守っていた大人たちは駆けつけてきたが、妖精という人間が手出しをしてはいけない領域の存在の怒りを買っているという状況に手も足も出せず、ただ狼狽えるばかりだった。


 レティシアもまたおろおろと困り果てていたが、ふと自分の足下にもヨウセイノコシカケが生えていることに気づくと、それにそっと触れて囁いた。


「こんにちは、可愛い貴方。少しだけ貴方の座り心地をよくしてもいいかしら?」


 宝石が触れ合うような音でレティシアが話しかけると、ヨウセイノコシカケはぐんぐんと背丈を伸ばして、ちょうど妖精が座れるサイズの葉っぱの椅子をまるで実をつけるように作り出した。


「――、――――!」


「――――!」


「――――、――!」


 かすかにしか聞き取れない風の音のような声を上げながら、不可視の妖精たちはアルフレッドから離れていったようだった。


 そして、作り出された小さな葉っぱの椅子は、次々に誰かが腰かけたようにしなり、どうやら彼らのお気に召したらしいとレティシアはホッと胸を撫で下ろす。


「殿下、大丈夫でしたか? お怪我はありませんか?」


 腰を抜かしたまま呆けていたアルフレッドを覗き込むように、レティシアは微笑んで手を差し伸べる。アルフレッドは数秒の間、ピンチから颯爽と救ってくれた上で朗らかに微笑む彼女のことを、まるで女神でも見るかのように呆然と見とれていたが、すぐに羞恥と怒りで顔を赤くして立ち上がった。


「バ、バカにしやがって、このっ、お前のような雑草令嬢と結婚するものか! 婚約は破棄してやる! さっさと帰れっ!」




 当時のことを思い返し、レティシアは憂いの息を吐く。


「でもアルフレッド殿下には酷なことをしてしまいました。わたくしがちゃんとヨウセイノコシカケの危険性を教えて差し上げていれば……」


「いいんだよ、レティシア。『ヨウセイノコシカケをみだりに踏んではならない』だなんて、この国の子どもなら誰でも幼い頃に聞かされる常識なのだからね。……それにしても、暴言を吐いてきた相手にもこんなに優しいだなんて、なんて心が清らかな子なんだ、感動で前が見えない!」


 ユリウスは大げさに叫ぶと、天を仰いでおいおいと泣き始めた。


 彼のレティシアへの溺愛っぷりは常軌を逸したレベルであるが、妻が早逝し、レティシアの弟である息子も遠方に留学しているという今、彼を止められる者はこの屋敷にはいなかった。唯一、愛娘であるレティシアを除いては。


「ああ、この感動を後世に残したい! また絵師を呼んで絵画にしなければ!」


「こほん。お父様、話が逸れていますわ。それで、どうしてわたくしの籍を抜く話になるんですの? お父様っ!」


 腹を立てていますと大げさに表明しながらレティシアが顔を覗き込むと、ユリウスはうっと気圧されて正気に戻ったようだった。


「あ、ああ。それがな……面と向かって婚約破棄を宣言しておきながら、『やっぱりあれはなし』と先方から連絡が来たのだ。あの時は冷静ではなかった、ぜひ結婚したい、だそうだ。そんなもの、どうせ周囲に説き伏せられただけに決まっている!」


「まあ、そんなことが」


 どこか他人事のように『困ったわね』という様子でレティシアは口元に手を当てる。ユリウスはそんなレティシアに、胸を張って宣言してきた。


「そんな愛のない適当な男とレティシアを結婚させるわけにはいかん! だから、レティシアには一時的に我が家の籍から抜けて、どこかに身を隠してほしいのだよ。貴族籍のない状態のお前と仮にも王子である殿下が結婚するのは不可能だからな!」


 予想外の言葉に、レティシアはぱちぱちと目を瞬かせた後、困ったように眉を下げた。


「うーん、アルフレッド殿下は、確かに少々幼稚な方ですが可愛げはありますし、わたくしは別にあの方と結婚しても構いませんよ? 結婚後も、土いじりさえさせてもらえればそれでわたくしは満足ですし」


「いーや絶対ダメだ! あんな未熟でワガママな男にお前は嫁にやれない! ただでさえ私の宝であるお前がいつか結婚するだなんて受け入れがたいというのに! うううっ……」


 とうとう泣き出してしまったユリウスに、レティシアも扱いに困って遠くに控える使用人たちに視線で助けを求める。使用人たちは『私たちには無理ですお嬢様』と言わんばかりに揃って首を横に振った。


「頼むレティシア、父のワガママを聞いておくれ。ほんの一年、姿をくらますだけでいいんだ。その隙に、私があのバカ王子に別の魅力的な婚約者を紹介して結婚させるから」


「ですが……」


 レティシアには貴族の娘としての分別がある。貴族の娘として生まれたからには、政治や権力の道具として立場を動かされることになることに納得しているし、それを無理に拒絶することが騒動の原因になることもちゃんと理解している。


 そんな常識的な考えをどうやって父親に納得させようかとレティシアが考え込んでいると、ユリウスは自力で平静を取り戻して、レティシアから不自然に顔をそらした。


「……なぁ、レティシア。これは雑談なんだが、この国の東部は神秘の森に覆われていることは知っているだろう?」


「? はい、世界樹の伝説がある禁足地ですよね。それがどうかなさいましたか?」


 きょとんとするレティシアに、ユリウスはまるでわざとらしい独り言のように棒読みで言葉を続けた。


「実はあの神秘の森には、イルソイール家に代々伝わる魔法工房があってな。本来なら国の許可がないと出入りできないんだが、お前が身を隠すことを飲んでくれるなら、うっかり魔法工房の鍵を落としてしまうかもしれないんだがな~?」


「えっ」


「神秘の森には公的には未発見の希少な植物が山のようにあるし、肥沃な大地で土いじりし放題なんだけどな~? レティシアが嫌だというなら仕方ないな~?」


「えっ」


 突然目の前に吊り下げられた魅力的な条件に、レティシアの理性はぐらぐらと揺れ始める。比較的常識人とはいえ彼女もまたイルソイール家の人間。三度の飯より土いじりと研究が好きな植物バカなのだ。


「さてどうするかね、レティシア?」


 にやりと笑いながら、ユリウスは工房の鍵をレティシアに差し出す。その瞬間、レティシアの中に僅かに残っていた常識は彼方へと吹き飛び、彼女は目を輝かせて、その鍵ごと父親の手を握り込んだ。


「行きます! 私から籍を抜いて放逐してくださいませ、お父様!」

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