婚約破棄の常連令嬢と、結婚に至る花束
「婚約破棄?」
「婚約破棄だ! ナマで見ることになるとはな」
「今ここで? ああ、また彼女か」
伯爵家の迎賓ホールに、葉擦れに似たざわめきが満ちる。
「婚約破棄よ!! コンマザリア伯爵令息!」
「フィ、フィオリ嬢……!? 一体どうして!?」
「理由は追って父から説明を入れていただくわ。今この場で私の口からは……とても、ねえ」
フリルのついた袖で口元を隠し、フィオリはじっとコンマザリア伯爵令息を上目遣いした。
愛くるしいキャラメルブラウンの瞳に見つめられ、コンマザリア伯爵令息は追及の言葉を迷子にしてしまう。
「婚約者ではないのだから、もうこの場に用はございませんわ。では、ごきげんよう」
クレープ生地のようなドレスの裾をひらひらと引き、フィオリは宴から退いた。
*.:。❁
「まーた婚約を破棄にするのか、フィオリよ」
眉尻を下げて、父である侯爵は長女フィオリに話しかけた。
フィオリはクイっと顔を上げる。
「するというか、しましたのよ。夜会中に宣言をしましたもの」
バニラ色から先へいくほどストロベリーピンクに色づく、ウェーブのかかった髪。その一部を頭頂の左右で猫の耳に似たシニョンに結う。それがよく似合う小柄な令嬢、フィオリ・フォン・グルマンベルク。
愛くるしい容姿は男性の庇護欲をよく刺激するらしく、フィオリへの求婚者は後を絶たない。
ところが、見た目からはとても想像もつかないが、フィオリの婚約破棄は五回に及んでいた。
巷では『婚約破棄常連令嬢』と言われるようになってきたことに、父の侯爵は気を揉みはじめていた。
「だって、あの伯爵令息とんでもないマザコンでしたのよ。日に一回は母親のハグが必要な男と結婚するなんて、絶対イヤ」
仮にも貴族の結婚、マザコン云々より家格のつりあいなど事情があるのだから我慢せよ、というのが一般的な貴族であろう、しかし。
「なんと! マザコンでありフィオリが嫌であるなら仕方がない! うむ、マザコンを押し付けるとはとんでもない伯爵家だ。わしからも断りを入れてもっと良い結婚相手を探してやるからのフィオリ!!」
この侯爵、とんでもなく娘を猫可愛がりしており、激甘であった。
「前も似たようなこと言って婚約破棄した後、婚約させられたのがマザコン伯爵でした。お父様、次をお決めになるのは少し待ってくださいませんか」
「そ、そうかフィオリや。しかしおまえは見目こそ抜群じゃが婚約適齢期。なるべく早くには……」
「お父様。そのように急いた気持ちがあったから失敗したことをお忘れなく」
フィオリはこう言って自分のわがままは棚に上げ、婚約の猶予期間を父からもぎ取った。
しばらくの期間、婚約者不在は仕方ないと。
(お父様が次の婚約者を見繕う前に、なんとかやりようはないかしら……)
額に手を当て思案する。
本当は、フィオリは結婚相手にと望む男性がいる。ただ、相手はフィオリとは関わりが薄い。
おそらく彼はフィオリが恋心を抱くきっかけになった邂逅を忘れているはず。
フィオリはずっと待っているというのに、なんとも寂しいことだけれど。
それでも未だ遠目に一目姿を映すだけで、胸に真っ赤なドロップを抱いた気分になってしまう。
フィオリの片恋の相手──騎士団長エルセーク。
フィオリが運命を感じた出会い、それはもう三年近く前のことになる。
*.:。❁
グルマンベルク侯爵家の娘は誕生日ごとに、裸石をもらう習わしがある。
金箔が貼られた宝石箱に、年々、貯めてお守りにするのだ。
そして、石が十二個までそろえば、その娘なりに尊いものを宝石箱の横に飾って月の下でお茶会をする。
一夜のお茶会のため、フィオリは自分の誕生月に咲く一等きれいな花がほしかった。
枝から紫の大ぶりな花房を下げ咲き誇るシャサランタンの花。
枝を折るのは不作法とされるから、せめて花だけでも欲しい、と花の終わりに梢へ残った花目当てに木に登った。
しかし慣れないことをするものではない。
腰のリボンが枝に引っかかり、バランスを崩してしまった。
フィオリは落下を予感した。
木肌から手がすべって、頼りを失った体は下へと──
地面に打ちつけられる衝撃を覚悟したフィオリだが、痛みは襲って来なかった。
背中と膝の裏を力強く支えてもらっている。
固く閉じていた目を開き、自分を抱き留めた人と目が合った。
(とてもきれいな青い瞳。青いクリームソーダからとってきたみたいに、澄んで輝いて)
相手は、フィオリに焦点を合わせ瞳を丸くしたまま、目を瞬いた。
まだ成人前だろう、伸びゆく若木の可能性を感じさせる騎士だ。
彼は真顔で凝視してきたきり硬直してるので、フィオリから尋ねる。
「どうもありがとうございます。あの、あなたは?」
止まっていた時間が動いたように、フィオリは彼の腕から下ろされた。
「ゲルマンブルクの御息女フィオリ嬢とお見受けします。オレは蒼鉛騎士団副団長、エルセーク。フィオリ嬢が木から落ちるところだったので救援に入りましたが、名乗らないまま注視して、失礼をば」
「頭を下げたりしないで、あなたは私を助けてくれたのでしょう?」
軽くうなずくエルセークをフィオリは笑顔で見上げる。
「なら、そのあと長めに見たくらいなんだというのでしょう。さ、私からの感謝をお受け取りください。あなたのおかげで助かりました」
淑女として美しい所作で礼が言えたのに、当のエルセークは握った手を口元にそっぽを向いていた。
「あの、副団長?」
「そもそもどうして木に登っていたのですか。慣れた様子ではなかった、理由があってやむなく登ったのでしょう?」
「私、シャサランタンのお花が欲しくて……」
フィオリは密かな習わしのため花が欲しいのだと、理由を精一杯説明した。
エルセークはそれを笑い飛ばしたり不必要と切り捨てることなく、木を仰ぎ見る。
「あの花を持っていくのは勧められません。木質部から出ている香りで抑えられているのですが、花のみだとシャサランタンは虫を呼びます」
「そ、そうなのですか!?」
「枝ごと取るのは無粋とされることだし………そうだな……花か」
しばし黙って考え事を挟んだエルセークであるが、意を決したようにフィオリを向く。
「今は無理ですが、オレは貴女にぴったりな最高の花束を用意できます。いつか貴女に捧げますから、今日のところはこれで我慢していただけませんか」
そう言ったエルセークは長髪を括っていた髪紐を解き、フィオリに手渡した。
「未来の約束を宝石箱に添えることで、どうか」
紐の拘束を失い、エルセークのアイスブルーの毛先が風に踊る。
後光を背に、約束をくれた騎士は、 伝承歌の英雄に負けないくらい凛々しい。
まだあどけなさを残す少女だったフィオリは、この一時で騎士に心奪われた。
*.:。❁
「嘘つき、嘘つき……」
最新の婚約破棄から二週間後、フィオリは窓辺に立ち、父から功労賞を受け取るエルセークをにらんで呪詛のように呟いた。
フィオリが騎士団長に負の念を送っていると、誰が思おうか。
領地内の反乱を抑える働きをしたエルセーク。
彼はこの三年で騎士団長に昇進し、立派に勤め上げて活躍していた。
その勲功は誰にも異論のつけようがない。
だがもうフィオリにとってのエルセークは、大ぼら吹きと大差ない。
口約束したきり、彼はフィオリに花束を持ってきてくれないまま。
くれた言葉がその場限りの戯言であったと、そろそろ納得する頃なのだろうか。
最高の花束とはどんなものか、わからないまま。
そもそも、そんなものないのかも。
ああやって晴れ舞台に上がる彼は、フィオリとのちっぽけな約束など忘れてしまったのだ。フィオリの存在だって、おそらく。
胸の中の赤いドロップは、チェリーのような艶やかな表面を失った。
今ではドロリと溶けて滴り、赤黒い染みをつくって、フィオリの心を汚している。
なのに、真芯では炎の粒かというくらい、切なさは赤熱し続けていた。
(エルセーク団長……。あなたに、見つめてもらいたい。私に、気づいてくれたら)
かぶりを振る。彼は団長就任から株が上がり続け、街で一番の娘たちの憧れになった。
初春に公開された劇場で演じられた歌劇は、彼をヒーロー役のモデルにしたという。
長い青髪を後ろ括りにした騎士が、男爵令嬢に豪勢な花束を渡す内容だった。
これまた主役の令嬢にもモデルがいて、一連のストーリーは年末にあった騎士団長のロマンスから劇作家が膨らませたものという謳い文句を、劇場支配人から聞かされた。
(ついに私のもとに来てくれないまま、あなたは他の人に花束を捧げたのね)
歌劇を見た翌日から一週間、寝ついてしまった。
エルセークのことを忘れられないまま、胸の中の赤い粒を持っている、まだ待ってしまう。
フィオリは窓を開け放つ。
下の広場から上がってきた風が、緩く巻いた髪を弄んでいった。
そして、思い立った。
ただ待つのではなく、一度だけ打って出よう。これでダメなら……三年抱いた恋心を自ら割って撒いてお仕舞いにしよう、と。
こうして、春の盛り、グールマ領に布告がなされた。
以下が、侯爵家の総領娘フィオリの言葉だ。
『私を満足させることのできる素晴らしい花束を持ってきた者を、私の婚約者とします』
さて、翌日の昼には、フィオリは己の発言を後悔した。
布告の後、逆玉の輿狙いの庶民から貴族までが侯爵邸に集い、長蛇の列ができた。
収拾がつかなくなり、フィオリは広場で求婚の花束受付を開くことになってしまった。
貴族が丹念に温室で育てた華麗な花束から、「何が心に刺さるかわからない」と橋の下に住んでいる物乞いの持ってきた食虫植物の花束まで。
はじめてから三日、多種多様な花束攻勢を受け続け、けれど待ち人は現れず、もしくは彼を忘れさせてくれそうなほどの花束を持ってくる者もいない。
(布告を聞いてもエルセーク団長はピンとも来ず、思い出してくれなかったかしら。いいえ、年末にもう花束を捧げた人がいるから、思い出しても私への求婚になることをしに来ない、か)
エルセークが来ないなら、あとはほどほどに良い花束を持ってきた者で妥協しようか。そこそこ面白そうな若者にうなずいて終わりにしてしまおうか。
順にかざされる花束へ首を横に振りながら、フィオリは諦めつつあった。
*.:。❁
グールマ領の 蒼鉛騎士団は過酷な訓練に耐えた精鋭が集う、随一の騎士団である。
領内の他団はもちろん、領外でも高名な、泣く子も黙る戦闘集団。
しかし、屈強で荒々しい団員を率いるエルセーク団長は、一輪咲く水仙のごとき端麗な男であった。
あったのだが、今の彼は──萎びていた。
この異様に彼の 麾下にある騎士たちはおののいた。
なんだ? 敵国の呪術師に呪われたか、強力な魔獣に毒を喰らったか。
騎士団の団長席で、エルセークは覇気なくうなだれている。
見かねた現在の副団長レグレオネスが、エルセークに話しかけた。
「団長、どうされました? あまり精気に欠ける様子でいるのは士気にかかわります」
大きな街を混乱に陥れるドラゴンにすら臆さないエルセークが、気弱にレグレオネスを手招き、耳元に口寄せる。
ぼそぼそぼそぼそ。
「なんとッ」
レグレオネスは老獅子を人に押し込めたような、見た目も中身も剛毅な騎士である。
それが団長のぼそぼそした言葉を聞いたが目をかっぴらき、一礼して素早く幹部団員の集う部屋へ引いた。
「副団長! 団長はどうなさったのですか!?」
「なにか、呪いや病ですか?」
レグレオネスは深刻な面持ちで幹部団員にだけ明かす。
「団長は、深刻な……病と言える。対応を誤れば呪いになるかもしれん」
「それは!? 治癒と解呪はできそうですか」
「わからん」
「一体、どんな病なのですか?」
詰め寄る幹部団員たちに副団長はうむ、と咳払いした。
「恋の病だ。あれは団長が自ら動くか、諦めでもせねば治らん。さもなくば呪いとして団長を縛ることになろう」
「ええ〜!? 団長が?」
「団長ならどんな女性もイチコロなはずでしょ?」
「何やってんですか団長……!!」
この言われように、レグレオネスは団長へのフォローを入れる。
「いや……団長はなにか、相手に交際を申し込みにくい理由があるようだ。それがより一層思い悩みを深くしておる」
団員は団長の良さをよくわかっている。
外見は年頃の娘なら誰もが見惚れる華やかさだし、勇猛さも剣の腕も、若くして団長に就いたのだ、抜群だった。
この場にいる者は皆、彼を慕っている。
団外の人間にちょっと……垣根を感じやすい面があるだけ。それだけしか欠点がない傑物なのに。
「理由ってなんだよ〜、サクッと行っちまえよ団長〜」
「あんたで首を縦にしない女がいるはずないだろぉ〜」
団長室に篭ってこの場にいない団長の恋へ、団員は一同「絶対砕けたりしないから! 砕ける覚悟で当たってきてくださいよ!」と恋の成功を祈らずいられなかった。
*.:。❁
──フィオリ嬢が、また婚約してしまう。
エルセークは団長室の窓から必死の思いを込めて、丘の上を眺めていた。
まだ新米騎士だった時、任命式で拝謁した侯爵令嬢は、ホワイトチョコレート製の人形みたいだった。
時折、目にすれば戦闘で荒くれた心の表面が、甘く溶けて安らぐ。
出くわした時は野に遊ぶ子猫を観察する気持ちで、和むのに利用していた。
ある春、フィオリが一人うろうろしていることが気になって背後をついていけば、なんと木に登り始めた。
不慣れでおぼつかない登り方に不安を覚え、下で見守っていれば案の定、彼女は落ちてきた。
エルセークは自分がクッション役になれたと、救援に入れた巡り合わせの良さに感謝した。
エルセークを瞳に映し微笑むフィオリの可憐さ。
自分のものは他人に頼らず自分で取りに行くのだという、相反する強さ。
激しい胸の締め付けと恋心を自覚した。
彼女がもう木に登ろうとしないよう、必死に「最高の花束を贈る」と、大きいことを口にして。
あるいは、約束で彼女の中に自分を刻んでもらいたかったのかもしれない。
邂逅は、エルセークの中で最高のひとときであり、呪いになった。
魔獣やドラゴン、反乱兵には平気で立ち向かえるのに。
かの令嬢に求婚の名乗りをあげるのは、いつも気後れして、もう何度も何度も、エルセークは浮き沈みしてきた。
フィオリに花束を贈る約束をして、三年も経ってしまった。
『最高の花束』そんな約束をしたせいで、花束なしで顔を見せられなくなった。
エルセークが贈るつもりだった花束は、時節をとても選ぶ。
約束当初、翌年には叶うだろうと思ったのに、戦地に駆り出され、街にいることができず、肝心の時期を逃してしまった。
その翌年こそ、と思えば、当の花が咲かない。
流行った樹木病にやられて一輪も咲かなかったのだ。
花束なんかなくても、勇気を出してすぐ彼女に会いに行けばよかった。
そば近くで接しながら、いつか捧ぐ花束を話題に親交を深めてもよかったのに。
団長への昇進を見込まれて、団を率いるのに必死になっているうちに、機会は延び延びになって。こんなに時が経って、今さら手ぶらで会いにいけようか。
そんな中で、フィオリが「気に入る花束を持ってくれば婚約する」と布告を出したのは、エルセークにとって衝撃だった。
(フィオリ嬢はどういうつもりなのだろう? 花束とは? オレとの約束を覚えていて催促をしているとか……いや、それは期待を持ちすぎだ。最近流行りの歌劇、あれの影響で花束に憧れているだけでは)
劇作家があちらこちらの騎士団長のエピソードを寄せ集めて、理想の騎士団長で劇を書きたいというから、エルセークも劇作家と対談してモデルとなった。
もっとも、エルセークは団のこと以外では口の滑りに落差が大きく、劇作家とはなんら話が弾まなかった。
できた脚本の確認を取ったが、演劇のヒーローには外見以外、エルセークが反映されている点はなかった。
しかし、大ぶりの花束を捧げられたヒロインが感涙するシーンは盛り上がりそうだった。どこの騎士団長のかは知らないが、うまくやった団長がいたものだ。
とにかく、花束を気に入ってもらえればフィオリの婚約者になれる、というのはこれまでで一番エルセークの諦めていた恋心を炙った。
貴族の身分や資産がなくても、彼女と結婚できる、なんて。
と、同時に自分以外の男が選ばれる可能性に、萎びるほどヤキモキした。
今こそエルセークも花束を用意してフィオリに見せに行くべきだが、ずっと待った花束が用意できるまで、まだ時間がいりそうだ。
(約束した花束ではなくても適当な花束を見繕い、フィオリ嬢に会いに行ってみるか? だって……このままでは先を越す貴公子なり男なり、いつ出るかわからない)
ぶんぶんと、エルセークは首を振った。
(いや、適当な花束で彼女が気に入ってくれるか? フィオリ嬢に捧げるなら、やはりアレしかない。なら……)
一日千秋の思いで時が満ちるのを待った。
そして、エルセークの願いを天が聞き届けたかのように、突然暖かくなった日に好機が訪れた。
フィオリの婚約者が決定したとの知らせもまだない。
(いける。三年越しで、やっと、貴女の前に行ける、花束を捧げに)
一番新しい騎士服の懐にリボンとラッピングペーパーをしまった。
青髪を乱れなく括っていざ、フィオリの元へと向かう段になって、危急の報せが入る。
「団長! 広場で花束を受け付けていた侯爵令嬢が、何者かにさらわれたそうです!」
「なんだと!!!」
*.:。❁
花束を次から次に見続けて何日目か。再挑戦も可能なのでキリがない。
フィオリの花束の試練はすっかり一日の流れができてしまっていた。
11時から開始して、12時から一時間昼休憩。15時まで。
花束のことから離れ、判断をクリアにする昼休憩中、仮設置された天幕に来訪者が現れる。
「あ、あなたたちは……」
「やあやあフィオリ嬢、俺たちだって、花束を気に入るかどうか見てもらう権利はあるだろう。再戦だよ再戦」
いやらしい笑みを浮かべるのは、先日フィオリが婚約を破棄したコンマザリア伯爵令息、さらにその背後に、フィオリがこれまで婚約を破棄してきた四人の貴族子弟が勢揃いしていた。
花束を捧げに来たにしては不穏な空気が漂う。
「今は花束を判断する時間ではありませんわ。休憩中なの、出ていってください」
「あんな長い行列を待てるか。フィオリ嬢には俺たちの用意した場所に来てもらう」
「何を横暴なっ、きゃあっ!」
居合わせた中でも体格の良い、元三番目の婚約者に担がれて、フィオリは天幕から強引に連れ出された。
広場からほど近い朽ちかけの倉庫で降ろされたが、元婚約者たちは形だけ用意した花束を見せた後、フィオリを取り囲み迫ってくる。
「俺たちの誰かの花束を選んで、婚約者に復帰させろ。もちろんもう破棄は許さないしお前なんか愛さない、白い結婚で利権だけ貪って生活させてもらう」
「グルマンベルク侯爵家の財産と権力と結婚したかったんだよ、おれたちは」
(そんな性根も婚約破棄の一因じゃない。しかも今度こそお金や地位だけ啜る結婚がしたいってことでしょう? 私を脅してまで)
「いやよ! 私、あなたたちの花束を選んで再婚約するなんてあり得ません! そもそも、こんな暴挙に出るなんて、婚約破棄は正解だったということです」
「なんだとぉ」
「今お前に拒絶する自由があると思うか?」
「侯爵家の令嬢では耐えられないような目に合わせてやる」
怖くてドレスの下の膝は震えていた。目尻に涙が浮かぶ感覚もある。そんなフィオリに花束を投げ捨てた元婚約者たちはにじり寄ってきた。
腰が抜けて、すとん、と頭の位置が下がっても、彼らになんら変わりはない。
うねうねと動く手が、フィオリのドレスの端を掴んだその時──
倉庫の扉が破られて吹っ飛んだ。
「お前たち! そこまでだ!! お前たちを侯爵令嬢の誘拐で逮捕する!!」
青髪を振り乱し、突っ込んできたのはエルセークだった。
「そ、蒼鉛騎士団の団長!?」
その存在を認めて元婚約者たちはヘナヘナと座り込む。
しかし体格のいい三番目の元婚約者だけが崩れた壁の穴へ向かっていく。逃げるつもりらしかった。
「逃がさん!」
疾風のように、一閃、青が駆け抜ける。
逃げ出す元婚約者に追いついたエルセークは鞘に収めたままの剣で打ち倒す。
荒事だというのに、一連の動きは滑らかで美しかった。
呆然と自分の救援に見惚れたフィオリに、エルセークの手が差し出される。
「ご無事ですかフィオリ嬢」
「ええ、まだ何もされてないわ」
手を、とることができるのか。触れ合えるのか。
緊張してそっとのせたフィオリの手を、エルセークは握って引き上げ、立たせてくれた。
(エルセーク団長の手。思っていたよりずっとゴツッとしている……逞しい手だわ。まだ離したくない)
剣の鍛錬で硬くなったろう手のひらや、皮膚に残った古傷の跡まで、手からエルセークという存在を、刻みつけて一生の宝物にしたい。
名残惜しいフィオリに、エルセークは遠慮がちに尋ねてきた。
「フィオリ嬢。こんなことがあったすぐ後で申し訳ないのですが、オレは貴女との約束を果たしたい。今ならできるのです。オレについてきていただけませんか」
「エ、エルセーク団長!? 私と会話した時のことを覚えていてくださったんですか?」
「もちろん。三年もお待たせした。すみませんでした。どうか、オレに機会をください」
「覚えて……いて……」
胸で思いが詰まってしまって、言葉になって上がってこない。
ただコクコクとうなずきながら、エルセークに手を引かれ、見晴らしの良い丘へ着く。
「では、少しお待ちを」
一言断ったエルセークは繋いだ手を解き、懐から花束を包装するときのラッピングペーパーを取り出した。持ち手との境目に、己の瞳に似た青のリボンをかけて、フィオリに近づいてくる。
(え? ええ? 花束って、包装の中に何もないけど!? からっぽ!?)
「フィオリ嬢、目をつぶってもう少しこちらへ……そう。その位置で」
誘導され顔を下げたまま薄目を開ければ、地面に印が書かれていた。
エルセークはまさにそれをフィオリに踏ませ、準備を整えたようだ。
「よし、ではフィオリ嬢、顔を上げて。これが、オレが貴女に捧げたいと機を待った花束です」
「あ、ああ!」
跪いたエルセークが差し出す包みと重なる向こうに、紫の花々が見える。
ラベンダーアイスの色で、春にふわふわと咲く。
紫雲にたとえられる立ち姿の美しい──シャサランタンの立派な大木だ。
二本が絡み合い倍量の花を満開にした対岸の丘のシャサランタンが、遠近差によって花束にちょうどいい大きさに見える。
「初めて言葉を交わしたとき、貴女はシャサランタンの花を求めていました。満開の大木を、こうやって……貴女に丸ごと捧げたいと、思ったのです」
フィオリは受け取るように、包装を持つエルセークの手に己の手を重ねた。
二人の手の中にあるように見えるシャサランタンの大木は、風に吹かれてチラチラと紫の花びらを周囲に舞わせた。
「ありがとうございます、エルセーク団長。待った甲斐があったわ……最高の花束です。たくさん見てきたどの花束より、一等好きで素晴らしい花束」
「喜んでいただけて、よかったです」
喜んだだけではない。最高の花束だと認めたのだ。フィオリはエルセークを見据えた。
「最高の花束と言いました。あなたはそれを捧げにきた……意味は、わかってくれていますよね?」
しかとうなずくエルセークに、フィオリの喜びも満開になる。
「フィオリ嬢。約束もあったけれど、オレはこの花束に求婚を賭けてやってきたんです。ずっと貴女を忘れられなかった。どうかオレと婚約して……結婚してください」
夢みたいだった。
諦めかけていたエルセークへの想いが、水を得た茎のようにしっかりと背を伸ばし、フィオリの中でしゃんと通る。
返事は決まっている。
「はいっ! 私、待っていました。もうずっと、あなたが花束を持ってきてくれないかって期待していた。嬉しい……嬉しいの」
「待っていてくれたのですね。オレは、オレを叱り飛ばしたい。もっと早くに来るべきでした。そうすれば、貴女があんな令息どもに恨みを買うことも、拉致されることもなかった」
自己嫌悪をはじめそうなエルセークを、フィオリは「いいえ」と否定する。
「いいのです。来てくれたから。ここから、よろしくお願いします。私の未来の旦那様」
その言葉で、エルセークの腕が上がり、フィオリの直前で止まる。
「その、触れても……いいですか?」
「はいっ」
バニラ色の髪に触れて、肩口を抱く腕に引き寄せられる。
エルセークの腕の中に収まって、ドクドク激しくなった脈拍を耳にしながら、フィオリは団長服に染みているティーツリーと、微かに混ざる汗の匂いを嗅ぎ取った。
腕の中で、頭をやさしくぽんぽん、とされる。
「大切にします。貴女を、生涯。剣に誓って」
穏やかに撫でられる心地よさで、フィオリのずっと張り詰めていた気がゆるんでいった。
*.:。❁
エルセークの花束を選んだことを街中に知らしめ、花束騒動は終わった。
侯爵家の面々は「エルセークなら安心だ、フィオリを頼む」と握手して、エルセークはフィオリの婚約者の座に収まった。
婚約者同士になってからのフィオリとエルセークは、想いあいながら距離を詰め損なっていた三年を取り戻すように、頻繁にデートをして互いへの理解を深めている。
「エルセーク団長、こんなにしょっちゅうデートをしていては、団員の皆さんにご迷惑ではないですか?」
「いえ。それが皆、ニタニタと満面の笑顔で送り出してくれるのです。副団長も、仕事を肩代わりしてでも『とにかく行ってください』と言ってくれて。オレは団員に恵まれました」
チョコミントのフロートを吸いながら、エルセークに捧げられた花束だったシャサランタンの木を眺めた。
一つの季節、グールマ領を賑やかにしてくれる花は、そろそろ季節が移ろうと、その姿で告げている。
縁を結んだ花の終わりが寂しい。
惜しむフィオリを察したのだろう、エルセークが微笑みかけてくる。
「来年も、その次も、季節が巡ればまた捧げますから」
欲しかった言葉をくれるエルセークに、フィオリはもっとと欲をかいてしまう自分を恥じた。雰囲気が良いのだから、ここは初めての口づけでも交わすところではなかろうか。
自ら飛び込んでしまおうかと思ったフィオリは、寸前で怖気付いた。
目線を逸らし、気まずい空気に舌を巻く。
「フィオリ嬢」
「はい。……んっ」
一瞬、吸い込まれそうなほどエルセークの瞳が近くなり、ふわっと柔らかさが掠めていった。それが何か悟って、フィオリは頬を熱くする。
「オレはもう、貴女が望むものを与えるのを後回しにしません。凝りましたから」
新しい季節が来る。グールマ領にも、自分たちにも。
フィオリももう臆さない、勢いよく受け止めてくれる腕を信じて飛び込んだ。
Fin
というわけで、花束を贈ることを主軸に置いた騎士団長ヒーローの物語でした!
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ではまた、次のお話でお会いしたいです。