95話:裏酒場にて
他視点
「イザーク、周囲は?」
「問題ありません」
深夜、俺は灯りも持たず一件の酒場へと向かっていた。
やりすぎなほどアダルブレヒトさんは警戒するけれど、これがここ数年の普通だ。
呪いで何ごとにも恐怖に晒され判断力が鈍る中、行動することをやめないその精神は尊敬に値する。
迷いながら、備えながら、時に激しく後悔しながらこの人は呪いに負けずに歩いていた。
「ようやく来たかい。いつもどおり遅いね。これで悪い相談して来たってならまだ見どころあるだろうに」
裏酒場の女将ヘクセアが、恐怖をひた隠してやって来たアダルブレヒトさんにそんな言葉を投げる。
呪いを知る者なら誰でもアダルブレヒトさんの高圧的な態度が虚勢だと知っているからこその悪口だ。
闇ギルド、犯罪者、それがどうした。
俺は助けられたこの命でこの人を助ける。
恐怖でうるさいほど周囲を警戒しようが一緒に夜の街を歩くんだ。
「さっさと奥行きな。あんたが嫌がるから、いつもの酔っ払いたちは締め出したんだ」
口は悪いが女将が気遣いを見せて俺たちを招き入れる。
俺は安全を確認してアダルブレヒトさんを座らせた。
「呪いが解けたわけではないらしいな、アダルブレヒト」
先に席についていた商業ギルド会頭のハイモさんが渋い顔で声をかける。
そして飲みかけの酒の瓶をこちらの席に置いた。
女将がグラスを用意するとアダルブレヒトさんは不服顔ながらハイモさんの酒を飲む。
「あの時は確かに呪いの影響を抜けていた。だが、魔法が消えればこのとおりだ。それまでの間になんとかまともな思考で自らに指示書を残したがな」
「それで、散々イザーク使いにしてたここに顔出したってわけですか」
カウンターで衛兵隊長のヴィクターさんが何処か嬉しそうにグラスを上げた。
「そうだ、無駄話をしに来たわけじゃない」
「元からせっかちがさらに酒を楽しむ余裕を失くすとはな」
鼻を鳴らすハイモさんにアダルブレヒトさんは睨むような視線を向ける。
「さっさとあの娘の薬を流通に回せ、ハイモ」
「買い占める気のある奴が何を言う。あれは商業ギルドで試薬として在庫を溜め、必要な時が来れば解放する」
「溜めるだと? 馬鹿を言うな。試薬とあの魔法は全くの別物だ。試薬なら試薬として広め、魔法を使えるあの魔女の娘をこそ抱え込め」
アダルブレヒトさんとハイモさんが睨み合うのは、呪いを受ける前からだ。
お互いにライバルで反目もするが、何故か目指す先が同じになる仲だった。
いわゆる似た者同士なんだろう。
そんなかつては見慣れた光景だからこそ、ヴィクターさんが口を挟む。
「エイダの魔法と試薬どっちも試した俺の感覚からすると、魔法のほうが優秀ですよ。ただ、日常的に使えるとするなら薬の嫌だって思いを軽くするくらいのほうがいい」
どうやらハイモさんと組んですでに試薬を口にしたらしい。
「…………問題点は?」
「メンシェルのような耐毒性が異常に高い人間にはほぼ効果がない。また、呪文によって生成されているため、魔法に耐性を持つ者も効かないだろうということだった」
アダルブレヒトさんにハイモさんが答える。
その時店のドアが開く。
アダルブレヒトさんが身構え、俺も腰の得物に手を添えて警戒の目を向けた。
「はぁい、っと…………これはまたとんだ顔ぶれの中に来てしまったねぇ」
「学者先生がなんの用だい? 金がないなら帰りな」
やって来たのはダンジョン研究家のオリガで、普段は研究所にしている屋敷かダンジョンにいる。
酒は好きらしいが同居人が伯爵令嬢なので、一人にしておけないと飲み歩かない。
それくらいの情報は俺も持っていた。
「いやぁ、冥府の恵みのことでソフィアが伯爵家に戻ってね。功績に対する褒賞としてちょっとばかり貰ったもので、美味しいお酒でも引っ掛けようかなと」
「いや、ちょうどいい。今日エイダとダンジョンで襲われたんだろ。その話を」
「はぁ!?」
オリガにヴィクターさんがとんでもないことを言うので、俺は思わず声を上げた。
だが言葉からしてモンスター相手じゃない雰囲気なのだ。
その話は初耳らしくハイモさんも渋い顔をしている。
「いや、実はね。エイダくんがサザンクロスに目をつけられたらしくて、昨日の夜店に押し入られたそうなんだよ。けど、それを撃退したらダンジョンまで追って来てさ」
オリガは軽い調子で喋りながらカウンターに座る。
合間に酒を注文しつつ、研究家パーティと共に撃退した話を披露してみせた。
「サザンクロスは元から殺しはしないし、メンシェルがずいぶん挑発して怒らせたけど、結局命を狙うことはなかった。それに、どうもノーザンクロスはエイダくんの両親の可能性があるんだそうだ」
俺は口にしかけていた酒を噴き出した。
そして同じことになったのはヴィクターさん。
アダルブレヒトさんとハイモさんは口に運ぼうとしていたつまみを取り落としている。
「で、ちょうど私のほうからも話したいことがあったんだよ」
怒涛の勢いで喋ったオリガは、こちらの動揺など気にせず続けた。
しかも逆に緊張を強いる話を振る。
ダンジョン研究家として招かれたオリガがこのメンツで話したいこと。
それはダンジョンにおけるスタンピードの兆候以外にない。
「やっぱりスライムの動きがおかしいんだ。地底湖では群体になって隠れていた。鉱床地帯ではたった一体を目撃しただけ。山林に至ってはこの十日、私は一体も見ていないし、同時に山林にいるはずのモンスターの数も減っている」
「確かなのだろうな? それを兆候として動くにしても、間違いならまだしも兆候がすでにことの起きている状態ではまずいんだぞ」
アダルブレヒトさんが脅すように確認する。
それも自らの恐怖の発露だが、街のために危機感を持っているのも本当だ。
俺たちのように、スタンピードの兆候もわからず親を亡くす者が、もう出ないようにと思ってのこと。
「まだ一月ほどの猶予があるという話だったはずだね? それが早まる可能性は?」
ハイモさんも真剣なまなざしでオリガに問い質した。
「このテーセのダンジョンで起きた過去のスタンピードは、ダンジョン内部に強大な個が誕生したから、ダンジョン内部からモンスターたちが逃げ出したことによるものだ。なら、最弱の一画であるスライムの異常行動と、ダンジョンから餌を求めて這い出るモンスターの減少は関係すると思うほうが定石だろう」
オリガの話を聞きながら、アダルブレヒトさんが己への指示書に目を落とす。
俺も見せてもらったが、その中にはスタンピードと薬草に関しての指示があった。
「冥府の恵みの群生が襲われた今、それを理由に衛兵隊をダンジョンに送り込め。怪しい場所は薬草を理由に封鎖してしまえ」
アダルブレヒトさんはかつての自分が書いた文章を元にそう言った。
「それはありだね。今回冥府の恵みの自生が確認された。今頃その報告は伯爵にも届いている。つまり、大手を振ってダンジョンを封鎖する大義名分ができるわけだ」
「まぁ、俺たち衛兵だけじゃダンジョンは網羅できないから、冒険者たちには引き続きスライム探ししてもらうしかないだろうがな」
オリガにヴィクターさんが応じる。
その冒険者が、かつて一度だけスタンピードの兆候と言える異変を目撃し、報告することで事前に混乱なくスタンピードを止めたという。
冒険者を使わない手はない。
「こういう時のために、伯爵も城砦にこの国の王女招いてんだろ? 自分の病気の治療に必要な薬草探すとでも言えば、あっちの兵士引っ張り出せるんじゃないのかい?」
女将の暴論は、確かにそれを見越しての采配と聞いたことがある。
実際に城砦には騎士団がいるし、スタンピードの被害軽減のために引っ張りだせるならそのほうがいい。
「一番いいのはスタンピードを起こさないことだ。そのためにオリガくんにも労を負ってもらっている」
「それは大前提だ。その上でスタンピードの災いを繰り返さないために、あの娘の力が必要だろうと行っているんだ」
「急かすな。あの子はダンジョン行きさえ怖がっていたんだぞ」
慎重姿勢のハイモさんと急かすアダルブレヒトさん。
俺はそんな二人の話題に上る呪文屋の双子エイダを思い浮かべる。
片割れが残した仕事とは言え、まさか街の命運を背負わされているなんて思わないだろう無邪気な顔しか俺は知らなかった。
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