この、ドールください。3
ドルくれ3
1.妹ズ、フェリーの上
鞄に揺られること十分ちょっと、左右対象のフェリーが向こう岸に到着した。客室内にいる他の旅行客が荷物を手にして甲板へと出て行く...多分そう、きっとそう、直接見ることはできないが騒々しい雰囲気に包まれているのでそうだと思う。
舌っ足らずな調子の妹が華やいだ声を上げていた、こうして旅行に来るのは初めてなのでテンションが高いのだ。
「わぁ!見て見てぇ〜!海の中なのにあんなのが建ってるよぉ〜!」
その妹に冷静なボクっ娘妹がきちんと説明しながら答えていた。
「あんなの、ではなくて鳥居です、この世界ではとても神聖な物らしいですよ」
どもることはなくなったが丁寧な物言いは変わらずだ。
妹ズも甲板に出るため歩き出した、その度に鞄が揺れるものだから目眩がしそうになっていた。
そう、俺は今、鞄の中にいるのだ!吐き気がしそう!何この拷問!もう我慢ならないと抗議のために顔を出そうとすると外側からとんでもない力で抑えつけられてしまった。
「…こら!バレたらヤバいだろ!おとなしくしていろ!」
力自慢の妹だ、体格差を考えれば当たり前なんだがとても勝てそうにはない。「ちょっとだけ!ちょっとだけだから!」とファスナーを開けて外を見やれば青い瞳が俺のことを捉えていた。
「…あと少しで旅館に着く!それまで我慢していろ!」
「何があと少しだこちとら──」
自宅からずっと鞄の中に閉じ込められているんだぞ!と言いたかったが問答無用でファスナーを閉じられてしまった。
◇
これから言う事はとても変である、先に言っておくが。これから先聞くことはないであろう事を伝えるが...ドールに変わってからというもの既に半年間も過ぎていた────え?別に普通?聞いたことある?うっそだあ。
ドールはあのドールだ、球体関節人形と呼ばれるものでスケールサイズで言えば1/3、全長六十センチ程のお人形さんの事である。材質はPVC、ポリ塩化ビニルとウレタン樹脂、それからプラスチックが使われている──まあ、これは市販されているドールの話なので俺の場合はこの限りではない。はっきりと言って何で出来ているのか不明である。
「わあ〜〜〜!わあ?何ぃ〜この景色ぃ〜見晴らしが悪すぎるよぉ〜」
「アオ、もしかして騙されたのですか?」
「何言ってんだよこの部屋高かったんぞ──うげぇ!何だこれ!」
俺たちがやって来た旅館は老舗であり、流れた長い時を感じさせるように古い造りをしていた。けれど所々リニューアルされたのか、真新しい調度品もあってちぐはぐな印象を受ける。部屋に入って早速エミィが縁側の扉を開け放ち、確かに土手の裏手が見えるだけの景色は最悪だった。この近くには、穏やかな内海と言わずと知れた鳥居もあるはずなのだがちっとも見えなかったというか俺の視界には三人の背中しか入らなかった。
「あったま来た!フロントに文句言ってきてやる!」
部屋からの景観に納得がいかない様子のラピーズ、お冠になって出て行こうとするがそれを呼び止めた。
「止めなさい!」
「え?!いやでもさ!私は確かに海側の部屋で予約を取ったんだよ!それがこれじゃ──」
俺の制止が納得いかない様子。
「いいから止めなさい!ホテルのフロントマンと喧嘩しても良い事なんか一つもないぞ!それに奴らは頑固の最頂点に立つような存在だ!絶対こっちの言い分なんて聞かないぞ!」
俺のお説教に何かを感じ取ったのか、ラピーズが拳を戦慄かせてたらがっくりと肩を落とした。どうやら思い留まってくれたらしい。うんうん、それが良い、本当に喧嘩してもろくな事にならないんだから。
「まあ、そこまで言うなら………?!」
さっきも言ったようにこの旅館は古い、そのため足音も良く聞こえる。俺が振り向くより早く後ろから抱えられてジェットコースターの気分を味わってしまった。ボクっ娘妹であるアミィだ。
「兄さん!隠れてください!」
「もうちょっと優しく──」
部屋の扉が開けられた、鞄に入れる時間もない、何を思ったのかアミィが縁側の椅子に腰を下ろして、ロングスカートの中に俺を入れたではありませんか。これバレませんか?
「タクト兄ぃ〜!もっと頭をつけてぇ〜!」
薄暗闇の中、後ろから頭を押さえられてアミィの太ももに顔面ダイブした。両方から柔らかい感触が押し寄せてくる、もぞもぞして居心地悪そうにしている我が妹、自業自得ですよ?部屋に入ってきたのはこの旅館の責任者のようだった。
「この度は大変申し訳ございません、こちらの手違いでお客様がご予約されたお部屋とは違う所での案内という形になりました。宿泊料金を一部お返しさせていただきますので何卒ご容赦のほうを……」
「ああ、いえいえ、こちらこそご丁寧にありがとうございます」
随分とまた、ラピーズも常識人になったものだ。あいつがダイア目がけて剣を振るっていたのが信じられないぐらいだ。
その後、二言ほど言葉を交わしてから女将?の人が退出し、何故だかもう一度俺はジェットコースターのように持ち上げられてしまった。
「きゃっ!もうエミィ!ゆっくり!」
スカートの裾が捲れ上がって、太ももの付け根に降り積もった純白の雪が視界に映った(変態的表現)。
「変なことしてないよねぇ〜?大人しくしてたぁ〜?」
くるりと向きを変えられてエミィに見下ろされる、何気こいつが一番胸が大きい、目の前にある双丘はとてもインパクトがあった。
「あのまま引きこもっていたかったです」
「何それぇ〜!変態じゃん!」
「エミィ!そいつの首をもげ!」
「タクト兄さん、私がしっかりと介護してあげますからね」
いや止めてくれる?
◇
さて、どうして俺たちが旅行に洒落込んでいるか、ちょっと説明しようと思う。端的に言えば、俺の体を人間に戻すためである。「ここいいんじゃないのか?!この鳥居絶対怪しいって!」と先森家の稼ぎ柱であるラピーズことアオが、ある日目を輝かせながら帰ってきたことがあった。「いやそれ旅行に行きたいだけだろ!」と俺が突っ込み、七連勤明けのラピーズが「いいだろ!たまには息抜きもしたいんだよ!」と今回の旅行が決まった。そう、俺は今、妹たちのヒモになって生活をしていた。
エメラルティアことエニシ(めっちゃ古風なんですけど)と、アメドラルことユカリもそれぞれ名前を変えて労働に励んでいる。元々この三人は何クソ根性で城一つを買い付けた程なので、働くことには何ら抵抗が無いらしい。この三人もお嬢様のはずなんだが、俺の知らない所で立派に成長していた。
でだ、海の只中にある鳥居の近くまで来たものの、こっちの世界で初めて旅行をする三人はパンフレットと旅行雑誌を見比べながら楽しそうに作戦会議をしているだけだった。
「そらみろやっぱり、旅行したかっただけじゃないか」
漆塗りの座卓の上で胡座をかいている俺の頭を、ラピーズがつんと突いてきた。
「当たり前だろ」
「お前、ここがどんな所か知ってんの?」
スマホを使いフェリーについて調べていたアミィがつと顔を上げた。リングドーラーの住人がスマホ使ってますよ、さっきまでうむむむと画面を見ながら唸っていたアミィが、
「タクト兄さんは知っているのですか?」
「今から約一四〇〇年前に建てられた神社だよ」
「………」
「………」
「………」
「いやそれだけかよ!」
ラピーズの突っ込みの後、アミィがぱぱぱっ!とスマホで検索をかけ始めた。
「………ここにある建築物は由緒あるものらしいですね。私たちで言うところの王が何度も足を運ばれたことがあるとか。それとこの国で最も有名な神様の夫?でしょうか、その神様が持つ剣から三つの神が生まれて、それを祭っているみたいです」
「そおらみろ!やっぱり私の見立てに間違いはなかったんだ!ふっふ〜ん、ちゃーんと考えているだろ〜?」
たまたまヒットしたくせに、偉そうにしているラピーズが俺の頬を突いてきた。歯を立てて噛もうとしたがひゅんと引っ込められてしまった。
「この欲しがりさんめ!私の指から魔力は出ないぞ!」
「うっざ!」
「もう〜二人ともぉ〜早く行き先を決めようよぉ〜」
「今日は初日ですから、ぶらぶらして見て回るのもいいかもしれませんね」
アミィの提案を受けて、ラピーズがすっと立ち上がった。
「よおし!そうなったら早速出かけるぞ!にい!さっさと鞄に入るんだ!」
にい、とは俺のことである、何気こいつが一番可愛い呼び方をしている。
「嫌です」
「何ぃ〜?!こんな面白い所を目の前にして何とも思わないのか!ほら早く!」
「嫌なものは嫌です」
「今度は優しくしてあげるから!な!早く入ってくれ!」
「嫌です!もう鞄の中に入れられるのは嫌なんです!」
◇
妹ズが出て行った部屋は何とも静かなものだ、俺が拗ね倒して部屋に居残ることを勝ち取り、今ようやくほっと一息ついているところだった。自宅からずううううっと鞄に押し込められていたんだ、うんと体を伸ばさないと体の節々が固くなってしまう。
「俺ドールだったわ」
ぽつりと独り言を呟いて、良い匂いがする畳みにごろんと寝転がる。
この半年間を振り返ってみる、何やら襖の奥から物音がするがそれを無視して思考に没する。
(ドールになって半年、か………めっちゃ退屈なのな)
あの日、確かに俺はあの爆発に巻き込まれたはずなんだ。熱さも何も感じない、真っ白の世界に目が焼かれたかと思えば気を失って、そして目を覚ましたらショーウィンドウの中にいた。今し方出かけて行った、ラピーズとエミィとアミィが肩を並べて立っており、何故だか俺の代わりに人間になっていて、そしてそれはそれは嬉しそうにこう言ったんだ。
──このドールください!
それから専用のケースに入れられて、丁寧に梱包されて─そういえば俺っていくらだったんだ?─店員からドールの手入れの仕方や里帰り(不要になったドールを引き取ってもらう事)について説明を受けて、三人にお持ち帰りされた所があら不思議、俺が借りていたワンルームマンションではなく立派な3LDKの部屋だった。
(頭上がらないよな〜)
ドールに変わってから俺は無職になった、当たり前だけど。それとこれまた不思議な事に勤めていた個人経営の会社から何の連絡もない、そもそもスマホも無ければ身分証から何から何まで、俺に関わる物の殆どが無くなっていた。
(パラレルワールドですかここは……)
妹ズに説明しても「しがらみがなくなって良かったじゃないか」の一言だけである。いやそれはそうなんだけどね?俺が持っていた繋がりが一瞬で消え失せるのって凄く悲しいのよ?
ドールになっても生理欲求はある、ご飯だって食べるしトレイにだって行くし...今もこうして段々と眠気に...そう、睡眠欲って一番強いらしい...あ、襖の奥.......zzz
◇
目が覚めたらそこは異世界だった。
「あ〜……ほんと、こっちの世界の風呂って良いよなあ〜……」
「向こうにも作ってみますか?きっと良い観光財源になると思いますよ」
「えぇ〜?皆んなドールだよぉ?入れるのかなぁ」
「そういえばあの年増の二人、最近見かけなくなったな、前までしょっちゅう顔見せに来てたのに」
「年増って……聞かれたらまた怒られるよぉ?」
「実はこの旅館に来てたりしてな、にいの跡を追っかけて!」
「それはもはやストーカーですよ」
あははは!と笑い声を上げる妹ズ全裸ver。
「おいこら」
「あ、起きた。湯加減はどうだ?なかなかのものだろう?」
本島の山を背景にしてラピーズがこっちを振り向いた、まさに湯けむり美人、さっぱりとした顔付きにつんと上がった目が何とも男の子っぽい。見りゃ分かるけどどうやらここは露天風呂らしい、俺は桶に張った湯の中に入れられてぷかぷかと浮いていた。
「眠ってる人間を風呂に入れるってどういう神経してんの?」
「いいじゃないか、にいだけ置いていくのも何だか忍びなくてな。それよりほら!この景色良いだろう〜!」
ぶわぁん!とお湯もろとも跳ね上げながら腕を振った、男の子っぽい割にはしっかりと形が整った胸が露わになったので慌てて目を逸らした。
「いやそりゃ分かるけど!景色最高だけど!」
「な〜?海を見ながら露天風呂って、この世界の人間は凄いこと考えるな〜」
ご満悦そのものだ。他の二人は露天風呂の縁から身を乗り出して眼下に広がっているだろう内海を見下ろしている。綺麗な背中が二つ、こちらに向けられていた。
長女のラピーズが一番しっかりしている、たまにアホな事を言うが、一番に皆んなの事を考えて行動している奴だ。だからこそ、言葉が口からついと出てしまった。
「なあ、一つ訊いてもいいか?実際のとこどうなの?この今の生活」
てっきりふざけた調子で返すと思っていたが、ちゃんと考えてから答えてくれた。
「う〜ん……良くはない、それぐらいは自覚している。私たちはドールだし、そもそもこっちの世界の住人でもないからな、疎外感はある」
夜釣りで船でも出しているのか、遠くから気の抜けたような汽笛の音が耳に入った。
ラピーズがでも、と言ってから、
「悪くもない。私たちを責め立てる奴らもいないから気が楽だし、妹たちも毎日笑って過ごしているからな、それが一番だ」
照れ臭そうに笑うラピーズの顔、やはりこいつには頭が上がらない。情けないユグド家の男どもに見せてやりたいぐらいだった、俺もなんだけど。
ラピーズが腕を伸ばして、俺が入っている桶をゆっくりと引っ張った。すいすいと、あっという間にラピーズの前に辿り着いた。
「それと──」
「……何だよ」
さっきの笑顔とうって変わって、そこにあったのは魔女の如く微笑む顔。口角はニタリと上がり目元は窄められて、きらきらと不気味に光る瞳に見つめられながらこう言われた。
「あの大好きだったタクト兄様がこんな姿になって、私たちに頼らざるを得なくなって、身も心も支配できているのかと思うと嬉しくて堪らないんだ。だから今の生活は気に入っている、いずれ終わってしまうと分かっていても」
(この妹ヤバいですねー拗らせ過ぎではありませんかねー)
怖い怖い、こいつそんな事思っていたのかよ。
その後は何事もなかったように湯船を堪能し、皆んな揃って脱衣所に向かった──タオルでぐるぐる巻きにするのは止めてもらえませんか?裸を見られたくないんなら初めっから連れて来んな!
◇
俺を置いてから夜ご飯を食べに行こうという流れになり、ラピーズに抱きかかえられたまま部屋まで戻ってくると先客がいた。
「あれ、アオ、鍵かけましたか?中に人がいるみたいですよ」
そう、アミィの言う通り部屋の中から物音が聞こえるのだ。誰かが間違えて入ったのかもしれない、しかしちゃんと鍵はかかっていた。
「はあ?どういう………」
不機嫌そうにそう呟き、鍵をかちゃんと回したタイミングで俺は投げられてしまった、え!宙に浮いてるんですけど?!
「あ!こらぁ!アオぉ!」
ラピーズが怒り肩になって部屋へと突入して行く、俺は難なくエミィの胸に着陸して事なきを得た。
「タクト兄さん、それ以上胸にしがみついていたら腕ごと切り落としますよ?」
事なきを得ていませんでした。
部屋の中から怒声が聞こえてくる、もしかして旅館泥棒?そう思った時に襖の奥から何やら音がしていた事を思い出した。
「あ!まさかあの二人じゃ……」
俺の言葉を受けて廊下に残っていた二人も突入する、そして部屋の中でが三人が組んず解れつの乱闘を繰り広げていた。
「この年増あ!性懲りもなく現れやがってえ!お前はもう用済みなんだよお!」
「何ですってこの青二才が!その生意気な口を縛ってアクベオに食わせてやろうか!」
「こんのー!ガーネット様をババァ呼ばわりした罪!ここで贖ってくれる!」
誰あの人初めて見た。俺はてっきりダイアだと思っていたのに、ガーネットの隣には知らない女性が立っていた。踊り子っぽい格好をしている、胸はサラシでぐるぐる巻きにしてあるだけ、下はこっちの世界で言うガウチョパンツを履いていた。髪飾りから肩にかけてレースがかけられており、今はガーネットと共闘してひらひらと捲れ上がっていた。
エミィの胸から飛び立った俺はアミィの慎ましい胸に着陸し、そしてアミィが一歩前に出た。
「控えよろう!ここをどなたの寝室だと心得ている!ボクの胸におわしますこのタクト様の寝室である!控えよろう!」
それどっかで聞いたことある台詞、ちょっとだけ違うような気もするけど。
「──はっ!こんの穀潰し!こんな所にまでやって来て妹に世話されて恥ずかしくないのか!」
「わぁーわぁーわぁーわぁー!」
「や、止めてください!タクト兄さんを攻撃するのは止めてください!」
「にい!気にする必要はない!このストーカーは私が撃退してやる!」
「だあれがストーカーよ!こっちは今大変なのよ!そいつがいないと話が進まないの!いいからさっさとこっちに寄越せ!」
「やれぇ!いっけぇ!ババァ返上だぁ!」
「ナリク!あんた後で覚えておきなさいよ!」
「転移魔法を使ってまで追いかけてきて!ストーカー以外の何ものでもないだろ!いい加減に諦めろ!にいは私たちにメロメロなんだよ!」
「違うわ馬鹿たれえ!」
ラピーズの浴衣がはだけてあられもない姿になっている、それに引きかえガーネットの服装はまるで女王のようである。もしかしてリングドーラーから直接?
ぼけーと見ていたエミィがにわかに慌て出した、この騒ぎを聞きつけた他の旅行客がフロントに通報したらしい、外から大勢の足音が聞こえてきた。
「アオぉ!ヤバいよぉ!こっちに人が来てるぅ!早くタクト兄を隠してぇ!」
「あわあわあわ!と、とりあえず中へ!」
あ、やっぱりこういう流れになるんですね。慌ててパニックになっていたアミィに開けっぱなしになっていた押入れの中へ、問答無用で放り込まれてしまった。
2.タクト、疑いの中
「はっ!」
気がついた場所は露天風呂だった。熱いお湯、それから白く煙る視界、向こうには本島の山も見えている。なあんだ良かったと安心したのも束の間、複数の話し声が遠くから聞こえてきた。
(ヤバいヤバいヤバい!)
見つかったら洒落にならない、慌てた俺は湯船から上がって縁を乗り越え、下は断崖絶壁もかくやという藪の中に隠れた。そして、隠れたと同時に現れた集団が湯船へと入っていく。ちゃぷん、ちゃぷんと、どこか艶かしく聞こえる音が辺りに響いた。これではまるで出歯亀をしているような気分だった。
(こういう覗きイベントって中盤じゃありませんでしたっけ?!泊まりに来てまだ初日なんですけど!)
どうしようか、もう頭は出せないし、かといってどこにも移動することができない。少しでも足を滑らせたら海まで真っ逆さまだ。足を滑らせないように辺りを見回して逃げ道を探していると、あり得ないものが視界に入った。
「ん……?あれってまさか……」
「──!!不敬者!!」
バチぃぃン!と、雷!雷?!やっぱり?!あれリングクリスタルですよねえ?!つい声を出してしまい気づかれてしまった。
「今すぐ近衛兵を!皆様方は慌てず城の方へお戻りください!」
湯船から誰かが出て行く音、それからぱちぱちと何かが爆ぜる音─線香花火を大きくしたような異音だ─明らかに歓迎されていないのが分かる。さっき撃ってきた雷魔法を詠唱しているに違いない、それにしたってここは何処なんだ?リングドーラーであることは間違いないが、露天風呂があるなんて聞いたことないぞ!
(隠れた名湯的な……?だからラピーズもあっちの世界で感動してた的な……?)
撃ってこないなと恐る恐る覗いてみると、驚きの人物がそこにいた。
「そこの者、もうよい、顔を見せよ」
全裸のドール、それから末っ子のガーネティアがいた。
◇
「すまぬ、われの身内がめいわくをかけたようだ。ここはわれの顔に免じて許してやってはくれぬか?」
「まあ………ユグド様がそう仰るのなら……」
「ほれ、お前さんも黙っとらんで頭を下げい」
「こ、この度は本当に」
申し訳ありませんでした、と妹の前で土下座を敢行した。毎度のことながら意味が全く分からない!何なのここ?どうして俺は露天風呂にほっぽり出されたの?そしてガーネティアは何でこんな所にいるの?
頭を下げ続けろと言われなかったので遠慮なく頭を上げる、畳みと奥ゆかしい花の匂いがふわりと鼻についた。
「それでユグド様、お願いしていました偵察の方は……」
さっき俺に向かって雷を放ったドールだ、姿勢も正しくきちんと正座をしている。髪は黒く前髪パッツン、服装は巫女っぽい。ありですね、巫女ドール。
おずおずとそう訊ねた巫女ドールに、こっちも姿勢良く正座をしているガーネティアが答えた。
「うむ、全くもってかんばしくない。放った使い魔もことごとく生捕りにされてしまった、それが何よりの答えだ」
「そうですか……アニュールバ山脈を超えてきたかと思えばこの包囲網……」
「あちらは各国の女王が束ねてはおるが、それでも一枚岩ではないがゆえに時間もかかっている。そのせいで逃げられてこちらに侵入を許してしまったのだろう。本当にすまぬ」
「いいえ、ユグド様が湯治に来ていらしたのがせめてもの救いです」
何かあったっぽい。それに聞いている限りでは既存の魔物とか集団っぽくなさそうだ。それに何気このドールも辛辣だな、ガーネティアの謝罪をやんわり皮肉りやがったぞ。
「びちく魔力の方はどうか、きちんとたもっておるか?」
「いいえ、この状況ですので山越えの商人もとんと足が途絶えています、もう後一月ももたないかと思われます。包囲が薄い所から何とか貴族を呼んで商談しているのですが……」
そこで巫女ドールが俺に一瞥をくれた。
「ふむ、あいすまぬ。知恵の勇者が不在となった今、魔力の確保にほんそうしておるのは聞いておる。われの方で手を打とう」
「よろしくお願い致します」
巫女ドールが恭しく頭を垂れた。
客室の用意をすると言って退出していく巫女ドールの背中を見送った後、色々と聞きたいことがあったので視線をガーネティアに向けると、
「────タクトお兄様あ〜〜〜!!!」
「ああはいはい、さっきは悪かったよ」
「むっふぅ〜〜〜」
と、肩っ苦しい口調も止めて俺に抱きついてきた。俺もドールになっているのでガーネティアの頭はすぐそこだ、今は胸に頬を当ててぐりぐりしている。むぃとか、うにぃとか、言いながら抱きついたあとがばりと顔を離した。
「どうしてこちらへ?秘湯で見かけた時は天へめされそうになりました!」
「召されないでくれる?ガーネットが来てまた無理やり連れて来られたんだよ、転移魔法の座標設定がバグってたのか知らんけど、リンル連邦に来てしまった」
「あの役立たずめが……」
リングドーラーのロリっ子は本当に口が悪いな...
「それより包囲している敵ってアクベオの最新型じゃないんだろ?」
俺の言葉にガーネティアがぱちぱちと瞬きをしている。
「それは、そうなのですが……さきほど口にしましたか?わたし、言った記憶はありませんが……」
「聞いていれば分かるよそれぐらい。使い魔を生捕りにする知能はアクベオには無いし、そもそもお前が魔力管理で使役していただろ?違ったっけ?」
「あってます、はい、あってます」
「それに正人もラピスも二人揃っていなくなっちまったし、敵の狙いは魔力じゃなくてこの国の領土そのものだろ」
そこでガーネティアがふぅ〜〜〜!と言い始めた。
「な、何?」
「相変わらずのごけいがん!しびれますぅ〜!あぁ……本当にタクトお兄様が戻って来られたのですね……あちらにいらした時はお人形遊びをされているダメ人間と落胆「そういう事言うの止めてくれる?」しましたけど………」
また、はふぅ〜と言いながら頬を押し付けてきた。
◇
「だから俺も露天風呂があることを知らなかったんだな」
「はい、リンルの者たちは苦肉の策として、族長のみしか入れない秘湯を魔力稼ぎのために解放しているのです」
滑稽なことですと、舌ったらずにそうガーネティアが締めくくった。ディスらないと気が済まないの?
案内された客室でガーネティアから大まかな説明を受けていた。
まず、前回の騒動(フォース・クインテッド・ナイツ・ウルフェルトユルグェンツ城へルワンダならびにガーネットが侵攻したあれ)を経て、リングドーラーが抱えていた魔力問題は一応の終結を見た。真祖である妹たちが雁首を揃えてしまったせいでリングクリスタルに悪影響をきたし、各国で所有していた魔力にもそれが伝播し食べられなくなってしまったというものだ。だったら集まるのを止めなさいよとも思ったが、実際に集合してから発覚した問題らしい。
次に、各国から相次いで正体不明の敵が出現したとリングドーラー議会(ダイアと参加してルワンダに喧嘩を売ったあれ)に報告があった。出現位置、またその規模もばらばらであり、なおかつ姿形も不定形であるため(人や動物、アクベオなど様々な外観をしている)対策が取りづらいらしい。形態はまちまちだが一貫して「影」のように真っ黒い姿をしているので、リングドーラー議会では「リポップシャドウ」と命名して現在対応の真っ最中とのこと。議会の中にネトゲ経験者いませんか?
最後に、現在のリンル連邦は窮地に立たされている。女王であるラピスラズリと知恵の勇者である神楽正人が不在のため、十分な魔力が確保出来ず、そこへ運悪くリポップシャドウに目を付けられてしまった。
舌ったらずでも淀みなくすらすらと喋るガーネティアを、まるで授業参観にきた父親のような気分で見守りながら耳を傾けていた。そして、
「議会からのようせいを受けて、この地に参ったおりにタクトお兄様が秘湯でデバガメをなさっていたのです。そのまま撃ち落としてと言わずぐっとガマンしたわたしをほめて下さい!」
「本当にありがとう、」
お前は自慢の妹ですと、末っ子に向かって深々と頭を下げた。
案内された客室はTHE旅館といった趣きがあった、妹ズと訪れたあっちの旅館より古風である。古い柱も良く手入れされており、畳みもささくれや解れもなくて寝心地が大変良かった。ガーネティアと向かい合わせで座っている縁側からは、本島だと思っていた山々が薄らと夜闇に浮かんで見えていた。
一通り喋り終えたガーネティアはちびちびと魔力が入った飲み物を飲んでいる、ドールサイズのカップと侮るなかれ、とても良く出来ている一品だったというかカップ自体がほんのり光っているの凄くない?俺はまだ口を付けていない。
「………ん?お兄様、おめしにならないのですか?」
どんな味がするんだろうと、まじまじと見ていた俺にガーネティアが声をかけてきた。
「いやあ……俺、魔力とか食べたことがないからどんな味がするんだろうってさ、あっちにいた時は普通にご飯食べてし」
かちゃり、ガーネティアがカップを置いた。
「マジック・ドールは魔力を介さないと食べられないんだよなあ……だから勇者から得られる魔力って相当貴重────!」
カップを置いただけだと思っていた、俺はずっとカップの中身に視線を注いでいたのでガーネティアの動作に気が付かなかった。
「お兄様、わたしたちユグド家は何にも増して、誰よりも世界えんめいそち法にせいつうすべきではありませんか?わたしはそう………思います」
思います、と言ったタイミングで音もなく立ち上がった。末っ子だし体も小さいし、けれど歩いているのに一切足音がしなかった。
「わたしが、お兄様に含ませていただきましょう」
俺の分のカップをすっと持ち上げ、ガーネティアがそれを口に含んだ。カップを口から離して俺を見つめている、吸い込まれるような茶色の瞳とぬらぬらと光った唇が月明かりに照らされていた。つと、ガーネティアが俺の頬に手を当てて、顔を近づけてきた。含むってそういう意味なの?と思ったのも束の間、唇と唇が触れて生暖かい液体が入ってきた。所謂口移しというものである。
「………どう、ですか、魔力を食むのは初めてでしょう、わたしも唇を──」
「何か普通だな、思ってたより衝撃もなかった。あれか?中華に良く使う片栗粉的ないったあっ?!」
バチン!と頬を叩かれた!
「う〜〜〜〜〜〜わたしの初めて!初めてだったのに!そういう反応をなされるのですね!」
そう吠えて、あとは「皆のものであえー!であえー!」と泣きながら客室から出て行ってしまった。その後問答無用で牢屋入りである。というか早く俺にかけた魔法を解いてもらえませんか?未だに身動きが取れません。
3.ガーネット、ベッドの上
あっちの世界から帰還して早々、城に届けられていた報告書に目を通して宰相に矢継ぎ早に指示を出し、私の仕事部屋で盛り上がっていたバカ双子に唾を飛ばした。
「うるっさいのよ!人間談義やるなら表出ろ!」
ナリクとユリクがぶーぶー文句を言いながら部屋から出て行った、代わりにしっかり者の変態イリクが入室してきた。手には魔法便が握られている。
「ガーネット様、真祖様からご伝言です」
「あのロリっ子が?何──はあ?」
どうやらタクトはリンル連邦にいるらしい。
「ああそういうこと、あのロリ真祖が私の転移魔法に介入しやがったのか……」
「ガーネット様、失礼ですが口を慎まれた方が……」
「あれだけ断ったというのにまあ……道理でこっちにいないわけよ。まあいいわ、順番がテレコになったけど結果オーライだし」
「て、てれことは一体……」
「あべこべって意味よ。あっちの仕事場で皆んな使ってたから覚えてきちゃった」
「ああ、私の知らない所でガーネット様がどんどん他人色に染められていく……んふぅっ!」
あんたそういうのも持ってたの?
◇
イリクといくらか会話をした後ドーラー議会に提出する報告書をまとめ、一人で湯浴みを済ませてから寝室へ赴くと、バカな双子がベッドに寝転がってまだお喋りを楽しんでいた。
「いいなー私もナリクみたいに人間になってみたい」
「あっちの世界ってめっちゃ凄いよ!みーんなピリピリしてて何だかヤな感じなんだけどね、もうすっごいよ!どーんって大きな城がぽんぽん建っててね!」
「そのお城にはちゃんと王がいるのか?ガーネットみたいに放浪癖のないきちんとした、」
「放浪癖は余計よ」
後ろから声をかけてやるとびくっと反応して素早くこっちへ振り向いた、ベッドから退くつもりはないらしく、ユリクとナリクが少しズレて私を招き入れた。
「あ、来た来た!ほらガーネット!あっちの世界の話を教えてくれよ!」
呑気に手を振るユリクの乏しいお尻をぺちんと叩く。
「ここ私のベッドなんだけど?聞いたらさっさと出て行ってね」
「そんな釣れないこと言うなって!で、どうなの人間ってのは?やっぱりドールとは違う?」
「てかさ、何であっちに行ったら人間になっちゃうの?前にもガーネット行ってたけどとくにそんな事もなかったよね」
「いっぺんに訊かないで!」
ユリクとナリクを退かしてシーツを捲る、当たり前のように二人も入ってきたので諦めた。
「人間になるって言ってもそんなに違いはない」
「えーうっそだあ」
「だから言ったじゃん、あっちは全部人間用に作られてるから巨人になったような気分になれないって」
「で、人間になってしまうのはタクトティア・ユグドのせいよ」
「ん〜?どうして〜?」
仰向けに寝転がり話しを続けている、ユリクは横になり片方の手で私のお腹を摩りながら聞いていた。
「ユグド家はリングドーラーが成り立つ時に根幹に携わっているから、リングクリスタルと直結している節があるのよ」
「何だそりゃ」
「そのせいで、幅広いドールにも転身魔法が適用されてしまうのではないかって言っているわ」
「誰が〜?」
反対側のナリクは腕の付け根辺りに顎を乗せて寄り添っている。今日はババァ呼ばわりしたくせに──あ、思い出した、お仕置きしないと。
「痛い〜何で抓るの〜」
「クリスタルの調査権を持っている国からよ、名前は何だったかしら……確かリンル連邦から移管されたばっかりだから……覚えてないわ」
「それでいいのか女王」
「仕方ないでしょ、アニュールバ山脈の向こう側とは殆ど交流がないんだから」
偉そうなナリクがお腹から胸の辺りに手を持ってきた。
さすがに人間談義に飽きてきたのか、話題がアルビリオン随一の豪雪地帯に移っていった。
「あにゅるんぱ山脈ってそんなに寒いの?」
「あにゅるんぱじゃなくてあにゅにゅるば」
「アニュールバ!アルビリオンを分断している高ーい山々で、そこに住むドールたちのお陰で何とか行き来が出来る程の険しい所よ」
その町の名前は「エメラルド」。真祖たちが住まうウルフェルトの城を攻めたあの時、ユリクの広域魔法を防いだ絶対防壁を持つ、真祖からその名を承った町である。
「へ〜でもユリクなら余裕なんじゃない?ばばば!って行けそう」
「いや、私が使えるのはガーネットの魔法だけだからそれはさすがに無理。あのダイアの魔法なら行けるかもしれないけどキライだしなー」
「ねー」
仰向けから寝返りを打ってユリクの方を向く、すると私の頭を寄せて自分の胸に押し付けてきた。ナリクは私の背中にひっつき手を回してくる、さすがに暑苦しいので振り解いた。
「人の友達を悪く言うもんじゃない。それにダイアは今、オクトリアの復興に尽力しているんだからこれ以上文句を言ったら怒るわよ」
「そういうところが好きなんだよなー」
「ねー、わたしらは遠慮なく文句言うけどねー」
悲鳴を上げるまで二人を抓り続けた。
◇
翌る日、私とナリクは議会に出席するため街を離れていた。本当はこんな頭の悪い側近を連れて行きたくなかったのだが、他の出席者から是非あちら側の話を聞きたいと要望があったのでやむなく連れて行くことにした。残ったイリクに市政を任せ、残ったもう一人の双子は悔しそうに見送っていた。
向かう場所はサザランカの街、各国の王が出資をして存続している変わった街である。このサザランカには王がいない、誰も支配していないのだ。リングドーラー会議はこの地で行われ、先森拓人が初めて訪れた街でもあった。
「何でユリクのことまで抓ったん、朝めっちゃ泣いてたよ?」
街を離れて大平原を通り過ぎ、放牧地帯に入った頃、そうナリクが話しかけてきた。
「ついでよついで」
「えーめっちゃかわいそうー」
めっ、のところでアクセントを付けている。あっちに連れて行った時に覚えた喋り方だ、確か──完済弁?商いが得意な民族が扱う言葉使いらしい、いかにもである。
「どうせ相手にしなかったら構ってもらえなかったって泣くんでしょ」
「確かに。めっちゃ言う通り」
その喋り方にいい加減腹が立ってきたのでナリクのお尻を叩きながら説教してやった。
そんなこんなで道中二日、リングクリスタルに見守られながらサザランカの街に到着した。
賑わう目抜き通りの奥には、会議所として使われている真新しい城がある。その道すがらには多種多様なお店が並び、体格もまばらなドールたちが今日の戦利品を求めて渉猟していた。
(こうして見てみれば、この街は勇者たちの影響を強く受けていたのね……)
サザランカの街を興したとされる勇者の銅像があちこちに建てられている。その名も「堅固の勇者」、ありとあらゆる外敵を排除する力を持ち、一切の病魔も破るとされている、最も当たりとされている勇者だ。
「うんわ〜遊びに行きた〜いユリクに自慢した〜い」
「会議が終わってからね、せっかく来たんだからうんと楽しみましょうか」
好きー!と抱きついてくるナリクをいなしながら城へと向かっていった。
◇
リングドーラーの会議場は城の上階に置かれ、今日は晴天に恵まれているのでサザランカ周辺に広がる森林地帯が良く見えていた。その反対側には街並みが広がり、初めて訪れた時に先森拓人が目を輝かせていたのを今でも良く覚えている。
会議場に各国の参加者が集まり、口々に挨拶と皮肉を交わしながら議長であるルワンダを待っていると、先に姿を見せたのがその娘にあたるダイアだった。
(荒んでるわね〜〜〜)
彼女は今、長年放置していたオクトリアの復興に尽力している。その理由は「あっちの世界には私の居場所がない!だからタクトを迎え入れるためにも街造りに励まないと!」である。この議会で報告するつもりでいるけど、一時期私とダイアは向こうで生活をしていた。そのダイアは、心身ともに疲れ切っているのが見て取れる、けれど心に燃えたぎるやる気が目に力を与えていた。歴戦の猛者のような面構えをして、誰からも言葉をかけられることなくひっそりと席に着いた。
「こっわ」
「静かにしなさい」
声をかけに行こうかと思いはしたが、まあいいかと視線を変えた。あっちでは同じ部屋でずううっと一緒に寝食を共にしていたのだ、ああいう時は声をかけない方が良いと経験則から判断してスルーした。
そしてようやく、議長であり帝でもあるルワンダが現れてリングドーラー会議が開催された。心なしかそのルワンダも声に覇気がない、親子揃って何とも景気が悪かった。
「…あー…まずは何からいこうかの、そうそう、リポップシャドウの件についてからまいろうか。喋りたい人」
何だあれ、つい笑ってしまった、やる気がないにも程がある。早速ヤジが飛ぶ、当たり前だけど。
「帝!何ですかその態度は!我々は今日も万難を排して集ったというのに!」
すまんすまんと軽く謝辞を入れてから、
「その前にだ、ガーネット女王よ、タクトティア・ユグドの件はどうなっておる」
そう振られ、会議に集った面々に鋭い視線を向けられた。
「申し訳ありませんが、皆様方から頂戴した魔力をもってしてもこの場に連れて来ることが出来ませんでした」
さらにヤジが飛ぶ、こればっかりは言い訳のしようがなかった。
「何を考えておられるのですかガーネット女王!タクトティア・ユグドがいなければリポップシャドウの解明もままならないのですよ?!」
「そうです!それにそもそも彼が必要だと進言したのはあなたではないですか!女王が不在となった今!我々だって切り詰めているのです!無駄使いはやめていただきたい!」
不在の女王の代わりに出席している宰相たち。彼らの国では先日、その使命を終えた勇者が送還され、その番である女王はカルディナをリングクリスタルに返還していた。私が辿るべき道を辿った女王は、この世界の何処かに生まれ落ちて新たな生を得ているはずだ。
「大変に申し訳ありません。ですが、このリングドーラーには連れてまいりました、こちらの手違いで今はリンル連邦にいます。彼の妹にあたるガーネティア様から便りを貰いました」
「ふむ……まあ、仕方ない。それにガーネティアなら問題なかろう、あのクソ──いや、タクトティアに傾倒している節はあるが理性の方が強い、任せておけば問題なかろう」
クソって...そういえばルワンダはタクトに手酷い扱いを受けていたことを思い出した。確か窓から放り投げられていたわね、恨みたくなるのも無理はない。
ルワンダの一言で話が打ち切りになり、それぞれの国の被害状況に議題が移った。どこも酷いものだった。
「魔力がいくらあっても足りません!」
突如として出現した「リポップシャドウ」は各国の領土に侵入し破壊の限りを尽くしていた。ドール、家屋、野放しになっている家畜動物など、人的、財的被害が著しく復旧の目処が立たない地域もある程だ。いくら魔力を割いて防御に徹してもあっという間に食い破られ、そして文字通り何もかも食われていってしまう。
それぞれの被害報告を聞いたルワンダが眉を顰めて大きく被りを振った。
「信じられん……未だに信じられない、この世界において魔力を必要としないなど理から外れておるではないか」
あんたがそれを言うのかと口から出かかった。ルワンダが嘆いた通り、リポップシャドウは魔力を必要としない。そのため国の魔力庫は襲撃を免れているが、対応に費やされる量が膨大なので尽きるのも時間の問題だった。奴らは野生化した家畜動物を食べてエネルギーに替えている、それは本来の生物が摂る手段ではあったがこの世界では異端のそれであった。だからこそ、皆がリポップシャドウに怯えているのだ、野生的かつ直接的に得られるエネルギーの力強さを知っているから、自分たちも昔は彼らと同じように生きていたから。だから影と呼称し、敵として認定し排撃に躍起になっていた。
私の被害報告も終えて皆が一様に溜息を吐いたあと、次の議題に移った。
「……皆にクリスタルの加護があらんこと。では次の議題だが分かっておるなガーネット、詳らかに報告するように虚偽申告は身包み剥がされると思いなさい」
急にテンション上げてきたわね...さっきまであんなに怠そうにしていたくせにまあハキハキと。
「では、私の方からあちらの世界、ここでは便宜上「勇者世界」と致しますが、そちらでの生活を経て得た知識を皆様方に提供したいと思います」
おお、と会議場がどよめいた。さすがに勇者世界の住人たる勇者その人が口を挟んできた。
「えーと、何て言いましょうか、そこまでする必要あります?僕たちに聞いてもらえたらそれでいいような……」
「確かにね、何だか嫌な感じ」
そう発言したのは先森拓人と同じ国からやって来た「謙虚の勇者」と「魅力の勇者」だ。一人はなよっとしたように見える青年で、もう一人は派手めな衣装に身を包んでいる女性だった。さらにもう一人。
「いいじゃないか、俺たち勇者はあっちとこっちに行き来が出来ない。この世界の住人が直に見て回るのも一つの手だと思う」
そう、爽やかにこちらの意図を汲んでくれたのが「堅固の勇者」、歴代の「堅固」を凌ぐ魔力を持ち合わせているらしい。
「ありがとうございます。では早速なのですが………」
ナリクに持たせてあった勇者世界の紙幣を受け取り、皆の前に掲げてみせた。
「わー懐かしい、福沢諭吉だよ」
謙虚の勇者がそう合いの手を入れてきた。
「それは何かね?ただの紙切れのように見えるが……」
私は何も答えず黙ったまま、その紙幣をテーブルに置いて手をかざす。すると紙幣がほのかに光り出して玉がぽこんと浮かんできた。
「ほう!まさかそれは……」
いちいち言葉を挟んでくるルワンダを鬱陶しく思いながら報告した。
「これは魔力です、勇者世界の紙幣には魔力が宿っています」
場がさらにどよめく。
「それは何故?俺たちの世界に魔力というものは存在しないはずだが」
堅固の勇者にそう問われたので、私は憶測で返した。
「おそらくですが、この紙幣には数え切れない人の「思い」が込められているものと考えています。その「思い」がこの世界では魔力に変換されてしまうのでしょう」
ふうむと、堅固の勇者が考え込む素振りを見せた。
そう、そうなのよ、勇者世界で得られたお金はこっちで魔力に変換できる。最初に気付いたのはダイアだ、それが分かってからというもの私たちは労働に明け暮れた。「ろーどーきじゅん法」と言う、労働者を守るための法に触れるか触れないかのギリギリまで働き続けてとにかくお金を稼いだ。そしてそのお金を持ち帰り、魔力に変換して国益に充てていたのだが、リポップシャドウのせいで全部空になってしまった。また働きに行きたい。
(違う違う!)
「それは面白い、実に面白い。しかもあのクソ兄貴のせいで我々にも転身魔法が適用されるようになった、世界を股にかけて出稼ぎに行くのも悪くはないかもしれん」
ついに言いやがったクソ兄貴、けれどルワンダには激しく同意する。とにかくユグド界隈の連中はろくな事しかしない、リングクリスタルに悪影響をきたしたあの三姉妹に、人間からドールに変わったタクトその人!ちょっとぐらい私のことも────
「ちょっといいかな、さすがにそれは控えてもらいたい。得られたお金はこっちで魔力に替えて処分するんだろう?そうなったら向こうは経済破綻を起こしかねない、何せお金そのものが失くなってしまうんだから」
「確かに、それにそんなやり方で魔力を補充するんなら僕たちもう要らないよね」
「そうよ、私まだ向こうに帰りたくないんだけど」
いや知らんがなと思いながらこう返した。
「しかし難点があります。転移魔法そのものが莫大な魔力を消費するためそう易々と行なえるものではないということです。単純に計算してみても、一度の転移魔法に使用する魔力は勇者世界の紙幣で言うところの約五〇枚分に相当します」
「へえー!一回五〇万円の魔法かあ!そりゃ高いね」
「はい、なので試しに行なった転移魔法で銀行口座が空っけつになった時は死ぬほど焦りました」
私の話に魅力の勇者がけらけらと笑っている。
「ですので、ルワンダ議長が仰られた出稼ぎは難しいと思われます」
「ふうむ……面白いと思ったんだが……」
「帝、転移魔法を簡潔に行なえる方法を考えてはいただけませ──っ?!」
宰相の言葉を遮るようにルワンダがテーブルを強かに叩きつけた、その眉は憤怒に歪められている。
「──何を申すかと思えば!クリスタルの調査と無限沸きに対処しているこの我に!あまつさえ転移魔法のコストダウンまで要求してくるというのかこのばかたれが!時間がいくらあっても足らんわあ!!」
堅固の勇者もさすがに面白かったのか、顔を俯かせて肩を震わせている。帝から一番近くに座っていた宰相が迷惑そうに服を払っていた。
しかし、言い返された宰相も負けてはいなかった。
「──足りなければ捻出すれば良いでしょう!帝よ!あなたが世界に対して働いた狼藉を忘れたわけではありませんよね?!一時の気の迷いでリングドーラーを停止するだなんて!我々はアクベオの緊急稼働によって生きながらえたのですよ?!魔物に助けられたのですよ?!罵倒されることはあっても労ってもらえることはないと思っていただきたいこの恥知らずがっ!!」
また、別の宰相が反対側の腕を払っている、唾が付いてしまっているのだろう。
世界延命措置法を完成させ、自らの命を対価にして実験台になった「始まりの勇者」が、潔く頭を下げてこの場が一旦お開きとなった。
「すみませんでした」
会議場を後にする間際、帝相手に唾を飛ばした宰相にこっそりと「良く言ってくれました」と伝えると、目尻を下げながら頭をぺこぺこしてくれた、きっと根は悪い人ではないのだろう。
「むぅ〜〜〜」
わたしも話したかったあ!とむくれるナリクを連れて一先ず割り当てられた客室に向かう。
「大丈夫よ、この後ちゃんとあなたの出番も用意しているから」
「ほんと?」
「そ、だから早く着替えてちょうだい」
「うん?どうして?」
「いいから!」
客室に到着して早々、私とナリクはあの勇者たちに万が一見られても平気なように着替えを済ませ、近衛兵も伴わず城を後にした。向かう先は議会御用達の飲食店、周りの客や通りすがりのドールにも見られないよう小ぢんまりとした一室で、一旦お開きになった会議が再開される運びとなっていた。ここで交わされる言葉は勇者たちに聞かれてはならない、だからわざわざ場所を変えたのだ。
◇
「がちゃ?それは何かね?」
「ガチャって言うのはね!ガーネットもハマっていたげえむのしすてむだよ!お手軽に貴重な物が手に入るんだって!」
「ガーネット、ガーネット!ちょっとこっちに来なさい!早く来ないと身包み剥ぎますよ〜!」
「もう何!今大事な所説明してるんだけど?!」
「そ、そんなに怒らなくても……今お前さんの従者から、」
「従者じゃないよナリクだよ!いつになったら覚えるの?記憶力わたしよりヤバいじゃん!」
がははは!とあちこちから笑い声が起こる、中には淑女たる他国の女王も変装して参加しているが皆んな遠慮なく過ごしていた。
「あいあい分かった分かった、ナリクから聞いたのだががちゃシステムとは何かね?」
テーブルが二つに分かれていたので、私とナリクも同様に別れてあっちの世界について説明していたのだ。ガチャについて聞かれた私は言葉を濁した。
「まあ、お遊びの一種よ、これでいい?」
「そんな事ぐらい分かっておるわい、お手軽に貴重な物が手に入ると聞いたぞ?」
みーんな魔力酒を手にして頬を赤くしている、私とナリクはザルなので酔えた試しがなかったけど、それでもやはりがやがややるのは楽しい。その雰囲気に飲まれてしまった私は仕方なく説明してやることにしたというか、
「あんた何でそんな事知ってんの?」
「ガーネットが薄くて小さい箱を持って叫んでるの見てたから」
「叫ぶのか?ほうほう」
「はあ〜…いい?ガチャってのは対価を払って石ころから宝石まで手に入る遊びのことよ」
「……それの何処に叫ぶ要素があるんだ」
「その石ころと宝石はこっちで選べないの、ランダムなの、そこが遊びになっているのよ」
「ほう…………つまり何だ、あの紙幣とやらが石ころに化けるか宝石に化けるかという事かね」
「そうそう、運が良ければ支払った対価以上の物が手に入るのよ」
「ほほう…………まるで勇者召喚と似ておるな」
「は?何でそうなるのよ」
ルワンダの一言に他の皆が確かにと頷き始めた。
「自らの命を対価として払い、けれど一体誰が来るのか分からない。堅固の勇者を召喚出来たあなたはまことに幸運だったと言えよう」
かなり地味に見える女王がぺこりと頭を下げた。しかしと、枕詞を入れてから宰相が続きを語った。
「かたや謙虚の勇者や魅力の勇者、他にも力の勇者というパッとしない勇者を召喚してしまった女王たちもいる。これは運が悪かったと言っても差し支えないように思える」
ああそういう捉え方...そう言われてみればそうだが果たしてその言い方は適しているのだろうか。
「つまり堅固の勇者は星五、謙虚の勇者たちは星四、力のなんたらは星一と言ったところかの」
「絶対やったことあるでしょスマホゲーム」
角の席でひっそりと座っていたダイアが異議を唱えた。
「お待ちください皆様方、さすがにその捉え方は勇者様に対して失礼かと思います。彼らも自らの立場を捨てて私たちに協力して下さっているのですよ?それ相応の態度で接するべきではないでしょうか」
場が水を打ったように静まり返る。しかしだな、あいつもめちゃくちゃハマってたような気がするんだけど...やっぱり続きがあった。
「もし、自分の命と引き換えに召喚した勇者がノーマルレアだったらどうするのですか?萎えるでしょう?ガチャと同じように引き直しは出来ないのです、ええ、いくら運営に問い合わせたところで良くても返金そのままアカバンなんですから!!」
カアン!とグラスをテーブルに叩きつけた。それを合図にしてあちこちで議論が交わされた。
「勇者召喚……勇者ガチャ?良いではないか、分かりやすい」
「先程の紙幣と関連させて、その勇者が持つ魔力量を換算すれば格付けも出来るな…」
「一日何回転移魔法が使えるか…なるほど確かに」
「そうなれば……」
ああ、ああ、話がおかしな所へ行きつつある。意外と酔っていたダイアにも他のドールが詰め寄り詳しく話を訊き出していた。自分から話し始めたくせにもう飽きて魔力酒をぐびぐび飲んでいたナリクに私も詰め寄った。
「こら!あんた余計な事言うんじゃないわよ!場が変な事になっちゃったでしょうが!」
「んえ?そう?ガーネットが楽しそうにしてたから良いのかなって」
「いやそうかもしれないけども!」
熱く議論が交わされ挙げ句の果てには、
「ダイアとルワンダよ!ここで今一度転生について語るべきではないのかね!君たちがリングクリスタルの魔力を使って理から外れていたのは知っている!なれば!その魔力を使って勇者ガチャに転用すれば命を散らす必要もなくなり財を築く機会が生まれる!」
渋い顔をして黙って聞いていたルワンダが一言。
「……………良いかもしれんなそれ!」
「なわけあるか!」
「そんなわけないでしょ!タクトは私の物なんだから!」
二人同時に突っ込みを入れ、その返す刀でダイアへと向き直った。
「あんたは黙ってなさいよ!タクトに似ているからって理由であれやこれやに手を付けて!一時期家賃より携帯料金の方が高かったじゃない!」
「仕方がありませんよ!あの三姉妹のせいでタクトに会わせてもらえなかったんですから!欲求不満の吐け口をゲームに求めて何が悪いと言うのですか!それにガーネットだって私が薦めたゲームを楽しんでいたではありませんか!」
「それとこれとは話が別!」
「いいえ同じですぅ!ガーネットだってハマり過ぎて仕事が手に付かないって言ってたでしょう?!」
お前ら何の話をしているんだーと外野から茶々が入ってきた、まだまだヒートアップしていく私たち。
「だからってあんたはお金を使い過ぎなのよ!無料配布だけでいいじゃない!言っておくけど私!無料で!何回も当てたんだから!」
「知ってますぅ!ガーネットが自慢してくるから悔しくて何度も追い金したんですからこっちは!」
「私のせいするな!」
「私に自慢してこないでください!」
「まあまあ落ち着かんか二人とも、ガチャがそこまで白熱するのは良く分かったから。良いな皆んな?この話はここまでだ」
あら?そうなの?てっきりガチャシステムの導入に踏み切るかと思っていたのに。
「ダイアの話で良く分かった、仮にガチャを実装してもリングクリスタルの魔力が底を尽きかねん、これでは本末転倒だ」
「ふむ……対価を払うことに何の躊躇いもなくなってしまうのは……良くないですな」
「それも悔しくて、でしょう?運が巡ってくるまで払い続けるとなったら終わりが見えない、ある程度の制限は設けた方が……」
それガチャ天井の話?なかなか核心を突いてくるわね。
さらに議論が発展しようかという時、唐突にこの秘密会議が終わりを迎えた。何故なら、
「皆さん!急ぎ城へお戻りください!サザランカの森からリポップシャドウが攻めてきました!」
4.アオ、後海の底
どんよりとした朝を迎える。私の胸にあるのは後悔と吐き気。こんな事になるなら皆んなで旅行へ行こうなんて言うんじゃなかったと、何度も何度も何度も何度も後悔してそれを洗い流すように胃袋へお酒を流し込んでいた。
にいがあっちの世界へ飛ばされてからもう三日も経つ。今日が最終日だ、誰も布団から出てこようとしない、何ならアミィに限っては押入れに放り込んだことを酷く気にしてずっと布団に包まっていた。ふらつく頭と重たい体を動かし、這いずるようにして妹の所へ向かう。
「……ユカリ、そろそろ、マジで何か食わないと……」
「──ボクのことは放っておいてください!!!」
凄い声、どこにそんな力が...エニシ、エニシは?いない...あいつはあれで土壇場は強いから...いや、そうでもないのかも、押入れの方から音がしたし、もしかしたらあっちで引きこもっているのかもしれない。
私もユカリと並んでだらんと横になる、気力なんてものは無い、にいを失ってから全てが色褪せて見えてしまう。私たちはドールだ、マジック・ドール、転身魔法の影響で人間になってしまい肝心の魔法が一切使えなくなってしまったのだ。だから向こうに行くことすら出来ない、はは...何ココ、にいが居ない世界なんて牢獄より酷い。一度出会えたんだ、会ってしまったんだもう無理だと諦めていたあの人が私たちのモノになったんだ...この落差が激し過ぎる、自分の不始末で招いた結果でも立ち直れない。
また、物音がした。そうだ、エニシも誘って海へ逝こうと思い振り返ると、
✳︎
怖いんだけど何この部屋。
「大丈夫か?飲み過ぎたのか?」
それにすんごい臭い、甘酸っぱいというか何と言うか...女子更衣室?そんな感じの臭いが鼻について息もしづらかった。それにラピーズの顔も酷すぎるだろ、向こうの布団は誰か包まったままだし──あ、動いた。
「………………にい………にい、だよな?」
「見りゃ分かるだろ、それよりどうしたの?なんかすんごいことに──?!」
「にいーーーーーーー!!!」
ガバリ!とラピーズが覆い被さってきた、その反動で畳みに叩きつけられて痛いのなんの。それに、
「臭!お前臭!風呂入ってないのか?!何て臭いだ!」
抗議をするもラピーズは壊れたように、
「にい!にい!にい!良かった良かったあ!良かったよお〜〜〜!」
ぐりぐりと胸を押さえつけてくる、力加減もめちゃくちゃだ。布団からばばば!と誰かが移動してき──アミィ?!酷いってもんじゃない、断食し抜いた修行僧みたいにげっそりとしていた。怖い。
「何!もう──離れろ!離れて!離れてください!ちょ!まっ!」
「絶対離さない絶対離さない絶対離さない絶対離さない絶対離さない………」
「アオ……もう……離ればなれにならないように………海へ逝きましょう……永遠に……」
怖い!そしてとても言いづらい!
◇
「…………は?今何て言ったんだ?」
「だから、そのですね、」
顔を見て言う勇気がなかったので─すっかり抵抗がなくなってしまった─土下座をしながらもう一度同じことをお願いした。
「お金貸してください」
「……………」
「……………」
ファスナーが開けられる音、小銭が畳みに落ちる音、とても生々しい。
「これで……いいのか?」
「いくらでも……持っていってください」
頭を畳みに付けたままもう一声。
「足りません、有り金全部貸してください」
「……なあ、ちょっと、ちゃんと説明してくれないか?」
「もしかして、ボクが乱暴に扱ったことを怒っているのですか……?」
あれ、そう言えばエミィは何処に行ったんだと思いながら頭を上げると、心配そうに俺を見下ろしている二人と目が合った。
「そうじゃない、けどお金が必要なんだこれはとても大事なことなんだ俺の沽券に関わることなんだ!だから頼む!」
通帳も寄越してくださいと言いかけた時にもう一人があちらからやって来た。
「もう結構ですお兄様、そこまでみっともなく恥をさらしてくれたのでりゅういんも下がりました」
「ガーネティア!」
「どうして……」
「お姉様方、わたしの方からお話があります」
しばらくして、
「最悪じゃないか!こんな小さな妹にキスされておきながら何だそれ!」
「タクト兄さん!いいですか!初めていうものはボクたちにとってそれはもう命と言ってもいいぐらい大切なものなのですよ?!」
「何でそっちから説明しちゃったの?!違うだろ!お金が魔力に代わるって話でしょ!」
「はあ?お金が、」
「魔力に代わる、ですか?」
「そうです、わたしへの不誠実な対応の罰としてお姉様方に無心するよう言い付けていました」
凄くない?この罰ゲーム、とんでもないよ何だか一線越えちゃったような気がする。
牢屋に入れられていた俺は丸二日経ってようやく解放された。かと思えば、今から転移させるからラピーズたちからお金をせしめて来いと言われていたのだ、それで不貞を働いたことを無かったことにしてやると...詐欺だよねこれ。
ガーネティアの話を聞いた二人はあんぐりと口を開けて驚いているよう、そして途端にはあと大きく息を吐いてこう言った。
「なんだ……もう私たちに愛想が尽きてお金だけ貰いに来たのかと勘違いしてしまった……いいよ、いくらでもやるよ……」
「すまん、ガーネティアに見張られていたからきちんと説明してやれなかった」
「本当に……本当にそれだけなんですよね?ボクのこと嫌いになっていませんよね……?証明してもらえませんか……?」
欲しがりさんめ、さりげなく要求してきやがって。それにラピーズの台詞も酷いもんだ、どこのろくでなしだよ。
立ち上がってアミィの元へとことこと向かう、ペタンとお尻を畳みに付けていたので俺の目線に頭があった。ゆっくりと撫でてやると「足りません!」とのたまいやがってそれを無視してラピーズにも同じ事をやった。
「ああ………貯金額よりも幸せだ……」
「その比較止めてくれない?」
そして、二人にリンル連邦で起こっている事を簡潔に説明してやった。だからエミィはどこ?
「それよりエミィはどこなんだ?部屋にいないみたいだけど」
「ああ、もしかしたら風呂じゃないか?あいつは打たれ強いから、にいが居なくなっても持ち堪えていたんだろ」
「お前たちの愛が重い。じゃ何か?俺が向こうに飛ばされて落ち込んでずっと酒に入り浸っていたのか?」
「………そうだよ、それが何だ、この三日間マジで地獄だった」
よしよしと頭を撫でると何故だか手を払われた。
◇
「はあ〜〜〜………もう、何だ、もうこれだけでいいよ、他に何も要らないって感じ」
「そうですね……タクト兄さんがいるだけで楽に呼吸が出来ます」
もう一人の妹も心配しろよ。
結局エミィは露天風呂にもいなかった、どこに行ったのあいつマジで、ドールの姿だからろくに探し回ることもできない。
「それで、リンルの国を包囲している敵の正体は分かっているのか?」
「…………え!はい!分かっておりません、無能のルワンダとアケックの里が調べておりますがまだ解答が出ていません」
「アケック……?ああ、あの里のことか」
「…………」
「ガーネティア?どうかしたのですか?」
「……………え!はい!な、何でもありません」
ガーネティアの反応に眉を寄せる二人、そしてそのガーネティアの視線は俺が入っている桶に注がれていた。違う?やっぱり俺なのね、その視線の意味に気付いたアミィがずずいと桶を引っ張った。
「落ちる落ちる!」
「──ああ!」
「ガーネティア、あなたにはまだ早いです、兄さんの裸体は刺激が強すぎるでしょう」
「そ、そんなことありません!もう少しよく見せてください!」
ちなみに、何故だかガーネティアも人間の姿になっている、髪の長さは変わらず他の姉妹と同じように黒色に、そしてやっぱり瞳の色が赤くなっていた。宝石のようでとても綺麗である。その宝石のような瞳が痛いほど刺さってくるのでアミィの綺麗な背中からあまり動きたくなかった。
「いいじゃないかユカリ、そう意地悪するな」
「はぁ……はぁ………ん?ゆかり?それはアメドラルお姉様のことですか?」
今はぁはぁ言ってなかった?
「そう、こっちの世界に合わせて名前も作ったんだよ………えーとだな、私の名前が……」
ラピーズが濡れた手で文字を書き始めた、それをガーネティアが見ている。ラピーズは先森蒼、アミィが"むらさき"と書いて紫、エミィが「普通ぅ過ぎるよぉ」と我が儘を発動して緑から"えん"と同じ意味を持つ縁になった。エミィの名前を知って「物凄く古風ですね」とガーネティアも言っている。
「では、わたしが名前を持つなら……」
「う〜ん…何が良いんだろうな……」
二人揃って首を捻ったのも一瞬、すぐにガーネティアが「あ!」と声を出した。
「だ、だまされません!名前よりもわたしはタクトお兄様をこの目できちんと、」
「自分から聞いてなかったか?」
まるで物のようにパスされて、湯船をすいすいと渡りガーネティアの前に到着した。到着する前からガーネティアが腕を上げて待ち構えていた、やっぱりはぁはぁ言ってやがる。
「はぁ……はぁ……お可愛らしい、人の形になればこそのこの愛玩動物「動物って言った?」を愛でる気持ち……ふぅ〜〜〜」
ガーネティアがそっと俺の頭に手を添えて、ぎこちなく撫でている。力加減もまちまちでたまにぐいっ!としてくるので、そのまま頭を引っこ抜かれるんじゃないかという恐怖心があった。
「お前も色々と大変だからな……今は存分に癒されるといい」
「はいぃ……タクトお兄様が自宅でお人形遊びをされていた「そういう余計な事は言わなくていいから」理由が良く分かりますぅ〜……」
「お人形遊び……ああ、あの二人のこと……ああもういいよ、ある程度の浮気なら許せるよ、居なくなられる方がよっぽと堪える」
浮気じゃないんだけどなと思いながら口にせず、ガーネティアの思うがままに弄ばれた。
◇
「それではお姉様方、リンルのきゅう地にごじょじょくしていただけるのですね?」
お風呂に入ってほくほく顔のガーネティアが噛んだ、正確には「ご助力」と言いたかったのだろう。何事もなかったように澄ましているがぽうと頬が赤くなった、そういうところはとても可愛い。
「ああ構わない、私の名前を受け継いだ女王が奮闘していた地だ。稼いだ金を好きなだけ持って行ってくれ」
何とも気前が良い、俺の腕をがっしりと掴んでいるけども。
「あのお姉様……大丈夫ですから、わたしが魔力変換のやり方を教えますので……」
「そうか!それならいい、皆んなでリングドーラーへ行こうか!」
帰ろうかではないんだねと思いながらやっぱり疑問を口にした。
「だからエミィの奴はどこに行ったんだ?あいつ全然姿を見せないぞ」
「露店の前にいた鹿と遊んでいるのかもしれませんね、興味津々でしたから」
「このタイミングで遊びに行くのか?あいつ凄い神経してるな、自分で言うのも何だけど」
「どのみち大量の福沢諭吉を持ってこなくちゃならないんだ、それがてらに外を探して回ろう」
そこでぐいと問答無用に持ち上げられて無言のまま鞄の中に押し込まれそうになった。
「これただの拉致と変わらな──」
「うるさい!もう手元から離したりしないからな!諦めろ!」
「俺が入っていたらお札入れられないだろ!ガーネティアを残しておけばいいじゃないか!」
束の間体格差無視の乱闘を繰り広げ、何とか居残ることを勝ち取った。ラピーズには悪いがもう鞄の中だけは入りたくない。
ガーネティアに弄られながら待つこと半時間、とんとんと誰かが軽くノックしてきた。応対のためにガーネティアが立った時にはたと思い出した。
「まさか、フロントマンか?」
「ふろんとまん?その方もドールなのですか?」
ここが宿泊施設であることを説明し、規定の時間までに退出しなければならないことを伝えているとさらにノック音、それから、
「お客様ぁーそろそろお時間ですぅ、ご準備はお済みでしょうかぁー」
間延びした声でそう退出を促されてしまった、俺とガーネティアは大パニックである。ここを借りたのはラピーズである、それに俺は鞄の中に隠れていたしガーネティアには限っては異世界人だぜ?俺たちが出たら絶対に怪しまれる!
「あわわわ!どど、どうしますか?!どうしましょう!」
「何か!何かないのか!あいつを追い払う方法!あんなろくでなし!」
「あ!あ!ちょ、少しお待ち!これ、これを!これラピーズお姉様から預かっていた物なんですが!」
俺のスマホ!!何でお前が持ってんの?!
「かけろ!ラピーズに電話かけろ!時間稼ぎは俺がやる!」
「お客様ぁーいらっしゃいますかぁー?」
ガーネティアに使い方をぱぱぱ!と教え、俺は気持ちだけスサノオノミコトのつもりで扉へと向かう、ちょっとだけ背伸びをして扉を開ける、案の定迷惑そうな顔をしているフロントマンが立っていた。そして俺の存在に気付いた。
「おきゃ────え、人形……」
胸を張って一言。
「今家主が不在だからまた後で来い!!」
「────は、え、どういう……」
ドールが自立して怒鳴ったことに目を白黒させている、その間にもう一度扉を閉めると後ろからたたたとガーネティアがかけてきた。
「こ、この!この箱から声が!声がします!」
「スピーカーにして!スピーカー!」
「すぴーかーって何ですかすぴーかーって何ですか!」
わちゃわちゃやっている間にフロントマンが仲間を呼んだらしい、あと少しで突破されるという時に、
[すみません今着替えているのでまた後にしてくださいいいですね!!]
ガーネティアが掲げた手からラピーズの声が響いてフロントマンを下がらせ、俺とガーネティアはバレずに済んだとその場でがっくりと項垂れた。
✳︎
「アオ………どうしますか……これでボクたちがやった裏工作が露呈してしまうことに…」
「ああ、やっちまったよ……」
アオの手には画面に少しだけヒビが入ったスマホが握られている、そして、その着信履歴にはあってはならない名前が表示されていた、「タクト兄様」と。
簡単な話だった、タクト兄さんを外界から遮断することは。先にこの世界にやって来たボクたちはまずタクト兄さんの身辺をまっさらにしたのだ。スマホは勿論のこと、勤め先である会社には「身内の不幸」とだけ伝えて連絡は取らないようにとお願いし、タクト兄さんが借りていたワンルームマンションも解約し引き上げ、その時も必要な物だけこちらで選別して後は全て捨てた、とにかく捨てた、とくに女の臭いがするものは片っ端から捨てたのだった。
そして、何があってもタクト兄さんに知られるわけにはいかなかったので貴重品をガーネティアに預けていたのだ。それが失敗だった、スマホが鳴ってアオが顔を青ざめさせた時は全てを理解した。ボクたちは──もう間もなく──捨てられるということをだってこんな事をしたいくら妹とは言えども許してくれるとは思えない誰にも理解してもらえないのは分かっているけど何が何でもタクト兄さんをこの手で
「ユカリ……海へ逝こうか……」
結局、こういう運命になるのかと、酷く納得してしまった。
「逝きましょうアオ……捨てられる記憶を植え付けられる前に……せめて幸せだったこの半年間の思い出を胸に……」
「ああ……きっとエニシも……先に逝ってるんだよ……」
二人で手を繋いで商店街を抜け、あの鳥居が見える海辺までやって来た。皆んなボクたちを見たかと思えば道を空けてくれる、まるで魔物を見ているかのような目で恐れている。
神社という敷地に入り、砂利の道を歩く。吹き荒ぶ風は冷たく、ボクたちの罪を暴いてくるかのようだった。ここへくる時に乗ったフェリーがちょうど港に着いたようだ。来る時は分からなかったけれど、あの左右対称の形にしてあるのはわざわざ反転せずように済むためのものだと、今頃になって分かった。三日前に戻りたいけれどもう────戻れない。
「アオ……先に言っておきますが、この半年間とても楽しかったですよ」
「……そうか、いつも迷惑ばかりかけてすまない」
「いいえ、あなたの妹であれたこと誇りに思います……」
そうか...と、アオが涙を流した。
「逝きましょう……」
「ああ……」
後ろから誰かが慌てて駆けてくる、待ちなさいとか、早まったら駄目だとか。けれどボクたちの視界は鳥居に──光り輝く鳥居とふわりと舞った──大量の福沢諭吉に覆われて──
5.ピーリストの女王、議題の的
「お金が──原因?それは、何故そう思われたのですか?」
リングドーラー会議二日目の今日、始まって早々私は「堅固の勇者」にそう糾弾を受けてしまった。
「あなたの話を聞いて良く考えてみたんだが……やはりリポップシャドウの発生原因はお金にあるとしか思えない」
その繰り返しの発言にダイアが応戦してくれた、昨日のあの秘密会議ですっかり皆んなと打ち解けたらしい、まだ歴戦の猛者のような面構えだけど。
「失礼ですが勇者様、私どもはお金を魔力に代えただけであって魔物を生成していたわけではありません。確かに昨日は私たちのみならず、サザランカの街を救っていただけましたが──」
「それだと思う、魔力に代える過程で"悪い思い"が魔力になりきれずに魔物へと変貌してしまったんだろう。ガーネット女王の推測とも合致しているし、魔力変換をし始めた頃とリポップシャドウの発生時期も合っている」
ダイアは何も言い返せず、すとんと腰を椅子に落ち着けた。
昨日のあの戦果を口にされても眉一つ動かさなかったこの勇者、かなりやり難い部類だった。あの時、周辺の森林地帯から大挙として押し寄せたリポップシャドウはこの勇者の力で追い返され、街に傷一つ付けることなく撤退していた。堅固の勇者は予め布陣を敷いており、リポップシャドウのみならずアクベオやその他の魔物にも反応する、あちらの世界で言うところの「クレイモア」を仕掛けていたのだ。その事は番である女王にすら知らされていなかった。
息を整える、あんな戦果を出された勇者に糾弾されてしまってはこちらの立場が悪くなるだけだった。昨日の酒の席は酒の席、ここに集った皆は一国を憂う王たちであり、それは翻って相手国を飲み込まんとする政敵でもあった。揚げ足取りをされたら終わりだ、ピーリストもオクトリアもあっという間に支配されてしまう。
「──勇者様の内容にも一理あるかと思いますが、ただだからと言ってそうだと決めつけるのは、」
「決めつけではない、ガーネット女王、あなたがそうだと言った事だ。初めて聞いた時は何を馬鹿なと真面目に考えもしなかったが、確かにお金には様々な思いが込められていると思う。人助けのために使われた紙幣には"善意"というものが、戦争のために使われた紙幣には"悪意"というものが宿る、その"悪意"がリポップシャドウの原型であり今こうしてアルビリオンを苦しめている」
「…………」
あんのくそ勇者がまあ涼しい顔して賢しらにぽんぽんと言いやがって...ちらりと周りに視線を向けると、勇者の話に頷いているドールたちがいた。きっと、昨日の力を目の当たりにして媚びを売る相手を私から鞍替えをしたのだ、無理もない。
黙って聞いていたルワンダが咳払いをしてからこう発言した。
「ガーネット女王、その魔力変換について一時中止を命ずる。事態が解明されるまで何があっても行わないように」
「ちっ………さーせん」
舌打ちをしてからそう謝辞を述べた。
「う、うむ……さ、さーせん?まあ良い、これで良いかね堅固の、ガーネット女王らに何ら悪意があったわけではない、この我が保証しよう」
「ですが帝よ、この事態をどうなされるおつもりで?ガーネット女王、それからダイア女王が行なった事実は覆らない、そして未だに解明されていないのであればかの国に対応を一任すべきだと思いますが」
...このくそ勇者の話に意外にも、同じ人間である魅力の勇者が顔を顰めた。
「ふぅむ……自分たちで落とし前をつけろと?そう申すか、堅固の」
くそ勇者の発言にさすがのルワンダも色めき立った。
「あくまでも責任者として、です。我々も手を貸します、その為にここへやって来たのですから」
その顔に一点の曇りもない、純粋さからくる発言であるのは良く分かった。だが、どうして女王におうかがいを立てないのかが気になった。
そしてそれには理由があった、会議が終わった後に自室へ招待されたのだ。
◇
「………力がもうない?」
「そうだ、俺の番である女王はもう疲弊し切っている。次に魔力供給を行なえば送還術式が発動して俺も女王もこの世界から居なくなってしまうんだ」
堅固の勇者に割り当てられた部屋はとても立派だった。彼の背後にはサザランカの森と街並みが同居し、この城一番であろう景色を望むことができた。けれど、この景色を前にしても勇者の顔色が変わることはなく、ただ淡々と身の上話を続けているだけだった。
「俺の指には……いいや、この命にはまだまだ魔力が残っている、使命も半ばにしてあちらへ帰るわけにはいかない。だから、失礼も承知であなた方に喧嘩を売ったんだ」
軽く謝辞を述べ、また話を続けた。
「俺の魔力を使ってリポップシャドウの討伐に役立ててほしい、あれは放置していいものではない、それはあなた方も良く理解しているはずだ」
隣に座っているダイアが身動いだ、絹のレースが擦れる音と、サザランカの空を飛ぶ小鳥たちがぱたぱたと空をかける音を耳に入れながら、そっと息を吐いた。
(何だかなあ……何と言えばいいのか……)
私自身の感想はとりあえず脇に置いて、言うべき事を言うため口を開いた。
「勇者様、番である女王がその役目を終える時、またあなた様の使命も終わる時なのです。それは自然な成り行き、この世界が定めた理なのです、ですから──」
そう、意固地になって残り続ける必要はないと、言う前に言葉を重ねてきた。
「だが、君たちはまだこうして存在している、役目を終えていない女王なのだろう?──失礼、だが、勇者が不在なのであれば俺にその使命を与えてほしい、それだけなんだ」
◇
「はあ〜〜〜………ねえ、ダイア、あんたはどう思った?」
「こういう人もいるんだなあって、そう思ってました」
「あんたってほんとタクトの事ばっかりなのね」
「当たり前ですその為に復興に勤しんでいるのですからあんな程度の熱意でそう簡単に揺らぐ」半ば無理やり、勇者から魔力が入った小瓶を「無視しないでください!」渡されて、ダイアと肩を並べて自分たちの部屋へ戻っているところだ。その小瓶を掲げてみる、片手で何とか持てるほどの大きさだ、その中は一晩煮込んだすき焼きのだしのような色をしていた。こってりとした茶色、白ご飯と一緒に食べたら堪らなく美味そうだ。
無視されてちょっと拗ねているダイアに振り向く、もう何も答えないぞと口をへの字にしていた。
「ねえ、どうする?」
「……………」
「いやあんたのタクトへの想いは良く分かったから、ね?どっちみちリポップシャドウは対処しなくちゃいけないでしょ、ここはあの勇者の言う事聞いてやろっか」
「………まあ、ガーネットの言う通りですからね、やりましょうか」
「おっけー、ナリクにも声かけとくから、あのくそ勇者の部屋に集合しましょ」
「ガーネット、お願いですから本人の前ではきちんとしてくださいね?」
イリクと似たような事を言われてしまった。この後ダイアと別れて支度を済ませる、一応戦闘用の衣服は持ってきてあった。リポップシャドウに襲われてもいいように、女王が臣下を守るために体を張るのもどうなのと思うけれど。
そして、勇者の依頼を受託した私たちはサザランカの森をこれでもかと疾走する羽目になってしまった。それも一人で。
「あばばばば!!ふっざけんな──」
ただ走る、ひたすら走る。サザランカの森はドールの手に負えないので草木が伸び放題、人間よりも高い草に塗れながら後方に迫っているリポップシャドウからひたすら逃げていた。まさかまさかのゲリラ戦、あれだけ熱く語っておきながら白み潰しで敵を撃破せよ!と指令があった。
後方にいる敵に動きがあった、ぶわぁんと音が耳に触れたかと思えば前方の草がすっぱりと斬られていた。飛び道具付きである、これでは魔法を詠唱している暇すらない。再びぶわぁんの音、ついで、
「だぁーーー!やり難いやり難いやり難いやり難いーーー!」
敵の見えない攻撃が私にヒットする寸前、小規模な爆発が起こった。これは堅固の勇者から貰った魔力のお陰である、その魔力を得た本人を自動防御─正面を向かなければ判定がないとかそういうこともなく─してくれるよう、勝手に魔法が放たれるのだ、本人の意思に関係なく、それも全周囲に対して。
「何でこんなにポンポン爆発するのよ!ちょっとは遠慮しろ堅固の魔力めが!」
ダイアとは森の入り口で別れている、その時に身体強化の魔法をかけてくれたので何とか逃げおおせているのが現状だった。ナリク?そういえばいたわね。
「そんな奴知るかあーーー!!」
走った先に崖があった、草木もぷつんと途切れて向こう側の森林が見えている。こうなったらヤケだと速度を緩めることなく走り続け、堅固の魔力にこの身を委ねることにした。
「万象の彼方より、今、ここに──もういい!精霊イフリータ!敵を、灰塵に帰せよ!イラ・ルベール・ガーネット・レジーナ!」
崖から身を投げ、空中で詠唱を始めるもこれでは間に合わないと判断してはしょった。後方まで迫っていたリポップシャドウがその姿を見せる、模型だ、黒い模型、表皮も何もない。崖を前にしてたたらを踏んだ敵が後ろから突き飛ばされ同じように転落した、馬や牛、それから人の形をした模型も落ちてくる。中には見たことがない形をした敵もいた。それらをまとめて魔法で吹き飛ばしてやった。
「ざまみろばーか!ばーか!この私に喧嘩を──」
木の梢枝に衝突し、堪らなく痛い、それでも落下のスピードが落ちない。後は地面まで真っ逆さま、その時にまた小規模の爆発が起こり私の体がふわりと宙を舞った。
「────あだっ!」
仰向けで地面に倒れ、一瞬で肺から空気が押し出されてしまった。私の視界には何のダメージもなかった梢枝と、赤く煙る魔法の残滓と黒い煙となって消えていく敵の姿があった。
「……………もう嫌なんですけど私、こんな事続けなくちゃいけないの?」
がさり、頭の方から藪が何かに擦れる音がした。
「まだやらなくちゃいけないんですかあ!!!もうやだあ!!!」
後は見ることもなく再びの全力疾走。これでは駄目だ、女王の立場を捨てて私が逃げ出したくなってしまう。
悲鳴を上げながら、何とか魔法を放ちながら日暮れまでゲリラ戦を続けた。
◇
「おっつ〜………あ、そういう空気でもない?」
「ぜぇ…ぜぇ…ぜぇ…ぜぇ…ぜぇ…」
「だ、大丈夫?水いる?持ってこよっか?」
「おねっ……お願いしまっ…す……」
ゲリラ戦を終えて(途中で投げ出して)戻ってきた城門前には何故か、魅力の勇者が立っていた。私に声をかけてくれたが、受け答えをする余裕は微塵もなかった。その場にバタンと倒れ込む、砂利で死ぬほど痛かったが安心して息をつけるのだ、あの敵の前と比べたら遥かにマシだった。
(これぇ…栄養ドリンク漬けで働いていた時と一緒……魔法と言えども体力の前借り……)
案外使えない魔法だと心の中で八つ当たりしていると、その本人が軽やかな足取りで現れた。
「まあ!ガーネット!どうしたのですか!」
「……あん?……んであんたはそんなに──けほっ!ごほっ!」
ダイアの後ろには水をしこたま持って来た魅力の勇者もいた。
「ね!言ったでしょ?あの人大丈夫なの?」
「まあまあまあ……そんなになるまで戦うだなんて……あの勇者様のことがそんなに気にいったんで──あた!砂!やめて!」
最後の力を振り絞り、ダイア目がけてとにかく砂をぶちまけた。
◇
ダイア秘蔵の魔力(本人談)を無理やり口の中に突っ込まれ、何とか立ち上がって二人で湯浴みを済ませ─まだ腹の虫がおさまらなかったからダイアの体中を抓った─自分たちの部屋を訪ねてきた魅力の勇者と向かい合わせで座っていた。訪ねてきた理由は簡単だった、彼女も堅固の勇者には思うところがあったらしい。髪は茶色で黄色のメッシュをもみあげに入れている、肩まですらりと伸ばして毛先が外側へくりんと跳ねて、どこかお嬢様っぽく見える人だった。
「あの言い方はさすがに酷くない?無理やり二人にやらせてるようなもんじゃん」
(なぁいって、こういう喋り方の人いたなー…)
ちなみにだが、私たちの勇者をやらせてほしいとのたまった本人はまだ一度も姿を見せていない。何となく察しはついていたけど、こうも無対応だとそれはそれで腹が立った。隣にいるダイアにまた八つ当たりしようとしたけど、視線を向けただけで避けられてしまった。
「あの、それで勇者様はどうして私たちの所へおいでになったのですか?」
「いや、うん、気になったー…から?」
ダイアの質問に疑問系で返してきた、そういう言われた方をされたら、こちらもどう対応していいのか分からなくなってしまう。前に座っている勇者の女性、眉尻は下がってどこか申し訳なさそうにしている。そこも良く分からない。
(そういえばこの人、私が話をする時だけ視線上げてたっけ)
会議の場で、何度か目も合っていた...ように思う。それに魔力変換の話をしている時にも、口座が空っぽになったと言ったらこの人が一番笑っていたはずだ。
心配してくれているのだろう、そう思い直して私もあのくそ勇者に対する思いを口にした。
「……仰る通り、堅固の勇者様がなされた話には私も些か思うところがありました」
申し訳なさそうにしていた勇者が途端に食いついた。
「でしょ?!やっぱそう思うよね?なんて言うか、自分のやりたいように上手く言ってるだけというか、結局自分の事じゃん、みたいな?」
「ほん!──ええ仰る通りです、お部屋に招待された時も私たちを"役目を終えていない女王"と申し上げていましたし、何なら本人ここにいませんから、いやそれってどうなの?──とは私も思いました」
段々と喋り方が適当になってきた、疲れているせいもある。
さっきは逃げたくせにダイアが「本音を晒してもいいのか」と視線で問うてきた。
(平気でしょ)
我が意を得たりと勇者が、どこか楽しそうにしながらこう言った。
「いやそれはないわ酷すぎ。そもそもお金のせいだって決まったわけでもないのに無理やり話持っていってここまでさせといて?何様のつもりなの?」
「ほんとそれ!そのくせ魔力だけ渡して現場にすら降りてこないってどういう神経してんの?まだコンビニの店長の方がしっかりしてるわよ!深夜の時なんかわざわざお弁当持ってきてくれるんだから!」
あっは!と変わった笑い方をしてから、
「やっぱガーネットさん面白いわー、口座が空になった話とかマジで面白かったもん」
「いやそれ実はね、議長から──って誰か分かる?「あの髭もじゃ?」そうそう、その人からあっちの世界を調べて来いって言われててさ、でも私らめっちゃ遊びまくっててねこれはヤバいぞって試しにやったのがその転移魔法なのよー!「何それー!」焦ったわあ〜せっかく貯めたお金が一瞬で空になるんだもん!これこそ魔法じゃんみたいな!」
げーらげらげらと笑っていると扉がバタン!と開かれ、逃げ出したと思っていたナリクが全身ズタボロで帰ってきた。
「……わたしこんなに頑張ったのにぃ……わたしあんなに頑張ってたのに誰も迎えに来てくれなかったああ!」
びぇぇーーーーん!!と泣き出してしまった。あっちの口調で一緒に大盛り上がりしていた勇者も、また眉尻を下げてナリクのことを見ていた。
「え、え?こんな子いた?全然気付かなかった!」
「あ、いいよいいよ、大丈夫だから。ナリク!こっちに来なさい」
うぇうぇ泣きながらナリクがこちらに寄ってくる、勇者と対話する時に使う椅子は座面が高い─テニスの審判台より少し低い─そこから下りてよたよた歩きのナリクを迎え入れた。
「あんたてっきり逃げ出したと思ってたからすっかり忘れてたわ」
「そぉんなことするわけぇないじゃああん!ガァーネットもやってるんだからあああ!」
びーびー泣くナリクを抱きしめてあげた。さすがに扱いが悪すぎたようだ、抱きしめても一向に泣き止まなかった。
「ほら、一緒に体を綺麗にしましょう、ね?悪かったわ、だからもう泣かないの」
私の胸で泣きじゃくるナリクと一緒に部屋を出ようとして、一瞬で忘れてしまった勇者へ振り返る。向こうも分かってくれているのか、何も言わずに手を振っているだけだった。
◇
翌る日、サザランカの街に来て三日目の朝。昨日、私がぶっ倒れた城門前には何故だか魅力の勇者も立っていた、それも運動し易そうな格好をして。はてと思いたたたと駆ける、勇者以外には昨日と同じメンツのダイアとナリクもいた。そう、まさかの二日連続である。
「おっはー」
「お、おはようございます……?どうされたのですか?」
「えーいやぁ、そういう他人行儀はちょっと……キッツいかなあ?昨日はあんなに……」
気さくに挨拶をしてくれた勇者がどんどん尻すぼみになっていった、私が昨日の口調を止めて真面目に返したからだろう。けれど私はダイアに注意を受けていたのだ、あのダイアにだ、珍しいこともあるものだと聞き入れていた。
──勇者に向かってあの喋り方は何ですか!
いやそこ怒るとこなの?と言ったらとんでもない声量で「ふざけた態度は国を貶める行為ですよ!」とさらに怒られてしまっていた。珍しいこともあるものだと、昨日ははいとかうんとか適当に返事をしていた。
どうやら今日は魅力の勇者も手伝ってくれるらしい。
「──まあいいよ、信頼は行動で掴み取るしかないからね!私の魔力って色んな物を惹きつけられるから何かに役立つかなって思ってさ」
「惹きつけるとは、興味を引くとかそういう意味合いの?」
「そうそう、あんまパッとしないけどこういう時はイケるかなと思ってね、ダイアさんにお願いしたんだ、ね?」
「はい」
「っ?!」
何今の声!初めて聞いた!ナリクもダイアにビビってこちらに寄ってきた。
「……怖いよ!ダイアが怖いよ!」
「……しっ!機嫌が悪いのは分かったから今日はおとなしくいくわよ」
魅力とはどうやら精神作用の魔法らしく、自分を引き立てて魅せるものらしい。良く分からないけれど、勇者が現場に入ってくれるなら何でもいいやと、昨日よりいくらか肩の力を抜いて討伐戦に入った。
6.ユグド姉妹、曇天の下
──素晴らしいではありませんか。お二人もこれぐらいの戦果を上げられてはどうですか?
そう巫女ドールに言われたのが半日前、揺られる馬車の中、俺とガーネティアはリンル連邦を離れあにゅにゅるば山脈に向かっているところだった。何も山脈に用があるのではない、リンルとの約束事を反故にし続けてしまった結果と言える、ガーネティアが用意すると言った魔力を用意出来ずあまつさえ、秘湯に乱入してしまった従者(俺のこと)を庇ったその責任を果たすため、真祖であるガーネティアもリポップシャドウの討伐を命じられていた。
そして、迷惑をかけ続けてしまったガーネティアは指を咥えながら俺の膝で寝息を立てていた、案外余裕ですね?この馬車を引っ張っているのがあのアクベオなので話し相手もいない。窓から見える景色は荒涼としており、あにゅにゅるば山脈から流れてきた厚い雲が小さな雪を降らしていた。凡そ生き物が営める環境ではない、俺たちがいる場所からでもリポップシャドウの姿を確認することができた。
黒い影、あるいは模型?と言うべきだろうか。ずらりと並んだ異形の影たちは何かをするでもなくただじっと佇んでいる。俺たちの姿だって見えているはずなのに何もしてこない、捕食として、あるいは殺戮的な衝動もないその無意味な屹立は不気味と言っても差し支えがなかった。
巫女ドールから受け取った魔法便へ視線を落とす。そこにはこう書かれていた。
『速報!』
『堅固の勇者(⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎)魅力の勇者(⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎)率いる討伐部隊が敵を圧倒!時価総額五〇〇万の女王たちが主力として一網打尽!サザランカは平穏を取り戻した!』
「いや情報量多すぎるんだけど!」
何?何なの?いつの間にこの世界にレアリティが実装されたの?ていうか堅固の勇者って誰だよ!それに時価総額って何に換算してんだよこの女王が可哀想すぎる!これについてあれこれ聞きたいのに肝心のガーネティアはまだ夢の世界である。
「なあ、おい!アクベオ!この魔法便に書かれている内容分からないか?」
ぐえ!ぐえ!と汚い声と唾を飛ばしてから、
「我、見た!勇者、囮、女王、殺す!」
「我、聞いた!連携、鮮やか、ご飯!」
ご飯の意味は分からないが、えー?つまり勇者が囮になって女王が殺す?その連携が鮮やかだった、ってことなのか。勇者が囮になるってのも凄いんだけど...この魅力ってのはそういう意味があるのだろうか。堅固は何もしてなさそう、防御専門っぽいし。でもこいつの方がレアリティが高いから...こいつが持つ魔力は特別なのかもしれない──ああもしかしてこの女王たちは堅固の魔力で強化されて、魅力の勇者が敵を引きつけている間に撃破していった、ということか。レアリティ有能だな。
「ほえ〜凄い奴らがいたもんだ。アクベオ!あの敵はサザランカって街にもいたんだな?」
「うむ、不味い、非推奨!」
「うむ、不味い、腹下す!」
食ったのかよ、こいつらがこの世界で一番強いんじゃないの?
「奴ら、魔力、無し、ゴミ、クズ以下!」
「奴ら、世界、ご飯、無価値、不必要!」
辛辣過ぎる。
(奴らに魔力は無いってことなのか……だからご飯として食べる価値もない、だから無価値でゴミでクズ以下。世界って何?このリングドーラーってこと?)
アクベオの単語をパズルのように組み立てていると、俺の膝を枕にしていたガーネティアがむくりと起きた。唇から薄い糸が引いて俺の人差し指へと繋がっている。そう!俺の指は今!魔力が宿っている!本当に意味が分からない!
「……もう、着いたのですね、あんなにずらりとふわあ〜〜〜」
「おはよ。ところでラピーズたちはこっちに来ているのか?何か感じたりしない?」
「………起きてそうそう、他人の話は聞きたくない!せっかく気持ち良く眠っていたのに!」
「いやいや、俺の指に魔力が宿ってるのも真祖としての妹たちがこっちに来ているからなんだろ?というかお前が言い出したことだぞ」
「う〜〜〜ん、っぽい、いるっぽい、昔と似たような感じです……」
一休さんみたいにこめかみをぐりぐりしているガーネティア、まだ唇からたらんと涎が出ていたので拭いてやった。
もうほんと何なのあいつら、あれだけフロントマンと死闘を繰り広げたというのに戻ってこなかったんだぜ?!昼前になっても帰ってこないし、痺れを切らしたフロントマンがマスターキーで開けて突入してくるし!慌てて押入れに逃げ込んだかと思えばガーネティアの片足が掴まれるわ危うく転移魔法にフロントマンを巻き込みそうになるでわで大変だった。
それに、命の勇者として召喚されたことがある俺の指にはそれが現れていた。ドールなのに、人間じゃないのに勇者としての力が顕現しているのはダイア、それから真祖が勢揃いしたことが原因だろうとガーネティアが語っていた。
「はい、います、間違いなくお姉様たちはこの世界に来ています……でもどうやって?わたしはまだ魔力変換について説明していなかったと思うのですが……」
「う〜ん……でもあいつら大量の札束は持ってたはずだからなあ……俺が気になるのは転移した方法じゃなくて理由だな、何でそのタイミングで俺たち置いて先に行ったの?」
「…………」
ぴくん!としたのを見逃さなかった。あれ...そういえば...ガーネティア、俺のスマホ持ってたよな?
「ガーネティア、お兄さんの目を見なさい」
指の先っぽが熱を持ち始めた。
「こういう時だけそういうりりしいお声を………はい、何でしょうか」
「素直に答えなさい、どうしてお前は俺のスマホを持っていたんだ?」
何かをじっくりと考えているガーネティア、けれどすぐに目を開き、俺の言う通りに────
「お姉様方から口止めをされていましたけれど、お兄様のご命令とあれんむううぅっ?!」
「ほんとごめんほんとごめんね?!もうちょっとだけ舐めてくんない?!ものすごく熱いんだよ!」
──喋れと言っておきながら、一番の末にあたる妹の口に、無理やり指を突っ込む兄がここに。
「いひゅら!なんれも!いひなり──」
「ごめん!もうちょっとだけ吸って!マジで熱い!爆発しそう!」
リンルを離れた時から異変はあった、ドールの身ではその魔力量に耐えきれないのか高温になってしまい、「爪にLED付いてんの?」と言わんばかりに輝き出してしまうのだ。初めは自分で舐めていた、ドールになったんだから上手く循環してくれるかと期待したが何の効果もなく、やむなくガーネティアにお願いすると何も言わずパクつきそのまま眠ってしまったのだ。
「うんむぅ〜!もうひょろひょろ、げんひゃい!れすぅ!」
「不潔!不義!クズ!無価値!」
「ゴミ!世界の敵!奴らと同じ!」
こういう時だけ上手いこと言うのな!
ぐえぐえ騒いでいたアクベオが急に速度を緩め、馬車の通り道のど真ん中で停止した。
「何?!何で止まったの?!」
汚い羽を大きく広げ、こちらの言葉に耳を傾けない、視線は周囲のリポップシャドウに忙しなく向けられている。
「来る、真祖、守る」
「戦う、真祖、味方」
「もう……むひ……」
ガーネティアの声を聞いてアクベオがぐるりとこちらに視線を向けてきた、俺敵認定?!けれど違うようで、通ってきた道の向こう側からついにリポップシャドウが駆けてきたのだ。
「なんつう数……」
ついにこの時がやって来た、リポップシャドウを殲滅する時である。俺たちだって何も無策でここまでやって来たわけではない、俺の魔力をたらふく補充したはずのガーネティア、座席でがくりと項垂れているが早速その効果が現れ始めてきた。
「………ほぅ……これが、きょうきゅうかちゃ……」
ガーネティアの可愛いらしいつむじから、銀色の燐光が発生した。地上から噴き上げる雪のように、赤く濃い髪の毛の一本一本を銀色に染め上げながら体を包み込んでいった。
こんな時でも供給過多と言えずに噛んでしまった妹を可愛く思い、そして同時に自分自身を情けなく思った。
「すまないガーネティア、後は頼んだ」
「つつしんで、お受けします」
爛々と輝く瞳は茶からオレンジへ、髪は溢れる魔力に応じて銀のそれへと変わっていた。
銀髪の少女が馬車から降り立った、それだけで世界そのものが反応し、薄く降り積もっていた雪などあっという間に消え失せた。大地に眠っていた種が季節を忘れて芽吹き始め、荒涼としていた地を若葉色に染め上げた。
「──名はガーネティア・ユグド」
芽吹きが終わった大地に花が咲いた、厚く垂れ込めていた空が割れて太陽がその顔を覗かせた。名を口にしただけで、世界は否応なく対応せざるを得なかった。
「──解き放て」
銀髪の少女に従う原初の獣、花々が咲き乱れた大地をも喰らわんとする顎が現れ、咲いたばかりの小さな生命がその牙の犠牲になった。
「──森羅万象よりこの地へ、煉獄よ、顎や、憤怒に染まりし奥義を今ここに」
春の生命を芽吹かせた大地が、憤怒に支配された原初の獣たちに蹂躙されてしまった。そこに命の選別はない、あるもの全てを喰らい、天国をも焼き尽くさんとする煉獄の炎が空に浮かぶ太陽を退かせた。ここにあるのは地獄のそれだ、異形の敵などただの赤子に過ぎなかった。
「イラ・イグニス・カリクルス・ゼノ・アルマ──真祖の名の下に──爆ぜろ」
世界が爆ぜる、真祖たるガーネティア・ユグドの言葉通りに。原初の獣すら巻き込まれ、生命の萌芽たる小さな花も、異形の敵も、何をも飲み込み煉獄の炎が七色に弾けた。
◇
「お兄様、やり過ぎです」
「俺のせいなの?ガーネティアが凄いんだろ?」
ふふんと胸をのけ反らせたあと、真面目くさった面持ちでもう一度俺に視線を寄越した。
「確かにわたしの魔法です、ですがそれを底上げしたのはお兄様の魔力です。見てください!この光景を!」
なーんにもない、ぽっかりと穴が空いていた。ここいらはよく曇っているらしいが今はさんさんと日光が降り注いでいた。ちょっと視線をずらして下を見やれば......何メートルぐらいだろう、絶壁の上に立ったような景色が足元に広がっていた。
「これ俺のせいなの?」
「さっきから現実とうひしてませんか?」
ガーネティアは貯まった魔力を放出し切れたのか、髪と瞳の色が元に戻っていた。他に異常はなさそうだ、良かった良かったと頭を撫でてやるとぺい!と手を払われた。ユグド家の女は強い、下手な甘やかしはたとえ兄でも許さないらしい。
「きちんと報告しましょう、いくらリポップシャドウの討伐とは言え、これはさすがに見て見ぬフリはできません」
「………いやでもさあ、これって俺関係あるの?地形破壊はさすがに報告しない方が──」
「お兄様!先程のりりしいお声はどこへ行かれたのですか!」
「異世界」
「お兄様!!一緒に責任を取ってください!!」
どこからか、
「人間………クズ………」
「見下げた………クズ…………」
生きてたんだ。
✳︎
寒い寒い寒い寒い、これでもかと防寒着を着込んでも隙間から冷気が忍び寄ってくる。
「う〜〜〜さっぶぅいい!」
町の魔力庫からの帰り道、私は何も持ち帰らずただひたすら走っていた。
(何あの魔法!大地がぽっかりって!皆んな信じてくれるかな?)
ついに世界が終わりの時を迎えたのかと勘違いしてしまった。エメラルドの町はアニュールバ山脈の中で最も低い峰の近くにある。峻厳という文字がぴったり当てはまるような町であり、分かりやすく言うのであれば体力作りに適した町並みをしている。とにかく坂が多い、この時期になれば毎日誰かが転げ落ちてしまう程だ。
「もの峰」から走ることちょっとばかり、雪で白く煙る─勇者様から教えてもらったけど、どうやら"ほわいとあうと"と言うらしい─視界の中に、ぽうと町の灯りが浮かんでいるのが見えてきた。女王である私が魔力当番ってどうなのと思うけど、それはそれで勇者様にとても心配されるからまあ、良しとしよう。
雪に埋もれて辛うじて見える町の入り口を抜けて、道中出会った人たちへ挨拶を交わしながら勇者様の元へと向かう。走れるところは走って、滑った方が早い時はわざとお尻を坂道に下ろす。
「──うっそぉ!止まらなあい!」
しくじった、気が急いていたこともある。町の皆んなに見守られながらあ〜れ〜と転げ落ちていくと誰かに受け止められた。ドールではない、大きくて温かい手が私をそっと持ち上げてくれた。
「大丈夫ぅ?怪我してなぁい?」
「………け、怪我しました……このまま運んでくださると……」
「えぇ〜?!無理しちゃダメって言ったでしょ!」
その後、慌てた勇者様も尻もちを付き、町の皆んなにあったかく笑われながら町民館へと向かった。
◇
「本当なんですってば!私は確かにこの目で見たんですから!」
「う〜ん…と言うてもなあ〜…にわかには──あっぶな?!この暴力娘がっ!湯呑みを投げるな!」
「こらぁ、危ないでしょ〜?」
後ろから頭を突かれてしまった。
町民館に集まった皆んなに、もの峰から見えた光景をつぶさに説明してあげた。膨れ上がる火の玉はまるで太陽、リンルの郷を玄関口としたアルビリオン東大陸を一望できる峰にもその熱気が届いてきた程だ。爆発と爆音、それらが衝撃波となってアニュールバの山をも駆け巡り、せっかく勇者様から貰った髪留めも吹き飛ばされてしまい失くしてしまった。
目の前に座るのは町長である、私に「女王になってはくれまいか」と頭を下げてきた人でもあった。
「全く……エメラルドに名を代えてもその乱暴な性格は変わらんな」
「べぇー!」
「その魔法を放ったのはやっぱりぃ、そのリポップシャドウって敵なのかなぁ?エミィは何か見たぁ?」
勇者様の膝を椅子代わりにして、座っていた私の頭を撫でながらそう訊ねてきた。それはさすがに分からないと、エニシ様の方を見上げながら答えた。この町を表すように綺麗な緑色をしている瞳が私を優しく見下ろしていた。
「ううん…そうだよねぇ、私たちも見に行った方がいいかなぁ?」
「それは駄目ですエニシ様。エニシ様はこの町にとって何より大切な人なのですから、万が一を考慮して町から離れないでください」
町長が「その優しさを少しでも……」とぽつりと呟いた。その注文は聞かなかったことにしてエニシ様と話を続ける。
「エニシ様は"抱擁の勇者"です、その魔力を私たちに分け与えてくだされば大丈夫ですから」
「うん、エミィがそう言うのならそうするよぉ」
にっこりと、分厚い雲に隠れてしまった太陽のように微笑んだ。嬉しい、こういうやり取りがあるから私は優しく出来るんだ。それこそ町長も見習ってほしいと視線を向けると、この町の物見櫓に置かれた鐘の音が響いてきた。
「まさか!ハパラ──いや違うエメラルドよ!魔力を皆に渡すんだ!」
あ!
「持って来てない!あの爆発に気を取られて忘れてた!」
「この馬鹿たれ!何のために魔力庫へ──良い!自警団の者に行かせよう!すぐに伝令を!ハパラ!お前さんは勇者様とここにいろ!良いな?!」
ハパラは私の元の名前だ、女王に位が上がったので改めていたのだ。気が動転していた町長、一度は言い直したもののすぐにまた間違えていた。それは別にいい、本当にやってしまった、この町にもついにリポップシャドウが押し寄せて来たのだ。それだというのにエニシ様から賜った魔力を忘れてしまった。
慌ただしく外へ駆けて行く皆んな、その姿をエニシ様とただ眺め、段々と居心地が悪くなってきた。温かい膝の上から立ち上がり、エニシ様と視線を合わせる。
「エニシ様、本当にすみません、けれど町の皆んなを助けるためにも──」
「うん、いいよぉ、まっかせてぇ!」
あちらの世界で使われている手袋を取った、また...あの指を咥えるのだと思うと...エメラルドの町が置かれた状況も忘れて興奮してしまった。けれど、何を思ったのかエニシ様がそのまま外へ駆けて行くではないか。
「え?!あのエニシ様?!」
「──ごめんねぇ?ずっとぉ黙っててぇ」
え、どういう事?どうして今その言葉が出てくるの?
突然の行動に頭が真っ白になった私は束の間立ち尽くしてしまった、外から逃げ惑う皆んなの声が耳に届きようやく体が動いた。
「──エニシ様!魔物たちがっ!」
きっと町の周囲に設置した魔法防壁も突破して侵入してきたのだ。アクベオと呼ばれる気持ち悪い魔物以外にも、雪狼や氷柱だるまという元々この地に住む魔物たちもいる。そしてリポップシャドウ、そんないっぺんに押し寄せられたらひとたまりもない。
足をつまずかせ、転がりながら出た外では町民館に向かって駆けてくる町の皆んなが見えていた。上からも下からも、四つん這いになって登ってくる。
「そんな……こんなに………」
空には氷柱だるまの群れ、上も下も真っ黒の影、その影に食われている雪狼の姿もあった。本当に酷い光景だ、私たちが生き残れる希望なんてどこにも見出せない。
けどエニシ様だけは違った。吹き荒ぶ風に怯むことなく、押し寄せてくる敵に臆することなく、巻き毛になった黒い髪を大きく靡かせながら真っ直ぐ立っていた。
手を掲げる、私に興奮と安らぎを与えてくれる、エニシ様そのものと言ってもいい魔力を束ねた指が一際強く輝いた。
「ウルティムス・キルクルス!万難に挑むは我そのものなり!エルーアル・ラ・アクア・エア!エメラルティア・ユグドの名の下に!万民を護りし壁を今ここに!」
あと少しのところで、町の皆んなに喰らおうとしていた異形の影が、見えない壁に弾かれた。さらに、緑白色の水が私たちを包み込みんでいく、息苦しさはない、寧ろ清々しいような気持ちになっていった。その水が町をも包み込み、あらゆる魔物どもを外へ、外へと追い出していく。ついでに雪も溶けてしまった、まるで早送りをしたように町が緑の息吹に溢れ返る。
事が終わった、皆んな惚けている、私もそうだ。エニシ様がぺたんとお尻を地面に下ろした。
「──エニシ様、エニシ様?あなた様は一体……どうして勇者であるあなた様が……魔法を使えるのですか?」
うふぇ、と声を出してから、
「ごめんねぇ、私がぁ真祖だからだよぉ」