このドール、ください。1
1.驚きと共に弁当
「こんばんは」
びっっっくりした、え何?何なの?どこから聞こえたんだ?
仕事から帰ってきて、スーパーで買った半額弁当を電子レンジに突っ込み、待っている間にタイマーをセットして洗い終わっていた洗濯物を室内干ししていたら急に声をかけられた。
どこからだ、部屋の中を見ても異変はない。何だ隣の部屋からか、そう思い若干生乾き特有の臭いがする肌着を手に取った時、また聞こえた。
「こんばんは」
テレビの音か?いい加減にしろよお隣さん。休みの日は朝から缶ビール開けやがって、プシュって言う音で目を覚ますこっちの身にもなれよ。
テレビの音がうるさいことを壁ドンで教えてあげる。お返しと言わんばかりにニュースキャスターの生真面目な声が聞こえてきた。あれ?テレビの音ではない?というか、さりげなく音量上げやがって、今度すれ違った時舌打ちするぞ、顔を覚えているんだからな。
じゃあどこからだ?どこから...
「こんばんは、先森拓人さん」
今度は服の裾をちょんちょんと引っ張られながら声をかけられた、しかも俺の名前まで知っているらしい。恐る恐る下を見ると、そこにはドールが立っていた。ドールが、自立しているのだしかもかなりの美人さん。え、今時のドールって自分で立つのかと馬鹿みたいな感想しか出てこなかった。
「…こんばんは」
ドールに挨拶を返す。初めての経験だ、さっきから胸がドキドキしている。え、いやちょっと待って...
「君の、名前は?」
「私の名前は、ダイア、今後ともお見知りおきを、先森拓人さん」
とても丁寧なドールだ、最寄りのコンビニ店員も見習ってほしい。たまにおしぼりを忘れるので入れて下さいとお願いをすると、舌打ちするの本当にやめてほしい。
いや、そういうことではなく。
どうやって入って来たんだ?何で俺の名前を知っているんだ?というか、何でドールが立って喋っているんだ?疑問と驚きと、少しばかりの興奮で頭も心も混乱してしまった俺は事もあろうに、
「寒くない?」
「え?」
「窓際だからさ、ここ寒いでしょ?そんな薄着で寒くないのかって」
「あ、いえ、そんなことはないです」
聞いた?ドールの素っ頓狂な声、聞いたことある?俺は初めて聞いたよ、可愛い声だった。それに俺は何を聞いているんだ馬鹿か?
「あの、少しお話しいいでしょうか?」
「あ、ちょっと待ってて、ご飯食べてくるから」
あれ、俺って順応力高いのかな。喋るドールより半額弁当を優先してしまった。お腹が減っているんだ仕方ない。
俺の部屋はワンルームで、室内干しで服をかけたカーテンレール、つまりは窓から玄関の扉が見える。台所と寝室を隔てる扉も無いので、台所で食事をしても匂いが寝室までくるのだ、当たり前だが。眠る時に食べ物の匂いを嗅ぐのがとても嫌なので、食事をする時はいつも換気扇の下で、立ったまま食事をする。誰にも理解されないと思っているので人に話したことはない。話す予定もない。
美人な自立ドールを放ったらかしにして、今日のご飯にありつく。
換気扇の下で食べていると、ドールがとことこ歩いてきた。
「あー…あの、お食事しながらでもいいので、私の話を聞いていただけませんか?」
「ちょっと待っててね、」
甘すぎるエビチリを咀嚼しながら、玄関に置いてあった小さめの木の椅子をドールの前に置く。靴を履く時にいつも使っている椅子だ、ドールの身長なら座れるだろう。
「座って、立ちながらじゃしんどいでしょ」
「あ、ありがとう」
あらやだタメ口可愛い。
「あの、お話しの前に、一つ聞いてもいいでしょうか?」
「何?」
やっぱり変かな、こんな異常事態でもご飯優先するのって。もっと私に興味を持ちなさいとか?いやそれ君が言うのかった話しなんだけどさ。
「…どうして、立ったまま、お食事されているのですか?」
「…分からない?」
「と、言いますと?」
「眠る時にさ、食べ物の匂いを嗅ぎたくないんだよね、だから換気扇の下で食べてるんだ」
「わっ、分かります!私も身支度を整える部屋と寝室は分けていますので!」
「分かるの?!だよね、嫌だよね、寝る時に嗅ぎたくない匂いがすると集中できないんだよね」
「そうそう!他のドールに話しても分かってもらえなくて、あ、いえ、その…」
段々と尻すぼみになっていくドール、というか他のドールもいるのか、ドールもドールと呼ぶのか、ドールがゲシュタルト崩壊を起こしそうだ。
顔を赤くしたまま話しを続けるドール。
「す、すみません、つい盛り上がってしまって、まさかこんな所で意気投合するとは思っていなかったので…」
「いいよ別に、それより何で俺の名前知ってたの?どうして?」
「おほん、それはですね」
えー何だ今のわざとらしいでも可愛らしい、略してわざかわ。やっと本題に入れたと言わんばかりにドールが気合を入れている。
「先森拓人さん、あなたが私達の勇者に選ばれたからです!どうか、私達の世界であるリングドーラーを救って下さい!」
「どれくらいかかるの?」
「え」
また素っ頓狂な声。
「救うのに必要な日数?とでも言えばいいのかな、俺こっちで仕事もあるからさ、この時間帯なら大丈夫だけど」
「あーえー、とですね、どれくらいかな…」
後半は小さな独り言だ。俺は食べ終わった弁当箱をスーパーの袋に入れて、バレないように固く縛って可燃用のゴミ袋に入れる。本当は分別しないといけないのだが、面倒くさくてやっていない。
「あ!駄目じゃないですか、ちゃんと分別しないと!管理人さんに怒られますよ!」
「えー」
ぴょこんと立ったドールがとことこゴミ袋までやってくる、その小さな手で袋を開けようとしたのでさすがに止めた。
「わかった、わかったから、袋を開けるのやめて」
「もうしっかりして下さい!ゴミの分別ができない勇者って聞いたことがないですよ!」
そりゃそうだ、ゴミの分別すらできない奴が世界救うだなんて、そんな奴に倒される魔王が可哀想だ。いや、そうでなく。
「世界を救うって具体的には?魔王か何か倒せばいいの?」
「いえ、そうではありません、指を舐めさせてもらえたら大丈夫ですので」
「え」
「ですから、指を舐めさせてくだされば」
「え?指?」
「はい、指です」
「え、最近のドールって指を舐めるの?」
「え、私は市販されているドールではないですよ?」
「え、じゃあ君は何なの?」
「リングドーラーと呼んでいる世界から来たマジック・ドールですよ、さっきも説明しましたけど」
「えぇぇぇぇえ?!!!」
やっと現実が頭に追いついた瞬間だった。
2.ドール襲来
「それでは、早速私の世界へ行きましょうか、百聞は一文にしかずと言いますので、見た方が早く理解できると思います」
「一見」
「え?」
「一文じゃなくて一見だよ、百聞は一見にしかず」
「向こうに着いたら詳しく説明しますね」
何だこのドール堂々とシカトしやがった。いや、顔が赤いな、いいな可愛いな。
「なぁ、そのことわざ誰に教えてもらったんだ?俺が説教してやろうか?」
「…無視、したことは謝りますので、これ以上イジるのは…やめて下さい…」
あぁ何かぐっときた。照れながらもじもじとしているドールに萌えてしまった。異世界から帰ってきたらドールを買いに行こうかと思ったが、そもそも市販されているドールはもじもじしないし立ったりしないことを思い出す。
「イジってるわけじゃないんだけど、そのりんぐどーらーって遠いの?」
「いえ、すぐに着きますよ」
立ち直り早いなこのドール。
すると勝手知ったる他人の家と言わんばかりにとことこ歩くドールの後を追う。ドールが立ち止まったのは押し入れの前。扉の前にベッドを置いているので開けにくそうだ。ごめんねベッドそこしか置く所がなかったんだよ。
「ベッド邪魔だよね、今どかすから待ってて」
「あ、私も手伝います」
ドールに手伝ってもらいながらベッドを動かす二十代の社会人。親に見られたら何て言われるんだろうか。
俺が足側を押して、ドールが頭側を引っ張る、手伝いは必要ないと思うのだがせっかくの申し出を無下にもできず、二人で動かす。
するとどうでしょう、ドールの手が腕ごと取れてしまったではないか。え?!
「だ、だ、大丈夫?!痛くない?!」
「あ、いえ、これくらいは、」
「あ、ごめん!俺が変な所にベッドを置いたばっかりに!え、でもこれどうすれば!」
ベッドの宮棚に掴まったままの腕を慎重に取る。するとどうでしょう、ドールが喘いだではないか。
「うぅんっあっあの、優しく、お願いしま、す」
「失礼致しました」
パニックになると敬語に変わるんだ、嘘だけど。何故?なぜ喘ぐの?やりにくいんだけど。
そっと腕を宮棚から外し、そっと腕をドールのジョイント部へ持っていく。見てはいけないような気がするのでなるべく見ないように付ける。でも見る。
「は、恥ずかしいですね、いきなりこんなところを見られるなんて、あははは…」
「こちらこそ、大変ご迷惑をおかけしました」
心から謝罪しますと言いながら腕をドールの胴体へ付ける。
あともう一本あるのだ、両腕が取れてしまっていた。
「痛く、ないの?本当に?」
「はい、痛くはありません、ですが何と言えばいいのか、その、あのですね…」
もじもじしながら上目使いで、俺を見てくるドールに心を奪われている時に、押し入れが勢いよく開いた。今度は何ですか。
「いいー加減にしてダイア!!いつまで待たせるのよ早くしなさい!!」
押し入れから出てきたのは赤い髪をしたドールだった。いやぁ、俺はダイアの方が好みだな。あんな負けん気の強そうな人、人じゃなかったドールだったわ。
「ガーネット!邪魔をしない約束でしたよね?!」
あれ喧嘩するの?
「あーもういい!」
そう吠えた苦手なドールが、押し入れに引っこんだと同時に意識がなくなった。
3.ドーラー会議
「…続いて、オクトリア方面に展開している討伐隊の戦果報告を、ガーネット女王から」
「はい、皆さま方ごきげんよう、いつも我が王国ピーリストが大変お世話になっています。わたくしからリアの月から先日に至るまでの戦果をご報告させて…」
何?なんなのここ。急展開すぎるんだけど。
「ありがとうガーネット女王、貴女に宝石の輝きがあらんことを、では続いて、リンル連邦より来ていただいた知恵の勇者殿から挨拶を」
知恵の勇者?
「えー、皆さん、こんにちは、リンル連邦より来ました知恵の勇者、マコト・カグラザカと申します、今日は大変お日柄もよく…」
絶対日本人じゃんあいつ!!何やってんの?え、ていうか異世界に来てまでこんな格式ばった会議に参加しなくちゃいけないの?すっごい嫌なんだけど。窓から見えるあの城下町は何?凄く行ってみたい。
俺の隣、高い椅子にちょこんと腰をかけているダイアを見やる。さっきから何やら一生懸命に書いているようだ。表情はとても真剣、遊びに行ってもいい?とは言えない雰囲気だ。
「…以上が、調査団を派遣した際に発見した、今回の結果になります。いつもリンル連邦をご贔屓にしていただき本当にありがとう…」
「なぁ、ダイア、俺も書こうか?」
少しドキドキしながら名前を呼ぶ。
「えっ」
名前を呼ばれたことに驚いている。けれど、嫌そうな顔ではないことに安心する。
「いえ、そんな、たった、たくと様のお手を煩わせるわけには…」
「いいよ、そんな、俺だけ何もしないのは落ち着かないし」
「…本当に、いつも心配して下さって、ありがとうございます」
ちなみに小声でやり取りをしている。
この世界、りんぐどーらーに来てすぐに異変を感じたのはまず、文字だ。初めて見る文字を何故か読めるのだ、理由をダイアに聞いたら、秘密です、と可愛く言われたのでノックアウトされてしまった。
次に感じた異変、と言うべきか違和感は俺の体だ。右手を中心に熱く感じる、とくに人差指だ。体温が違うのも分かるし、というか光っているのだ。指が。光っている。本当に指を舐められるのかと思えるぐらいに輝いている。これもダイアに理由を尋ねたら、夜まで秘密です、と艶やかに断られたので、おあずけを食らっている。舐めるの?本当に?
(指舐める前に体、洗ったほうがいいのかな)
「ありがとう、知恵の勇者殿。では続いて、オクトリア王国のダイア女王、新しい勇者殿の紹介を…」
「え?!俺女王様に指舐められるの?!!」
咳きが一つもない、静寂。好奇心と軽蔑と無関心な視線に迎えられた、俺の初めての言葉。場違いにも程があるのは重々承知している、いきなり連れて来られたのだ、少しの失言ぐらい許してほしい。
一つ一つの視線を辿ればそこには、色々なドールや人間達がいた。ダイアと同じ身長のドールもいれば、人間と変わらない身長のドールもいる。それに人間達は皆、見えている限りでは、俺と同じように人差し指に革製の指袋、と言えばいいのか、指だけを隠しているのだ。
質素に見えるが細かい所に金や銀の装飾をあしらった円卓を囲み、背丈の倍近く長い背もたれが付いた椅子に座った、全員で十五名はいるだろう、一人一人が俺を見ていた。
視線は痛く、場を弁えろと目が雄弁に語っているのだ。
「ダイアって女王だったんですか?!」
でも無視する。
「あ、の、ですね、今は会議中、なので…」
「待てるわけないよ、俺でいいのか?指を舐めるんだよ?もっと相手は選ばないと駄目だろ」
「あの、拓人様…」
もう本当に消え入りそうな声で懇願するダイア、聞かない。大事なことだから。
「俺はダイアのこと、何も知らないんだよ、君は俺のことを知っているみたいだけどさ」
「…」
大きく開いた瞳は、白い。初めて見る色だ、白い虹彩の中の薄い紫が彩りを与えている。今にも零れそうな瞳で俺を見つめ返し、小さな薄い唇が何かを言おうと喘いでいるのが見える。
驚き、今にも泣きそうな、何故涙が零れないのか不思議なくらいに瞳を潤わせて、ほんの一瞬だが、もう答えくれないのかと不安になった時、ダイアがようやく答えてくた。
「後でたくさん、聞いてあげますから、今はお静かに、拓人様」
あぁ、俺、駄目なんだよこういうタイプ。もう一生ついて行きます!!
可愛くウィンクまでしてくれたダイア、古いって?いやいやだったら美人のドールにウィンクしてもらえよ萌えるぞ?燃えるぞ?
俺のために片方の目蓋を閉じてくれたんだ、もう頑張ってるのがへの字口で分かるんだよ、その健気さにノックアウトされました。
「随分と、此度の勇者はお喋り好きのようだな、これはいい、場が盛り上がりそうだ」
「ならもう、帰っていいですか?」
「…勇者よ、誰に、何を、言って、いるのか、分かっているのだろうな?」
「もう、帰り、たいです、ダイアも連れて」
「誰が、お前を、ここに、連れてこいとダイア女王に命じたと思う私だよ」
「なら、あなたはダイアの上司にあたる人ですか?」
「じょうし、ふむ聞いたことがあるな、確か立場が下の者に命令を出す役割を持つ者のことだな」
「なぁ、あれダイアの上司か?もう少し選んだほうがいいぞ」
小声でダイアにアドバイスをする。
「聞こえているぞ勇者!!ここまでの無礼は許そう、だが!ここからの無礼は一切許されると思うでない!!!」
「具体的には?」
「んぬぅ?!!具体、的?」
まさか質問がくるとは思っていなかったのだろう。変な声を出す…誰?
「というか誰、ですか?あなたは」
「ダイアの父とし、またリングドーラーを束ねし帝、我が名はオリハルコン」
「今後ともお見知りおきを心からお願い致します、父君」
「遅いわぁぁぁぁあ!!!!」
帝の声は、とても良く響きました。
4.汚い恋心
拓人様が、あの道楽じじいに頭を下げている。何のために?もちろん、私のために。短気な拓人様だ、今まで色々な場面でも苦労をされてきたのだろう、何とか私が力添えをしたいと思うが、今はまだ、オクトリア王国はガーネットが治めるピーリスト王国の庇護下にある。
そこまで、私のためにそこまでしなくていいのにと思う。けれど、もう少し頭を下げてくれる拓人様を見てみたい、と意地汚くも思ってしまう。想い人が、辛い思いをしている、私なんかのために。それほどまでに、想ってくれるのかと、手に取るように分かるから。
本当に汚い、綺麗なのはまた新しくしたこの身だけ、心は汚いままだ。どうしよもうない、愛のため、好意のために、この身を汚す私は、ダイアの名を冠しても良いのかと、今でも悩む。
心を見透かしたように、ガーネットが私を見る。いや、視線で糾弾している。
「はぁー怖かった」
ガーネットの視線に気を取られてしまい、拓人様が隣に座ったことに慌ててしまう。
「あの、拓人様、あまりオリハルコン王に、その、喧嘩を売るのは…」
どうしても流暢に話せない。緊張してしまうので、何度話をしても慣れない。
「いやついカッとなって、悪かったよ」
「いえ、あの、今後ともお見知りおきをとは、どういった意味でしょうか?」
「そのまんまの意味だけど…ダイアと別れたくなかったからさ」
はぁーーーーーーーーーわぁーーーーー
「そ、あ、ありがとう、ございます、拓人様」
「ん?」
照れているのが自分でも分かる。顔が熱を持っている、きっと赤くなってひどいことになっていることだろう。この顔をわざと見せるのも手かもしれないと思った時、長かったドーラー会議が終わった。
ドーラー会議は、各国の女王が集い、ここリングドーラーの情勢を報告し合う場である、さらにリンル連邦から度々使者が送られ交流や交易を行うのも、この会議である。今回は、リンル連邦で召喚された、あー名前何だったかな興味がなかったから忘れた、知恵の勇者が使者として招かれていた。
勇者、彼らの役割は何か、とても簡単だ。私達、マジック・ドーラーに魔力を供給する貴重な役割を持つ人、各国の女王が魔力を受け取る役割担う、どうやって魔力を受け取るのか、それは...
「では、約束ねダイア、早速いただくわ」
「駄目ですガーネットそれは断ったはずです今すぐ国へ帰ってくださいいいですね!!」
一気にまくし立てる。
「馬鹿言わないで、何のためにこれを召喚するために魔力を使ったと思っているの?」
「これぇ?今、俺のことをこれ呼ばわりしたのか?」
「えぇそうよ、これ」
あぁ、喧嘩をしてしまっている。私以外のドールと。
「いいな、お前気に入ったよ、名前は?ヒステリックレッドか?」
......................................聞きたくない.....
「はぁ?私の名前はガーネットっていう素晴らしい名前があるのよ、何?ヒステリックレッドって」
「変な名前だな、ヒステリックレッドって、誰が付けたんだ?」
「あんたよ!!!!」
「で、俺の何を受け取るって?会話聞こえてんだよ」
「あんたのしょぼい魔力に決まってんぐぅふっ?!」
...え嘘信じられない私より先に指を舐めるだなんて
「うんぐぅぅ?!ぐっ!!」
「ほら、食えよ、欲しかったんだろう?俺のしょぼい魔力が、食えよガーネットさんよぉ」
怖い顔をした拓人様が、まるでガーネットを弄ぶように人差指を口の中に無理やり入れている。最初は苦しそうにしていたガーネットの顔が、徐々に力が抜けていき、少しほうけたような顔になり、そして自分から咥え始めた。拓人様の指をその手で支えて、一生懸命舐めている。
「?!!ちょ!こら!!」
慌てた拓人様が勢いよく指を抜く、それにつられて力が抜けていたガーネットが、そのままうつ伏せに倒れてしまった。ざまあみろだ。
魔力酔いを起こしたガーネットは、その身に抱えきれない魔力を辺りに放出していた。その魔力の色は、無色透明だった。勇者によってこの色は異なる、けれど、あんなにも綺麗で輝いて、暖かそうな魔力は私も見たことがない。これなら...
「失礼いたっ、ガーネット様?!!あぁなんてことだ!!」
従者の近衛ドールが慌てている、私は知らないふりを決めようと、拓人様を連れて会議場を後にしようとしたのだが、
「すみません、俺のせいなんです」
そこまで優しくなくてもいいんですよ?拓人様。
5.彼女達
俺の指を一生懸命に舐めていたヒステリックレッドに慄き、指を勢いよく引いたのが運の尽き。
今俺達は、のんびりと馬車に乗ってぴー、なんだっけ
「ダイア、今から向かう国の名前って何だっけ?」
「…………ピーレスト」
「ピーリスト!リ、よ、リ!何あんたも間違えてるのよ!!」
うるさい奴だなぁ、ほんとに苦手なんだよな、騒がしい人って、人じゃなかったヒステリックレッドだ。
「というか拓人!あんたも私がいるんだから私に聞きなさいよ!女王よ?!国の名前を聞かれない女王の気持ちって考えたことある?!」
「…それはないなぁ、悪かったよ、レッド」
お尻に敷いていたクッションが飛んでくる。俺の顔に当たり、下を向いていたダイアにも当たった、場が凍りつく。
うつ伏せに倒れたガーネットを介抱するため、半ば強制的にピーリスト王国へ向かっている。倒れた衝撃で、胴体にはめ込まれている貴重な部分が損傷したため、道中魔物に襲われた時に対処ができないそうだ。言うなれば俺達は護衛役、しかも驚いたことにマジック・ドールは魔法を使えるんだそうだ。当たり前か。
「あー、ダイア?ダイアはどんな魔法が使えるんだ?」
「確か、身体強化よね?ダイアの魔法って、どんなボンクラでも一級の騎士にできる優れものよ」
「へぇー、それ良かったら俺にかけてくれないか?ダイアの代わりに…そう!騎士になるからさ!」
「当たり前でしょ拓人、何言ってんの?」
「お前に聞いてないんだよ!!すっこんでろ!!」
「そ、そんな言い方しなくても…」
あれ以外と怒られるの苦手なのか、覚えておこう。
「あとさりげなく距離感縮めてくるのやめてくれないか?本当に弱いんだよそういうの」
「はぁ?何が?」
「下の名前で呼び捨てされるのが、好きになったらどうすんの?責任取れるのか?」
「なっ、ご、ごめん、気をつける…」
「あぁそうしてくれ、ドールを好きになる男の気持ちを考えてくれ」
カッコいいこと言ったつもりだけど、よくよく考えたらそうでもない。ドールかぁ、帰ったら購入しようか検討してみようかな。
「あーだから市販は喋らないんだよ!!」
「?!」
「魔物だぁー!!街道より左手ぇー!!」
「?!」
「?!!!」
俺が突然叫んでガーネットが驚き、間髪入れずに御者ドールが魔物の襲来を叫んだので俺とガーネットが驚いた。場は凍りついたままだ、もう何だ、ここは情報量が多すぎるんだよ。
御者ドールが叫んで教えくれた方向を見やると、そこには大きな水晶が地平線の彼方に浮かんでいた。な?情報量多いだろ?
薄く、半透明だが青くも見えるし、黄色にも見えるし、何だったら緑色にも見える不思議な水晶が浮かんだ景色に、真っ直ぐ俺たちを目指して走ってくる異物が見える。
ドールの足、か?あれは、走る度に揺れているのはドールの足、それが頭や体に付いた四足歩行の獣がこちらに向かってくるのだ恐ろしい。しかも、この距離でも分かるのだ、大きさは人と同じか、それ以上だ。
「停止!ここで迎え撃つわよ!」
「え?」
「ダイア!あんたもいい加減に拓人の気を引くのはやめなさい!戦うわよ!」
「え?」
「…」
黙りながら馬車を降りるダイア、え?怒ってなかったってこと?
ガーネットとダイアがあの恐ろしい魔物を迎え撃つ。本当にできるのか?
馬車を降りたった二人は、そのまま街道をとてとてと走りながら草むらへ入っていく。
地平線の彼方に浮かんだ水晶から、この街道までは広大な草原となっており、魔物から攻撃を防げそうな物は何もない。草むらを抜けた先に二人がぴしっと立つ、正々堂々と迎え撃つつもりらしい。
「おい!大丈夫なのか?!」
声は聞こえたのだろう、だが、草原を吹き抜ける風が強すきてダイア達の声が聞こえない。一生懸命手を振っている様子が見える。
「なぁ!他に使えそうな武器はないのか?!」
「ほおっておきなせぇ、あれが女王の仕事でさぁ」
訛りなのか?ドール訛り?聞き取りづらい。
そうこうしている内に、先頭を走っていた魔物がダイア達と衝突した。
✳︎
「万象の彼方より、今、ここに、我を認めよ、精霊イフリータ!貴女の炎を、我らを導く、光となりて!!敵を、灰塵に帰せよ!!!イラ・ルベール・ガーネット・レジーナ!!!!」
先頭を走っていたアクベオの頭上に、閃光にも近い光が生まれ一瞬で凝縮される。高密度、高温、高魔力を一点に集中させ、私の意思で爆発させる広範囲魔法。
指先を鳴らしてイフリータにお願いする、導けと。瞬間、爆音が鳴り、視界が揺らぐ。敵を前にして爆発魔法は危険だが、仕方がない。今はこれしか使えないのだ。
「グパサマルハマ!!!」
「なっ」
嘘でしょ?!直撃させたのに!!
損傷しているから威力が落ちている?!そんな、
「我が名はダイア、万物に宿りし、光玉よ、我の腕にと、宿りし、たまえ」
静かな呪文詠唱と共に現れたダイアが、手にしている弓を引き、アクベオへ狙いをつける。
「ガーネット!私より先に拓人様から魔力を貰ったこと、謝って!!」
「今?!今謝るの?!あとでいいでしょう!!早く、矢を、放って!!」
「短い付き合いでしたね、ガーネット」
「こらぁぁぁあ!ふざけるな!いい?!早く放たないとあんたの蛮行を拓人に教えるわよ?!いいのかしら!!」
アクベオが噛みついてくるのを何とか避ける。大きさは向こうのほうが圧倒的だが、魔法の威力はこちらが上、さらにこの身長のおかげもあって被弾率も極端に低い。
一撃必殺、駄目なら逃げる。これの繰り返しで私達は、アクベオから何とか生活圏を守っているのだ。
「…取り引き、成立ですね」
「何がだ!!いいから放てぇ!!!」
「光玉、展開」
その一言と共に放たれた矢は、弦から離れたと同時に光の束となり、アクベオへと殺到する。いつ見ても綺麗だ、放つ本人は汚いが。
光の束は、不思議と音が出ない。静かに放たれ、静かに殺める。
光の束を食らったアクベオが、音もなく霧散していく。それを見た他のアクベオ達が足踏みをしている、そして、諦めてくれたのかそのままリングクリスタルの方向へ走っていった。
「はぁー…なんとかなった、」
「いやぁーーーー凄いなぁ!!二人とも!感動したよ!!」
「?!」
「拓人様?!」
いつの間に立っていたのか、目を輝かせながらボンクラが私達の後ろにいた。
まぁ、何?あんな魔法をいきなり?見せたんだから、さすがにあのボンクラも、私のことを見直したでしょう。
だが、ボンクラは私ではなくダイアの方へと行き、
「かっこ良かったよ!ダイア!いや、女の子にかっこ良いってあんまり嬉しくないかもしれないけどさ!何今の魔法?!素敵だったよ!いやぁダイアの方が素敵だけどさ!!使う魔法も凄く良かったよ!!」
べた褒めだ。あれ私は?
「そ、そんな、ことは、ありませんよ、当たり前のことを、しただけですし」
「その謙虚なところもかっこ良いよ!もう少し威張ってもいいくらいじゃないか?」
「あ、や、ははは、あ、はい、」
「万象の彼方より、今、ここに、「ちょっ!」我を認めよ、精霊イフリータ!「何やってんだ!」貴女の炎を、我らを導く、光となりて!!「素敵!ガーネット素敵!!」敵を、灰塵に帰せよ!!!イラ・ルベール・ガーネット・レジーナ!「やめろお!!!ぉ!!!」!!!」
6.力の勇者
「お前、馬鹿か?」
「ふんっ」
「お前、馬鹿か?」
「何とでも言いなさいな、私を無視した罰よ」
「お前、馬鹿か?」
ガーネットが猫パンチで俺の太ももあたりを殴ってくる、結構痛い。
「こんのすけこまし!あんなことしておきながら!私を褒めないなんてありえない!いい?!人っていうのは褒められて伸びるものなのよ?!」
「お前はドールだろうが」
「むっきー!!!!」
あの魔物達は、アクベオというらしい、名前も恐ろしい。
魔物達を退けて、再び街道を馬車で揺られること二日。二日だぜ?二日。何も覚えていない。
とにかく二日間、いい加減飽きた馬車から見える風景を眺めながら、あぁ俺欠勤したの初めてだなと場違いなことを考えつつ、やっと辿り着いたのが、ぴー、
「ガーネット、ここの街ってなんだっけ」
「ピーリスト王国!ヒアルナ!覚えろ!」
そう、ピーリスト王国のヒアルナという街にやって来た。ガーネットのお膝元だ、さぞかしうるさい奴だらけなんだろうな。
まぁそんなこともなく、街の人、ではなくドールの方達はのんびりと通りを歩いている。
桑を持ったドールや、馬を引いているドール、何やら得体の知れないものを振り回して遊ぶドールもいる。本当にドールしかいない、ドールだけの街だ。
家の作りはよくゲームで見かけるゴシック建築らしく馴染みがあってとてもいい。ただ贅沢を言えばもう少し大きくしてほしかった。小さいのだ。何もかも。
ドールの身長は平均で六十センチほど、俺の太ももあたりに頭がくるくらいかな、あぐらをかいて座って、なんとか目線が合う。
そのドールに合わせて街並みはできているので、小さく感じてしまう。まるで、自分が怪獣にでもなった気分だ。
家の高さも、少し見上げるほどしかなく、目一杯背伸びをしたら屋根に届きそうだ、やらないが。
街並み、風景は素晴らしい。同じ建築で統一された街並みはまるで絵画を見ているようでワクワクするし、少し急な坂を登った先には、たくさんの尖頭アーチが突き出た古城が見える。なんだあれ冒険しろと言わんばかりだ。
「あれがガーネットのお城なのか?」
「…いいえ、あそこは力の勇者様のお城よ」
「ふーん」
遠くを見やると、やっぱり水晶が見える。ダイアに教えてもらったのだが、リングクリスタルというなま、
「痛い痛い何するんだ!やめなさい!」
「こんの!人に話しかけておいて無視するなんて!」
「力のなんたらのお城なんだろ、良かったじゃないか」
「適当!雑!勇者をにごして言う奴なんて初めて見たわ!良くないわよ!取られたまんまなのよ!」
「返してもらえばいいだろう?クーリングオフは過ぎているのか?」
「それはあんたの世界のシステムでしょうが!!それに売ったのはこっち!!」
自業自得じゃないか、諦めろ。
ガーネットとわいわいやりながら、再び馬車に揺られて古城を目指して坂を登る。すぐに着くだろうとたかを括ったのが間違いだった。全然着かない。え。
やっと正門が見えてきたと思って見上げれば全然天辺が見えない。
「でかくないですかこの古城!サイズおかしくないですか?」
何故だか古城だけ人間サイズなのだ。城下町はドールサイズなのに、古城だけはとても立派に建てられている。
「住みにくくないの?こんだけでかかったらさ」
「拓人って、ほんと変わってるよね、そこ気にするの?」
「お前、口の中に指突っ込むぞ?」
「いやなんでさ!一応褒めたんだけど?!」
正門前に屹立していた屹立ドール達にお礼をして中へと入る。騎士ドールだ間違えた。
馬車を降りて、軽く伸びをする。二日も馬車に揺られていたんだ、地面に立ってもまだ揺れた感じがする。
大扉の前には、ズラリとたくさんのメイドールが並んでいて、女王の帰りを待っていた。皆、まだ通りもしていないのに頭を下げてかしこまっている。
階段を登る時に、一段の間にさらに小さい木箱が置かれているのが見えた、なんだこれ?と思った時にガーネットがその木箱を使い、階段を登り始めた。
人間サイズの階段は登りにくいから、木箱を置いて登りやすくしたのだろう。その知恵に感銘を受けてしまい、思わずガーネットの頭を撫でていた。
「?!!何!」
突然の頭なでなでに驚いたガーネット。言わぬが花と思い黙っておく。
入ったお城のエントランスホールは、煌びやか…煌びやかかこれ?壁には飾られていたであろう大きな絵画をかけていた跡がある。それも一つだけではない、他にもいくつか見られる。それに何より大きな布をかけられた絵画や像があり、何だかまるで...
「夜逃げでもするのか?」
「逃げられたらどれだけ楽か」
元気の無い物言いに少し引っかかった。
だが、すぐに元気がなくなった理由が分かった。
螺旋階段を登った先にある豪華な扉が勢いよく開き、男が駆けてくるではないか、ガーネットを目指して。まるで母親の帰りを待っていた子供のようだ。まぁ子供ではなかったんだが。
「ガーネット!やっと帰ってきてくれたのか待ちくたびれぞ!」
「はい、ただ今帰りました、力の勇者様」
まるで会議の前口上のような喋り方、さっきまでキャンキャン吠えていたのが嘘のようだ。
男は膝まずき、擦り寄るようにガーネットへ近づいていく。若干、ガーネットが引いている。
「あぁ!どこも、どこも怪我はしていないか?!お前に怪我をされたら、俺は一体どうすればいいのか!無理はしないでくれよ!」
「はい、心得ております、力の勇者様、ご安心を」
そう諦めたように笑うガーネットの笑顔は、どこか寂しそうにも見えた。
まぁ俺は関係ないから遠慮なく聞くけどさ。
「これがなんたらの勇者か?」
「おまえは、誰だ?なぜ、ここに?」
こっわ!怖すぎだろ!目に光がない!
「力の勇者様、こちらは、」
「そんな寂しい呼び方はやめておくれよガーネット!俺のことは昔みたいに司と呼んでくれ!」
お前も日本人かよ!!!
「司様、こちらは命の勇者様です、ピーリスト王国の魔力庫の補填を行っていただきます」
「聞いていないぞ、女王陛下、詳しく説明してくれ」
俺の呼び方が嫌だったのか、さっきとは比べものにもならない程に寂しい顔をしたガーネットが、淡々と説明を始めた。あれ分かってない?
「現在、ピーリスト王国は飢餓の危機に瀕しています、ドールである私達は魔力を食べ、エネルギーに替えて生きていますが、その魔力が底を尽きかけているのです」
情報量が多すぎる。二日間もあったら勉強できただろうに、何でやらなかったんだ二日間の俺。
「それで、俺に補填させようというのか?そこにいるなんたらのなんたらはどうなんだ?」
「おまえ、おれのことを言っているのか?」
「お前以外に誰がいるんだ?役割を果たせ、力の勇者」
「ぐ、仕方が、仕方がなかったんだぁ!」
「?!」
ほんとにびっくりした。
「誰も、誰も教えてくれなかった!この力を正しく使わないと帰れなくなるなんて!俺は悪くない!だからガーネットに勇者を見つけてこいと言ったんだ、責任を取れって!!」
喚く勇者、だけど聞き捨てならない言葉を言う。帰れなくなる?なんだそれ、それは俺も聞いていない。
「…命の勇者様、どうか、ピーリストにお救いを、どうか、心からお願い致します、もうこの国はあなた様に頼る以外に道がないのです」
後ろにいるダイアを見やる。彼女の顔も、とても真剣だ。ダイアとガーネットは友人同士、きっと彼女も並々ならぬ事情がありつつも、友人を助けると決めたのだろう。
「一つ、答えてくれ、女王」
「…何でしょうか、勇者様」
「お前は幸せになるのか?」
「?それは…どういう…」
「そのままだよ、難しく考えるな」
「…それ、は」
「ここで、俺の魔力を補填してお前が幸せになるなら、やる。ならないなら、やらない」
「…」
「俺はお前しか知らない、街のドールは正直どうでもいいな、ひどいと思うが、お前が幸せになるようなことをしたい、それだけだ」
「!!…たくと」
おもっっっっいきり後ろから殴られた。
7.お手入れしてる時ってドキドキしない?しない、あそう
あぐらをかき、ダイアと目線を合わせる。その顔は怒っているのにとても綺麗で、卑怯だなと思ってしまった。だって怖くないんだ、怒っても綺麗なんだ、そんな美人なドールと二人っきりだぜ?
「拓人様、何か言いたいことがあればお先にどうぞ」
「本当に綺麗だなと思って見惚れていました」
「褒めたら私の機嫌がなおるとでも?」
これはマジなやつですね、いつものどもりがないし、とても流暢に話している。
ここは、古城の客室。人間サイズに作られた広い部屋だ。調度品が置かれていたであろう棚や机の上には何もない。聞いた話によると、他国からも魔力を買い付けているらしく、その代わりとして高価な品物を売りに出しているそうだ。
「分かった、どうすれば機嫌をなおしてくれるんだ?教えてくれないか?」
「頭、」
「こうか?」
「!!」
ダイアの頭を撫でてあげる。少し俺の手に収まらないぐらいの大きさだ。髪は柔らかくてほんのりと温かい。撫でているこっちが気持ちよくなるぐらいだ。
「…う、あの、うぅ」
「なんだ?気に入らないか?」
「いえ!、そう、ではなく、明日も、」
「いいよ、ダイアが機嫌をなおしてくれたらな」
「は、はいえ、こん、なものでは、」
ダイアって意外とわがままなんだよな、これだけふやけているのにまだ要求してくる。
「いいよ、次は?どうすればいい?」
「!!」
何も返事をせず、とてとてと走っていく。隣の部屋で物音がして、もうなんでないのよ!と叫びが聞こえてきたかと思ったら、またとことこと歩いてきた、手には何やら持っている。
「それは?」
「これは、ドールの手入れ箱です!」
少し角が剥げている金縁の箱だ、少し高そう。その箱の中身を開けてみると、櫛、筆、筆?、それに柔らかそうな絹のハンカチなどが入っている。これで手入れとは...はっ
「まさか、ダイア…」
「はい!私のボディを手入れしてください!」
「…」
「あ、あの拓人様?」
「あ、あぁ、髪の手入れをね」
「はい、髪もそうですが、ボディの手入れもしてくださいね」
あかんこれは逃げられへんやつや...
「ふ、服は?脱がなくていいですよね?」
「ふふ、おかしなことを言いますね拓人様は、服を脱がなくてどうやって手入れをするんですか?」
あらぁめっちゃ流暢ー。
「分かったよ、こっちにおいで」
「あ、ここ、ろの電気が、」
何?心の電気?心の準備と、電気は消してが合体しただろ絶対。あと電気はここにはありません!
「ほら、動かない」
「ふわぁ」
あぐらをかいた太ももの上に、ダイアの背中を見せた状態で座らせる。背中のボタンを外し、白色と青色と、少しの紫色が入ったドレスを脱がせていく。肩があらわになり、下着が見えた時に天を仰いだ。
あぁなんて綺麗なんだ...肌は白い、ドレスよりも目の虹彩よりも白い。簡単に跡が付いてしまいそうで怖いくらいだ。
「…」
ダイアが今か今かと待っているのが分かる。
では遠慮なく...
「ふ、ほわぁ、へぇ」
筆で細かい所を掃いていく、あぁこれいいな筆、作業がやりやすい。ハンカチや布なんかでは取れない、埃や汚れを先に落とせるのがとてもいい。
「うぅん、あ、や、へぇ」
次に首筋から背中へかけて絹のハンカチで拭いていく。あまり擦らないように、優しく、撫でるように。
「あぁっ、やだっ、そ、へぇ」
なんなんだ?なんでダイアは最後にへぇって言うんだよ。笑わせてようとしているのか?悪いけどこっちは傷付けないように集中しているんだ。あそうだ、
「ダイア、これちょっと噛んでて」
「ふぇ?ハンカチを?」
「そうだよ、喘ぎ声で集中できないから、早く!」
「うむぅっんー!」
早くと言いながら無理やり詰め込む。
背中が終わったから今度は前だな、優しくダイアの体を抱き上げ正面を向かせる。
「んっーん!、んっーん!」
ちなみに、取れないように後頭部でハンカチを括ってある。
前を隠している腕をどかそうとするが、ダイアが抵抗する。
「こら!腕をどかしなさい!手入れができないでしょ!」
「んー!んっんっんー!」
「ねぇ拓人ー、相談が、あるん、だけ…ど」
ノックもせずにガーネットが入ってきた。
邪魔ばかりするダイアの腕を後ろに回し、残っていたハンカチで固定したところだった。前ははだけ、下着は丸見え、涙目でこちらを見ている顔は、なんだかとろけているようにも見える。あれ?
「森羅万象に伝わりし我が奥義「ちょっと待て!」、名は、煉獄、顎、憤怒、「あいつふざけるなよ聞いたことない魔法使いやがって!!」イラ・イグニス!カリクルス!!ゼノ・アルマ!!!「やめて!誤解だからほんと誤解だから!!」今、ここに!!!解き放たん!!!「やめろぉぉお!!!!」ガーネティア・ユグド!!!!我が真祖よあのクソ馬鹿野郎燃やせぇーーーー!!!!!」
8.番い
頭も体も胸も、甘い、溶けてしまったようだ。
本当に腹が立っていた、ヒアルナの街に来るまで拓人様はガーネットといちゃいちゃいちゃいちゃと、見ていられない。今すぐにでも光玉展開をして矢を放ちたかった、さすがにそれはできなかったけど。
ピーリスト城に到着し、話に聞いていた力の勇者を目の当たりにして、心からガーネットに同情してしまった。彼女は何も悪くない、この国を憂い、身の危険を顧みずに勇者召喚を行ったのだ。その結果が、あんな出来の悪い男だったなんて。
彼は勇者の力に溺れてしまったんだそうだ。その力に魅了され、城内のドールから街のドールに至るまでその指を舐めさせ続けた。それは優越感があった行為なのだろう、だが、その行為が仇となり彼は帰れなくなってしまった。
勇者の魔力を正しく受け取れるのは、番いとなった女王のみ。女王は受け取った魔力を民へと分け与え、そして、勇者を元の世界へ戻す送還術式を組むのだ。その術式は、勇者の魔力でなければ組むことができない。そして、力の勇者に魔力は残っていない。送還式を組んでもらう魔力すら、欲望のために使い続けたのだ。なんと哀れで、なんと羨ましい使い方か。
「大丈夫か?ダイア、俺やりすぎか?」
服の所々が少し焦げている拓人様が声をかけてくれる。私は先程から、ベッドに身を投げっぱなしである。体が動かないのだ、拓人様に筆で犯されハンカチで愛撫をされた体が、多幸感に支配されてしまっている。
「いえ、もう、少しやっていただいてもよかったです、ガーネットに邪魔されなければ」
「おま、泣いてたぞ?よくそんな強がりが言えるな」
本当に拓人様こそ、私を縛って身動きを封じて、気持ち良さから逃げられない、苦痛にさえ感じる幸せを与えておいてよく言う。
けど、まだ上半身なのだ。これで、半分しか手入れをしてもらえていないのだ。全身を手入れしてもらった時のことを考えただけでも、意識が飛びそうになってしまう。
「はふぅ」
「まぁいいか、機嫌はなおしてくれたか?」
「それはも、い、いえ、ふんっ」
「ニヤニヤしながら怒るドールはお前が初めてだよ」
バレている。まぁ私も本気ではしていない。
幸せだ、またこうして拓人様と会話をすることが、一緒にいられるだけで、同じ時間を過ごすだけで。私はこれだけでいい、他には何もいらない、国土も、女王の冠も、何もいらない。ただ、愛する人との時間が欲しい。
「!」
「そのまま眠っておけ」
優しく、今度は耳をその声で愛撫する。どこまで、私をふやけさせたら気がすむのだ。
拓人様の温かい手がすっぽりと私の頭を覆う。ゆっくりと動かし、男の人にはあまり似つかわしくない細く、私の大好きな指で髪を梳かしてくれる。...幸せって質量を持っていたのか、初めて知った。拓人様が何か動くたびに私が幸せになっていく。
心も頭も...そして、眠く....拓人...さまの...て...あぁ、た...くと...また...そ、の...てで、...
9.水晶雪
いつ見ても、気が滅入る。慣れそうにはない、分かってはいるのだ。仕方がないことだと。
王室専用の馬車に揺られながら、ピーリスト古城へと向かう。護衛役に依頼した、元日本人のマコト使者を見やる。その顔に覇気はなく、今にも倒れそうだ、魔力切れを起こしたドールのように。隣にはリンル連邦党首のラピスもいる。その瞳に紅い宝石をたたえ、群青に煌く髪を優雅に靡かせている。勇者と番いの党首は、全く覇気があり、不釣り合いの二人を眺める馬車の旅は、とても陰鬱であった。各国に、勇者との有り様を一任したのが間違いだったのかもしれない。
「オリハルコン王、見えてまいりました、ピーリスト王国でございます」
御者として、また側近として側にいさせているドールから報告が上がる。...私も似たようなものだ。
窓の外を見れば、淡い雪が降っている。リングクリスタルから降るこの雪は、一時の恵みとなろう。赤く、青く、またこの地では降らない本物の雪のように、白い雪が舞い降りてくる。
...返してはくれまいか、その色は我らのものだ、お前が気ままに降らしていいものではない。
✳︎
「やばいですよやばいですよ!何ですかあれは!雪が!色がついて!いらっしゃるではありませふぇぶっ」
ガーネットに殴られた。え?あれを見て騒ぐなと?無理!
客室から見える景色は、輝いていた。文字通りに。雪が淡く光っているからだ。赤い色や青い色、たくさんの色を纏った雪が惜しげもなくその姿を街へと見せつけている。目が奪われてしまう、幻想的な雪景色だった。
「まぁ、あんたは初めてだからね、仕方ないか」
「はぁ、綺麗だなぁ…」
「あのね、そんないいもんじゃないわよ、雪の取り合いで街のドール達は喧嘩を始めるし」
「あぁ、美しいなぁ…」
「駄目だこいつ、雪なんかに心が奪われてるわ」
「まぁ、でも一番綺麗なのは、ガーネットかなぁ…」
「?!そ、そう、分かってるなら、まぁいいわ」
そう言ってやっと静かになる。黙っててくれないか?
窓の縁に積もり始めた雪を見る、淡く発光している雪なんか初めてだ。少しすくってみた、手についても光は消えずに残っている。これはいつまで光っているんだ?どうして光るんだ?当たり前の疑問が出てくる。
「なぁ、ガーネット、これ何で光ってるんだ?」
「さぁ、リングクリスタルから降ってるらしいけど、詳しくは。クリスタルを調査しているのも王室に認められた国や団体だけだから、あまり情報も出回らないし」
「あぁ、あのオリコウハン王か」
「オリハルコンだ、久しいな、馬鹿の勇者よ」
「噂をすればオリゴトウ王、ご機嫌麗しゅう」
「それは糖分の名だろう?どこまで愚弄すれば気が済むのだ?」
「オリハルコン王、この者の発言は無視してくださって結構です」
「う、うむ、では行こうか、ガーネット女王、それに命の勇者、ふざけるではないぞ」
「かしこまりー」
剣を抜くのはやめて下さい。
「ガーネットから聞いておるな?邪魔はするなよ、命の」
...そう言い残し、オリハルコン王とガーネットは客室を出て行った。
✳︎
わざわざ客室まで迎えに来たオリハルコン王を先頭に、俺達は黙ってついていく。
客室がある通りを抜けて、窓から見える雪景色はとても綺麗だった。木、花壇、噴水や銅像、至る所に積もっていく雪はどこか儚げで、まるで異世界のように感じられた。
もちろん、ここは元から異世界だ、だが、そういうことではなく生者が足を踏み入れてはいけない、この世ではない世界に見えていた。
力の勇者がガーネットに泣き付いてきた広間を抜けて、正門とは違う方向へと進んで行く。
赤く重みのある絨毯を踏みしめながら歩いた先は、中庭になっていた。そこには歴代の女王なのだろう、皆、虚な目をして佇んでいる。そこにも淡い雪が積もってはいるが、不思議と美しくは見えなかった。
そのまま中庭も抜け、そろそろ着くかと思った矢先、地面に設置された扉の前でガーネットが立ったいた。その隣には、司と呼ばれる力の勇者も、おかしな表情をしている。今にも泣きそうな、嬉しそうな、申し訳なさそうな、子供のような顔をして立っていた。こいつだけが、この中で歪に見えた。
「準備はよいか、ガーネット」
「はい」
「よい、扉を開けよ」
その言葉と共に、重々しく地面に設置された鉄製の扉が開いていく。とても豪華な造りだ、この古城の中で一番と言っていい。
ガーネットと合流して、地下へと降りて行く。その階段も、至る所に宝石が組み込まれ、花や、月桂樹、それに絵画から小さな銅像まで、たくさんの美術品がそこにはあった。
まるで、最後の贅沢だと言わんばかりに。
「気に入らない」
俺の言葉に皆が止まる。だが、ガーネットだけは止まらない。
「これが、リングドーラーの理だ、命の」
「気に入らないな、何でそんなことをしなくてはならない」
「同じ事を言わせるな、勇者よ、従え、でなければガーネットはいずれ、アクベオに成り果てるだろう」
アクベオ、女王の成れの果て。
勇者に恋をし、勇者を独り占めしてしまった哀れな女王達。
その命と引き換えに勇者召喚を行い、魔力を勇者から貰う。魔力も無尽蔵ではない、いずれ尽きてしまう、尽きてしまえば勇者といえ死に至る。
それを防ぐために、女王は勇者から貰った魔力を元に、元の世界へと戻す送還術式を組むのだ。その身を壊して。粉々にしてまで。
勇者を召喚した時から、女王の運命は決まっている、その運命に抗い、恋した勇者のために送還術式を組まなかったのが、アクベオと呼ばれる女王達だ。
「俺は、どうしてガーネットに魔力を送れるんだ?そこにいる奴でなければ駄目なんだろう?」
「奴は、もはや勇者ではない、ただの人間だ、どうなろうと我の知るところではない」
「ふざ、ふざけるな!!俺をこんな所に勝手に呼んで!誰が頼んだ!俺は、俺はこんな所に来たくなかった!」
喚く力の勇者。知っていたんだろうな、最初から。
ガーネットを見やる、下を向き、唇を噛み、堪えていた。
「ガーネット」
ゆっくりと顔を上げる。その姿は、いつものドレスではなく、まるでパイロットスーツのような、体のラインが見える服を着ていた。死装束なのだそうだ。
「お前、何で嫌だと言わんないんだ?」
「…言って意味があるの?」
「嫌じゃないのか?死にたいのか?お前は、さっきはあんなふざけた会話もしていたのに」
「あんただって、それに最初にはしゃいだのはそっちでしょう?」
「それは…」
何も言えない。いつも通りに馬鹿な話をしてしまった。
「いいの、運がなかった、そう思うしかないわ」
そう笑って再び下を向くガーネット。涙も流さない。愚痴も言わない。やつ当たりすらしない、その姿勢には感銘すら受けた。
「なぁ、一つだけ、いいか?」
「何?」
まるで世間話のように返事をする。
「お前、どうしてそんなに強いんだ?」
「私が?強い?そんなことはないわ、私の中には希望があるのよ」
「…どんな?」
真っ直ぐこちらを向く。女王のように気高くも、告白をする前のように少女のように。
「今度こそ、あなたのような勇者と出会いたい、それが私の希望よ、何度だって諦めない」
「俺、なのか…」
「そう、あなたにもう一度出会えるなら、一度の死なんて怖くないわ、アクベオになる方が嫌」
昨日の夜、相談を受けたのだ。
どうか、私を壊して力の勇者を元の世界へ戻してほしい、と。
その命で組み上げた召喚術式は、消えることはない。何があっても残り続ける。その術式が長い時間をかけて淀みとなり、アクベオのような異形に成り果ててしまう術式と変化していく。だから、送還術式を組み、身を壊し、生まれ変わって清らかな命にならなければいけないそうだ。
その事を、ガーネットの口から全て、教えてもらった。
「悪いわね、こんな無謀な事に巻き込んで、でもあなたに頼るしか、方法は無かったのよ」
「そうか…」
「ね、一つだけ、私からいい?」
「何だ?」
「私とダイア、どっちが魅力的かな」
「…お前だよ」
嘘をつく。
「ふっ、そう、ならいい」
諦めたように、満足したように、ガーネットが笑う。俺は、この笑顔を何度も見てきた。
「私はね、女王の中で一番の幸せ者だと思うの、だって恋をした相手に最後を見届けてもらえるから、自分で相手をえらばふぇぐぅ?!!!」
だから何?俺には関係ないねぇ!
話をしているガーネットの口に、無理やり人差し指を押し込んだ。
「貴様ぁ!!最後に狼藉を働くなどど!!」
「黙ってろぉ!!くそじじいがぁ!!!」
「むぐぅ!んぅ!!」
驚きで瞳を一杯に開くガーネットと見つめる。
「この世界のルールなんて知らないな、だから何?どうせ無謀な事に賭けるぐらいなら、お前の淀みを俺が取ってやるよ」
「?!」
「命の勇者、他の勇者と違って俺の魔力には何の力も無いが、唯一の取り柄がその魔力量、だったよな?」
そう、俺の力は何も無い。あるのは桁違いの魔力量だ。いくらでも注ぎ込んでやる。
「何嫌そうな顔をしているんだよ、これが欲しかったんだろう?なぁガーネットさんよぉ、もっと嬉しそうに味わったらどうだ?」
無理やり魔力を注ぎ込まれているガーネットの顔が苦悶に歪んでいる。
「お前が欲しかったのはこんなものかぁ?違うだろう、お前が欲しかったのは、誰かの支えなんじゃなかったのか?」
左手にガーネットの胴体を抱き、俺も身を屈めている。ガーネットが抵抗するからだ、それを覆い被さるように抑えつけている。
「むふぅ、んぐ!!」
「なぁ、何で言わなかったんだよ?苦しいってさ、助けてってさ、言っても意味がない?そんなことないだろ」
「む、…」
「お前、もっと自分の事を話せよ、抱えているもんをさ、な?次会った時は容赦しないからな」
俺の言葉に目を見張る。
「ガーネット、お前の心にこびり付いた淀みは俺が取ってやる、だから、魔力を食え、食ってくれ、頼むよ」
涙が出ていることに気づいた。俺の涙がガーネットの頬にあたり、伝って地面に落ちていく。
観念したのか、俺の指を一生懸命に舐め始めた。
その顔は、苦悶から諦観、そして恍惚。目の焦点が合わなくなっていくガーネットを見つめる。瞳の色は、黒曜石をはめ込んでいるかのよう、だが変化が起きた。
黒色から灰色に、そしてダイアと同じ白色へ。果ては、銀色へと変わっていく。俺の魔力に当てられて変化しているのか、送還術式を組んだ変化なのかは見分けがつかない。
瞳が変わるにつれて、力の勇者の足元に変化が起きた。奴を中心とし、光り輝く線が走り回っている、まるで生き物だ。縦横無尽に駆けていく線がやがて、中心へと戻ってきた。
「あぁ!これで、これでやっと帰れるのか!やった、あーよかった、本当にあーもうこんな世界に二度くる」
何事かを口走りながら、誰にも惜しまれることなく、力の勇者はこの場から消え去った。地面に描かれていた術式を表す曲線も、文字も、同じように消えていく。
「…なぁ、ガーネット、俺あんなのと比べられているのか?あんまり嬉しくないんだが」
すると、目の焦点が戻り、むせ返りながら笑った。
「ぐふっ、けほ、ふふ、あははは!」
屈託のない笑いだ。本当に可笑しいのだろう。
「いやぁ、ごめん、そうねあんたには悪いことしたわ」
「あぁ…」
間抜けな声が出てしまった。
体が、透けているのだ、パイロットスーツのような服も、意外と大きい胸も、細くてしっかりとした腕も、艶やかで触りたくなる太腿も、俺の指をしっかりと握っている小さな手も。
何もかもが透けて、小さな光に変わっていく。初めて見た光景だった、今まで何度も見てきたはずなのに、こんな事は一度もなかったはずだ。確信した。
「変な声だすな」
「うるさい」
その言葉を最後にガーネットは光となった。まるで、今も降っているだろう水晶雪のように。
10.諦めの悪い町娘
まただ。また、同じ事が起きてしまった。どうして?どうしてなの?どうして拓人様は、いつも違うドールを救ってしまうの?私は?私はやっぱりいらないの?どうして...
「その者を捉えよ!魔法も許可する!何があっても逃すな!」
道楽じじい、もとい私の父が側近達に命令を下す。拓人様は周りを囲まれているにも関わらず落ち着いている。いつものように、けど少しだけ変わった不適な笑みを浮かべている。
「なんだぁ?オリゴトウ、予定通りにいかなくて焦っているのか?それは残念だったな」
「貴様、自分が何をしているのか分かっているのか?理が崩れるのだ、このままでは世界は崩壊する」
「だったら何?俺には関係ないね、ダイア!」
「っ?!」
わた、しの名前を、これ、も違う、
「ダイア?!何やってんの?!早く!!」
「ダイア女王、よろしいな、あの者は理を壊す者だ、身の振り方を考えられよ」
私の父が、自分の事を棚に上げて諫めてくる。では、あなたの隣にいるドールは何?いつも同じドールを従えているけど。そのドールも私と同じでしょう?
「聞けません、オリハルコン王、私は拓人様と行きます」
「…よろしいのか、私を見て何とも思わんのかね」
口を開いて罵ろうとした時、拓人様が私を抱えた。突然、宙に浮いたかと思えば、大好きな顔が目の前にあるのだ、気が動転してしまって何も言えない。いつものことだ。
拓人様は私を抱え、降りてきた階段を駆けて行く。女王が最期に降りる階段だ、私の国にもある、一度も降りたことがないので、中はどうなっているか分からないけど。
重い扉を、拓人様が肩で体当たりするように開ける。水晶雪がやんでいた、雲の切れ目からこの星を照らす太陽と、そして、リングクリスタルがいつもと変わらない、醜態を晒していた。
「止まれ」
歴代の女王、送還術式を組み、散っていった哀れな女達の銅像の影から、知恵の勇者が現れた。その手に弓を構えて。
「いよう!元気にしていたか?」
「?」
怪訝な顔をする知恵の勇者、私もだ、確か拓人様は彼と接点が無かったはずだ。
「ラピスラズリとは相変わらず仲が良くないのか?お前らあまりお似合いじゃなかったからな」
「!…その名をどこで知った」
「本人に決まっているだろ」
「ふざけるな命の勇者!!」
「ふざけていないさ、誰があいつを救ったと思っているんだ?俺だよ、神楽正人、お前の本名だろ?」
その名を聞いた途端、知恵の勇者は信じられないものを見るように大きく目を開いている。まるで化け物扱いだ。
「あ、あの、拓人様、さきほどから、一体何の話を、」
「あぁ、そうだな悪かったよ、今は急いでいるんだった」
会話をするなと言ったんじゃない、どうして私の知らない事を次から次へと口にするのか、それを聞きたかったのだ。
知恵の勇者に背中を向けて走り出す拓人様。...本当に拓人様?どうしてさっきから、ありえないことばかり起こるのか。
「我が名、ラピスなり、真祖にしてラピーズ・ユグドよ、かの者に、怒りを、光を、鉄槌を、如何なる贄を、捧げし、カエルム・アルキュミア・アーク」
静かに詠唱された魔法は必中の雷、逃げることなとできない。
拓人様が私を庇うように抱きしめてくれた。けれど、意識が無くなる直前まで、私の心は猜疑心で溢れていた。
◇
初めて会った時、私は一言も話すことができなかったことをよく覚えている。
目を合わせただけで、緊張してしまい、下を向き、自分が恥をかかないようにいつもやり過ごしていた。話したいけど、話しかけてこないでと。
ある日、私は話しかけられた。突然のことだった、いつものようにやり過ごすこともできない。私は諦めて、皆んなに馬鹿にされるからあまり聞かせたくない声で、彼に答えた。
「あ、あの、何か、ご用でしょうか、」
「やっと話せたね、君、いつも下を向いていたから、どうしたんだろうと思ってさ」
私のことを気にかけてくれていたのだ。...好きになった。単純だと思う?私はそう思わない。下ばかり向いていた町娘に声をかけてくれたのだ、好きになる理由なんて、それで十分だ。
それから私は何度も彼を追いかけた。町の領主様の手伝いをされているので、滅多に捕まらないが、それでも毎日追いかけた。少しでも声を聞きたくて、私の名前を呼んでほしくて。
ある日、領主様の館に町の皆んなが集められた。何事かと、私の両親も、おばさんも、嫌いな子も、皆んなが集められた。皆んなが集まった広間で領主様が、
「クリスタルの輝きがあらんことを」
そう一言告げたあと、手にしていた銃で皆んなを撃った、一人も残らず。
皆んなが怒った、泣いてる人もいた、撃たれて動かなくなった人も、けど、騒ぐ人が少なくなっていく。気づいたら私だけ。
「クリスタルの輝きがあらんことを」
それ、さっきも聞いたよ、と言おうとした時、彼が助けてくれた。
間に合ったって、良かったって、助けてくれて嬉しかった。私は誰もいなくなった広間で彼に抱きついた、ありがとうって、本当は他に言いたいこともあったけど、言えなかった。
そして、私達は皆んな、ドールになったのだ。
◇
背中が痛い、あと足も、いや痛くないところがないほど、全身が悲鳴を上げていた。
ゆっくりと体を起こす、辺りを見やる、ここは何処だろうか、見覚えがない。私が身を起こしたのはどうやら寝台のようだ。薄い絹のシーツの上で意識を失っていたのだ。
そうだ、拓人様は?どこ?そんな、せっかく今度は長く一緒に、
「お目覚めかしら、この裏切り者」
混乱している頭によく通る声がすんなりと入ってきた。声のした方向を見ると、そこには青い髪を一つに束ねた、リンル連邦党首のラピスが立っていた。切れ長の目で私を睨んでいる、身に覚えのない言葉だ。何故、裏切り者なのか。
「貴方、まさか惚けるつもり?自分だけリングから外れたくせに?そうはさせないわ」
手にしていた、知恵の勇者と同じ形をした弓を引き、私に狙いをつける。
「ま、待って下さい、何の話でしょうか、私には、何のことか、分かりません」
「あなた、送還術式の魔力をあの勇者ではなく、リングクリスタルから間借りしているわよね?知っているのよ、私」
背筋が凍る。何故それを知っているのか、私とお父さんにしか知られていないことなのに。
「惚けても無駄、調べはついているわ」
確か、リングクリスタルの調査権を持っていたのは...
「おかしな話よね?この世界の魔力消費量は私達がドールになってから減らないはずなのに、それでも徐々に減っているのが」
「…それが、何か、私に関係して、いるとでも、っ!!!」
右足に激痛が走る。音も無く矢を射られたのだ。思わず下を向き、痛みを堪える。
「毎度、あなたが転生する度に魔力が減っていくのよ、馬鹿でも気づくわ」
顔を上げ、睨む。知っていたのだ、この党首は。私が今までしてきたことを、私が転生し続けていたことを。
「私には理解できないけどね、何がいいのかあんな男。一度助けられたことはあったけど、何とも思わなかったわ、ま、感謝はしているけどね」
そう馬鹿にしながら、ラピスが弓を引く。今度は、私の眉間。
「悪いとは思わない。当然の報い」
諦めが悪いのが私だ、だから何度も転生をして彼を召喚し続けた。リングの理から外れても、何回彼に忘れられても諦めることなく喚び続けた。
「ね、どうせなら教えて、何でそこまでやったのか、興味があるわ」
「…伝えたい、言葉が、あるからです」
「は?たったそれだけのために?…ふ、あははははっ!あなた、狂っているわ!なにそれ、私より狂っている奴が、いるなんて、あはははは!」
ラピスも狂ったように笑い出した。体を折りお腹を抱えて、今まで我慢していたかのように。もう私のことは見えていないみたいだ。
「はぁー久しぶりに笑ったわ、こんなに狂ったドールが、いや、人がいたなんて、何だか私、自分に自信が持てそう」
「展開!圧縮!」
「?!」
ラピスが狂っている間に詠唱していた魔法を放つ。身体強化が基本の魔法だが、対象を選択せずただ魔法の塊として生成して、相手にぶつけることができる、単なる時間稼ぎだ。けれど、この時間がとても貴重であることは、長い転生で培った私の経験則だ。
「くそ、待ちなさい!」
魔力の塊をもろに食らい、吹っ飛んだラピス。足を引きずりながらも、何とか部屋からまろび出る。
そこは、階段だった。ピーリスト古城と同じ造りをした、女王が最期に降りる階段。けど、一度も見たことがない。初めて見る階段だ、もしかして、ここは...
「オクトリア…」
11.王の側近
「取り逃してしまったのですか、王よ」
いつもとは違う口調で語りかける。たったそれだけのことで、この男は随分と取り乱してしまっている。
「いや、すぐに見つけるとも、何も案ずることはない、アメジストよ」
ピーリスト古城の玉座、今は亡きガーネットが腰かけていた場所に、心なしか落ち着きのない王が居座っている。
命の勇者たる先森拓人、その番いであるオクトリア王国女王のダイアが式の間から逃走して約半日。刻一刻と、状況は悪化していた。
本来、送還術式を完成させたドールは、己が胸にあるカルディナと呼ばれる心臓部をクリスタルへと返還し、また新しい生を受ける、もちろんドールとしてだ。
「それでは王よ、私を愛してくださいませんか」
「うむ、よかろう、アメリア」
この男は、私を手入れする時は決まって、人間だった頃の名前を呼ぶのだ。誰のおかげでこんな事になったのか、まるで忘れたかのように呼ぶ。
「そなたはいつ見ても、美しいぞ」
そう言って、私の服を脱がせていく。
あらわになる私の体はボロボロだ。どこを見てもひび割れ、変色し、手足を動かす度に軋む。見ていられない、私が愛せよとお願いする時は謝罪しろと言ってるのと同じだ。だが、この男は決して謝らない。自らの過ちを認めないがために。
「王よ…いいえ、ルワンダ、私はもう疲れました、何を見ても聞いても触れても耳にしても、怒ることも喜ぶことも感じることも嘆くこともありません、どうか、私に送還を…」
「ならん!それだけは、ならぬ、お願いだアメリア、私を置いていかないでくれ!」
見飽きた、この光景。懇願する男の顔、私は、私は、この男にただ一言謝らせたいだけなのだ。すまなかった、と。
たった一言、それを聞くために私はリングから外れたのだ。もう後戻りはできない、この世界がいずれ、ドールに身を変えてでも、減少量を抑えることができなかった魔力が枯渇し、消えゆくその時まで。
リングドーラーの発案者にして、実行者たるルワンダ。その番いとして実験召喚されたアメリアという哀れな女。
あぁ、どうか、どうか、私に救済を。
「どーもー!いやぁ、やっぱここにいたかオリコウハン王、おや、あなたは御者ドールの方ではありませんか」
突然の来訪者、驚いてしまった。驚きが残っていたことに驚く。
「!!貴様、よくも抜け抜けと我の前に、」
「まぁまぁ、リングの制御はどっちがやっているんだ?」
「!!!」
「…」
この者は、知って、いや気付いたのか。
「何を、あれは皆で恵みを得るものだ、一人の人間が扱うものではない」
「やっぱりあんたらは人間なのか、どっちが勇者だ?」
「?!」
いや、この者は頭の回転が早いだけか。そして、ルワンダがボロを出しているだけのこと。
「わたくしです、命の勇者」
「き、貴様に発言を与えた覚えはない!」
「まぁそうだろうとは思っていたけど、いつ見ても王の隣にいるからな」
胸が、激しく脈打つ。もう動くことはないと見捨てた心臓が、終わりに迎えると知って躍動した。
「…お前は、何者だ?何故記憶があるのだ、」
「知りたいか?知ってどうする、止めるのか?」
「…」
...?何故、黙るのかこの男は。止めないのか?私達が朽ちてしまうと知りながら、止めないのか?...その程度の決意と知って、愛想が尽きてしまった。
「命の勇者、私が案内しましょう」
「…いいのか?あんたは死ぬことになるけど」
「ええ、死こそが私の望み、もう疲れました」
自然と微笑みが溢れた。
「そうか、それは大変だったな」
勇者に同情されてしまった、何と心地の良い言葉か。それだけで、私を覆っていた生きていく苦しみが溶けていくようだ。
「ならぬ!ならぬ、ならぬ!誰人も我とアメリアを止める者など、あってはならぬ!!」
「我が、権能、己が御魂、宿いし、力、今全てを、アベーオ・イラ・クーラ・エーブリエタール、真祖アメドラル・ユグド、この愚王に醒めることのない酔いを、眠りを」
...忘れたと思っていた、真祖より賜りし魔法の詠唱。言葉にする度に体が軋んでいく、感覚などとうの昔に消え失せた、だが、腕を掴まれた。痛く、痺れ、発動が終わったと同時に晴れた視界には、ルワンダが私を睨んでいた。
「き、さま、この俺に、魔法を、道連れ、だ、お前が、解けねば醒めぬ、眠りへつれ…て…」
...地獄が待っている、永遠に動けなくなってしまうなんて、いや、この男の屍に組み敷かれるぐらいなら、地獄の方がまだましだ。
ルワンダが私を抱き抱える、怖気と寒気が同時に襲ってきた、ルワンダはそのまま私の口を押さえ、指を入れてきた。破壊するつもりなのだろう、二度と言葉を話せないように。あぁ!嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ!謝罪も要らない大好きな両親を殺めたことはもう気にしないだから!
「なぁ、俺のこと忘れてない?」
12.知恵の勇者
痛む右足を引きずりながら、懐かしくもない私の城をひたすら歩く。...ここに来た時のことなんて、もう忘れてしまった。何も感動しなかったし、嬉しいとも思わなかった。もしかしたら、今が二度目かもしれないとさえ思った。
もう、ぐちゃぐちゃだ、頭も心も何もかも。好きだと信じてきたタクトにすら、疑ってしまう自分がいるのだ。
その事が、何よりも辛かった。私を支えて、自我を与え、希望を与え、絶望から守ってくれていた想い人、伝えたい言葉のために私はここまで転生を繰り返してきたのだ。
「ラハマナタサ!!」
「ラハヤマナタ!!」
「ラハマナラハ!!」
「嘘でしょ、こんな時にっ」
アクベオが城内に侵入している。いや、取り返しにきたのか、私が今まで使っていた魔力を。ガーネットのカルディナがクリスタルへ返還されなかったのだろう。あんな光景は初めてだ、カルディナを失ったドールは事切れてその場に崩れ落ちるのだ。動くことも、話すこともない、ただの着せ替え人形として。
「さぁ!醜い女王達!あの裏切り者を喰らうがいい!」
後ろからラピスの声がした。
ガーネットの代わりに私を食べに来たのだろう、アクベオは一斉に私の方へ駆けてくる。
「イラ!アクベオ・アルタイル!」
誰かの叫びと共に、目の前のアクベオが弾け飛んだ。おかげで私の体は血を浴びてしまい汚れてしまった。
助けられた?でも、何故?
「ま、さ…と?何、」
私は知恵の勇者に助けられたようだ。その事が信じられないのか、ラピスの瞳が今にも落ちそうだ、あんなに開いて大丈夫だろうか。
「もうやめましょう、ラピス」
「正人?どうして?何をやめるの?」
もう、ラピスの視界に私は映っていないことだろう、顔を見れば分かる。
頭から爆破したアクベオの死体を通り過ぎ、ラピスが知恵の勇者へと歩みよる。
「もう疲れました、貴女の愛を受け取ることに」
「何を、言って、いつもありがとうって私にお礼を、してくれていたでしょ?」
下を向く。見ていられない。私まで胸が苦しくなってくる。
「ええ、そうですね、だけどもう終わりにしましょう」
「何を?何を終わらせるの?んぐっ?!」
彼女のおかしな声で再び顔を上げる。そこにはまるで、結婚式で指輪を新婦に付けてあげるように、指を咥えさせている勇者がいた。
「んー!!!んぐ!ぐ!ん!ん!」
必死に抵抗している。何が何でも口から指を吐き出そうとしている。けど、相手は勇者だ、勝てるはずがない。
「ラピスラズリ、貴女は一度、命の勇者に助けられたことがあるらしいですね?」
「!」
あれだけ暴れていたラピスが、勇者の言葉を聞いて固まった。
「本人から教えてもらいました、理由も経緯も教えようと言ってもらえましたけど、断りました、何故だか分かりますか?」
「…」
目を一杯に開き、かぶりを振る、まるで子供のようだ。
あぁ、分からないからかぶりを振っているのではない、捨てないでと懇願しているのか。
「その顔には騙されませんよ、ラピス」
「んーーーっ!!!!!…ん、ん、くふ、はぁ」
あれだけ嫌がっていた指を、今は一心不乱に舐めている。恍惚した表情、とまらない舌、心から気持ち良さそう。きっと送還術式を途中で辞めさせないよう、何かの力が働いているのだ。私も、タクトの指を舐める時は、あんな風になってしまうのだろう。
「あぁ、これが送還式、何て綺麗なんだ、ラピス」
「げほ、けほっ、この!この裏切り者!私の愛を受けておきながらこんな仕打ち!ありえない、ありえない!アクベオになるぐらいならいっそあなた、ぼごぉ!」
恨み事を喚き、弓を手にした瞬間彼女に異変が起きた。くぐもった、何かが詰まったような不快な声を出したかと思うと、天を仰いだ。次に、体が大きく震えて膨れ上がっていく、あぁあれが成れの果て。
「あぁ、がぁ!正人!まざど助けて!」
「大丈夫ですよ、僕はここにいますから」
送還術式を組まれたのに、彼の体は今もここにある。あの時の、力の勇者のように消え去ることがない。
「あぁ!まざどまざど、ど、ご、」
「ここです、ちゃんといますから、安心して下さい、ラピス」
...羨ましいと思ってしまった、彼らの最後に。きっと勇者は、ラピスに何の思い入れも無いのだろう。それでも彼は、最後まで彼女に寄り添うと決めて、文字通り朽ち果てようとしている。彼の体にも異変が起きていた、人間のはずなのにひび割れ、体が壊れていくではないか。そこで、彼が私を見る。
「…次は、貴女の番ですよ、彼に会えたらお礼を、僕達からだと伝えて下さい」
オクトリアの玉座へ、彼はそう言い残し、アクベオに成り果てたラピスに殺された。だが、自身に魔法をかけていたのだろう、貫いたアクベオの爪から腐っていく。あれだけ喚いていたラピスが、アクベオが一言も鳴かない、そのまま全身を毒に溶かされて事切れた。
13.転生者の末路
引きずる足が取れかけている、根元がぐらつき痛みも無い。本当におかしな体だ。あの時、タクトの部屋で腕が取れた時は、痛くも無かったというのに、寧ろタクトに触れられた腕に電流が走ったように、激痛にも似た快感が走った。きっと、この世界ではなく、勇者の世界でなら起こる事だろうと、虚な頭で考える。
会いたくなかった。何を言われるのか怖くて堪らない。きっとタクトは記憶が戻ったのだろう。私が何度も召喚して、何度も忘れていった記憶が。何故戻ったのか、さっきからその事ばかり考えてしまう。...もう、終わりかな、私の悪あがきもここまで、かな。そう思った時、力が抜けた。
オクトリア城、ピーリストの姉妹都市として築かれたこの城と、城下町。もう誰もいなくなってしまったけど、ここを栄えさせてタクトを迎える事も考えていた。
この町にも昔はドールがいたのだ、けど私が顧みる事なく転生に明け暮れていたので皆んな、いなくなってしまった。それを見かねたガーネットが、この町の面倒を見てくれていたのだ。
本当に良い友達だった、私のことを一番馬鹿にしていたくせに。勇者召喚に必要な魔力も彼女が貸してくれたのだ。
私はいつの間にか、埃だらけの絨毯の上に横になっていた。見える視界には、誰が丁寧に作った物か、細かい刺繍がされた動物と、その上に積もっている埃と、私のひび割れた手が見える。動かしてみる、ギシ、と嫌な音がしながら何とか動く。この手で、もう一度、彼に、タクトに触れられたら...
14.命の勇者
暗いよ暗すぎるよここの人、人じゃなかったドール達。
いや、人でいいのか。さっき王も認めたし、まぁどうでもいいけどさ。
何で皆んな話しかけただけで下向くんだよ!正人もそうだし、さっきのアメジストもそうだし!皆んな昔はあんな感じでは無かったはずだ!
そんなにか、そんなにクリスタルが怖いのか?もう壊せばいいじゃないか。
「どうしたの?そんな難しい顔をして」
「あ、いや、何でもないです」
アメジストが小首を傾げながら声をかけてきた。
...さっきのドールだぜ?これ。何?急にロリっ子になるのやめてもらえませんか、これ以上好きな属性増えたら大変なんですけど。
「なぁ、一つ聞いていいか?」
「うん!何でも聞いて、私の命の恩人さん」
わぁ増えてもいいかなこれ、我慢する意味ある?可愛いー
「どうして、始まりの勇者と一緒にいたんだ?お前、あいつのことが嫌いなんだろ?」
可愛らしい仕草のまま、辛辣な言葉を口にする。
「私の両親はあいつに殺されたから、私が元の世界に戻らなくていいようにって」
...え?
「私はね、元々人間だったんだよ?けど、帰りたくても私の両親はいない。だからね、復讐しようと思ったの、ドールになってまでね」
怖っ!
「でもね、召喚術式はカルディナに刻まれているから、私を送り返さないといけないって言われて、それが許せなかったからクリスタルから魔力を借りたらって唆したの、あなたと一緒にいたいって」
こわこわこわこっわ!前言撤回。
要は、アメジストは最初の召喚者でありながら、王に復讐するためドールとなり、生き永らえさせたという事、か。怖いなこの子。
怖いババアロリであるアメジストと話をしていると、傾いた太陽が部屋に赤い光を投げ入れてきた。俺がダイアに手入れをしてあげた客室だ。もう、水晶雪は降っていない。
「あなたは私のこと、知っていたの?」
「ん?あぁ、ずっと隣にいたからな、昔何度か声をかけたことがあったんだよ」
「?」
「?」
「私のこと…好き、だったの?」
「え」
何でそうなるの?
「あ、どうしよう、私告白されたのは、初めてだからどうしたらいいか」
いつしたの?
駄目だ、この子のペースに乗せられてしまう。心を鬼にして無視しよう。
俺はダイアを助けたいんだ、いつもいつも別の女王を助けたところで記憶が途切れている。彼女に聞きたい、どうしてそこまで俺に拘るのか、俺も聞きたいし、言いたい事があるんだ。
夕陽に照らされていた机を見ながら、考え事をしていたら突然、何かが倒れる音がした。慌てて顔を上げると、アメジストが赤い絨毯の上に倒れていた。両頬に手をあて、まるで恥ずかしがっていたまま、倒れてしまったみたいに。
「え?!ちょ、どうしたの急に?魔力が切れた?でもそんなはずは…」
「ち、が、い、ま、す、お、う、が、し、す、て、む、を、と、め、よ、う」
ちがいますおうがしすてむをとめよう
違います王がシステムを止めよう
片言で、最後に教えてくれたアメジスト。オリハルコン王から助け、俺の魔力をもらって一時的に動いていたので、その魔力が切れたと思った。だが、違った。王は、自ら魔法を破り、リングドーラーのシステムを止めようとしているのだ。
「ありがとう、アメジスト、ゆっくりと休んでくれ」
もう動かなくなってしまった、アメジストの頭を撫でる。冷たかった、けど、どこか安らいでいるようにも見える。
俺は立ち上がり、ダイアがいるオクトリア城へ向けて歩き出す。
正人が最後にくれた転移魔法を使って、彼女を助けに行く。
皆んなに助けられてばかりだ。
15.伝えたい言葉
さっきまで喚いていた私の父が、事切れたように動かなくなってしまった。いつの間にいたのか、体を引きずりながら現れた父は私に声をかけていたと思う。興味も気力もなく、答えなかったが。
そして、父はリングドーラーのシステムを止めてしまった。世界延命措置法と呼ばれたこのシステムは父が開発したらしい。あの時、一緒に領主様に撃たれたはずなのに。
昔は皆んな人間だった、クリスタルからの魔力で平和に暮らしていた。けれど、このままでは魔力が底をついてしまうと危惧し、魔力の減少を抑えるためにドールに変えられたのだ。
私は、たんなる町娘。領主様の息子であるタクトティア・ユグドに恋をしていた。あの時、館で皆んな殺されて最後の一人になった時、彼が私を助けてくれた。耳元で、またあとでねと甘く囁かれ、ドールになった。
私が初めて女王として召喚した時、幸運にも、いえ奇跡的にも彼が現れたのだ。気が動転して、その日は一言も口を聞けなかった。けれど、彼は私の事を覚えてはいなかった。それでも、いいと思った。また、会えたのだから、また、ま、た、あ、あ、こ、え、が、で、き、る、こ、と、な、ら、か、れ、に、も、う、い、ち、ど、あ、い、た、い、
「ダイア!」
う、そ、
「あぁ、良かった、間に合ったよ、今度も君を助けることができて、良かったよ」
え、そ、の、こ、と、ば、
「思い出したよ、全部。君のことも何かも、だから心配するな、俺がまた助けてあげるよ」
お、も、い、だ、し、た、?
「我が名に、「ま、て、」かけ、万象より、この者に、「まって!」救い、「待って!!」与えし、「その魔法は!あなたが!」タクトティア・ユグドなり、「あなたが消えてしまう!!何度も見てきた!」命、御魂、身、「やめて!お願いだからやめて!タクト!!」その全て、「私は!あなたに!」我のものなり、今、「言いたいことがあるの!!」再び、真祖、「タクト!お願いだから聞いて!!」使えし、贄、我なりし、「…わたしは」ゲールティア・「わたしはっ」アイン・リフ・ヘラート「あなたのことが!!!」」
「わたしはあなたのことがずっとずっと好きだった!!!!それを言いたくてあなたを何度も喚んだ!!!この気持ちをあなたに伝えたかった!!!だから、お願いだから、」
「またあとでね、続きをしようか」
最終話.
自宅の駅から電車一本で行ける場所に、ドール専門店がある。ベッドの横で体を痛めながら起きた俺は、そのままこのお店までやったきたのだ。もちろん着替えて。
店舗は三階にあるらしく、細い階段を降りてくる人に頭を下げながら登る。狭すぎだろここ。
そして、入ったドールのブースは、何というか、ん?んんん?
...何やってんだ、こんな所で。
一番目立つ位置に置かれたケースの中に、他のドールに紛れて、ダイアがいた。
ダイアか?身動き一つしないので似ているだけかもしれない。
花嫁衣装なんだろうな、ブーケを持って下を向いている。ケースの前で仁王立ちになり眺めていると、頬が赤くなっているのに気づいた。
ダイアだろ絶対!何やってんのこんな所で!え、何?もう転生してきたの?早くないですか。
ダイア以外にありえないと思い、店員に声をかけた。
「このドール、ください」
つづく