94話:明暗です
「逃げられましたね」
今度こそちゃんと煙玉が威力を発揮して、私たちはサザンクロスの逃亡を許してしまった。
高いところから降りてきたから煙も溜まって、風を吹かせた程度では視界が確保できない。
その間に縄を抜けられていた。
「去り際になんで効いてないんだみたいなこと言ってたけど、私たち何かされたのかな?」
オリガさんが顔の周りで煙を払いつつ近寄って来る。
トリィたちは煙の中動く私たちに向かって確かにそんなことを言っていた。
「あぁ、言ってましたね。悪口のほうに気を取られてました」
「ははは、ダサ眼鏡とか、もっさりスタイルとか見た目に関してばかりだったねぇ。よほど恰好のこと言われたのに腹を立てようだ」
オリガさんの言うとおりだ。
明らかに怒っていたのでまた戦闘かと思ったけれど、三人ともが鉤縄を使って登って逃げて行っただけだった。
「煙玉の中に睡眠系統と思われる毒が入っている。効かない云々はこれだろう」
薬屋さんに言われて、私もわだかまる煙をよく見れば確かにそんな効能が見て取れた。
「私は薬作りの一環で小さい頃から耐毒性上げてますけど、皆さん大丈夫ですか?」
「魔女ってどこも物騒なんですね」
私の確認に、オリガさんと一緒に近づいて来たソフィアさんが困ったように言う。
その目は薬屋さんに向いているようだ。
どうやら薬屋さんも耐毒性を上げてあるらしい。
けれどオリガさんとソフィアさんは?
「私たちもメンシェルから耐毒性を上げる食事というものを食べさせられているから。それで平気だったんだろう」
「逃げが基本の私たちが恐れるべきは、強力な攻撃への対処ではなく逃亡さえままならない状態異常ですから」
「それって、つまり…………」
耐毒性を得るためにする食事と言えば、微量の毒を日々摂取することだ。
つまり、本人たちの同意のもととは言え、仲間に毒を盛られていることになる。
家では両親も同じものを食べていたので普通のことと思っていたけれど、こうして傍目に見ると確かに物騒だ。
「さて、無駄話は後でもできる。さっさとダンジョンを出るぞ。そうしなければドーピングの反動で動けなくなった成人男性一人を引きずることになるのだからな」
薬屋さんがきびきびと指示を出すけれど、この場にいる唯一の成人男性がそんなことを言う。
同時に納得してしまった。
急に元気に分、リスクがあるんだ。
「よーし、帰ろう。メンシェル細いって言っても上り下りは手間だ」
オリガさんの号令で私たちは速やかに水晶の谷の深部から脱出することに決まった。
とはいえ、不安は残る。
「あの三人、逃がして大丈夫だったでしょうか?」
「プライドがあるようだからまた襲われる可能性は高いな。というか後継を自認しておいてお粗末すぎる」
「挽回狙わないとノーザンクロスとサザンクロスで明暗が分かれるだろうね。名前が売れてる分、どうしても比較されるし」
薬屋さんとオリガさんが容赦なく答える。
私を襲うことに失敗したなんて理由で明暗別れてほしくないというか、いっそ両親かもしれないノーザンクロスも闇に消えていたままでほしかったというか。
「身元がわかっているなら被害届けで収まることもあります。けれど顔を隠していましたし」
「あ、それならわかりますよ」
ソフィアさんに言われて、私はそれぞれの身元を口にした。
知らないのは黒髪のノインだけだ。
「あの吟遊詩人と踊り子か。ノインっていう子は特に変装もしてなかったみたいだし、闇ギルドに問い合わせればわかるんじゃない?」
「良かったじゃないか。伝手があって」
「いいんですかね?」
「この場合は、良いほうに考えては? 少なくとも闇ギルドにとって今エイダさんは重要人物ですから」
けど今のところ実害ない。
そして両親のこと話すと考えると二の足を踏む。
砦まで戻るとオリガさんが言った。
「正攻法に迷いがあるなら、不良衛兵隊長にでも相談してみれば?」
砦の上で腰の水筒を呷るヴィクターさんが見える。
私たちの姿に酒気を纏っていることに悪びれもせず手を上げた。
「よう、戻ったか。また薬屋引き摺ってくるかと思ったぜ」
「よし、では倒れよう」
「え!?」
ヴィクターさんが軽口を言った途端、薬屋さんが有言実行で倒れた。
完全に弛緩してるし、その様子にヴィクターさんも呆れ顔だ。
「おいおい、救護室までは自力で歩けよ」
文句を言いながら、薬屋さんを肩に担ぎあげたヴィクターさんは、そのまま救護室へ運んでくれる。
私たちは薬屋さんを寝かせて今日の収穫について話した。
「おう、見つかったか。地底湖以外にもあるとわかれば少しは落ち着くだろ。ったく、なくなった途端に薬屋はしごする奴や、商業ギルドに無理な発注かける奴とか」
「えぇ、ティモニウス司祭さまの計らいで在庫確認の上、患者への優先順位を早々に決められたことが混乱を最小限にできました」
そういうソフィアさんを見て、ヴィクターさんは息を吐く。
「これで俺らもあんたらを表立って警護してダンジョンに入れる」
「今までできなかったんですか?」
「管轄が違うんだよ。伯爵さまのお抱え学者についてくってのは独立性が云々って話でな」
ヴィクターさんが面倒がって適当に言うけれど、段取りが組めればオリガさんたちも危険が減るらしいことはわかった。
「それとちょっと問題があってね。すぐに今日見つけた自生地の保護をしてほしいんだ」
オリガさんがサザンクロスのことを説明する。
「おいおい、あいつら情報収集してるのは知ってたがおいたすぎるぜ。拘束することはできるが、その時の名目が必要だ」
ヴィクターさんは、どうやら身元を知ってるらしくソフィアさんを見る。
危険にさらされた以外の実害のない私の被害より、貴族に手を出したというお題目が重いようだ。
ソフィアさんはどうやら気が進まない様子。
たぶんこうして自由にしてるのは伯爵令嬢と周囲に知られていないからで、お題目に使うと今後の活動に差し触る。
「あの、様子見じゃ駄目ですか? あの人たち、殺人はしないんでしょう?」
「ノーザンクロスがそうだから、サザンクロスもそうだな。とは言え、お前さんは完全に標的だ。あまり甘いことはしないほうがいいぞ」
ヴィクターさんは忠告してくれるけど、正直同情というか、直視したくないというか。
おおごとになってほしくない。
そんな私にオリガさん口添えをしてくれる。
「エイダくんは魔女の被害者を助けるというサザンクロスの活動を否定はしたくないんだよ」
「あー、クライスも魔女嫌いだったからな。エイダもか?」
「本家を狙うようにしてくれるならそれがいいです」
オリガさんのフォローに乗って答えると、ヴィクターさんは頷く。
「酒場に来るかはわからないが、見たらそれとなく言っとく。だが、お前さんの自衛強化が前提だぞ」
「ありがとうございます」
話し終わって薬草もヴィクターさんのほうから議会に報告となった。
「よーし! ひとっぷろ浴びたらご飯だ。メンシェル、ごはん!」
「お、いいな。口は悪いが料理美味いんだよな。俺も一肌脱ぐんだからご相伴に」
「…………デザートのクズモチを完食するつもりがあるならな」
「いらん!」
起きてはいたらしい薬屋さんが条件を出した途端に、ヴィクターさんが震え上がって拒否する。
後からソフィアさんに聞いたら、クズモチとはスライムによく似た甘味のこと。
ご相伴にあずかった私の感想としては、つるりとした不思議食感で美味しかった。
隔日更新
次回:裏酒場にて