このドール、ください。3
7.ルワンダ、思考の渦の中
生まれて初めて報告書を握り潰した。
(こんな馬鹿な話が……何という事だ………)
(足元にある魔法陣を気遣うように)割り当てられた執務室の中を動き回る。じっとしていられない、あってはならない、再現されてはならない事が起こってしまったからだ。
(何のためにここまでやってきたと……人間が魔法を放ってはならぬというのに!!)
数奇な運命と言う他にない。転身魔法によって人の身に変わっていた真祖の一人、エメラルティア・ユグドが召喚術式によってリングドーラーに招かれていたのだ。転移魔法であれば今回の事態は起こらなかった、それなのにエメラルドの町にいたドールは召喚術式を組み、凄まじい確率の中を掻い潜って勇者世界にいた真祖を引き当てたのだ。
「星五何連引きですかと言わんばかりに…」
人間、もとい人間サイズが扱う魔法の威力は桁違いである。またそれに伴い消費量も尋常ではない、だから我々はドールに身を替えて今日まで消費量を抑えてきたのだ。
握り潰した報告書には、エメラルドの町が影に襲われ、そして元来の魔法が発動したと記されていた。真祖が故に、これがただの人間であれば起こらなかった事態、世界が仕組んだシステムかと疑う程であった。
「排出率は明記されている……しかし、次の一回で出る保証はどこにもない──そうか、だから一〇連召喚というものに身を委ね、おまけの一回にすら頼ろうとするのか……」
侮りがたし。そう締めくくって思考実験を中断し、魔法陣の作成を再開しようとした矢先、扉を蹴破る者が現れた。
「ルワンダあ!リンルが大変なコトに────あんた何やってんの?」
「急に入ってくるな馬鹿たれ!」
「あんたそれ………魔法陣よね?しかも転移魔法………どこに行くつもり?」
「もう手は打ってある!心配するな!良いな!そしてすぐに出て行け──やめんか!やめぬか!この魔法陣にも金がかかっとるんだぞ?!」
ガーネット、それからダイアに魅力の勇者であるミコトが室内に入り、わしの言い分も聞かずにガーネットが魔法陣を消しにかかってきた。
「そういう言い方はしないって話だったでしょ?!それなのにこれは何よ!この文句も言いに来たのよ?!時価総額五〇〇万ってふざけんじゃないわよ!もっと高いわよ!」
ミコトが体を折って笑っている、そんな事よりも早くこいつらを追い出せ!
せっかく描き上げた魔法陣を守りながら五〇〇万の女を睨め付けた。
「それについては後で謝るからとにかく出て行ってくれ!頼むから!行きたい所があるんだ!」
「はあ?!この状況で良くそんなことが言えたわね?!リンルの土地がリポップのせいで穴が空いたのよ?!どうすんのよ!」
「それも大丈夫だから!星五の真祖がおるから心配するな!」
「──あんた、一日何回転移魔法使えるのよ」
一気にクールダウンした女王がそう問うてきた、その目にあるのは名に相応しくない絶対零度という"値踏み"。
「そういうの良くない、ほんとそういうのは良くない」
「いいから答えなさいよ、私は一日一〇回よ?一月換算なら一億五〇〇〇万なんだから。そもそもあんたが始めたことでしょう?」
入り口の近くに立っていたミコトが「ガーネットさんマジやべぇ」と驚いている、その顔を見てしまったがためについ対抗してしまった。
「……二〇回だ「嘘つけえ!!あんた今魔法陣描いてるじゃない!!」これはただの節約だ!向こうに行くんだからぽんぽん使えんだろ!」
「何しに行くの?ねえ、ミコトから聞いてんのよ?あんたがちょいちょいネトゲ用語を使ってるって」
「…………」
「リポップってネトゲでは"無限湧き"と近い意味があるらしいわね?どうしてあんたがそんな事知ってるの?実はこそこそ向こうに行ってたん「当たり前だ馬鹿たれ!こっちだって息抜きしないと死ぬのだ!それぐらい分かれ!」
「あんたそれでもリングドーラーの長か!」
「復刻期間が過ぎる!その話はまた後でしよう!」
「ガチャしに行くんじゃない!この世界には実装しないとか言っておきながら!」
「今日の零時までなんだ!それを過ぎたら次いつ復刻されるのか分からんのだ!良いな!」
「このクソ帝めが──議会の皆んなに言い付けるわよ?!」
「──いいじゃないかこれぐらい!!お前さんの話を聞くまで手を出していなかったが踏ん切りがついた!そして今日がちょうどイベントの最終日!行くしかないだろ!」
ミコトが天を仰いで笑っている、可憐な顔が笑い涙で光っていた。
「で、あんたは実際いくらぐらいのドールなの?」
「そういうのは止めよう、本当に良くないから」
「言い方を変えるわ。あんた、あっちの世界で何万円分の魔力を変換したの?」
「…………………………」
「おかしいと思っていたのよ、私とダイアが稼いだお金だけでここまでリポップが膨れ上がるのかってね。知ってるかしら?あっちの平均月収は正社員でも五〇万そこら、一月働いて生活費も全部費やしてようやく転移魔法一回分なのよ。私とダイアが稼いだお金は自分たちの魔力量を越えていないの、分かる?」
ごくり。この女、勘が鋭いにも程がある。
「それは株やFXなどで「あんた、向こうではプーなんでしょ?どうやって遊ぶお金を捻出しているの?労働を果たさなければ遊ぶことすら出来ない世界でどうやってネトゲに時間を費やせるのよ。早く言いなさい!!」
ガーネットの雷が頭上から落ちてきた、こうなったらかくなる上は...しかし先読みされていたらしく、ガーネットがあのミコトを顎で使い、
「やめんかああああ!!!」
「さああせーーーんっ!!!」
どこから汲んできたのか大量の水をぶち撒けられてしまい、次回のイベントまで待つ羽目になってしまった。
「ルワンダ、いいわね?議長の席、しばらく預かるわ」
✳︎
「いんやあ、マジで面白かった!まさか異世界でガチャに注ぎ込む駄目人間を説教してるところを見られるだなんて思わなかった!」
「まだよ、だから止めたの。あ──いいえ、まだなんです、」
「もういいから、ダイアさんに何か言われてるんでしょ?」
「私は何も言っていません。女王として然るべき態度を取るべきだと言っただけです」
「ダイアさんね、私にガーネットは私のモノなんだからはつげ「はいそこまで!」
ああ、そういう事なの?だからあんなにブチギレてたわけ?可愛いとこもあるじゃない。
「それならミコト、悪いんだけどこっちに入ってくれない?今からリンルで起こった問題に対処しなくちゃならないから」
「も、もち!もちろん!もちろんいいよ!」
物凄く嬉しそう、このミコトという勇者はあっちであまり楽しい思いをしていなかったらしい。きちんと訊ねたわけではないが、言動の端々からそれを感じるのだ。先日の大勝利もミコトの手助けがとても大きかった、見かけによらず体を動かすのが得意らしく、韋駄天の如く森を駆け回り敵を撹乱してくれたのだ。その時も本当に楽しそうにしていた、少し危なかっしいけれど頼りになる勇者だった。
それでもやっぱりミコトのことが気に食わないのか、ダイアが私に待ったをかけた。
「いいのですか?手を組むとなれば女王にも話を通す必要が出てきますし、周りの諸国に対しても、」
「あーあー、そういうんじゃないから!あのダメ帝見たでしょ?私たちがやらないとこの世界終わるわよ?娘としてそこんとこどうなのよ」
「うぬぅ……」
ミコトが、あっは!とまた変わった笑い方をしている。
「ダイアさんもそういう冗談かますんだね、何か意外!」
「馴れ馴れしくしてこないでください!」
「あ、ごめん…ごめんね?」
「この子打たれ弱いんだから言葉を選びなさい!」
「勇者様に向かって"子"呼ばわりはさすがに不味いでしょう?!女王に聞かれたらどうするのですか!」
「あ、それは平気じゃない?私らドライな関係だからさ、親と一緒で無干渉なんだよね」
...とまあ、こんな感じで自分の身の上話を挟んでくるのだ。
◇
「ルワンダ議長よりこの席を賜りましたガーネットです。これよりリポップが駆逐されるまでの間、私とダイア女王がその責を全うすることを誓います。また、キキル大川国の勇者様であるミコト様には既に協力していただいております、先日のリポップ殲滅戦の折に大健闘していただきました。この場をお借りしてキキル大山国女王であるあなた様に御礼申し上げます」
軽く会釈を返しただけだ、ミコトの話を聞いても怒りもしないし喜びもしなかった。けれど、ミコトは気にしていないようである、私にさんさんと目の光りを注いでいた。
「つまり、これよりの損害補填は全てオクトリアとピーリスト、ならびにキキルが行なうということでよろしいですかな?」
「ええ。ですが、キキル大川国は含まれておりません」
場がどよめく、それにはダイアも含まれていた。目が「国が傾きますよ!」と怒っていた。
「それでしたら、まあ……こちらは何も言うことはありません」
私の方から緊急の会議を要請し、皆に集まってもらっていた。月が良く見える夜だった、青白く光る森は異物を除去した後だからか、いつもより綺麗に見えていた。
オクトリア女王としての正式な発言により、リポップの討伐責任はその女王たる私が持つことになった。もし、こちら側の不備や手違いで自国に損害が出た場合は補填しなければならない。まあ、それは大した問題ではない、ダイアは目を剥いて驚いていたが。
議会の決定にやっぱり異を唱えてきたのが堅固の勇者であった。
「その決定の根拠について教えてもらいたい。何故君たちが責任を持つ?誰のせいでこんな事になったのか理解していないのか?」
(おーおー怖い怖い、自分の役割が取られるからって遠慮がないわねー)
ダイアとミコトがピリピリしているのを理解しながらこう答えた。
「アケックの里からまだ正式な解答が出ておりません。その解答なくして私たちに責があると断定するのは控えてください」
「議長の席に腰かけたからといって君たちがやった行ないは何も変わらない。何故君が中心者をやるんだ?」
「この世界そのものを憂えているからです勇者様。誰も彼もがリポップの対応に本腰を入れないのは怖いからではなくやりたくないからです」
根は良い人に違いない宰相も色めき立つ、いくらか申し訳ない気持ちを募らせながらも続きを語る。
「現に、リンルで起こった世界規模の爆発は地形に深いダメージを与えています。これ以上、リポップの暴挙を看過することは許されません。さらに交通の要となっているアニュールバ山脈のエメラルドの町でも大異変が起こっています」
「あのグリーンの玉か?俺の部屋からでも良く見えている」
「そうです。この事態に一刻も早く手を打つためにその軽くはない責を持ち、こうして皆様方にお集まりいただき、反対意見なしという結果をもって決裁していただいたのです」
「どうして俺の所へ相談に来ない?討伐の際に魔力を──」
「どうして私たちの元に顔をお見せにならないのですか?堅固の名に恥じぬよう、街を守ってみせたではありませんか」
「それは次の魔力を──」
「必要ありません。どこの世界でも「よろしく頼む」と「ありがとう」の二言で人もドールも仕事に精を出すものと考えております。私どもはそれをなくして自ら責を担ったのです、あなた様にそれが出来まして?」
「ーーーっ!!」
自分のやりたい事を人に頼るな青二才と、言外に糾弾した。見事に伝わったようだ、みるみる顔が怒りに染まっていく。中心者たるならば配下への配慮も怠ってはならない、「良くやった」の一言もない者に任せられるはずもなかった。
この後、堅固の勇者は自ら席を立って退出し、その跡を女王が一人で追いかけていった。悪い事をしたと思う、けれどあの女王に気を遣っていてはこの問題に対処出来ない。それは本人にも分かっていたのか、とくに私を糾弾することもなくひっそりと消えて行った。
8.リポップシャドウ、胃袋の中へ
瀕死のアクベオをそのままにしておくか、それとも大地へ還っていくのを見守るかという二択でガーネティアと喧嘩になり、「冷たすぎる!」と一喝されたのが半日前、今はリンル連邦に戻ってきたばかりで妹から報告を受けたあの巫女ドールが、客人を前にして気を遣うことなく自分の頭を抱えていた。
「……………もう一度、もう一度報告を」
「うむ、だからの……」
また肩っ苦しい口調でこんこんと、淀みなく、どこか誇らしげに語る妹。とくに指から直接魔力を受け取るくだりを丁寧に語って聞かせていた。そこいる?
二回も聞き終えた巫女ドールが視線を上げて俺たちを鋭く睨みつけた。
「やり過ぎ、という言葉はご存知ですか?」
「いやそれは妹が──」
「だからそれは兄上の──」
二人仲良く罪をなすりつける、巫女ドールが殺気立つと同時に新たな巫女ドールが入室し、すたたたと近寄ってきた。そしてお決まりのあれ、耳打ちして何やら重要な事を告げている。
耳打ちしたロングヘアの巫女ドールが退出した後、前髪パッツンドールが姿勢をすっと正した──ちょっと話が前後するんだけど、今さらアルビリオンについて説明させてほしい。
アルビリオンと呼ばれる大陸はあにゅるんぱ山脈を中心として東西に別れている。西側にガーネットやダイアが住まうピーリストとオクトリアなどがあり、東側はリンル連邦とリングクリスタルの調査権を譲渡されたアケックの里と呼ばれる国があった。リンル連邦は元々喧嘩に明け暮れていた遊牧民の集まりであり、国の単位は"郷"である。その郷がいくつも集合しリンル連邦として一つの国を形成していた。神楽正人に熱を上げすぎてストーカーそのものになっていたラピスラズリは優れた統率能力があった。複数の郷を同時に支配し、かつ喧嘩をさせずに魔力を与え続けていたのだから、惜しい人物を亡くしたということになる。
さて、この郷という集落はさほど大きくはない。そして、大きくないが故にリポップシャドウに目を付けられて包囲されていたということになる。つまり、
「──リンルの国を包囲していたリポップシャドウが動き出しました。奴らの生態系は未だ謎に包まれていますが、何をどう考えてもお二人の仕業でしょう。どこの獣も自らの命が危ぶまれる時は一歩前へ勇敢に足が出るものです。何を言われるかもうお分かりですね?」
「え、また同じことするの?」
「それはさすがに、環境破壊もはなはだしい──」
声にならない裂帛の気合いを受けて、また揃って言い訳を捲し立てた俺たちは脱兎の如く逃げ出した。
◇
「どうしましょうかお兄様、どう対応すれば環境を破壊せずにすむのか……」
「俺の指は舐める前提なのね」
族長が住まうとされる立派な建物の入り口前で揃って首を傾げる我らユグド兄妹、人を頼るということはせず、己が持つ最大限の力を初っ端なからぶつけるしかないという閉鎖的な考えしか持ち合わせていなかった。
入り口前には大破を通り越して屋台骨しか残っていない馬車と、俺たちを運んでくれた死にかけのアクベオがいた。まだ息があることも驚きなのだが奴らは地面に生えた草を食んで命を繋げていた。何でも食うらしい。
「あいつら大丈夫なの?」
「はい、生命力はあの伝説のゴキブリをもしのぐと言われています「それ誰が言ってんの?」のでまだしばらくはもつかと」
また、熱を帯び始めてきた指を掲げる。それだけで目をキラン!と輝かせた妹がじいっと見つめてくるが、俺のやりたい事を理解してくれたらしい。
「まさかお兄様……」
「あのアクベオに食わせたら生き返るんじゃない?昔はラピーズに止められたが今回ばかりは仕方がない」
いきなり「わたし以外の名前を口にしないで!」と怒り始めたのでそれを無視し、地面に横たわるアクベオの近くへ行く。ガーネティアに飼い慣らされてすっかり失念していたがこいつらも魔物だった、俺が近づくと汚い羽を広げながらこちらに迫ってきた。
「餌!餌!餌!」
「魔力!魔力!魔力!」
「待て!俺の魔力を食わせ──汚い汚い汚い!」
飛び散る唾の猛攻を避けまくり、落ち着いたアクベオにもう一度語りかけた、背後に詠唱済みの魔法を展開しているガーネティアを従えて。
「良く聞けアクベオ、俺の魔力を食わせてやろう」
「ぺっ!ぺっ!ぺっ!」
「不潔!不潔!不潔!」
この二体、さっき俺のこと食おうとしてなかったか?腹が立ったのでガーネティアの許可を得てから無理やり手を突っ込んでやった。
「ーーーー!」
「舐めろ、そして食え、恩には恩で返すのがユグド家の誇りだ」
背後から「あだには百倍の利子をつけたあだで返すのですよね」と良く分かっていることを妹が言っている。
口の中に手を突っ込まれた片方のアクベオがおとなしくなった、間近で見てもやっぱり気持ち悪い。だが、早速変化があった。
「うむ!うむ!うむ!」
「うむ!うむ!うむ!」
あれ何で?何でもう片方も元気なってんの?
「ガーネティア?これ分かる?」
「彼らは元々リングクリスタルから生まれた……………」
言葉も途中で絶句する妹。すぐに理由が分かった、後ろから絹を裂くような音が聞こえ何かの気配が膨れ上がっていったのだ。もう見たくもなかった俺は振り返ることなく退散しようとしたのだが、ガーネティアにがし!と腕を掴まれた。
「お兄様………あれは………一体どういう事なのですか………」
「え?そんなに見ても大丈夫なものなの?」
じゃあ俺もと振り返った先には銀の色に輝くドラゴンが二体佇んでおりました。
「良い。この魔力は実に良い。リングクリスタルと即座に繋がり並列化をさせてもらった。この地にいる我が兄弟たちも同様に更新されているはずだ」
「……………」
「……………」
「その動揺は良く分かる。しかし我らは敵ではない、そこの人間に見放されかけたことも良く覚えているぞ」
「……………」
「……………」
流暢に喋るドラゴンを、俺と妹はしっかりと手を握りながら見上げていた。
◇
殲滅戦の開始である。地形破壊の事なんか忘れたように最新型のアクベオは空を飛び回り、次から次へとリポップシャドウを平らげていった。結局食べるんですね。各地の郷では新たな敵が出現したと殺気立ち、何度か最新型のアクベオが落とされかけていた。あ、そういえばちゃんと連絡していなかったと各地へ魔法便をスパムメールのように送り付けて事なきを得て、沈んだ太陽が顔を覗かせた時には、でっぷりと太って重たくなった最新型のアクベオが結局空から落ちたのであった。
監視という名目で眠ることを禁じられていた俺たちは、くたくたになりながら再び巫女ドールの元へと向かう。もうさすがに大丈夫だろう、寝かせてもらえるだろうと思っていたのだが、何故だか巫女ドールは怒っていた。最新型のアクベオのお陰ではあるが、あれを使役しているガーネティアの手柄でもあったのに、である。
「お二人とも────連携が下手くそにも程がある!!」
「!」
「!」
「何故最初から我々に連絡をしない!二人が黙ったまま事にあたるからこっちはいらぬ被害が出たのだぞ!何度も何度も同じ魔法便を送り付けおってからに!連絡するにしたって遅すぎる!」
「いやそれはアクベオが──」
「だから兄上の魔力が──」
懲りずにまた兄妹揃って言い訳をすると巫女ドールが物凄い剣幕で捲し立ててきた。
「問題無用!君たちのやり方はただの遊戯だ!周りにいる者たちを蔑ろにし過ぎだ馬鹿者!我々だって準備を進めていたし何なら気にかけていたというのに黙ってドラゴンを召喚するわ勝手に命じるわ!少しは周りを頼ったらどうなのだ!」
三度目にしてようやく口を閉じれた、あなたほんとはツンデレですね?と言いかけてぐっと堪えた自分を褒めてやりたい。いやそうではなく。隣にいる妹は小さく「ツンデレではありませんか」と言っている。こいつとは何かと馬が合うようだ。
巫女ドールと会話をしている大広間の外側、太陽が半分程顔を覗かせた時にふっくらと肥えたドラゴンも姿を見せにきた。巫女ドールが素早く身構える、まあその反応も無理はない、何せ俺たちもびっくりするぐらいなのだから。
「主よ、次は何を平らげれば良い」
「食いしん坊か!」
外から襖を壊さないよう器用に頭だけを入れてきた、頭だけでも人間と同じ高さがある。こいつら成長してない?大丈夫?ドラゴンの登場に巫女ドールは後退りをしている。
「冗談だ。奴らを食して分かったことがある、主らがリポップと呼ぶこの敵は異世界の者たちだ、この世界の理から外れている」
本当に流暢に喋るな...知能も爆上がりしている。
「それは何かな銀の竜よ、われらに話すがよい」
人前に出ると肩っ苦しい口調になる妹に向かって、
「主、そういう話し方は好みではない。兄であるその男と「ん?!」共にある時の話し方の方が良い「余計なことを!」馬車に乗せられている時は「あ!それやめて!」その者の指を咥えて「わぁーわぁーわぁーわぁー!」
人間よりも遥かに大きいドラゴンに向かってユグド家の末っ子が突撃していった。その姿を見た巫女ドールはドン引きしている。
「ユグドの者……聞きしに勝る狂いっぷり……」
放置だな、もうこれ以上余計なボロを出さないように黙っておこう。
ガーネティアにぽこぽこ殴られながらドラゴンが続きを話した。
「奴らに魔力がないことは言った通り、それも異世界で生まれた者たちだ。故に、あれは"世界の成れの果て"と言ってもよい」
「世界の、成れの果て?」
「リングクリスタルが壊れた世界の者たちだ」
「──!」
「何を因果にしてか、この世界に迷い込み魔力を食らわんとしている。主らドールも家屋も美味しいご飯「それ動物のことだよな?」も破壊し食らうのは、魔力を得て元いた世界に送ろうとしているのだろう」
「何てこったい……」
「銀の竜よ、それは真か?嘘をついているわけではあるまいな」
本当にユグド家の者は懲りない。意固地になって肩っ苦しい口調を続けているガーネティアに向かって、
「主よ、自らを取り繕うのは好まない「余計なお世話だ!」初めて転移した時も「え?!」わざと子供っぽく振る舞っていたであろう「何でそんなことまで知ってるの?!」相手にされるか不安だからと言って媚びを売る姿は「わぁーわぁーわぁーわぁー!」
「お前………」
あれだけ殴っていたのに今はドラゴンの頭の後ろに姿を隠している。巫女ドールももう慣れたのか俺たちに代わって続きを促した。嫌な慣れである。
「すまぬが竜よ、その話は本当なのだな?」
「無論。このままでは魔力を無駄に食われていくだけだ、可及的速やかに排除することを薦める。奴らにはもう帰る世界はない、魔力を食らったところで無駄に霧散していくだけだからだ」
「可及的速やかにって………まだ奴らは残っているんだな?」
「そうだ、我らが食らったのは一部に過ぎん。まさしく氷山の一角なり、なればこそ主の兄よ、さらなる魔力の提供を求める。さすればリングクリスタルを経由して、この世界に存在する我らの仲間を即時アップデートすることが「急なIT用語」可能だ、我がその役目を担おう」
ガーネティアはこっちに顔を見せようとしないので巫女ドールと目を合わせる。
「どうします?」
「ま、待て!いきなりそんな事を言われても……こ、ここは議会に判断を仰ぐのが打倒、」
「主の同胞よ、時は金なりと進言しておく」
この場で決めろと迫ってきた、その有無言わさない迫力に巫女ドールが押し黙った。
「分かった、あのオリコウハン王には俺から言っておくから食ってくれ」
「またお前は──」
「誰かがその責任を取らなきゃならないのら、まさしく俺たちの役目だ」
「──え?いや、待ってくれ、お前は主の兄と………」
俺の代わりにドラゴンが言ってくれた。
「その者はユグド家の長兄である、名はタクトティア・ユグド。リングクリスタルの元管理者にしてアルビリオンの総帝であるゲールティア・ヘラートの弟子だ」
「────はぁ…………」
巫女ドールがその場で崩れ落ちてしまった、良く見てみればドラゴンに隠れて我が妹も寝息を立てていた、やはり根性だけは一人前である。神経がおかしいとも言う。
「やってくれるか?女王の果ての者よ、もう一度お前たちには頑張ってもらいたい」
──巫女ドールが糾弾してきた内容は、確かに理がある話ではあった。けれど、俺たちが人を頼ろうとしないのは今日まで色んな人を犠牲にしてやって来たからだ。今度は自分の番だ、命を投げ出す番だと躍起になってもまた助けられてしまう。
女王になり、送還術式を発動せず異形に変わってしまったアクベオへ、また世界の為に頑張れと言うのは辛いものがあった。それだというのにアクベオは──銀のドラゴンに変わった最新型のアクベオは自信たっぷりにこう言った。
「──ガッテン承知!「どこで覚えたんだその言葉」
この後、気絶した巫女ドールとすやすやと寝息を立てている妹を引っ込めている間、もう一体のドラゴンが姿を見せてどっちが指揮官をやるかと喧嘩を繰り広げていた。結局喧嘩するんですね君たち。勝敗が決し、俺の手から魔力を受け取る間際「水晶花が添えられたあの肉も旨かった」と、そう言った。
9.リングドーラー議会、渦中のリンルへ
世界が終わりの時を迎えた、東の地より銀の鱗を持った竜が現れたのだ。あれを「終焉の使者」と言うドールもいれば、あれを「救済の死神」と敬うドールもいた。
ついに終わりか...案の定、勇者世界にトンズラしたルワンダ、またの名をオリハルコンというろくでなしが座っていた席で大きく溜息を吐いた。情報収集に走らせていたナリクから「わたしたちの味方だって!気にする必要ないんじゃない?」と現実逃避ともとれる報告をもらい、魅力の勇者であるミコトはもう一人の勇者であるリントを連れてきていた。
「凄いことになっちゃったね、いや僕が言うのもあれなんだけど……」
「ツカサは?あいつ何してんの?」
ツカサとは堅固の勇者の名前である。まさかの同名。この場にいない堅固の勇者を不快に思っているのか、ミコトが険しい顔つきになっている。
「いやあ……一応声かけに言ったんだけどね?居留守使われちゃってさ」
リントは小柄だ、ミコトと比べても少しだけ背が小さい。パッとしない髪型と冴えない顔つきは何度見ても覚えられそうにない。
「最低じゃんあいつ、ガーネットさんに論破されて凹んでんの?だっさ」
「そういう言い方は良くないと思うよ?ツカサ君も影で頑張っているみたいだし、僕はそう思うんだけど…」
困ったように笑っているリント、あれは謙虚というより自信が持てないだけだろう。自身の立場が危ぶまれたからこそ、魔力変換についても異議を唱えていたのだ。けれどミコトはリントという青年を毛嫌いしている様子はない、彼女にとってはリーダーシップより協調性を重んじているのだろう。向こうの世界でも彼ら彼女らのような若者が沢山いた。
(であれば……ツカサは相当居心地が悪かったんじゃ………いやいや、私も逃避している場合じゃない)
頭を絶望からやるべき事に切り替える、銀の竜が現れようと倒すべき敵は変わらないのだ。
「今、ピーリストとオクトリアから臨時編成をした討伐軍がこっちに向かっているわ。到着は今日の日暮れ、彼らには休まずこちらへ来るように言いつけてある」
「強行軍?それって大丈夫なの?いきなりパタって倒れたりしない?」
「しないわ、彼らにはここに駐在させる隊と東へ向かわせる隊に分かれるから。そして私たちもその隊と一緒にリンルへ向かう、そこであわよくばタクトの心を射抜いて────死刑にするって意味だからね?」
危ない、つい心の声が出てしまった。慌てて言い直すが時に既に遅し。
「えー!ガーネットさんの好きな人!へえ〜そうなんだ〜応援するね!」
「す、凄い自信だね、人前で告白するだなんて」
「違う!違います!会議に参加もしないでふらふらしているからつい言っちゃったの!勘違いしないで!」
さらに色めき立つ二人。
「めっちゃツンデレ!萌えるわ〜ガーネットさん、面倒見もいいわ話も面白いわ無敵じゃん!属性持ちすぎじゃない?」
「今のどう聞いたって嫉妬しているようにしか……」
「うるっさい!」
きゃいきゃいしている二人をよそに、私とナリクはサザランカの街に赴いた。リポップを撃破したかと思えばリンルでの大爆発、お次は銀の竜の襲来。街で混乱や暴動など起こっていないかと危惧していたが、状況は想像を遥かに上回る"諦観"だった。皆、諦めきった顔をしておりここへ来た初日の賑わいはどこにもなかった。
(何てことなの……)
皆が皆、あちこちに建てられた堅固の銅像を拝んでさえいた。出来ることなら次の世こそ安寧に、と。
「皆んな何してるのかな、あ!もしかして竜を見てみたいから拝んでる?」
「……………」
「や、そんな急に……見つめられたら恥ずかしいよ……ユリクに何て」街の不安を掻き立てるように「無視しないでよ!」空は厚い雲に覆われている──いいや、無いに等しい希望を持たぬよう、天が私たちドールを思いやっているのかもしれない。どのみちクソ食らえよ!
(何が何でも活路を開いてやる!)
そしてすぐに開いた。そして代わりに腹わたが煮え繰り返りそうになった。
◇
「失礼つかまつる、我はガーネティアに信を置くアクベオ三型なり。汝らが警戒しているのは我らの味方なり、そう構える必要はない」
「だってさ、いやごめんね?報告するのが遅れてさ、リンルの巫女っ子たちに便りを送っていたんだけどなかなか返ってこなくてね?直接来たわけだよ!」
「…………」
「…………」
「…………」
「ね?だから言ったでしょ」
「いやいや君にもちゃんと伝えたでしょ、踊り子のドールの君よ」
「言っても信じてもらえなかった」
「そりゃ残念。あれ、カツ丼は美味さんはどこ?」
「──え、いや…………誰のことですか?」
「ああ!ルワンダのことだよ、彼ってネトゲのハンドルネームがとても凝ってるからそっちで覚えてたんだよね。あ、はいこれ報告書」
「…………………」
「何て書いてるん?」
「……お金が直接的原因ではない、しかし間接的に関わっているので今回の騒動の呼び水になったと結論付ける、って書いてるね」
「そ!リポップシャドウって敵は異世界の屑みたいな存在さ!ガーネット女王たちが持ち寄った紙幣が抜け道になってわらわら来ちゃったんだね。その他にも過去の勇者が概念化した物も道として奴らを誘き寄せてたんだよ!」
「えー…じゃあ何?どのみち的な?ガーネットさんたちがお金を持って来なくても…」
「そういう事になるね!そもそもこの世界が異世界の住人をアテにしたやり方で生きながらえているから必ず起こった事象とも言える、おっけー?」
「おっけー!」
「お、おっけー!」
「おっけおっけ!」
私を置いてけぼりにした皆んなに向かって、
「んなわけあるかあーーー!!!!」
銀の竜も、お初お目にかかるアケックの者もまとめてどやしつけた。
✳︎
ゆったりと腰を下ろす。深い安らぎと、これからの激動を少しでも和らげてくれるげーみんぐちぇあなるものはとても座り心地が良かった。
「ふむ…では早速……っ?!」
つい独り言を呟いてしまい、隣室の者から壁を叩かれてしまった。本当にこの世界の住人は心が狭い、少しでもルールを破ればご覧の通りである。まあ良い、他人のことなど気にならぬ。
まずはこの買い付けたすまーとふぉんなるものを取り出し、電源ボタンを長押しする。「Hello」と文字が浮かび上がり、店員に教わった通り初期設定を済ませていく。この画面はとても不思議だ、指を添えるだけで操作が出来るのだから。たっぷというやり方で初期設定を済ませ、早速あぷりをダウンロードする。
(全く!これだからフリーWi-Fiは遅いのだ!)
ダウンロードの完了時間が伸びたり縮んだり、安定しないのでいつものようにサインインすることにした。これなる操作はもう慣れた、好奇心の権化とも言うべきアケックの者からネトゲを紹介された時は「遊びに費やす時間が勿体ない!」と強がりを言ったが今は違う。ネトゲをしていない時間の方が勿体なく感じられてしまう。
見慣なれたメインロビー、今日も今日とて世界津々浦々から集まったプレイヤーがのんびりと街を行き交っている。つい、一狩り行こうかと集会所に行きかけた時、メッセージが入った。
とわ@里親募集中:お疲れ様です、今からどうですか?素材が落ちなくて困ってます( ; ; )
カツ丼は美味:お疲れ様です。そうですね、一時間ほどでしたら大丈夫です
この国の人間は明言を避ける傾向にある、そのため"良い"も"悪い"も全てこの"大丈夫"という言葉で片付けることが多い。最初はなんのこっちゃ分からなかったがもう慣れた。そして使いこなしていた。
とわ@里親募集中:用事があるんですか?もしかして他の人から誘われたり……
(こいつ絶対男だろ!プライベートを匂わせおってからに)
などと毒を吐くも、言い寄られるのは悪い気がしないので否定をしてから一緒に集会所へ向かった。
とわ@一狩り中!:ところで、前におススメしたゲームどうでしたか?
これだ、これなのだ、このとわとかいうプレイヤーのせいで我の頭の中はその事でいっぱいになってしまった。チラリと見たすまほの画面ではまだダウンロードをしている。この分なら一狩り後に終わっていそうだ。
カツ丼は美味:今日、スマホを買ってきました。今ダウンロードしているところです。
とわ@一狩り中!:え?PC版もありますよ?わざわざスマホを買ったんですか?何か特典とかありましたっけ
「何……だと………っ?!」
また壁を叩かれた、腹が立ったので叩き返してやった。
そんな馬鹿な...PC版もあるならわざわざ買ってこなくとも...魔力変換だって馬鹿にならないのに!魔法のカードを多く買えたではないか!
(まあ良い……舞台は整った)
カツ丼は美味:いえ、スマホを買い替えたとダウンロードをしていることをまとめて言っただけです。
とわ@カツ丼さんに幸運あれ!:そうだったんですね、早とちりしてすみません(>人<;)育成大変ですが頑張ってください!
こういうマメに名前を変えるところは感心する、わざわざ我を応援してくれているのだ。
気もそぞろに狩りを済ませ、雑魚ボス相手に二落ちしつつも何とか無事に終えた。相手のとわもお目当ての素材をゲットしたようだった。
とわ@接近中!:ありがとうございました!無事にゲット出来ました!やっぱりカツ丼さんと一緒に行くと良い感じです!
カツ丼は美味:いいえ、そう言っていただけるなら幸いです。
とわ@逃げて!:また一緒に行きましょう!
よおし、ダウンロードも終わった!後はアカウントを作って...先にチャージして...復刻期間は過ぎてしまったが、次のイベントでは逃したキャラクターのアナザーver.が実装されていた。「これは引くしかない!」と鼻息も荒くゲームあぷりを起動させた。
(どこぞの娘も真祖を引き当てたのだ!我にもそれぐらいの運があっても………)
引いて、まずは何とか引いてからじっくりとこのゲームを...いや、このコインだけで足りるか?追加でカードを買ってこようかと思った矢先、
「お父さん、何をやってるの?」
「────っ?!?!」
ここはネカフェだ。あの日、あのクソ兄貴に投げられた我はこのネカフェに辿り着き、人目に付かぬよう傷付いた心身を癒やしていたのだ。そんな折にネトゲを知り──今はそんな事どうでも良い!何故ここに娘がおるのだ!
「………リリアン……いや、ダイアよ、何故ここに……」
「連れ戻しに来たの、それぐらい分かるでしょ?」
「いやいや!少し待て、待ってくれぬか!」
ネカフェという"静寂"が当たり前の場で、騒ぐ我らを不審に思った他の利用客が何事かと頭を突き出してきた。皆、我の愛娘の容姿を見て唖然としていた。
「待つわけないでしょ!あっちは大変なことになってるのよ?!いいから来なさい!」
「待たぬか──せめて結果画面──ああ?!引いてる引いてる!ちょっと待──」
首根っこを掴まれ、問答無用で個室から引きずり出されてしまった。床に落ちたスマホの画面が………虹色に輝いているというのに………ああ!とわのネームが変わっていたのは────
「この裏切り者めがあああーーー!!!」
10.ガーネティア、畳みの上
「あっそ、それなら行けばいい」
「………」
「………」
「………」
「………」
「どうしてそんなに拗ねてるの?」
こんのクソ帝めが...ダイアに強制連行されたからといって思いっきり不貞腐れている。
「見るんじゃなかった………引いていなければ諦めもつくと思ったのに………こんな酷いことがあるのか………」
手で顔を覆いながらそう呟く駄目ルワンダ、けれどその発言はさすがに気になった。
「……あんた、何やったの?大の大人があそこまで泣いているのよ?」
何でもないようにダイアが鬼畜発言をかました。
「限定キャラを当てた瞬間に連れて来ました」
「ええ?!」
「えー!鬼畜ー!」
「それ酷すぎるよ!」
「え?え?何?──ダイアの鬼畜ぅ!」
皆んなから(一部を除いて)非難を浴びたダイアが狼狽えた。ミコトもリントもゲームをやったことがあるのだろう、揃って声を上げていた。
「な!何ですか!別にいいではありませんか!」
「良くないわよ!あんた限定を引き当てるって一番の醍醐味じゃない!──まさかあんた、自分の父親にすら嫉妬して、」
「ええ!ええ!それが何ですか!人様が当ててる瞬間は腹が立ってしょうがないんですよ!私だってねえ!──」
「引くわ〜〜〜ダイアさん、ガーネットさんとは別の意味で凄いわ」
「それ、恨まれても文句言えないよ?」
「ダイアって向こうの話になると途端に格が下がるよね」
ナリクから壮絶な批判を受けたダイアが父親と同じように項垂れた、似た者親子である。
「──仕方がないんです!あっちの世界は!あっちの世界は所有欲を満たそうとあの手この手で勧誘してくるのです!私だって、私だって我慢してたんですからああ!!」
わあーーん!と泣き始めても誰も相手にしなかった。
「……すまぬ、それでも我にとっては愛娘でな、あまり苛めんでやってくれ「それも今さらだからね?そもそもあんたが悪いのよ?」
話が進まない!
「とにかく、私たちはこれからリングドーラー議会の代表としてリンルへ行くわ。あんたがいない間にアケックの者から報告書預かったから目を通しておきなさい」
「どっちが議長なのかまるで分からない」と呟いたミコトの太ももを撫でてあげた、この子は本当に良く分かってくれている。
うろんげに報告書を受け取ったルワンダが流し読みをし、
「────とわ?とわと書いてあるではないか………こんのクソ」裏切り者め、ぐらいのあたりで踵を返し、執務室を皆んなと一緒に後にした。
向かうは絶対零度の峰の向こう、とんと連絡が途絶えてしまったリンルへ行かねばならない。それに大異変が起こっているエメラルドの町も様子が気になる。一つの脅威は去ったが、まだ脅威は残っていた。奴らだ、リポップの集団がアニュールバを目指していると報告があった。
リンル連邦、あの地に一体何があるというのか──何故、あのような大爆発が起こったのか──。
✳︎
目が覚めるとそこは和室だった。古くもしっかりと手入れがされた天井にはむき出しのはりが見えていた。
ゆっくりと体を起こして部屋を出る、覚束ない足取りで大広間へと向かった。渡り廊下から見える敷地内では、何やらリンルの者たちがけい古を行なっていた。おそらく、リポップ討伐へ向けて付け焼き刃の訓練をしているのだろう、何ともこっけいな事である。命の勇者としてその力をたまわったタクト兄様と、フェンリエルを従えているこのわたしがいれば無敵だというのに。あ、あのアクベオもいたな。
大広間に到着して早々、わたしはタクト兄様に叱られてしまった。起き抜けで来たのがまずかったらしい。
「ガーネティア、しっかりしなさい」
「す、すみません……」
何?どうしていきなりそうりりしくなるの?あの時と同じだ、人間だった頃と何らお変わりがないように見える。
この人はこうだと決めたらとても頑固になる、それに身内にも厳しい。わたしだけではなく、他のお姉様たちもよく叱られているのを目にしてきた。
ぱぱぱっ!と身だしなみを整えてタクト兄様の隣にそろりと座る、何やら卓に向かって手紙を書いているご様子。
「何を────」
タクト兄様の真剣な眼差しを前にして口を閉ざした、余計な邪魔をして叱られたくなかったからだ。
大広間にリンルの者たちが入ってきた、目は伏せられて怯えているように見える。さささっ!と正座をしてもタクト兄様はちらりとも見ない。リンルの者たちが作法にのっとり頭を下げた、何を言うのかと思えば、
「タクトティア・ユグド様、この度の数々の不敬をどうかお許しください。この身で贖えるのならどんな罰でも──」
「いい、元々俺が乱入したんだ、お前たちに何ら落ち度はない」
(はっわー!こっわあ………)
これだ、これ、タクト兄様は集中を切らされるのをとことん嫌う。これだけ土下座をした者たちに一べつすらくれず、話も途中で断ち切りひたすら手紙を書いていた。
相手にされていないと分かっていながら、リンルの者がなおも食い下がった。
「なりませぬ、我らリンルは義を重んじる民でございます。犯した罪の禊ぎをせねば示しがつきません、どうか──」
「──それなら俺はどうなる?曲がりなりにも巫女ど………あなたの裸を見たことになる、これは不敬にあたらないのか?」
今何か言いかけましたよね?みこど?それでも眼光の鋭さは変わらない、それにお顔は手紙に向けたまま、視線を上向けただけである。怖いったらない、よくリンルの者は話ができるな。
「そ、それにつきましては──」
「それにあなたの言う不敬とは?俺に失礼な態度を取ったことか?それともこの地に大穴を穿ってしまったことか?」
「…………」
きちんと揃えられた手が小刻みに震えている、おそらくそうなのだろう。リンルの者たちはとにかく義と式たりを大事にする、先祖からうけたまわったこの地をけがしてしまい、その間接的な原因を作ってしまったことを伏せておきたいのだ。それをタクト兄様に見抜かれてしまい...
「顔を上げてくれないか、話が出来ない」
(こんわあ〜〜〜………ご自分だってお顔を下げていらしたのに……)
そこでふいにわたしへ視線をよこしてきた。何で今なの?!心を見すかされたと思いパニックになった。しかし、
「ガーネティア、聞きたいことがあるからこの場に残っていなさい」
「……………はい」
やばい絶対あれだあれのことだ。あの役立たずにあれだけ言ったのに、転移先がこちらに設定されていなかったから無理やり変更していたのだ。おそらく秘湯の件でそれを──いいや待てよ?転移がらみならオクトリアの件もある、あの時は町娘の恋心が気に食わなかったからあれやこれやと捨てて──いや違う!お姉様から預かった貴重品のことだ!
(はあ〜〜〜!何たること!兄様の私物の珍しさに負けて何て面倒くさいことを引き受けて──)
頭の中で言いわけと逃走経路を算出している間にも会話が続けられていた。ほんと何でこのタイミングなの?接っぷんしたあとだったら喜んでいたのに!
「………恐れながら、この地を守護する我らが、たとえ脅威を退けるためとは言え、大地に傷を付けてしまったこと、この身を業火に捧げても贖えませぬ」
「隠そうという魂胆なのか?俺たちが勝手にやったことだと?」
「………」
全身を震わせながらもう一度頭を下げてみせた。虫が良いにも程がある話だ、このわたしをユグド家の者と知りながら命令を出してきたのはそちらだというのに。
何を言われるのか分かっていた節があるタクト兄様は、書いていた手紙を掲げ「見ろ」の一言。亡れいのように感情を失ったリンルの者が面を上げた。
「これに書いてある通りだ、この手紙をリングドーラー議会に提出する。それでいいか?」
感情を取り戻したリンルの者が、ぼうだの涙を流しながら最後にもう一度頭を下げた。
◇
だったら最初からそう言えばいいじゃんとは今は言うまい。やっぱり貴重品の件だった、しかしまだ爆弾があと二つもあるのかと思うと気が気ではなかった。
「ガーネティア、出しなさい」
「…………はい」
今はとにかく粗相のないようにせねばならない、言われた通り預かっていた物を全部──
「足りない。パスケースは?」
「……あ、あのですね、つい、幼少のお顔が、」
「失くしたのか?そんな事ないよな?」
「あります!」
いさぎよく出す。ドールの体ではやはり大きい、あくせくしながらご自分の貴重品を確認している。
「………足りているみたいだな、まあ、お金まではさすがに分からんからいいけど。何でこんな事になってんの?」
お?何だかまた話しやすくなった。
「じ、実はですね──」
もう怒られたくなかったからかくかくしかじかと全部ぶちまけた、お姉様方の裏工作を包み隠さず全て。だが、
「………お前、俺にバレるって分かっててあの時スマホを出してきたの?そんな事やったらラピーズたちが逃げ出すって知ってたんじゃないのか?」
(はーーーー!そうくるーーー?!)
予想外Death...何たることか...まさかわたしの不義理を見抜いてくるなんて...「気が動転してて」とか「あの時はバレないのが先決」とか、とにかく言いわけを続けた。
「まあ……それならいいけど……」
(良かった……納得してくれたっぽい……)
しかし、一難去ってまた一難。
「それと、」
(まだあるの〜〜〜?!──はっ!!)
「お前、転移魔法についてどれぐらい明るいんだ?」
「あ、明るいとは……?」
「詳しいかって事だよ、何で急に馬鹿っぽくなるの?」
うぬぅ!そう言われるのはいくらタクト兄様でもじくじたる思いがある、しかし面を下げて自分の負けん気をやり過ごす。
「あ、ある程度なら……それが何でしょうか?」
墓穴だ、これは墓の穴と言わざるを得ない。知らない!って言い切ればよかったとすぐさま後悔した。
「転移先って自由に選べたりするものなのか?例えば、来る時と向かう時の場所を変えたりとか。ガーネットってここにいたわけじゃないんだろ?さっき巫女ドールに聞いたらピーリストの女王は来ていないって言ってたぞ」
巫女ドール!さっきのあれはそれか!と束の間現実とうひをする。本当に鋭いんですけどこの人どうしよう...
「………出来ます」
ここは端的に返そう、これ以上墓穴を掘りたくない。
「出来るのか。それは本人以外にでも出来る事なのか?」
「………出来ます」
「出来るのか!有能だな転移魔法……」
ふむふむと頷きながら思考に没している、セーフ?
「それってどうやって弄れるんだ?……弄れる?設定変更のやり方って意味なんだけど」
...セーフ?
「え。それはどうして……その質問の意味が……」
「転移した先でお前がいたからだよ。ランダムだったら運命的かもしれないけど、ガーネットはそんな雑な事しないからな。お前がやったんだろ?」
アウトやんけえーーー!!!
わたしはウサギのように逃げ出した。
✳︎
ユグド家の女は都合が悪くなったらすぐ逃げる。まあいい、あとで捕まえて理由を問い質せばいいだけだ。
(銀の竜の方が格好良いのに)銀の竜改めアクベオ三型と名乗り始めたアクベオたちに偵察へ行ってもらい、その間随分と従順になった巫女ドールにも各郷から責任者を集めるようにお願いをした。素直になった理由も良く分かるが今はそれに取り合うつもりはない。
アクベオ三型の帰還の後、西と東に別れていたリポップシャドウがあ──何だっけ?とにかく山脈へ向かっていると報告を受けた。その理由を訊ねてみると、
「真祖の魔法を確認した。あれには莫大な魔力がある、真円の壁手前にて魔力に溺れた影を見かけた。おそらく数を頼りにして食らうつもりだろう」
本当に知能が上がりましたね。
「今、真祖って言ったか?それが誰か分かるか?」
「あの魔法はまさしく完全なる壁。玉を壁に住まわせ文字通り"完璧"なる守護壁を「そういう長ったらしいのは要らないから」エメラルティア・ユグド。ユグド家の次女にして"抱擁の勇者"なり」
「………………………」
「"抱擁の勇者"であるが故に、元来の魔法を放った"再現者"でもある。だからこそ異世界のクズどもは「急に辛辣」……すまぬが言葉を挟むのは止めてもらえぬか?普通に喋り難い」
す、すみません...とアクベオに頭を下げてから、
「元来の魔法は強い魔力を宿している、それに究極の魔法防壁であればそれを食らうことも可能だ、何せ霧散せず民を護り続けているのだから」
各郷へ魔法便を送り終えた巫女ドールが、少し離れた所で待機している。それを分かっていながら、まだ理解が追いついていなかったのでもう一度アクベオに質問した。
「………エメラルティア・ユグドが"抱擁の勇者"と言ったか?つまり、何だ……あー、俺と同じ境遇になったってこと?」
「些か異なる。タクトティア・ユグド、そなたは類稀なる魔力量を持ち得ながら魔法の扱いに長けていなかった。しかし、他の真祖は違う。原初にまつわる事象を従える程の実力者の集まりだ、だからこその"真祖"である。故に、エメラルティア・ユグドは失ったはずの人の身を手にし、この世に戻ってきた"魔法が扱える人間"だ」
「…………」
アニュールバ山脈から(あ、思い出した!)下りてきた風が俺たちを通り過ぎていった。
「あと一回、元来の魔法を放てば──」
さらに風が吹き付けてきたので思わず目を瞑ってやり過ごした──あの時、アミィのスカートから持ち上げられ、一番近くて嗅いだエミィと同じ匂いが──
「………放つとどうなる?」
「──終わる。リングドーラーもクズの仲間入りだ」
ふわりと鼻についた。
「──この世界ギリギリじゃないですかああああ!!!!」
11.エミィ、エミィの中
私の名前は先森縁。また、元の世界ではエメラルティア・ユグドという。これ信じてもらえるかな?信じてもらえないよね、だからエメラルドの町の皆んなには黙っていたんだ。けれど世界の脅威がそれを許してくれなかった。
「ごめんねぇ…黙っててごめんねぇ」
扉に向かって謝るも、何かがぶつかる音しか返ってこなかった。この町の女王であるエメラルドは怒っているのだ、その名を他人に譲ったはずの真祖その人が帰ってきたのだから。
外の景色とは裏腹に私の心はいたく翳っている、可愛い女王様を騙していたこともそうだが皆んなのことも気にかかっていた。アオ、それからユカリ、押入れから転移したタクト兄のこともそう──いや、ちょっと待って、転移ならこっちに来ているかも?けれどそれを調べる術がない。私がここを離れてしまったら敵に皆んなが食べられてしまう。
(あぁ〜どうしてこんな事に……)
タクト兄がこっちの世界に転移してから、私を含めて皆んな元気を失くしてしまった。「絶対バレる…バレた…」とアオが絶望し、「ボクがあんな事したから…」とアミィは早々に布団に潜り込んでしまった。「そ、そんな事ないよ!」と私がいくら励ましても二人は下を向いてばかりだった。
こっちはガーネティアもいるし、ちょっと気にいらないけどガーネット女王やあのおとなしかった娘もいる。大丈夫だろう!と私は気になっていた鹿のところへ遊びに行っていたのだ。角を根元から落とされて可哀想な鹿の頭を撫でていると、「わあ!何あのお姉ちゃん光ってるう!」と言われて「え?私ってそんなに輝いているの?」と思った先にはもう、このエメラルドの町に転移していた。
(人ってこんなに大きいんだな……忘れてたよ)
けど、すぐ異変に気付いた。私の体は人間のままだったのだ。
いつもより高い視点で見るドールの町はとても不安だった。いつ壊れてしまうのだろうと気が気ではない、それに私の足元を行き交うドールたちは健気に見えて、とても"弱く"見えてしまった。自分がドールを下に見ているのは自覚している、けれどこの気持ちを自覚した時からこの町に尽くそうと誓った。
部屋から出て来てくれないエミィの自室を離れて表に出る、そこは雪解けを終えた春の装いに様変わりした景色が広がっていた。私を見かけた町長さんがこっちに駆けてくる、てっきり糾弾されるかと思ったけどそうではなかった。
「何と言ったらいいのか……本当に──」
助かった。そうお礼を言いながら頭を下げてきた。
◇
「外の様子は?」
「もってます、けど奴ら、何を狂ってるのか防壁に突撃をかましてくるんですよ、見てるこっちが不気味で仕方がない」
「食い破られた所はあるか?」
「ありません、今のところは、ですが」
女王不在のまま一際大きい建物の中で対策会議が進められている。会議と言っても町のドールが集まって話し合いをしているだけだ。
(エミィ……)
あの可愛い娘はハパラという名前、そしてエメラルドに名前が変わったことで私は自分の渾名もあげていた。それが良くなったのかもしれない、これではただのお遊び感覚、自分が馬鹿にされていると誤解しているのかも──
「──ユグド様?」
「あ、はいぃ!すみません、聞いていなかったですぅ」
「お疲れのところ申し訳ないですが、自警団の者と防壁の所へ行ってもらってよろしいですか?」
「それは、はいぃ、でもぉどうしてですかぁ?」
「麓に助けを求めたくても便りが送れんのです。いくら防壁の中が安全とは言え、あの馬鹿娘のせいで我々が飢え死にしてしまう、どのみち外に出て魔力庫へ向かわなくてはならない」
馬鹿娘、ハパラをそう罵るのは嫌っているからではない。そう理解していても何故だか心がちくりと痛んだ。
「分かりましたぁ」
私がしっかりとしないと!
ふん!とやる気を出して武装した町のドールたちと入り口へ向かう。雪に隠れていたつづら折りの階段が顔を出して、いつもより早いペースで辿り着いた。くるりと振り返り、私が放った魔法の下にある町を見やる。歪のそれだ、私の名前と同じ色をした防壁の下だけが春のように、その外側は命を刈り取るように極寒の冬景色が広がっていた。けれど、町はとても綺麗だった。手前から奥にかけて、坂道を下るにつれて密集していく町はまるで隠れ里のようであり、不思議な安心感があった。
「ユグド様」
「あ、はいぃ、行きますぅ」
リーダー?みたいなドールに促されて防壁へと向かった。雪に埋もれていた通り道を歩き、けれど、到着する前から不吉な音が耳に届いてきた。
「ひいぃ!凄いですねぇ、本当にぃ……」
一心不乱に魔物たちが壁に体当たりをしていた、その度に防壁が揺れ、不安を広げるように波紋があちこちへ伝わっていく。魔物たちの足元には倒れて動かなくなった味方の姿がある。それなのに魔物は存在ごと無視するように何度も何度も...確かに見ているこっちがその不気味さに眉を顰めたくなる。
「魔法便をどうしても町の外へ……出来ますか?」
ドールの手から小さな封筒を受け取る。
「やってみますぅ、離れていてくださいねぇ」
怖い。いくら人の身でも魔物を間近で見るのは怖かった。けれど町のドールはもっと怖いはずだ、だからもう一度ふん!とやる気を入れて防壁の近くに行く。
"真の円"の名の通り、そこに"異物"が入り込む隙間は微塵もない。ありとあらゆる物質を弾いて中にいる存在を護り抜く、それが私の魔法だ。
(けれど…中にある物まで作用してたかなあ〜前にウルフェルトの城で使った時はこんな事にならなかったはずなのに…)
まさか季節を先送りにするなんて夢にも思わなかった。
あと数十歩程の距離まで来た、ここまで来ても魔物たちはまるで変化がない、私が見えていないようだ。そこから横にずれて、比較的魔物が薄い所まで移動する。可哀想なことに、味方に踏み付けられて無惨な姿に変わり果てた死体があった。どうやらその辺りは薄いようだ、そこからにょきっと腕を突き出し魔法便を放つと、
「あぁ〜〜ぎゃああああぁっ?!?!?!」
どこから?!死体の下から?!凄い勢いで魔物が飛び出してきたので奇声を発してしまった。
「ユグド様っ!!」
慌てて自警団のドールたちが駆けて来る。穴を開けたのが原因なのか、私の奇声に反応してか周りにいた魔物たちがわらわらと集まってきた。それに放った魔法便も一瞬だった。
「ごめんなさいぃ、食べられてしまいましたぁ」
「は?!食べた?!──食べるんだあ……」
凛々しい顔付きだったドール、ぽかんとしたように辺りへ視線を巡らせている。これは不味いのでは?外界との連絡手段が無い、つまり助けを呼ぶ方法がないのだ。それにこの群れを突っ切って魔力庫まで行くのは、骨が折れるどころかその骨までしゃぶり尽くされてしまいそうな危険があった。
ふん!と立ち上がるとドールがびっくりしていた、やる事は決まっている。エミィ──いいや!ハパラの元へ行こう。
✳︎
私のこと!あの人は馬鹿にしてたんだ!エミィって...自分の渾名を私になんか付けて遊んでたんだ!
ユグドの名前ぐらいは知ってる、アルビリオン随一の魔法使いが集まる家だってことぐらい、けど、そんな事は大して重要じゃない。
(私って、何のために女王になったの?こんな事なら…)
断っておけば良かった、私、役目を終えたら死んじゃうんだよ?.........いや、待って、それって皆んなも同じだな。ドールだけじゃない、草木も小さな生き物たちも、それこそ雪だって季節が変わってしまえばそれだけで姿を消してしまう。
何を怒ってたの私?一度疑ってしまうと何が何やら分からなくなってしまう。そんな折、またコンコンと誰かがノックしてきた。勇者様!そう思った私はあんなに八つ当たりしていた事も、熱湯に雪を入れるぐらいの勢いで忘れて扉を開けた。
「勇者様──え」
「ハパラさんですか?受け取りのサインお願いします」
「は?………え、は?」
「…………」
フードを目深に被った見知らぬドールがずずいと何かを突き出している、何これ?てかあなた誰?
「な……んですか、これ、どうして私の名前……」
「エニシ様からお届け物です」
それを聞いて酷く安心した。
「なーんだ……これ名前書いたらいいで──?!なん!この!この野郎!!」
視線を逸らしたら一瞬だった、手首を掴まれ引き寄せられ──馴れ馴れしく肩を抱いてきた!この私が女王だからといって!この間までただの町娘だからといって舐めないで!
「はなっ「いいから来い!おとなしくしろっ!悪い「離せー!離せ離せ離せ私は安い女じゃなああい「うるさいぞっ!」町娘だからってえ!気安く「悪いようにしないって「女王になった途端目の色変えるだなんて浅ましいにも程が「お前ほんとうるさいなっ!」ふんっ!」うわぁっ?!」
ふん!とやって怪しいドールを吹き飛ばしてやった!─ここでやったふん!は外側に向けられて敵を弾き飛ばす、内側のふん!はやる気がみなぎるとエニシ様教わった!─廊下の先、物置小屋みたいに乱雑に物が置かれた手前まで転がったドール、フードも取れて見えた頭が、
(青色?!そんなドールこの町にいたっけ?!)
こんな荒事に慣れていなかった私は、変な調子で相手を威嚇した。
「へっ、へんだ!わた、私の体はあ!皆んなのものなんだよお!おま、お前なんかくれてやる体はない!あっちへ行け!」
「──こいつっ、この暴力娘がっ!人の話も聞かないで──」
「暴力娘って言うなあ!今日初めて会ったくせにい!!」
階下から誰かが駆けて来る音が聞こえた、とても力強い、ドールが出せる足音ではない。
「あ!こら!逃げるなあ!」
フードを被り直した怪しいドールが窓ガラスもろともぶち破り外へと逃げていった。少し遅れて階段を駆け上がってきてくれたのが、やっぱり勇者様だった。
「エミィ!エミィ!大丈夫ぅ?!」
✳︎
本当に驚いた、この子が住まう屋敷の前を通りかかった時、外からでも何やら争う声が聞こえてきたのだ。
「………エミィ、こっち向いてくれないかなぁ?」
「…………」
慌てて階段を駆け上がってみれば、へなへなと床に座り込むこの子がいた。くるりと向き直って「が、頑張りました…」と微笑んだ、本当に健気で頑張り屋だ。
けれど、今はつんと横を向いてまるで私と目を合わそうとしない。まだ怒っているんだ、見れば分かる。
くりくりになった髪は長く、新芽のように優しい緑色、頬には少しだけそばかすもあって凄く可愛い。頭を撫でても頬を突いても、細すぎる腕を持ち上げても、お腹をくすぐると少しだけ嫌そうに手を払った。
「ごめんねぇ、どうしたらぁ機嫌直してくれるのかなぁ?教えてほしいぃ」
「…………」
「エミィって呼んだことぉ?」
「………っ!」
そうなんだ、きり!と睨みつけてきた。やっぱりそうだったんだ。
「あのねぇ私、嬉しかったんだよぉ、私だけの女王様に出会えてぇ、だからねぇ自分の渾名もプレゼントしようと思ったのぉ」
「………それだけですか?」
やっと返事をしてくれた、今にも泣きそうに上目遣いでこちらを見ている。
「うん!嫌ならもう、やめるからぁ、私もハパラって呼ばせてくれるかなぁ?」
「それは!それはで………何だか、寂しいと言いますか……」
「どっちがぁいい?」
「………エミィで、あ!たまにハパラで……」
「分かったぁ!じゃあ、今はエミィって呼ばせてもらうねぇ?いいかなぁ?」
「どうして──」
手袋を外す、淡い、雪のような光りが私たちを包み込んだ。エミィはじっと私の人差し指を見ている、まるで食いるように、吸い込まれていくように。そんなエミィが私は────堪らなく嬉しい。
「……それは、今から?」
「……うん、皆んなにねぇ、魔力を分け与えてほしいのぉ、まだ外には行けそうにないからぁ」
「……分かりました」
指をエミィの小さな口に近づけていく、それだけで胸が高鳴った。
理屈は良く分かっているつもりだ、魔力補給の間は少しでも幸せたれと、あるいは途中で止めさせないように、迎える最期を思い出させないように...
エミィが恐る恐るゆっくりと口の中に入れた、自分から、ゆっくりと。本当は今すぐにでも舐めたいくせに、その恥じらいが私の嗜虐心をくすぐる。
人差し指の先が生暖かさに包まれた、ゆっくりと丁寧に動くエミィの舌が、今の私にとって感じられる世界の全てだった。一生懸命舐める、赤子のように、恋人のように、たまに吸い出してくる、その時は全身の力が人差し指に集まりほうっと抜けていく。その感覚がえも言われぬ快感となって私の体に返ってくるのだ。堪らなく気持ちが良い。
「…………」
目を閉じてエミィも私の魔力を感じている、少しだけ指を引っ張るとエミィも頭を動かす、離したくないのだ。次は指をぐっと押し込む、苦悶に顔を歪めながらも舌の動きを止めようとしない。もう片方の手でエミィの耳を愛撫してあげると、
「……ふわぁ」
と、今度は閉じていた目を開けて「余計な事はしないで」と怒ってきた。誰に言ってるの?無理やり指を引っこ抜こうとすると歯を立ててきた。その痛さも快感に変わり、私とエミィは互いに"痛さ"も求めるようになってくる。いつもの事だ、足りないのだ、刺激というものが。浸かるような甘さはいずれ飽きてくる、だからいつもこうして──喧嘩し合って──お互いを求めて──命を奪い合う。
「……ぷはぁっ…あ〜……」
エミィが指から口を離してだらんと頭を倒した。前に魔力を補給してあげた時は気絶するまで私の指を食んでいたのに、今日はそうしなかった。
「……どうしたのぉ?」
足りないよ?もっと舐めてくれなくちゃ困る、だって私は────
「もう……十分……れす……あ〜くらくらするぅ〜……皆んなにぃ…いきましたぁ……」
「…………」
イッたんだ。何ては自分は下品なんだろうとエミィのことを思わず叩きつけたくなった。けれど、
(ふん!!)
......それでも指先から広がる甘い快感は抜けてはくれない。こんな中途半端に終わってしまったら明日の朝まで悶えることだろう。そこでようやく正気に戻った。
「……ありがとうぉ、途中で止めてくれてぇ」
「うぇ、はいぃ……あ〜……」
「ありがとうぉ、こうするしかぁ────皆んなを守ってあげられなかったからぁ」
嘘を吐いた。本当は違う、魔法便が届かないと知った私はこれを理由に、と。でも、やっぱりエミィは私のエミィだった。
「……私はぁ…あの時、も、期待しました……どうして、私を頼ってくれなかったんですか?」
倒していた頭を持ち上げて、私の指をひしと抱きしめて、まだ足りないと目を爛々に輝かせながら。
「……だってぇ、頼りすぎたらぁ、エミィが死んじゃうでしょぉ?そんなのやだよぉ」
「…………」
ゆっくりと微笑んだだけで何も言ってくれなかった。そういう所が私の心をかき乱すんだ。
12.討伐軍、山林の中
謙虚の勇者。その本人であるリントもパッとしないことから「大した力は持ってないでしょ」とたかを括っていた。けれどそんな事はなかった。
「……………はぅっ?!」
「あ、すみません、驚かせてしまって」
薄暗い森の中、藪から突然リントが現れた、体のあちこちに葉っぱを付けて、何なら頭には昆虫が乗っている。全く気が付かなかったので変な声が出てしまった。
「べ、別に。それより周囲はどう?」
「問題ありません、少し遠くに魔物が屯しているぐらいです」
「おっけー、ありがとう」
リントは返答もなく、再び藪の中へと消えて行った。
◇
サザランカに到着した臨時編成の討伐軍を二つに分け、そのうちの一つと共に私たちはアニュールバ山脈へ向けて行軍を開始していた。勇者の二人とダイア、それからユリクという馬鹿な腹心を連れての強行軍である。登山経験者も乏しいなか、それでも目的地はハッキリとしているのでここまで大した苦労もしていなかった。
リントについてだけど、彼はとても優秀だった。"謙虚"という心構えは、決して驕らず他者を侮らず、常に向上心を持つ尊いものであり、今のように敵から隠れて進むことにとても適していた。「ま、スニーキングスキル程度でしょ」と思っていた私は目玉を剥いた。彼は自然の中からありとあらゆる反応をキャッチすることが出来たのだ。
「大佐……バーチャスミッションを開始する……」
「ユリク」
「……うむぅ?!これ毒キノコじゃないか──」
「ユリクっちってほんと何でも知ってるね」
「え?そう?ガーネットの部屋にあったから遊んでたんだよね」
などと、馬鹿話を興じれる程である。
リントの持つ魔力は所謂"パッシブソナー"に近いものがあった。捻出した魔力を自分で飲むのもどうなの?と思うけど、本人が買って出たことだから好きにさせている。それに何だかイキイキしているようにも見えていた。
(自然が好きなのかしらね〜…)
その"謙虚"な心があればこそ、自然から様々な事を教えてもらおう、という気構えがパッシブソナーとしての──
「女王!周囲にリポップ!囲まれています!」
「──っ!!リントっ!!」
焦る気持ちを表すように声を張り上げる、どこを見ていたんだと、けれど気が抜けていたと言わざるを得なかった。
「来るよ来るよ来るよ来るよ!」
敵にいち早く反応したのはユリクだ、馬鹿な腹心だと思っていたけどこういう時は大いに役立つ。後でうんと褒めてあげよう。
討伐軍を前と後ろに配置、その中央に私たちが陣取っていた。リポップの報告が上がったのは後方の隊、リントがきちんと見ていれば不意を突かれることもなかったのにと思ったが違った。前方の隊からも報告が上がる。
「リポップ!リポップ!──」
あの耳に触れる音と共に、報告のために声を上げていた兵士が事切れた。途端に静かになった。
ユリクが藪の中へ姿を消した、早く殺せ!と念じた自分にようやく嫌気が差した。
「ガーネットさんっ!私は何を──」
「自分で考えなさいっ!!ここは戦場!!」
ミコトの酷く傷付いた顔を横目に入れながら詠唱に入った、後悔を感じている暇などない、現に私の鎧もスパンと斬れられていた。血だらけの腕が露わになる。
それこそ秒で立場が変わってしまった、刈り取る側から刈り取られる側へ、それを見抜けず人に囲われて良い気になっていた自分の落ち度が招いた窮地だった。
「リーア・リーアル・リーガライルっ!!レジーナ・ルベールはここにいるっ!!憤怒に燃えて燃えてまくれぇっ!!!」
血飛沫のように上がった紅蓮の炎が辺りを照らした、自分の醜い心を暴くように、ズタズタに引き裂かれた仲間たちの姿が目に飛び込んできた。
「燃えろ燃えろ燃えろ燃えろぉーーー!!!」
(何がパッとしないだ何がこの子だ何が可愛いところもあるだ何が馬鹿な腹心だっ!!)
自分に対する憤怒を両の手に込める、打ち上げられた炎は何をも焼く、そこに敵味方の区別はなかった。ユリクに待ったをかけられるまで止めようともしなかった。
「ストーップ!ストーーーップ!」
体当たりのように私へ抱きついてきた、吹っ飛ばされ、もんどりを打った時に頭上を覆っていた別の敵の姿が視界に入ってきた。私たちを攻撃してきたリポップではない。
(何あれ──)
背中から地面に着地、そのままの勢いで転がっていく。こんな阿呆な私でもユリクは離れようとしなかった。
「すぐキレる、何とかしたら?」
「…………」
「討伐軍はもうヤバい、ミコっちもリント見当たらない。撤退、撤退した方が良い」
私の炎で燃えている森の中からでも、エメラルドの町を覆う異様な魔法防壁は見えていた。油断した、すぐそこだったから、けれどこんな言い訳誰が聞くというのか。
ユリクは私に覆い被さったまま辺りを見回している、いい加減頭も冷えてきたので退いてほしかった。
「ユリク、もういいわ、退いて」
「まーたそうやって……一人で盛り上がって馬鹿じゃないの?」
ユリクの体を、肚に力を入れて突き飛ばした。それでも向こうはけろりとしている。
「ダイアに強化魔法かけてもらったもんねー。そんな事すら気付いてなかったの?」
「……あのさあ、あのねえ、私も堪えてんのよ色々と」
「自分の名前で魔法使ったくせに?」
「それが何………だから何?」
「何の為に女王になったの?舐めすぎじゃない?レジーナ・ルベール、あなたの元の名前、こんな事になるって予想出来てたかなあ?」
ユリクのふざけた態度が勘に障り、短い導火線に火が付いた。
「んなことぐらい分かってんのよっ!見なさいよっ!皆んな死んだっ!誰も残ってないっ!私のせいなのよっ!」
何なのほんと...ついさっきまであんなに皆んな楽しそうに喋ってたくせに、未だに頭が追いつかない、けれど感情では良く理解している。荒ぶるしかなかった。
「それなら最っ初からやんなければ良かったのに。でも今さらじゃない?やめられるのこれ」
ユリクが何かを放ってきた、湿った音を立てた物は人の腕だった。細くて、女性のそれだった。
「まだ見たい?」
「……いらない、もういい」
「撤退?それとも進軍?」
私の炎で焼かれていく木々の中、枝が爆ぜる音が耳に触れて木が黒焦げになっていく臭いがした。そして、ユリクもまたその炎に焼かれたような声を出していた。ついと顔を上げると──
「──ねえ、この森はどうすんの?人なら死ねばあの世に行けるけどここはそうもいかないんだよ?」
「…………あんた、泣いてるの?何で泣くのよ……」
ユリクが流す涙でようやく冷静になれた、いくら自分の落ち度を憤怒で焼いても事実は覆らない。
私はもっと頼るべきだったのだ、皆んなを。助けてと言えば冷静になれていた...のかもしれない。
「………………」
凄まじい顔付きをしていた。凡そユリクらしくもない、けれど自分がそうさせたのだ。
「………ユリク」
「……わたしさあ、わたしね?ここで生まれたんだよ。この意味が分かる?」
「エメラルドの町………じゃない、わよね」
「目が覚めたら森の中、小鳥のさえずりと川のせせらぎ、梢枝の子守唄。いくらなんでも分かるでしょ、見てらんないよガーネット」
あなたはまるで昔のわたしのようだと言った。
息を吐く暇も考える暇もなかった。一方的に敵に攻められてしまい、パニックになった私は怒りのままに魔法を散らし、ユリクまでも泣かせてしまった。他の皆んながどこにいるのか...もしかしたらまだ生き残りがいるのかもしれない...本当だよ、今さらだ、ようやく状況を理解することができた。
「──ユリク、私が悪かった良く分かった。攻撃はあなたに任せて撤退すべきだった、今からでも負傷者がいないか調べましょう」
「…………」
「もう森は焼かないと約束するわ。ここはあなたの家だもの」
「………ほんと、今さらだよ」
ユリクの強張った顔が、ふっと和らいだ。
✳︎
頭が追いつかなかった、またいつものように聞いてしまった。
──自分で考えなさいっ!!ここは戦場!!
(だって優しいんだもん……聞くなっていう方が無理だって)
訳が分からないなりに私なりに頑張ったつもりだった、足はガクブルってるし今すぐ誰かと会いたい、こんな所に一人はほんとキツい。
「はあ……腕って斬れるんだ、おっかしいの」
左肘から先がない、ぼたぼたと絞った雑巾のように血が流れている。マンガとかゲームで良く見てきたけどあんま現実感がないんだね。
「きっつう……はあ?まだ追いかけてくんの……」
ガーネットさんも言った通りここは戦場だ、社会の荒波とか揉まれるとか、そういう類いではなく私を殺そうとしてくる奴らがウヨウヨいる場所。ガーネットさんたちから引き離した、それだけ、それで精一杯。着いてくるんじゃなかったっていう後悔もあるにはある、けれど。
(ああいう顔すんのほんとやめてほしい)
何か腹が立ってきた、散々優しくしておいて何それ、何様?結局他の奴らと変わんないじゃん、最悪。何で私ってあんなんばっかりが周りにいるんだろう、誰も優しくしてくれない、こっちは頑張ってんのにさあ。
(ああ……キツい……キツいわ)
腕の痛みよりも、手酷く怒鳴られた方がよっぽど堪えた。そうだと自覚したら一気に冷めた。
「やってらんね、もうやーめた」
少し開けた森の中でうつ伏せになって倒れた、ちゃんと膝をついてゆっくりとだけど。周りからやたらとガサガサと聞こえてくるけど不思議と気にならない、感覚バグってんのかもしれない。頭ん中では逃げろ!って言ってるけど体が言う事を利かなかった。あんなに怒鳴られた人ん所にどうやって戻れっていうの?
「何であんな言い方したの………私はただ助けたかっただけなのに……」
何をして欲しいかなんて、そんなの側を見ただけでは分からない、だから訊いてるんだ。それでも皆んな何も言ってくれない、「それぐらい分かれよ」と賢しらに澄ましてくるだけだ。
「何をしてほしいか言ってよ……こっちは助けたいのにっ……」
みーんなそうだった。みーんな痩せ我慢してた。けれど私は爪弾きにされた、自分から優しくすれば皆んな返してくれるって、私だって甘えたいんだよ。でも、誰にも分かってもらえなかった。
異世界でならって思ったけどあの女王だし、ガーネットさん好きだったから、最後の最後に、最後の最後に言いたくないことまで言って助けようと思ったのにぃっ、
「何で誰も分かってくれないのぉ!!」
「ごめん。ごめんねミコト」
...熱かった、その言葉はとても熱かった。そして私の周りも途端に熱くなっていた。腕が斬られたことも忘れて体を起こした、その時になって激しい痛みが襲ってきた、堪らず体を倒してそれでもガーネットさんを見たかったから仰向けに寝転がった。
「……何でここが…」
それかよって、真っ先に訊くことそれかよって自分で笑ってしまった。
「あんたの魅力、どこにいても分かるわよ──ほぉらさっさと立ちなさいっ!!」
「なんっ、意味、意味分かんないっ!」
蹴る普通?倒れてる人間蹴る?ガーネットさんに無理やり立たされると、辺り一面が火の海になっていたことに気付いた。いやてかさ、
「それ……誰の腕……」
「あんたのに決まってんでしょうがっ!」
「何で怒られなくちゃいけないの……?私ここまでやったんだよ?!」
「っさいっ!誰も頼んでないっ!あんたに怪我されて生き残って嬉しい奴がいると思うなっ!」
小さいくせに、私の腰ぐらいしかないくせに凄い気迫だった。それに、これだけ怒られても全然怖くなかった。
周りの炎のせいで顔が影になって良く見えない、けれど、ガーネットさんの目が真っ赤に光っていた。それを見て今さら「ああ、ここって本当に異世界なんだ」って、そう思った。
「ミコト、これが終わったら私の国へ来なさい。一生かけて面倒見てあげる」
「……………は、え、は?」
「あんたがあっちに帰りたくなったら帰っていいし、こっちで死ぬまでいたいんならそれでいい」
「帰りたいって言ったらどうすんの?ガーネットさん、死ぬの?馬鹿じゃないの?」
私の腕を持っていた理由──
「そうするわ。この腕にはそれだけの重みがあるもの、私の馬鹿な腹心が代わりに斬られたって言ってたから、この腕が落ちなければ私はここにはいない」
「いや……ちょ、口説き方、重すぎだって」
つと、ガーネットさんが顔を上げた。良く見えたよ、にっこりと笑っていた。
「あんたが軽すぎるのよ。いいわね?来なさい」
「……………うん」
生まれて初めて口説かれた。それもドールに。全っ然悪い気はしなかった。
✳︎
誰かが追いかけてくる僕のことを追いかけてくる。
(──冗談じゃないっ!)
木々のお陰で良く分かる、無理やり歩こうとするから必ず"音"が出るのだ。それを頼りにとにかく遠くへ、だって僕は何も悪くないんだから。とにかく遠くへ逃げる、あわよくばあのグリーンのドームへ、入れたら尚のこと良い。
──お前、ほんとっそういう所だぞ?
見知らぬ森の中をグリーンドームの明かりと森の便りを元にひた走る、この地に住む魔物ならすぐに分かる、けれどあのリポップシャドウとかいうふざけた敵は分からなかった。だから──
(違う違う違う違う!あれは僕のせいじゃない!)
"固い"音が聞こえた、この森の中ではあり得ない音だ。何かが何かを叩いている、リズミカルに。その音に集中しすぎていたのが不味かった、駆け抜けた藪の隙間から光の球が曲射軌道で僕の元へと迫ってきた。
──何度言ったら分かるんだ?そうじゃない、そうじゃないんだよ人の心ってのは
「うわああっ?!!」
その場でたたらを踏んで正解だった、ほんの鼻先をかするように通り過ぎていったからだ。光の球は森の中へと消えて、激しい土煙を上げていた...本気で僕のことを狙っていたんだ、それが分かった途端背中に冷たい汗が流れた。さらに冷たい声が森に木霊した。
「何故逃げるのですか勇者様、お話をしましょう」
「………誰が……誰がするかあっ!僕は何も悪くないっ!あんなの気づきっこないよっ!」
駆け出そうとした矢先、森が異変を教えてくれた。土煙が上がった方へ魔物が駆けているのだ、それも後ろも前も、すぐに分かった。ミコトさんから魔力を受け取りあの光の球に込めていたんだ。樹木から滴る蜜と同じだ、僕の退路を断つように魔物が大移動していた。
山の土が貯めた雨水が溢れ水の道となり、その流れが出来始めた場所に僕は立っていた。ぴちょん、ぴちょん、と。あのダイアと呼ばれるオクトリアの女王がゆっくりとこちらに歩いて来た。
「勇者様、今一度お戻りを。これ以上の逃走は敵前逃亡として処罰されます」
こんなに声が出るとは僕自身も思っていなかったし、その声量に驚いた。
「知るかそんなことっ!!君たちが勝手にやった事だろっ!!こっちはただの手伝いなんだよっ!!」
「何故、私が怒っているのか分からないのですか?」
また──その言い方──人を人として見ていない、その言い方っ!
「うるさいっ!!僕が分からないんじゃない!!お前たちが不気味なんだよっ!!」
「ならば私の口から伝えましょう謙虚の勇者様。皆、あなたの事を信頼していたのです」
ぴちゃん、僕よりうんと小さな足がまた一歩。
「何をっ……そんなはず……」
「あなたの偵察があったればこその行軍でした。だからこそ皆、気が抜けていたのです。だからこそ、私たちは不意を突かれ切り崩されてしまいました」
「結局僕が悪いんじゃないかっ!!回りくどい言い方してさっ!!だったら最初からそう言えば──」
「だからこそ、あなたは一番に逃げてはならなかったのです」
「────は、はあ?じゃあ何、敵に向かって、死ねば良かったって言ってるの?」
僕の目の前に立っている、足を上げれば蹴られる位置に。強い眼差しで僕を見上げていた──そうか、この森は彼女が好きなんだ、だからこうも月明かりを独り占めにして...凛と立つドールだけが月光の祝福を受けていた。
「いいえ。まだ分かりませんか?」
木、葉、水、土。"自然"という概念を構成する全ての要素はとても素直だ、人間とはまるで違う。複雑な反応なんてしないし、一つの動きが連鎖反応を起こして"自然"そのものにも影響を与える。
僕とドールの隔たりは何もない、お互い水の流れの上に立っている。今すぐ足を上げれば蹴られる、その距離しかないのに僕は月の明かりから外れていたのだ。こんな事あり得ない、あり得ないからこそ膝を折った。
「………分からないよ、分かるはずがないよ、どうして僕を信じたの?どうして君は怒っているの?どうして追いかけて──」
雪の重みに負けないよう細く進化した木の梢枝が動いたのか、それとも雲の気紛れか、それとも月の大慈悲か、僕も月光に照らされた。真っ直ぐに白く光る瞳が僕を見つめている、とても綺麗だった。美しいと言っても過言ではない。
何を言ってくれるのかと期待した、あれだけ逃げていたのに今は声が聞きたくて仕方がなかった。それなのにたったの一言だけだった。
「それです」
「…………っ!」
「勇者様、溜飲も下がりましたのでご安心を。下手な事をしなければ魔法は撃ちません」
「へ、下手な事って何?」
「私を怒らせない事です」
「怒らせない事って何?」
「撃ちますよっ?!」
「ご、ごめんなさいっ!」
ダイアさんが急にぴりぴりし出したのも分かる、僕たちの周りが囲われているのだ。痛いくらいに気配が動く、中には殺気もあった。
「ど、どうする?どうすれば、」
「ご自身で考えてください!」
「さ、さっきは何でも聞けって」
「そのような事は申しておりません!」
「そ、それにミコトさんの魔力を込めたのはダイアさんでしょ?どうしてこんな事に──」
余計な事を言った、ダイアさんの瞳が驚愕の色に染められたからだ。それが敵にとっての合図となった。
「──伏せてください!!」
「ひぃっ?!」
抜剣と同時に眩い光りが彼方へと飛んでいった、それも連続で。伏せろと言われても僕の方が高いんだ、だから濡れるのも厭わず小さな川の流れにお腹を付けた。
敵が潰えていくのが気配だけで分かった、ダイアさんが剣を振るう度に一つ、時には二つまとめて消えていく。ちらりと視線を向けるとまだ月の明かりを受けていた、その祝福の下で踊るように敵を屠っていくダイアさんはこの世の者とは思えない程に、とても綺麗だった。
(ああそっか……ここは異世界なんだ……)
また、あのリズミカルな音が聞こえてきた。僕を惑わした音だ、森の中...いや、この世界で馬の蹄の音を鳴らすことができるのはドールじゃない、人間だけだ。
敵の気配が消えた後、ようやくその姿を見せた。
「すまない、悪い事をした」
ダイアさんから裂帛の気合いを感じた──そうか、僕もついに人の事が分かるようになってきたんだ。
「堅固の勇者様、ご自身が何をされているのか………お分かりですか?」
「だからすまないと言っただろう、こちらにもやらねばならない事がある」
そろりと顔を上げる、水の流れを断ち切るようにツカサ君がそこにいた。立派な立て髪をした馬に跨って。中世の騎士を思わせる鎧を身に纏って、鞍には両側に一個ずつ背負い袋をつけて、まるでワンマンアーミーのようだった。
ダイアさんは僕に対する怒りよりもなお募らせてツカサ君のことを睨みつけていた。そこでふっと、月の明かりから弾かれてしまった、僕だけ、けれどもう自然の動きは気にならなくなっていた。
「勇者様、あなた様がしでかした事、重罪に値します。同胞を謀り囮に使うなどっ──!!あの時私が抜剣していたならばあなたは極悪人に──」
「だから何だと言う、手を切ったのはそちらだオクトリアの女王よ」
僕は嫉妬していた、生まれて初めて嫉妬した。この綺麗な瞳をここまで歪ませられるのかと。耳が斬れたかと思える程に、ゆっくりとダイアさんが剣を抜き放った。
「同胞を同胞と思わぬその所業──」
「──万死に値するとでも言いたいのか?」
ダイアさんに釘付けになっていても、僕が培ってきた経験と知識はそう鈍くならないものらしい。木立の奥からぶわりと"怒り"が膨れ上がるのを感じた、森も怒っているようだ。
「当たり前でしょうが……」
「──っ!」
赤く煮えたぎる炎の球がツカサ君に直撃した...ように見えたけどその直前で弾けて、火の粉が辺りに散らばった。ここには落ち葉も沢山ある、引火しやすい環境だったのに不思議と火の手は回らなかった。
「堅固の勇者、あんたのせいで私の可愛い腹心がこんなんになったわ。どうしてくれんの?」
「………っ!ミコトさん……」
ガーネットさんと一緒に現れたミコトさん、右側の腕だけでぐったりとしているドールを抱えていた。もう片方は...先がなかった、それなのにミコトさんの顔はいつもより元気があるように見えた。
「聞いてんの?この子、ぶっ倒れるまで敵を引きつけて戦ってたのよ?何て強い子なんだろうって思っていたけどまさかあんたのせいだったなんてねええっ!!」──だからどうしたと言っているっ!!友を思って守って何になる!!何にもならない何も得られない!!下らない正義感に身を委ねるべきじゃなかったんだよ!!」
ガーネットさんの怒りの炎がツカサ君にも燃え移り、凄まじい剣幕で怒鳴っていた。
「………何のために私らを囮に使ったの?」
「──武勲のためだ」
ガーネットさんが吠えたてた、「このクズがっ!」と。その罵声を浴びた独りきりの騎士は森の中を駆けて行った。
✳︎
まだ体の芯は甘いナニかに浸っている、本当はもっと勇者様の指を独り占めしたかった。けれど、今の状況を考えればそういう訳にもいかず、無理やり口から離したのだ。後悔した、ぐるぐると頭と体を不快感が駆け巡り何度も口にしたくなった。やばいじゃんこれって思いながら何とか耐えて、勇者様と一緒に外へ出たんだ。
皆んな、脇目も振らずに戦っていた。女王である私が勇者様から魔力を受け取れば、その眷属である町の皆んなへ、隅々まで行き渡る。善人だろうが悪人だろうが関係ない、だからこその"番"である女王は直接受け取る必要があった。
けれど、本当にこれで良かったのかと思う、だって、皆んな──
「行け行け行け行けえっ!!俺たちには勇者様がついているっ!!」
「狼狽えるなぁ!抱擁の魔力を信じろっ!」
「怯むな怯むなっ!!押せ押せっ!!」
もの峰の近くにある魔力庫へ向かうため、勇者様の魔力を受け取った町の皆んなが肉の壁となって隊を護衛し、未だに群がる夥しい数の敵陣を突破しようとしていた。もう既に突破できた隊がいるのかもしれない、すっかり町のドールたちがその数を減らしていた。
ぎゅっと目を瞑る、だって見たくなかったから。町の皆んながぼろ切れのように吹き飛ばされるところを見たくなかったから。いくら抱擁の魔力が強くとも、それを受け止め切れるだけのドールはいない、先に体が悲鳴を上げて壊れいていく。私が勇者様の指を噛まなければ、皆んなに魔力が行き渡ることもなく、地面に横たわっているドールたちもまだ生きていたに違いない。力を得たからこそ、誰も彼もが引くことをせずその命を散らしていく。
「ハパラ、ちゃんと見なきゃ駄目だよぉ」
「…………」
無理やり顔を上げられた、この人は本当に意地悪だ。分かる?どうすれば良かったって、このやり方が正解なのかどうかって分かるものなの?
「ちゃんと見ないとぉ、皆んなの事が分からなくなっちゃうよぉ」
勇者様の手が私の顔を挟んでいる、力強い、ビクともしない。
「──ふん!」
「ぅううわあっ?!ちょっとぉ!」
外側に向けてふん!をやって、勇者様に離れてもらった。
「何でそんな事するのぉ!危ないでしょぉ!」
「もう平気です、ちゃんと皆んなを見守ります」
「そういうことならぁ……」
うふぇって言いながら地面から立ち上がった。
「来たーーー!来たぞーーー!皆んなで援護しろーーー!」
その喜気迫る声は良く響いた、突破した隊が魔力を持ち帰ってきてくれたのだ。あれだけあれば暫くは過ごせる、最悪あれがなくても私がまた指を咥えれば良い。まあ、皆んなはそれを了承しないと思うけど。
「ハパラぁ、駄目だからねぇ、一人でやったら駄目だからねぇ」
「私はそんなはしたない娘ではありません」
「…………」
勇者様は私をじっと見ているだけで何も言わなかった。得た魔力を食べ物として貯蔵する時は、その時は女王としてこの命を削る。魔力庫に保管していた魔力は私が命を削って排出したものだ。そのやり方に些か思う所はあるにしても、そうほいほいと簡単に出来るものではなかった。
あと少し、魔力を持った隊が防護壁に到着しようかという時、辺りにいた魔物たちが一斉に動き出した。隊を目がけて、あれだけ防護壁に食らいついていた魔物たちも狙いを変えて。
「そんな──!」
食われる──爆発、爆発?次から次へと爆発が起こり、土煙と外側にあった雪が上空へ舞い上がった。あんな攻撃あった?まさかあの怪しい青い髪のドールかと思ったけど、
「────助太刀しようっ!!」
「なっ!何あれ!何あの人?!」
馬に乗った人間がこちらに猛然と突っ込んできた、手には頼りなさげに握られた剣があった。素早く勇者様に振り向くと、あんな人知らないと首を横に振られただけだった。
騎乗した人間のお陰で魔物の群れは引き裂かれ、何とか隊が防護壁の中に帰還した。私も嬉しかった、これ以上犠牲が出なくて済んだと、とりあえず一安心した。助太刀に入ってくれた人が鞍に括り付けた背負い袋から何かを取り出した、そしてそれをぽんぽん投げている。
「あれかあ……あれ爆弾なの?」
するとあちこちで爆発が起こった、今度は魔物がぼろ切れのように飛んでいく。それを見た私は、
「いけえーーー!やれえーーー!やっちゃえーーー!」
声の限りに叫んだ、もっとスカッとしたかったから。私の声援が届いたのか人間はさらに攻撃の激しさを増していった。一網打尽とは程遠いけど、この状況になってから初めて魔物たちが後退りを始めていた。それを見た町の皆んなも一気に前へ出て反撃を開始した。
防護壁に広がっていた波紋もなりを潜め、少しだけ静かになった町に声が轟いた。
「引けーーー!引けーーー!やられるぞーーー!」
そう叫んだドールが小石のように空を舞い、事切れた後に防護壁の中へ落ちてきた。何かあった、敵も黙ってやられるつもりはないらしい。遠く離れていても大きな異形の影が見えていた。
「ああ……そんな……」
その姿、人の半身のようであり獣のようであり、見るからに恐怖を覚える出立ちをしていた。それにまだまだ大きくなっている、やがてはこの防護壁より膨らむのではないかと思える程に。絶望感しかなかった、せっかく助けに入ってくれたのに、結局私たちは食われる運命にあるのだと痛感させられてしまった。
暗黒の巨人が手を振りかざした、それを防護壁が食い止めるも今までにない程に揺れて、ぱらぱらと何かが落ちてきた。緑色の粉雪だ、防護壁がついに悲鳴を上げた。
それでも、やはり"勇者"と言われるようにエニシ様が一歩前に出た、信じられない。けれど、外で戦っていた人間も怯える馬を叱咤して猛然と巨人へ突っ込んでいった。
そして──
✳︎
不細工な戦いだった。
堅固の勇者と別れた後、私たちは散り散りになっていた討伐軍と何とか合流を果たし、エメラルドの町へと向かった。
リントの働きがとても大きい、彼は人が変わったように進んで行動を起こした。ダイアを気にかけている様子があったけど、きっと何かがあったのだろう。ダイアはあの強襲に動じることなく最適解を導き出し生き残っていたのだ。
生き残った部隊は約半数だ、半数も生き残っていたのだ。あの時私が取り乱していなければ...そう思うと再び腹の虫が騒ぎ立てたが何とか堪えた。
ようやく辿り着いたエメラルドの町も酷いものだった。どこを見ても魔物やリポップにたかられ入る隙間もない程に。何とか穴を見つけて魔法防壁の中へ突入してみれば、可笑しなことに皆が叫び声を上げた。生き残った歓喜からではない、激痛によるものだ。どうやらこの防護壁内は治癒魔法の作用があるらしく、激痛で気が飛びそうになったがみるみる回復していくのだ。しかし、重傷者は地獄を見る羽目になってしまった。ミコトとユリクだ。ミコトは早々に気絶したお陰で難を逃れたが、ユリクが可哀想だった。気を失っていたのにあまりの激痛に覚醒し、また悶絶した後再び気を失っていた。
体を動かせるようになってから、私たちはエメラルドの町を小さな林の中から巡って行った。
家屋には誰も居ない、点々と存在している広場にだって人っ子一人いやしなかった。ひっそりと静まり返る町は魔法防壁の明かりに淡く照らされ、まるで異世界に訪れたような錯覚を受けた。
緑色に輝く人間サイズの農具、枯れた井戸、古びた家屋は屋根が崩れ、中にあった姿見が空を覆う魔法防壁を映していた。
幻想的にさえ見えるエメラルドの町を上へ、上へ、そこでようやく気配を感じ、かと思えば喧騒が耳に届いてきた。
そしてあいつが、私たちを囮に使った堅固の勇者が泥に塗れながら戦っていた。本当に不細工な戦い方だった。
あいつが持ち合わせていた技術は騎乗のみで剣の扱いはさっぱりだった。振るいはするが敵に当たった反動を抑えきれずに弾かれ、かと思えば自ら乗っている馬に当ててしまい地面に叩き落とされ、それでも這い上がってまた乗って、落とされてはまった乗って、その繰り返しだった。
剣の腹でどついて昏倒させ、止めにいちいち行儀良く馬から降りて突き刺して、それでも"堅固"に恥じぬ防御魔法が発動して彼の戦いを支えていた。けれど、それも長続きはしなかった。体が追いつかないのだ、彼は元々ただの庶民である。私が働いていたコンビニへお弁当を買いに来るような青年であり、命のやり取りを続けるだけの体力も技術もなかった。
それでも彼は小揺るぎもしなかった。口で息をつこうとも、剣を持つ腕が上がらなかろうと、"武勲"を求めるその決意に満ち満ちた目は翳ることなく敵を捉え続けていた。そんな彼にエメラルドのドールたちも触発を受けたのか、一気呵成に敵を攻め立てた。本当に彼の勝利で終わるかと思った矢先、魔法防壁を覆う程の大巨人が現れた。
それでも彼は諦めなかった、怯える馬を叱咤して勇猛果敢に駆け抜けた。
そして────彼はドールのように吹き飛ばされ、命途絶える間近で魔法防壁内に戻ってきた。エメラルドのドールたちが彼を運んでくれたのだ。
「…………………」
呼吸も浅い、全身ぼろぼろだ、ユリクと同じようにぐったりとしていた。
それでも彼の目には光があった、信じられない、まだ彼は諦めていない、こんな人間がいるのかと疑問に思った。あの"平和"に支配された世界でここまでの決意を持つ人間がいるのかと疑った。まるで騎士だ、勇者そのものである。
声をかけられるはずもない、私とは雲泥の存在だ、私には仲間を謀ってでも果たしたい目的なんかなかった。けれど彼にはあるのだ。何をそこまで、一体何が彼を突き動かしているのか──そんな折、死体に成り果てた彼の馬がほんの少しだけ動いた。倒れた弾みで潰された背負い袋から何かが這い出てきた。私が元々住んでいた国、リーゼラッハの女王その人だった。かなり地味だと小馬鹿にした女王が、腕は捻れ足を引きずるようにして彼の元へと向かっている。ひっそりと消えたはずの女王はずっ..........と彼の傍らにあり続けていたのだ。
この時初めて、堅固の勇者の瞳が揺らいだ。
「何故………どうしてあなたがここに………」「ずっと、おそばにと……誓っておりました「何を馬鹿な……あなたまでそんな怪我を、する必要は「いいえ勇者様、私はあなたと片時も離れたくなかったのです……こんな意地汚い私を女王と呼んでくれたあなたと「違う、違う、あなたは意地汚くなどない。女王よ、俺はただ「あなた様だけが、私を女王として扱ってくださった、だから私は女王としてあれたので「それを言うなら俺だってそうだ、あなたが俺を勇者にしてくれた。だからどうしたってリーゼラッハを世に轟かせたかった、あなたの名を世に知らしめたかった」
分かっています、と女王が言う。
「あなた様が私のことぉっ………一番に考えてくださっているのはぁっ……存じておりました……だから離れたくなかったのです……あなた様のおそばが一番幸せだったからです……さあ、私に魔力を、あちらの世界にお返しします」
彼はただ頭を振る、子供のように我が儘を言うように。
「違う、違うんだ…俺はあなたをそんな目にあわせるつもりは……」
「勇者様。お願いです、私にしか務めぬ使命をお与えください、このままでは死んでしまいます」
冷淡だった、女王である前に一人の女性として、彼女は愛する勇者を守るために非情に徹した。己の命を散らしてでも守ると決めた女王の瞳は彼と同じぐらい、小揺るぎもしなかった。
彼は諦めたように手を掲げ、それを恭しく受け取った女王は指を食んだ。魔法防壁にも負けぬ暖かい光りが周囲に満ちていった。
彼はそっと体を起こし、胡座をかいたまま恭しく女王を抱きかかえた。まるで幼子のように見える女王の顔にはいくつもの雫が溢れ落ちていた。
彼の足元から送還術式が生まれた、ゆっくりとゆっくりと、最期の時を惜しむようにゆっくりと術式が完成していく。
彼は泣き止んだ、微笑むように笑いかけて何事か口にしている。外にいる私たちには分からない、そして永遠に知ることもできない二人だけの言の葉だった。
送還術式がより一層強い輝きを放ち、収まった頃には、地面に横たわる女王だけが残されていた。
13.ユグド姉妹
天も高らかに声が轟き渡った、誰もが羨む最期を遂げた二人を見送るように。
「名をラピーズ・ユグド────この私がその願いを聞き届けよう!弱小国リーゼラッハの女王の魂よ!勝利を求めて華麗に散った魂よ!此度の騒乱鎮めしはリーゼラッハその人にありと!その武勲はリーゼラッハにありとこの私が世に轟かせてやる!」
ガーネットたちと見守っていた私たちの背後でそう宣言した、名前はラピーズ・ユグドという。ユグド家において最強格と謳われた元魔法使いが仁王立ちで立っていた。その瞳は濡れ、けれど何かを吹っ切ったように上がっている口角は戦士の顔だった。魔術、武術共に優れていたユグド家の長女が詠唱を開始し、エメラルドの地より巨神が喚び起こされた。
「カエルム・アルキュミア・アーク──我が贄となりしかの者に怒りと光の鉄槌を──」
とても短い、それなのに彼女の意のままに従う青銅色の甲冑を着込んだ神が──
「──ギングラメッシュwithイチキ・シマヒメよ!我と共に彼らの武勲を示そうぞっ!」
──え、聞き間違い?かな、うぃずって聞こえたような...いやでも本人真面目にやってるし...ミュージックのおすすめリストに出てきそうな名前を聞いて一瞬ぽかりとしてしまった。
原初において初めて人の身から神になったとされる巨神がその姿を現した。紫電を帯びたように青く、紫のようにまとう鎧は威圧感と頼もしさがあった。その上から薄い羽衣を肩にかけ、背中は天を表すように大きな丸い円盤があった。
番として死を遂げた二人を見届けたユグド家最強の魔法使いが、たった一言「殺れ」と命じた。それだけで天災が起こったかのような猛攻撃が始まった。巨神が手にした七枝刀は紫電の衣を纏い、大上段に構えた後は敵目がけて雷の如く振り下ろした。真っ二つにされた敵は汚泥を巻き上げるように黒い塊りを周囲へ飛び散らさた。私たちを覆う魔法防壁にもへばりついている。攻撃の手を緩めず、ラピーズが最も得意としている必中の雷を降らせ続けた、原初の星が迎える生誕の時のように、生ける者が根絶されていくように。それでも手を緩めず巨神は七枝刀を振り続け、ラピーズは雷を降らせ続けた。
だが、それが仇となった。
「何よこれ……どんどん、覆われていく……」
泣き腫らした顔も隠さず、ガーネットが天を見上げていた。彼女の言う通り、敵から飛び散った汚泥が魔法防壁を覆い始めた。防壁の外で戦っていた巨神の姿も次第に見えなくなった。私たちの不安を表すように汚泥が防壁を覆い、投げかけられていた幻想的な光りも途絶え始めてきた。
ここで一歩、前に出た者がいた。名前はエメラルティア・ユグド、真祖にして最高学である治癒医術を学び切った天才であり、その瞳は泥に覆われた汚い夜空へ向けられていた。
「──待ちなさい!」
さすがに声を荒げた、けれど彼女はこちらを見向きもしない。すぐさま魔法陣が形成されていく、それに呼応するようにエメラルドの土地が割れ始めた。
「待ちなさい!あなたはそれ以上魔法を放つべきでは──「エニシっ!!今すぐ止めろ!止めるんだ!」
どうやってか巨神の共にあるラピーズの叫び声が届いてきた。
どうやら最強の魔法使いも知っていたようだ、そして私も全ての合点がいった。これ程までの魔法防壁をどうやって発動したのか不思議に思っていたが何の事はない、エメラルティアは元来のやり方で魔法を発動していたのだ。それはリングクリスタルから得られる強大な魔力、それ故私たちアルビリオンの人間は見境いなく使用し世界そのものを疲弊させ、今のようにドールに身をやつしていた。
事態を理解したガーネット、それから勇者のリントもエメラルティアへ駆け出した。しゃにむにになって止めるがまるで取り合わない。
「止めなさい!あんた!自分が何をしているのか──!」
「──ウルティムス・キルクルス!万難に挑むは我そのものなり!」
最高学を学んだ魔法使いが無慈悲にも詠唱を開始した、彼女はこの世界が壊れてしまうことを理解していないのだろか。
巨人が撒き散らした泥のせいで魔法防壁は壊れつつあった、空から緑の粉雪が、次第に大きさを増して拳大の雪が降り始めてきた。彼女はもう一度魔法防壁を展開するつもりなのだ、世界そのものを犠牲にしてでも。
「止めろって言ってるのが「エルーアル・ラ・アクア・エア!!エメラルティア──「兄様に二度と会えなくなってもいいのかあっ!!」
「──っ!!」
エメラルティアの詠唱が止まった、中途半端に終わってしまったがために魔法防壁も地上から消え失せようとしていた。近くにいたドールたちは悲鳴を上げて逃げ出す、消失した防壁の向こう側にあった本物の夜空にもひびが入っていた。湾曲したひびだ、それはアニュールバ山脈の峰をも越えて空の端へと向かっていた。
また、彼女が詠唱を再開した。そしてこう叫んだ。
「──私はぁ!私は自分の世界を守るだけで精一杯なんだぁ!目の前にいる仲間たちを守って何が悪いぃ!ここにいない人たちよりもぉ!今目の前にいる人たちを優先して何が悪いぃ!」
さらに大きく息を吸い込み上向き、ひび割れて壊れかけた、いいやもう既に壊れていた世界に向かって、涙を流しながら──
「私を罵ればいいぃ!永遠に呪うがいいぃ!それでも私は私がいるこの世界を守るっ!──その為にユグドの門を叩いたっ!ここで逃げ出して何がユグドの者かっ!全てを捨てた私の決意を──「もう十分だ我が妹よ、良くやった」
14.総帝の弟子、タクトティア・ユグド
「──名をタクトティア・ユグド。総帝ゲールティア・ヘラートの弟子にして、世界の遍く法を学びながら何一つ身につかなかった不肖の弟子がここに──町一つ守り切れないこの世界に代わって我らユグドがその責を担おう──ウルティムス・キルクルス、真円の中にて永遠の時を与えたまえ、贄は我なりタクトティア・ユグドなり」
はぁんっ!と世界が緑色に弾けた、まだまだ続ける。
「カエルム・アルキュミア・アーク──万雷の祖よ戦人よ、ヤンデレが少し入った我が妹「ん?!それ私のことか?!」ラピーズ・ユグドの入水自殺「ああーーーっ!!それやめてーーーっ!!」を防いだことに感謝しよう!盛り上がりに過ぎにも程がある「ああーーーっ!!」×2
喧しい姉妹二人の叫び声と共に、覆われた空に雲が浮かび始めた。
「アベーオ・イラ「次はボクですか?!」エーブリエタール──永遠に覚めぬ夢を現実に「あ…良かった…」我の指を見つめし時のように「っ?!」はぁはぁ言いながら我に手入れをされ「それ今頃言うのですか?!やめてください!」──自らを偽る幻想を焼き殺せ」
新しく広がりゆく世界を現実に、願わくば誰もが幸せたれと、柄にもなく祈りを捧げた。
「そして!実妹たるガーネティアよ「あ、はいはい」今こそ我の真の力を見せてくれよう「大体は知ってますよ」──イラ・イグニス・カリクルス・ゼノアルマ!「そこ間違えてます」原初の炎よ!新しき世界に消えぬ炎をたぎらせたまえ!「天国にめされますよ?」
世界を構成する要素を魔法で再現した、それを賄うだけの魔力はクリスタルにはない。あるのはここ、俺が持つ魔力量のみである。だからこその世界創生魔法、ユグド兄妹の集大成とも言えよう。
異世界から来たクズどもも消え行く、居場所がないからだ。この星そのものを覆う真円の防壁内はただ一つの異物も許さない。
万雷を生む雲がその下を巡る、幾億の命を育むその雲こそ生きとし生ける者には必要だった。
人の心を覆う、不審、不信を一掃すべく混沌の魔女が使いし秘法を転用した。後は己が命と向き合うだけ、それこそ真の戦いなり。
ユグド姉妹の魔法を展開してもまだ余りある魔力、宝の持ち腐れと良く言われたが今回ばかりはそうではない。
「──ゲールティア・アイン・リフ・ヘラート。それとお前ら全員この後逃げずにそこで待っていろ──「えっ?!」×4──身辺をまっさらにした理由を問い質す!「一番初めにやろうって言ったのはエニシだか「違うでしょ?!アオだよ「わたしは関係ありませんか「ガーネティア!パスケースを融通した恩を忘れたのですか「もう回収されましたあ!わたしは無関係ですぅ「一番物捨ててたのエニシだろ!「私のせいにし過ぎ「うるっせえ!」
ぎゃあぎゃあと喚くユグド姉妹を一喝し、魔法を解き放った。
「逃げたらただじゃおかない!肚括って待っていろ!」
本当にユグドの者は騒がしい、世界が生まれ変わっても自分はやってないと騒ぎ続けていた。
✳︎
最近になって流行り始めたアニメのキャラクタードールが良く売れるようになり、自分が働いているお店にもにわかの客が良く来るようになった。今もドールが売られているフロアでは、買いもしないのにあれやこれやと騒いでいるし何ならデジタル盗撮までしている始末。
「すみませーん、撮影は禁止しておりまーす」
はぁとか、ええ?そうなんですかあ?と腹立つ言い方をしながら客が散っていく。
(全く……見せ物じゃないっての!せめて買って帰れや!)
ドールは高い、良い物なら諭吉さんが一〇枚は軽く飛んでしまう。
自分の相棒が段ボールを抱えながらフロアに戻ってきた、ガムテープを外して中を見やれば色とりどりのドールが収められている。それを一つ一つ検品しながら束の間雑談に花を咲かせた。
「そいやさ、お前んとこの弟子がまた無茶やったって?」
「そ、世界を造り直した」
ぶっは!と笑っている。
「ヤバいだろそれ、誰が責任取んの?やっぱお前?」
「そうなんじゃない?」
「いや適当すぎる」
「そろそろ顔を見せに行こうかと思ったらこれだもん、行く気も失せたわ………あー…やっぱりドールは良いねぇ……フィギュアもたまんないけどこっちも良い」
「趣味でドールに変えるってお前もヤバいけどな」
「いやいや、どうせクリスタルの魔力は尽きかけてたの、蛙や虫にされるぐらいならまだドールの方がマシでしょ?現にそれでのらりくらりと数百年持ち堪えたんだから」
「まあ…結果論だけどなあ……」
「いやあ……ちょっと計算違いだっけど……それは否めないけど……」
「それ──あ、いらっしゃいませえ〜」
まーた呑気な顔してやって来た、ついにドールに手を付けたらしい。
世界を変えた男がこう言った。
「このドール、ください」
つづく