体力的なもの
私は、見栄に苦しんだ、ひとりで有る。
何の為の見栄なのか?
誰にでも、人より偉い、生活が善いと想われたい気持ちは有る、だが、
その力が十分に無い者が虚勢を張り、又は、無理して、散財してまで何で虚勢を張る必要があろうか?『武士は食わねど、高楊枝』、『腹が減っては戦は出来ぬ』なんとも便利な言葉で有る、その場所と立場により、言いたい事を言いたいほうだい。特に、私は小さな時から、体が弱く、それが為に、『子供のくせに肩が凝ったとは?』、『男の子くせに、女の腐った様な事をすっが』と謂われ続けて来た。確かに、見た目も普通で、何一つ悪い様な所は見当たらなかった。しかし、実際に肩こりは有るし、走らせば、どんなに、速く走っても、人より速くは走れ無かった。小学生から、高校生まで、秋の運動会はいつもびり、このような事をしなければならいものが何で、いつも、競争で賞品貰える者の様に、運動会が好き為れる筈が無いし、ましてや、いつもの体育の時は嫌な目に遭う。それにその同時の先生の数は100人は下らない。『運動しろ』とは言うが誰もその異常性に目を向ける先生は誰一人として居なかった。
もちろん、生徒の一生を滅茶苦茶にしても、それが当たり前と思う先生達だから無理も無い。
いずれにしても、その異常性の原因が判明して治るのが50歳過ぎるから私の人生もたいした事は無い。
事、走る事と力が無い者が生きることは苦しい。私は男です。万年虐められ子ですかね~?
話しは帰りますが、要するに、見栄を張りたくても張れ無かったのが実状です。